リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神に対する罪の自覚 (創世記 39章)
    「この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」
    (創世記39章9節)
    エジプトに連れて来られたヨセフは、宮廷の役人ポティファルに買われました。しかし、主が共におられて、ヨセフを異国の地においても守ってくださいました。そのようなヨセフに対して、ポティファルの妻は、誘惑の言葉をかけて言い寄ります。この誘惑に対して、ヨセフはきっぱり語ります。「わたしはどうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう」。
    ヨセフは、自分を豊かに祝福しているお方が神であることをよく知っていました。ヨセフは、神を信じ、神を愛していました。ですから、誘惑にのることは、何よりも神に対して大きな罪を犯すことになると語ります。
    私たちもまた日々、さまざまな誘惑に襲われています。特に、メディアが発達している現在、サタンは、生活のあらゆる手段を用いて私たちを罪の中に陥れようとします。しかし、私たちは主イエス・キリストによって救いの恵みと祝福を神からいただいています。日々、聖霊に導かれて御言葉に聞き、神の愛を悟りましょう。そして、神を信じ、神を愛して、神のみ顔の前に歩みましょう。
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  • 心の中で犯す罪 (マタイによる福音書 5章)
    「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」
    (マタイによる福音書5章27節~28節)
    イエス・キリストの時代の教師と呼ばれる多くの人たちは、「姦淫してはならない」という戒めを、文字通りに考えていました。そして、一般の人々もまた、そのように教えられていました。ですから、外側で現実に罪を犯さなければ、姦淫の罪に問われることはない、と考えていたのです。
    しかし、イエス・キリストは単に外側のこととして命じられているのではない、とされました。すなわち、この戒めを人間の心の中にある思いを問うものとして教えられたのです。
    私たちはかつて、このような思いを持っていることに痛みを感じることはありませんでした。むしろ、そのような思いを悲しむことも悩むこともなく、当然のこととしていたかもしれません。
    しかし、主イエス・キリストを知った今は、そうではありません。主は、結婚をしている異性をみだらな思いで見ることは、そのまま心の中の姦淫の罪であると言われます。全く身に覚えのない人は誰もいないでしょう。私たちは皆、罪深い者です。しかし、この罪のためにも、キリストは十字架にかかって死んでくださいました。
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  • 聖霊が宿られる神殿 (コリントの信徒への手紙一 6章)
    知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
    (コリントの信徒への手紙一6章19節)
    コリントの町にはみだらな行いが満ち溢れており、教会にもかつての風習から抜け出せない人びとがいました。このような人びとに対して、パウロは、みだらな行いを避けるようにと厳しく語ります。それはみだらな行いが特殊な罪だからです。
    通常の罪は、体の外側にあります。つまり、通常の罪は自分の体とは別の、物や人に対して行われるものです。しかし、みだらな行いは自分の体に対して罪を犯すことになる、と語っています。自分の体に対する罪は、自分が生きている限り、消えることがないものとして残るからです。
    パウロは、信仰者の体はもはや自分自身のものではないことを強調します。なぜなら、信仰者の体は神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿だからです。聖霊は聖なるお方です。ですから、信仰者の体をきよめて住んでおられるのです。
    神殿では、神をほめたたえることが求められました。私たちの体は、聖霊によってきよめられ、神を賛美する神殿とされます。神の恵みは私たちの体にまで届きます。ですから、体においても神の栄光が現されるよう祈ります。
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  • みだらな行いを避けるために (コリントの信徒への手紙一 7章)
    みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。
    (コリントの信徒への手紙一7章2節)
    コリントの町は、商業と貿易の町として知られていましたが、この裕福な町には、多くのみだらな行いが満ちあふれていたのです。しかし、そのような町にも、多くの信仰者たちが起こされたのです。ところが、長い間、異教の習慣の中にいた信仰者たちの中には、これまでの習慣から抜け出すことができない人びとがいました。パウロはそのような人たちに信仰者の正しい歩み方について教えたのです。しかし、パウロの教えを誤解した人たちもいました。これらの人たちの中には「男は女に触れない方がよい」と、あまりに禁欲的に受け止める人たちもいました。
    そこでパウロは、2節でこう語りかけています。「男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」と。
    結婚の第一の目的は、互いに愛し合い、助け合うことです。それは「みだらな行いを避けるため」でもあります。夫婦の性的関係そのものは、正しく用いるならば慰めであり、祝福なのです。夫と妻がこのことを正しく理解することが、この世の誘惑に打ち勝つために大切なことです。
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  • 神の国を受け継ぐ者にふさわしく (エフェソの信徒への手紙 5章)
    すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。
    (エフェソの信徒への手紙5章5節)
    エフェソの町には、アルテミス神殿があり、異教に特有のさまざまな性に関する風習がありました。そのような環境の中でも、主はパウロを用いて福音を伝え、人びとが主イエスをキリストとして受け入れ、信じる者としてくださいました。
    エフェソの信仰者たちも、かつては多くの異教の習慣の中に生活していました。主イエスを信じて、自分たちがこれまで行っていたことが、どれほど人間としての正しい道から外れているかを、彼らは知るようにされました。
    パウロは、4節において、「卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談」を避けるようにと具体的に勧めています。この世においては、これらについて巧みなことが、話題に豊富な人であるかのように考えられているかもしれません。
    しかし、私たちは、御言葉に聴き、みだらな者は神の国を受け継ぐ者にふさわしくないことを知っています。聖書は主イエス・キリストを信じる信仰者たちが、神に愛されている者であると語っています。それ故に神に愛されている者にふさわしい歩みをするように、勧めています。
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  • 身を汚してはならない (レビ記 18章)
    あなたたちは必ずわたしの命令を守りなさい。これまで行われてきたいとうべき風習の一つでも行って、身を汚してはならない。わたしはあなたたちの神、主である。
    (レビ記18章30節)
    モーセを通して与えられた戒めのうち、第七戒ほど、かつても今も人間の罪を明らかにするものはありません。
    レビ記18章の背景には、神が人間に与えられた正しい性の関係を、いとうべきものに変えてしまったカナンの風習があります。レビ記は、肉親や兄弟姉妹、また、結婚をしている他人の妻について、さらには、動物との性的な関係に至るまで語っています。
    主なる神は「これまで行われてきたいとうべき風習の一つでも行って、身を汚してはならない」とお語りになります。
    このような風習は、遠いモーセの時代だけのことでしょうか。決してそうではありません。私たちが生きているこの現代の社会においても行われ続けていることです。しかもそれらのことが「身を汚すこと」であると認識され、省みられることはありません。
    しかし、私たちの「体も魂も…イエス・キリストのもの」(『ハイデルベルク』問1)です。それ故、キリスト者である私たちは自分の身を汚してはなりません。「わたしはあなたたちの神、主である」との御言葉を、今こそ心に留めましょう。
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  • ソルス・キリストゥス(solus Christus、「キリストのみ」) (ローマの信徒への手紙 3章)
    ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
    (ローマの信徒への手紙3章24節)
    前回学びました「聖書のみ」は、「キリストのみ」ということと結びついています。聖書のみが私たちの信仰と生活の指標であるならば、キリストのみは私たちの信仰と生活の唯一の目標です。
    当時、ローマ・カトリック教会は、聖礼典を執行する聖職者が神の赦しと救いの恵みを伝達する仲保者的な役割を果たせると主張しました。そのような考えは、功績主義を、さらには免罪符をも生むことにまでなりました。
    しかし宗教改革者たちは、全く罪のうちに堕落してしまった私たち人間が義とされるのはただキリストのみによると語ります。「キリスト教を他の宗教と区別するのは仲保者キリストの存在にある」というカルヴァンの言葉は大切です。彼は、『キリスト教綱要』第2篇で全くの罪人である人間、旧約と新約のキリスト、仲保者、救い主キリストという順番で、「キリストにおける贖い主なる神の認識」について述べています。
    キリスト教の中核的教理であるキリストの十字架なしには、もはやキリスト教ではありません。私たちはただ十字架にかけられたイエス・キリストのみを讃えます。
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  • 敵をも愛する (マタイによる福音書 5章)
    しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
    (マタイによる福音書5章44節~45節)
    愛は、いっさいの見返りを期待しません。私たちは、自分に利益となって返ってくる人だけを愛するならば、それは自己中心の愛でしかありません。
    神の愛は、このような自己中心の愛とはまったく違います。神の愛は、無条件であり、無限でもあります。この無条件に注がれる神の愛が、敵をも愛するという主イエスの教えに最もよくあらわされています。そして、この敵をも愛する行為は、主イエス・キリストの十字架を通して示されました。主イエスは、神に背を向けて自己中心の罪に生きる私たちを罪から救うために十字架にかかって死んでくださいました。
    私たちは、この主イエス・キリストの十字架の死によって、神との和解がなされ、罪ゆるされて、神と共に生きていくことができるようになりました。私たちは、この無条件で、無限の神の愛が自分にも注がれていることを知ることができます。その時、敵をも愛する愛に私たちは生き始めます。「殺してはならない」という戒めは、私たちをこの愛に招いています。
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  • 互いに愛する (ローマの信徒への手紙 12章)
    兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
    (ローマの信徒への手紙12章10節)
    互いに愛し合うことの大切さを私たちは知っています。同時に互いに愛し合うことの難しさもまた私たちは経験しています。
    この世界をつくり、人間を特にご自身のかたちにつくられた主なる神は、私たちを愛してくださいました。主なる神は、人間が罪に堕落した後も、変わらず私たちを愛してくださいました。この変わらない私たちに対する神の愛は、神の愛する独り子、イエス・キリストを十字架につけるという仕方で、私たちにあらわされました。
    キリスト者は、御子イエス・キリストに結びつくことによって、神の愛を受け、互いに愛し合うことに生きていきます。
    神の愛は、人を殺さずに生かします。神の御子、イエス・キリストは、へりくだって十字架にかかってくださいました。キリスト者は、この御子イエス・キリストに結びついて生きていきます。その時、私たちのような者であったとしても互いに愛を持って接し、相手を心から尊敬し、自分より優れた者と思うようにもされます。その人を敬うことで、その人をも生かすことができるようにされます。
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  • 自己中心から神中心へ (ガラテヤの信徒への手紙 5章)
    肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。
    (ガラテヤの信徒への手紙5章19節~21節)
    聖書は、人間に罪があることを教えています。罪とは、この世界と人間を造られた主なる神を無視して、自己中心に生きていくことです。自己中心的な生き方は、神を無視するだけではなく、他の人をも無視することになります。自己中心とは、自分の思いを絶対化することです。自分を神とすることと言ってもよいでしょう。このように自分の思いを絶対化すると他の人を愛したり、敬ったりすることができなくなってしまいます。つまり、罪とは神と人を愛せないことなのです。
    聖書は、この自己中心の罪に支配された生き方を「肉の業」と呼んでいます。「肉の業」とは、自分の思い、自分の欲望を絶対化して生きていくことです。「肉の業」は、まことの神を無視して生きる偶像崇拝につながっていきます。偶像崇拝とは、人が自分の欲望を満たすためにつくり出した偽りの信仰です。ですから、偶像は、人の欲望の数に合わせてつくられます。
    主イエスは、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタ16章24節)と招かれます。自己中心の罪を悔い改めて神を中心にして生きましょう。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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