リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神の御前で (箴言 19章)
    うそをつく証人は罰を免れることはない。
    欺きの発言をすれば逃げおおせることはない。
    (箴言19章5節)
    「嘘も方便」という言い方がありますが、私たちはこれを決して安易に受け入れてはなりません。嘘はあくまで嘘でしかありません。また、本音と建前を使い分けるのが大人の知恵だ、といったような理解も間違っています。大切なのは常に真実を語ることです。
    いろいろな時に、この人は恐らく嘘をついているのではないかと感じることもあるでしょう。真実が何よりも求められるはずの裁判や政治の場でも、平気な顔をして嘘が語られていることもあります。
    しかし、平気で嘘をついて、他人を無実の罪に陥れたり、自分の罰を逃れたりするような人は、心に何の恐れもないのでしょうか、神に対する恐れはないのでしょうか。
    問われるのは、あなたは本当に神の御前に生きているか、それであなたの良心は痛むことはないのかということです。政治家たちだけのことではなく、言葉の真実は私たちの生活の場でも問われています。
    神の御前に、神を畏れ、神を愛して、神に従って生きる。そのように神の御前に生きることに徹する。その生き方こそが、神に喜ばれる生き方です。心から喜んで主と共に歩み、常に真実を語りましょう。
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  • 心には真実な言葉 (詩編 15編)
    主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り
    聖なる山に住むことができるのでしょうか。
    …
    心には真実の言葉があり
    舌には中傷をもたない人。
    (詩編15章1節~3節)
    主の幕屋に宿り、聖なる山に住む。これこそ幸いなことです。詩編84編5節「いかに幸いなことでしょう、あなたの家に住むことができるなら、まして、あなたを賛美することができるなら」。
    心に真実な言葉があり、舌には中傷を持たない人こそ、幸いな人。ぜひともそのような人として、真実な言葉を語りたいですね。
    真実の言葉は、どこから来るのでしょうか。主イエス・キリストからです。主は私たちを愛してくださって、私たちのために贖いの御業を全うしてくださいました。この恵みの主に私たちは堅くつながるのです。そして、聖霊の助けにより、神に喜ばれる真実の言葉を語ることができるよう、いつも祈り求めましょう。
    「わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います」(ヤコ3章9節)。このようなことがあってはなりません。呪いと中傷の言葉を捨て、主への賛美と感謝の言葉で口と心を満たしましょう。喜び、感謝しつつ、希望をもって、主を賛美する。これこそ真実の言葉です。
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  • ソラ・フィデ(sola fide、「信仰のみ」) (ローマの信徒への手紙 1章)
    福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
    (ローマの信徒への手紙1章17節)
    救済論、すなわち救いの教理は宗教改革者において最も大切な主題でした。それゆえ、宗教改革者たちは二つの原理に注目します。その一つは「形式原理」である「聖書のみ」です。これは聖書のみが私たちの神学の根本だからです。もう一つが「実質原理」である「信仰のみ」です。救いの教理の本質である「義認」は、信仰のみと深く結びついています。
    しかし、ローマ・カトリック教会の教えは、宗教改革者たちの教えとは異なります。救いに関してローマ・カトリック教会は、義認は「信仰のみ」だけでなく、「人間の協力」によって段階的に聖化されて完成される、と主張しました。
    それに対してカルヴァンは、義認は、「キリスト教を守る主要点」とし、「信仰のみ」(ソラ・フィデ)を語ります。主イエス・キリストが、十字架の贖いの死によって獲得してくださった義、その義を「私たちは信仰のみを通して神の慈しみによって無償でいただく」のです。行いによるのではありません。また信仰それ自身もまた神の恵みによって与えられるものです。ただ神に感謝するほかありません。
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  • 働く目的 (イザヤ書 4章)
    盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。
    (イザヤ書4章28節)
    聖書は、盗みをさせないための配慮をも語ります。盗みから離れるため、エフェソの信徒への手紙は、働いて正当な収入を得て、困った人に分け与えるようにと勧めています。ここで、「余りが出たら分け与えなさい」とは言われていないことに注目しましょう。
    世間では労働がまずは自分の必要を満たすためにある、と考えます。お金が十分貯まれば働かなくてもよいとも考えます。しかし、天の父なる神を脇におくこの考え方では第八戒を全うできません。勤勉と言われる日本は、他者を支援する活動への寄付を外国より出し惜しむと指摘される国でもあります。
    私たちはキリストの十字架によって「生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのもの」とされ、天の父なる神から「我らの日用の糧」を与えていただいています。それならば、労働やその収入はわたしのためだけでなく、神の国の進展のため、困っている隣人のためにあるのです。その本来の道筋に立ち帰るとき、私たちは他の人から盗むということから遠ざけられ、第八戒を守る者へと近づけられます。
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  • 裸の隣人に愛の衣を (イザヤ書 58章)
    わたしの選ぶ断食とはこれではないか。…飢えた人にあなたのパンを裂き与えさまよう貧しい人を家に招き入れ裸の人に会えば衣を着せかけ同胞に助けを惜しまないこと。そうすれば、あなたの光は曙のように射し出であなたの傷は速やかにいやされる。
    (イザヤ書58章6節~8節)
    「何々してはならない」という十戒の掟は、禁じる事柄の反対のことを行うことをも勧めています。第八戒では、盗まない、奪わないにとどまらず、奪われて苦しむ人を見たら惜しまず与えて助けることも求められています。イザヤ書でも断食だけで律法を守ったと満足する人に、真に律法を守るとはどういうことか示そうと具体的に指示しています。
    ルカによる福音書の10章の「善いサマリア人」のたとえでは、律法の中心である「隣人を愛する」ことの例として、追いはぎに服も何もかも奪い取られた人に助けの手を尽くしたサマリア人が挙げられています。これを「盗んではならない」への積極的応答のあり方を示すものと受け止めることもできるでしょう。
    また「飢えた人にパンを、裸の人に衣を着せ…」との言い回しに、終末の審判の時、天の王が正しい人にかけてくださる言葉(マタ25章34節以下)を思い起こす方もあるでしょう。困っている人を助けると、「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と褒めてくださり、神の国を受け継がせてくださいます。
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  • 生ける神と共に (エフェソの信徒への手紙 5章)
    すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。
    (エフェソの信徒への手紙5章5節)
    盗みの罪は、自分にはあれもこれも足りないと思い込み、隣人が正当に所有しているものをうらやみ、奪い取ろうとする貪欲から始まります。使徒パウロは貪欲について「貪欲な者、つまり、偶像礼拝者」と語り、天の父なる神以外のものを神とする偶像礼拝から貪欲も生じることを示しました。偶像は「死せる神」であり、私たちに何ものをも与えません。「あなたにはそれだけあれば十分」と示してもくれません。そのため偶像礼拝者には満たされるという感覚がなく、貪欲を招いてしまうのです。
    だから貪欲、盗みから逃れるには、今も生きて私たち一人一人に愛の心を持って臨んでくださる天の父なる神を知ることです。この生ける神が地上にも支配の御手を伸ばし神の国をもたらしておられます。神は、神に背を向けていた者に働きかけ、一人、また一人と救いの恵みを豊かに注いでくださいます。そして、神の子へと造り変えてくださり、更には神の国を相続させてくださいます。それ故、私たちはこう賛美します。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩23編1節)と。
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  • 主によって満足する (ルカによる福音書 3章)
    兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
    (ルカによる福音書3章14節)
    洗礼者ヨハネがヨルダン川で悔い改めを呼びかけ洗礼を行っていたとき、兵士たちが、どう生きるのが悔い改めになるかを尋ねました。ヨハネは金をゆすり取ること、だましとることを禁止すると共に、「自分の給料で満足せよ」と勧めました。給料だけでは自分の生活の必要を十分には満たせていない、という思いから、足りない分を埋めようと他の人から奪うようになってしまったことをヨハネは見抜いたのです。
    ともすれば人は、自分が必要と思ったとき、すぐに必要なものが手に入るのでなければ困る、と思います。そのために給料もできるだけ多く欲しいとも思ってしまいます。
    しかし、天の父なる神は、ものがたくさんあることが肝心なのでないことを教えるため、私たちの求めにすぐに応えられないこともあります。この一見厳しそうな対応にも、滅びに落とすまいとする神の愛が込められています。最も賢明に配慮くださる天の父に立ち帰り、悔い改めて生きる時、パウロと共に「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです」と言う者に変えられます(フィリ4章11節)。
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  • 正しく量る (エゼキエル書 45章)
    イスラエルの君主たちよ、もう十分だ。
    不法と強奪をやめよ。
    正義と恵みの業を行い
    わが民を追い立てることをやめよと
    主なる神は言われる。
    「あなたたちは、正確な天秤、正確なエファ升、正確なバト升を用いなさい。」
    (エゼキエル書45章9節~10節)
    物の分量を量ることは日常生活に欠かせません。計量カップや升といった量りに毎日世話になります。ただこうした量りが正確かどうかは、私たちが一目見るだけでは判断できません。そこにつけ込まれ不正が行われることもあります。例えば米1キロを売り渡すと見せかけ8百グラムしか渡さず、代金を余計に受け取るという形で。しかもこの不正は見破りにくく広まりやすいのです。旧約聖書のあちこちでこの量りの不正が告発され、強奪、盗みとして非難されています。
    相手から奪い取りまでして、自分の利益ばかりを追い求める人の罪は、神の子キリストを銀貨30枚という奴隷並みの値段でたたき売るまで極まってしまいました。
    しかし、キリストはこの私たちの罪のためにも十字架で死んでくださいました。罪赦された私たちにキリストは今やこのように語られます。
    「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである」と(ルカ6章38節)。
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  • 天の父を離れて盗む (コリントの信徒への手紙一 6章)
    泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う物は、決して神の国を受け継ぐことができません。
    (コリントの信徒への手紙一6章10節)
    第八戒「盗んではならない」について、ハイデルベルク問110は「権威者が罰するような盗みや略奪」だけを禁じるのでないと答えます。「自分の隣人の財産を自らのものにしようとするあらゆる邪悪な行為また企てをも盗みと呼」びます。
    盗みとは、警察に捕まり、罰せられるようなことだけではありません。聖書は、「強欲な者」を「泥棒」、「人の物を奪う者」と同列に挙げています。そして、それらの者たちは、「神の国を受け継ぐことができません」と警告します。天の父である神は私たちに必要なものを恵み深く与えてくださっています。しかし、そのことを信じようとしないのです。その時、本来の必要よりもっと多くを求める強欲が湧きます。この盗みの罪は、私たちから遠いところにあるのではなく、現代の資本主義社会には当然のように存在します。
    天にいます父なる神はキリストを遣わして、私たちをこの盗みの罪からも救い出してくださいます。神を天の父として示し、神の国を第一に求める者には必要なものをみな与える(マタ6章33節)と約束くださっています。
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  • ソラ・グラティア(sola gratia、「恵みのみ」) (エフェソの信徒への手紙 2章)
    事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
    (エフェソの信徒への手紙2章8節~9節)
    中世のローマ・カトリック教会も、神の恵みによって人間に救いが与えられると信じていました。しかし彼らは、神の恵みだけでは不十分であるとしました。神の恵みに加えて、自由意志による人間の協力も必要であるとしました。彼らは救いのために神と協力する人間の業を強調しました。つまり、彼らは神の恵みに人間の自由意志をかき混ぜてしまったのです。
    これに対して宗教改革者たちは「恵みのみ」を強調しました。彼らは「恵みのみ」(ソラ・グラティア)が聖書的な救いの中心的な教えであると信じました。
    宗教改革者たちのなかで、カルヴァンは他の誰よりも恵みの教理を強調した神学者です。彼は『キリスト教綱要』第3篇の表題を次のように記しています。
    「われわれはどのようにキリストの恵みを受けるか。そこからどのような実りがわれわれに生じるか。それにともなう効果は何か」と。
    主イエス・キリストにおいて現された神の「恵みのみ」が、私たち罪人を救います。神の「恵みのみ」が、私たちの生活を善き生活とし、実りを生じさせます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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