リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 光の中を歩もう (ヨハネの手紙一 2章)
    兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。
    (ヨハネの手紙一2章10節~11節)
    憎しみは、私たちの心を闇で覆います。たとえ相手に原因があったとしても、私たちが人を憎むとき、私たちは、闇の中にいます。
    闇の中では、自分がどこにいるのか、これからどこに行くのかもわかりません。そして、闇の中にいることは危険なことでもあります。私たちの心が憎しみで満たされる時私たちの心は主なる神から遠く離れてしまいます。また神が与えてくださった人生を喜び楽しんで歩んでいくこともできなくなります。では、どうしたら良いのでしょうか。
    主イエスは、憎しみに満ちた世に、まことの愛をあらわしてくださいました。主イエスは、人を憎んでしまう私たちのために十字架にかかり、ご自身の尊い命を捨ててくださいました。この主イエスの十字架の血によって私たちの罪がゆるされました。キリストの十字架は、人を生かす光をこの世にもたらしました。
    私たちは自分の力によってこの憎しみをどうすることもできません。ただ主イエス・キリスト、この方だけがこの憎しみの心に勝つことができます。ですから、きょうも十字架の恵み、神の愛の光の中に留まりましょう。
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  • 怒ったままでいてはいけません (エフェソの信徒への手紙 4章)
    怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。
    (エフェソの信徒への手紙4章26節)
    使徒パウロは、怒ることすべてを戒めているわけではありません。聖書は、確かに神の正義に基づく怒りがあることも教えています。洗礼者ヨハネは、ファリサイ派とサドカイ派の人びとに、「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」(マタ3章7、8節)と語ります。ですから、怒りには、確かに正しい怒りもあります。
    しかし、主イエスは、「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」(同5章22節)と弟子たちに教えられました。パウロも主イエスと同じように、たとえ怒ることがあったとしても罪を犯さないようにと戒めています。しかし、私たち人間は罪深いものです。私たちは、怒った時は、それが正しい怒りであると思うのですが、実は人を傷つけ、人の尊厳を踏みにじってしまっていることが多いのです。これは、その人を殺しているのと結局は同じことになります。
    しかし、このような私たちに、神は「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」と言われます。怒ることはあったとしても、その日のうちにその怒りは治めなさいという牧会的な御言葉です。
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  • 人は神にかたどって造られた (創世記 9章)
    「人の血を流す者は
    人によって自分の血を流される。
    人は神にかたどって造られたからだ。」
    (創世記9章6節)
    主なる神は、地上に悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になり、ノアとその妻、三人の息子(セム、ハム、ヤフェト)とその妻たち、動物たちを箱舟に入れて救い、他の人間を洪水によって滅ぼされました。
    主なる神は、ノアとその家族を最初の人間アダムと同じように祝福しました。そして、神は、ノアとその家族に、青草に加えて、動物の肉を食料として与えてくださいました。ただし、血を含んだまま食べることは禁じられました。血は、命をあらわしますから、生きたまま食べることが戒められたのです。主なる神は、動物を食べることを許可されましたが、むやみに殺すことまで認められたわけではありません。
    ましてや人間どうしが殺し合うことを認めてはいません。人が人の血を流した場合は、その賠償として自分の血、すなわち命が要求されます。こうして、殺人が禁じられました。その理由は、人が神のかたちにつくられているからです。人の命は、神のものです。与えられている命に感謝し、他者を大切にしながら私たちは歩みます。
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  • ソラ・スクリプトゥラ(sola Scriptura、「聖書のみ」) (詩編 19編)
    主の律法は完全で、魂を生き返らせ
    主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
    (詩編19編8節)
    宗教改革500周年を迎える私たちに求められるのは、改革派教会の遺産に感謝しつつ、唯一の神にのみ栄光を帰すことです。そのため、宗教改革の中核である「五つのソラ」(「ソラ」は、~のみという意味です)に注目するのは、今日、私たちにとってとても大切な課題です。
    「私たちは今新しい時代の夜明けに立っている」と語ったマルティン・ルターの言葉の重さは、宗教改革の重要性を物語ってくれます。その当時の権威は三つに分けられていました。つまり、中世教会の伝統、ローマ・カトリック教会の会議、教皇でした。ところが、宗教改革者たちは当時の権威に立ち向かって「聖書のみ」をキリスト者の唯一の最終的な権威として認めようとしました。カルヴァンが『キリスト教綱要』で、聖書の必要性と信憑性をそれほどに強調する理由がここにあります。彼は、聖書という眼鏡をかけるとき、すなわち信仰によって聖書の権威を認めるとき、神を創造主としてだけでなく救い主としても知ることになる、と述べています。
    人間が神を知ることができる唯一の場所は「聖書のみ」です。
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  • 教会における秩序(使徒言行録 20章)
    どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。
    (使徒言行録20章28節)
    私たちの改革派教会は長老制という政治形態をとっています。それが最も聖書的であるという確信からです。長老(牧師も長老です)によって構成される小会、中会、大会で教会の伝道方針や教育方針が審議されて、決定されます。
    では、長老はどのようにして立てられるのでしょうか。それは教会員の選挙によって選ばれるのですが、この選挙の中に聖霊が働いてくださることを信じています。ですから、きょうの聖書個所にもある通り、長老は聖霊が任命なさったのです。そう信じて、私たちは長老に対してふさわしい敬意を払い、長老たちによる会議の決定に従います。
    ところで、長老は監督者とも呼ばれる通り、委ねられた群れ全体を配慮して見守るという役目があります。それは決して権威を振り回すことではありません。むしろ群れの模範となって、献身的に群れの世話をすることです(1ペト5章2、3節)。
    このような働きに最初からふさわしい人は誰もいません。ただ聖霊だけがその人にふさわしい賜物を与え、その人を訓練してくださいます。ご自分の教会の長老のためにお祈りください。
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  • 国家との関係(ローマの信徒への手紙 13章)
    人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。
    (ローマの信徒への手紙13章1節~2節)
    国家権力の宗教への介入が不安視されている昨今です。憲法を改正して戦前・戦後の全体主義的な国家を取り戻そうとする風潮があるという意見が教会内外で表明されています。この時代にあって私たちはどのように認識し、考え、行動すればよいのでしょうか。
    どのような時代であっても、教会の最も大切な働きは、福音宣教です。伝道を脇に置いて、国家のしている事に声をあげるのなら、教会は教会ではなくなってしまうでしょう。
    しかし、福音宣教とは、福音書と使徒言行録においては神の国到来の告知です。国とは支配のことです。神の国到来を語る際、国家の支配のあり方と神の支配のあり方は、常に緊張関係の中にあります。教会が行う福音宣教は、必然的に、国家に対する見張りの役目を担っています。
    第五戒から、上に立つ人を敬うように学んできました。国家のために働く為政者たちも神によって選ばれた人たちです。彼らが、神に託された働きができるように、と教会は心から祈らねばなりません。また、彼らが明らかに神の道から離れるとき、教会として声を上げることは、教会がなすべき神の国の福音宣教です。
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  • 上司と部下の関係とは(エフェソの信徒への手紙 6章)
    奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
    (エフェソの信徒への手紙6章5節~7節)
    わたしは献身する前、大学や研究所で12年間ほど働いていました。その間に三人の上司の下で働きました。それぞれが異なるタイプの上司でした。放任主義の上司、押し付け型の上司、細かな所までもコントロールしようとする上司でした。相性の良かった上司、そうでなかった上司がいました。わたしは上司に対して不満を持ち、そして上司から理不尽なことを言われたことが数多くありました。しかし、どの上司も神から与えられた存在と思い、神に仕えるように上司に仕えることを学んできました。
    本日の聖句で奴隷と主人の関係が取り上げられます。パウロが奴隷制を扱うのは、当時、奴隷のキリスト者がいたからです。パウロが語るのは、どんな境遇においてもキリスト者として生きる知恵です。
    もちろん、パウロは奴隷制を積極的に肯定しているわけではありません。また、人間の尊厳を損なってまでも、相手に隷属することは神の御心ではありません。そうではありますが、キリストに従うように敬意をもって真心から主人に従うという基本的な姿勢は、現代の人間関係にも当てはまります。
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  • 妻と夫の関係とは(エフェソの信徒への手紙 5章)
    キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
    (エフェソの信徒への手紙5章21節)
    夫婦とは不思議な関係です。血縁とも、地縁とも、利害関係とも異なる関係です。好きだから結婚したのでしょうし、子どもを授かると共に親になります。
    妻と夫の関係で、わたしが一番大切だと思っていますのは、「人が独りでいるのは良くない」(創2章18節)と言われた神が結び合わせてくださったという点です。妻と夫が愛し合う中に、二人を結び合わせようとされた神の意思が働いている関係です。
    夫婦は物理的・精神的近さのゆえにお互いのことで常に揺れ動く感情を持ちます。感情だけでは関係を維持することは困難であると思います。そこで、その相手が神によって与えられた相手であることを思い、お互いの間に立ってくださる神を共に畏れ、神に信頼して歩むことが大切です。
    パウロは夫婦に互いに仕え合いなさいと教えます。キリストに仕え、キリストを愛するように、お互いのパートナーに仕え愛することが求められています。これは、教会とキリストとの関係を語る中で語られた言葉です。教会生活の中に、夫婦の関係が整えられていく恵みが宿っています。
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  • 親と子の関係とは(エフェソの信徒への手紙 6章)
    父親たち、子どもを怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。
    (エフェソの信徒への手紙6章4節)
    十戒の第五戒が望んでいることは、子どもが親に一方的に従うことではありません。親の側には、子どもが喜んで従いたいと思う、尊敬に値する人であることが求められています。ところが、そうありたいと願っていても、子どもをいらだたせることの何と多いことでしょう。
    もちろん、子どものことを思わない親はいないでしょう。「あなたのためを思って」としつけに力が入ります。しかし、一歩立ち止まって考えてみてください。「あなたのためを思って」という言葉に、「わたしの願い」や「わたしの期待」が見え隠れしていませんか。しつけによって子どもが怒るのは、子どもながらにも親の言葉に理不尽さや愛情の無さを感じ取っているからです。
    子どもは親の所有物ではありません。子どもは親とは違う人格を持ち、主から与えられた独自の人生があります。子どもはその養育を主から託された存在です。子どもと共に御言葉から学び、子どもと共に神の御心を祈り求め、子どもと共に夢の実現に向かって歩むことが大切です。神の子である私たちを、神がそのようにしつけ、諭され、育んでくださっているからです。
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  • 子と親の関係とは(箴言 1章)
    わが子よ、父の諭しに聞き従え。
    母の教えをおろそかにするな。
    (箴言1章8節)
    よく耳にすることですが、子どもは自分の親を選ぶことはできません。では、親は子どもを選べるのでしょうか。生まれて育つまでは、どんな子どもになるのか、親でさえわかりません。選ぶことができないこの関係を、もし否定的に考え始めたら、そのような親子関係からは何も良いものが生まれません。
    しかし、人間には選ぶことも予測することもできないこの関係に、神の知恵と配慮と恵みが働いていると確信するときに、親子関係の見え方も変わってきます。神は、我が家にしかない特別な関係の中に、親子ともども置いてくださっています。その関係を与えてくださった神への畏れこそ、親子関係を考える出発点です。
    十戒の第五戒は子どもに対して、父母に聞き従うことを望んでいます。この戒めを守るために、また守るようにと教えるためにも、神が与えてくださった特別な関係に対する畏れと深い理解が必要です。
    昨今、幼児虐待の痛ましいニュースを耳にします。罪にねじれたこの世に生きる者の一人として、すべての親子が祝福の中に生きることができるようにと祈ります。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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