リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神の恵み深い厳しさは、わたしを日々変えてゆく(フィリピの信徒への手紙 2章)
    キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
    (フィリピの信徒への手紙2章6節~8節)
    今週からアドベント(待降節)が始まります。アドベントは「到来」という意味です。教会がアドベントという言葉を使うときは、主イエスの到来に限られます。主イエスの到来を待ち望む期間をアドベントというのです。
    主イエスの到来には二つの意味があります。一つは、主イエスが天からこの地上に人間の姿をとって到来された誕生のことです。主の誕生はすでに起こったことなので過去のことです。もう一つは、十字架にかかり、死んで、3日目によみがえり、天に昇っていかれた主イエスが、再び地上に到来される再臨です。主の再臨は、まだ起こっていませんから将来の事柄です。アドベントは、主イエスの十字架によって与えられた救いを思い起こし、将来与えられる救いの時を待望する季節です。
    再臨を待ち望むパウロは牢屋の中でこの手紙を書きました。この手紙は喜びの手紙と呼ばれています。この手紙に記された喜びは、静かな喜びです。キリストを信じる人は、置かれた環境に左右されない静かな喜びが与えられていることがわかります。アドベントは静かな喜びの中を歩む季節です。
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  • わたしはすぐに来る(ヨハネの黙示録 22章)
    “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。…以上すべてを証しする方が、言われる。「然りわたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
    (ヨハネの黙示録22章17節~20節)
    ヨハネの黙示録を読んだ人は「主イエスよ、来てください」と祈るように励まされます。神の右の座に着かれ、今、私たちのために執り成してくださる主イエスは、「わたしはすぐに来る」と再臨の約束をされました。
    主イエスは22章で三度「わたしはすぐに来る」とおっしゃいました。それは、必ずそのことを実現させるという強いご意志の表れです。すぐに来られる方はこの世を覆っている暗闇をやがて終わらせる「明けの明星」(16節)です。主イエスが来られるときに、この世界は新しくされ、神と人が共に生きていく神の国は完成されます。これを実現してくださる主を待ち望みながら、私たちは「主イエスよ、来てください」と祈ります。
    この祈りは何よりも聖霊と花嫁である教会の祈りです。ヨハネはこの言葉を聞く私たちを励まし、共に同じ言葉で祈るようにと招いています。聖霊は、私たちの魂の最も深い所に働いて、主イエスにお会いしたいとの願いを湧き上がらせてくださいます。この聖霊の御声に合わせて、私たちも「主イエスよ、来てください」と祈るのです。
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  • 御国の完成に至るまで(ヨハネの手紙一 3章)
    罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。
    (ヨハネの手紙一3章8節)
    私たちは悪魔との戦いを避けて通ることができません(1ペト5章8節)。確かに神は、人間の堕落の時にすでに女の子孫が蛇の頭を砕くという救いの約束を立ててくださいました(創3章15節)。そして、主イエスは悪魔の働きを滅ぼすためにこの世に来られ、十字架と復活によってその約束を成就してくださいました。主イエスはすでに悪魔に打ち勝ってくださいましたが、他方、この約束の確かさの中にありながらもなお私たちは日々戦いの中に置かれ、悪魔との戦いを続けていることも事実です。
    では、この戦いは果てしなく続くのかと言えば、そうではありません。神が「すべてのすべてとなられる御国の完成に至るまで」(『ハイデルベルク』問123答)です。その時には戦いは終わり、今のさまざまな苦しみは過ぎ去ります。
    その救いの完成の日まで、悪魔との戦いは肉の力によらず、神の武具による霊的な戦いです(エフェ6章10~18節)。その中心は福音をのべ伝えることであり、絶えざる祈りです。私たちは福音宣教と祈りによって悪魔との戦いに挑んでいく者でありたいと願います。
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  • 神の国と救いの希望(ローマの信徒への手紙 8章)
    被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていること…被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること…を、心の中でうめきながら待ち望んでいます。
    (ローマの信徒への手紙8章22節~23節)
    パウロは私たちの目を将来の望みに向けさせながら今の苦しみに耐えるように励ましています(ロマ8章18節)。私たちは日々、罪を犯す苦しみ、病気の苦しみ、人間関係の苦しみなどを味わいます。これらの苦しみは、神の救いが完成していないところから来る苦しみです。
    やがて神の救いが完成されるときに、この世界は新しくなります。そこでは神が私たちと一緒に住んでくださり、私たちの涙をことごとく拭い取ってくださいます。もはや、死も悲しみも嘆きも労苦もありません(黙21章4節)。
    この約束が確かであるために、神は私たちに聖霊の初穂を与えてくださいました(ロマ8章23節)。「初穂」というのは収穫を保証するものです。また、収穫の喜びを前もって一部を味わうことができるものです。聖霊の初穂が与えられている私たちはやがて神の国に入ることは確かであり、また、今、神の国の喜びを前もって味わうことができます。
    きょうも聖書を読み、祈る中で、聖霊は私たちを神に近づかせてくださり、私たちに神の愛を注いでくださいます。
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  • 神の国と教会(マタイによる福音書 16章)
    「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」
    (マタイによる福音書16章18節)
    主イエスはペトロに「わたしの教会」を建てると宣言されました。教会はペトロ個人のものでも、また、その後継者のものでもなく、主イエス・キリストのものです。主イエス・キリストを中心としてささげられる礼拝こそ、神の国の最も鮮やかな現れです。それゆえ、この世のさまざまな妨げや迫害の中でも、私たちは主イエス・キリストが中心であるような「あなたの教会を保ち進展させてください」と祈ります。
    この祈りは一つの地域教会の進展にとどまらず、むしろ、公同教会の全体に関わります。この点について『ハイデルベルク』には次のように記されています。第54問「『聖なる公同の教会』について、あなたは何を信じていますか」。答「神の御子が、全人類の中から、…選ばれた一つの群れを、御自分の御霊と御言葉とにより、まことの信仰の一致において、世の初めから終わりまで集め、守り、保たれる、ということ」です。
    このように神の国の進展は御言葉と御霊により、まことの信仰の一致において立つ教会の進展と切り離すことのできない事柄なのです。
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  • 神の国と神の義(コロサイの信徒への手紙 6章)
    「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
    (コロサイの信徒への手紙6章33節)
    主イエスは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」とおっしゃいました。「何よりもまず」という表現を通して、私たちの生活の優先順位を改め、自己中心から神中心になるようにと教えられたのです。神中心であることを求めて、絶えず御言葉と聖霊とによってわたしの心を治めてくださるようにと祈ります。そのときに、私たちの生活の場は神の国へと変わるでしょう。なぜなら、神がわたしの王となってくださり、私たちに神の赦しと愛による平安が与えられるからです。
    この恵みを深く味わうときに、私たちに神に従いたいという願いが与えられます。つまり、神に喜ばれる正しいことをしたいという願いが与えられるのです。これを言い換えるならば、「神の義」を求めるようになるのです。ですから、神がわたしの王となられ、私たちに神の赦しと愛による平安が与えられるときに、それに続いて神が喜ばれる正しいこと、つまり、「神の義を求める心」は一緒に与えられるのです。
    きょうも、神がわたしの王となってくださり、そして、喜んで神の御心を行わせてくださるようにと祈りましょう。
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  • 御国が来ますように(コロサイの信徒への手紙 6章)
    「だから、こう祈りなさい。
    『天におられるわたしたちの父よ、
    御名が崇められますように。
    御国が来ますように。』」
    (コロサイの信徒への手紙6章9節~10節)
    「主の祈り」の第二の願いは「御国が来ますように」です。この「御国」という言葉は「神の国」のことです。これは場所のことではなく、「神の支配」を意味します。ですから、「御国が来ますように」という祈りは「神が王として私たちと世界を支配してください」という願いです。
    主イエスは罪を犯す者は罪の奴隷であると教えられました(ヨハ8章34節)。人は自由に罪を犯すのではなく、罪に支配されているからです。どうすれば、罪の支配から解放されるのでしょうか。主イエスの十字架の贖いを信じることによるのです。そのとき、私たちは罪から解放され、すべての罪は赦されるのです。けれども、神の国はなお未完成です。罪と悲惨がなお世界を覆っています。私たちも罪を悔いてはまた犯すことによって、悲しみを味わいます。
    しかし、やがて世の終わりに、神は神の国を完成してくださり、私たちと世界とは新しくされ、罪と悲惨は完全に姿を消します。その神の国の完成を期待しつつ、きょうも「御国が来ますように」と祈り続けましょう。
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  • 新しく生まれた者の家族としての生き方(コロサイの信徒への手紙 3章)
    主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対するように、心から行いなさい。あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。
    (コロサイの信徒への手紙3章22節~24節)
    新約聖書によれば、キリスト者の家庭は一つの新しい気質で一致しています。つまり神への愛、忠誠心、従順、賛美と感謝です。また、お互いへの愛、忠誠心、敬意、憐れみと助け合いの精神です。主イエスも長男としてこの責任を果たされました(ヨハ19章25~27節)。これこそが、新しい規範と新しい態度・考えを与えられた家族のライフ・スタイルです。(エフェ5章21節~6章9節他)。
    神の家の子どもとして私たちは、キリストにある完全な真実について繰り返し教えられる必要があります。究極の目標は、お互いを造り上げること(1コリ14章)、神の子たちの長男であるイエス・キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長すること(エフェ4章13節)、そしてお互いの刺激となり、模範となることです(1コリ4章14~17節、フィリ3章17節)。最も重要なアイデンティティと人生の方向性は、私たちの家庭と信仰共同体で形作られます。したがって、信頼できる模範者や助言者が重要です。孤独な人や傷ついている人が、愛に満ちた配慮と待遇を見出すことができるよう、それぞれの家庭が希望の源となるように召されています。
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  • 今も、そしてとこしえに(詩編 115編)
    わたしたちではなく、主よ
    わたしたちではなく
    あなたの御名こそ、栄え輝きますように
    あなたの慈しみとまことによって。
    わたしたちこそ、主をたたえよう
    今も、そしてとこしえに。
    ハレルヤ。
    (詩編115編1節、18節)
    この詩編の詩人は、周囲の敵意とあざけりの中で、危機的状況にありました。しかし、自分たちの知恵や力による打開や回復ではなく、ただ神の慈しみとまことによって、神の御名があがめられることを祈り願います。なぜなら、死んでいる偶像とは異なって、生きて今も働かれ、すべてを御旨のままに行われる神がこの危機に介入されることを詩人は信頼しているからです。この主に依り頼めと、詩人は全イスラエルに呼びかけます。そして、その信頼が結びの言葉において、永遠なる神が限りある私たちをとこしえに賛美する者にかえてくださる希望へと発展していきます。
    この詩編は、過越祭で用いられるもので、主イエスが最後の晩餐を終え、出かける前に歌われたとも言われます。十字架の死に臨まれる前に、死を超えてなされる神の御業を信頼して、この主に依り頼めと全イスラエルに呼ばわれたのでしょう。だから、復活された主イエスを信じる私たちの賛美も、地上での死を超えてなお、主イエスと共にあり、終わりはありません。限りあるわたしも、主に依り頼んで、今も、そしてとこしえに「御名をあがめさせたまえ」。
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  • わたしの生活のすべてを通して(マタイによる福音書 5章)
    「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
    (マタイによる福音書5章16節)
    主イエスは、がんばって世の光となりなさい、ではなく、あなたは現に、世の光である、と言ってくださいます。なんと光栄なことでしょう。しかし同時に、それほど大層な者ではありませんと尻込みしてしまうかもしれません。私たちの言動によって神の評判を高められるはずもなく、かえってこれを汚してしまう日々の現実を私たちは知っているからです。しかし、神はその現実を打ち破られる方です。「あなたがたは世の光である」と言われるとき、神は確かにご自身の光を主イエス・キリストを通して私たちに与え、さらにその私たちを通して、神はご自身の光をこの世に照らそうとされているのです。最初から輝く人を用いて神の輝きをあらわされても、神の栄光は示されないでしょう。むしろ光なき者を用いてご自身の光を示されるとき、神の栄光が現れるのです。
    弱く乏しい私たちです。でも、暗闇の中で輝いている光なる主イエスが、聖霊によって全生活を照らしてくださっているゆえに、私たちは心から願います。このようなわたしを変えて、その生活のすべてを通して「御名をあがめさせたまえ」と。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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