リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 思いやる心こそ(コリントの信徒への手紙二 1章)
    神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。
    (コリントの信徒への手紙二1章23節)
    コリント訪問が、何かの理由で延期されている。その事情の詳細をここで述べることはできません。パウロの訪問計画が、そもそも「軽はずみ」「人間的な考え」だと非難する声も、パウロの耳に届いているようです。しかしパウロは言います。訪問の延期は、「あなたがたへの思いやり」なのだ、と。あなたがたに対して寛大でありたいからだ、と。自分の命にかけて誓ってもよいとまで断言します。
    ここでのパウロのように、神の名を呼んで誓うことを特異な目的で行う人がいるでしょうか。このような不思議な作法で誓いを用いることは、驚き以外の何物でもありません。ここに、伝道者・牧会者パウロのコリント教会への愛と献身が如実に現れています。パウロの強い口調が、教会に対する彼の痛むほどの愛から出ていることは、明らかです。
    パウロはコリント教会の信仰を「支配」したくありません。教会の喜びに仕える「協力者」でありたいのです(24節)。支配的な牧会、独善的な教会指導はパウロと無縁です。謙遜と愛に満ちた牧会者、真の羊飼いの場所を死守すること。教会が思いやりの集いになる秘訣がここにあります。
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  • 不実と無知を癒やされる神(ヨシュア記 9章)
    ヨシュアは彼らと和を講じ、命を保障する協定を結び、共同体の指導者たちもその誓いに加わった。
    (ヨシュア記9章15節)
    約束の地カナンに入るイスラエルの民に、神は既存の民と町々を「滅ぼし尽くす」よう命じました(申7章2節)。しかし既存の民を皆殺しにしたわけでないことは、聖書の記録からも歴史的な知見からも明らかです。
    ギブオン人は、遠方からの困窮者を装ってヨシュアを訪ね、助命と占領地での居住を求めて、イスラエルとの「協定」を謀ります。虚偽を見抜けないまま和を講じ、指導者たちは協定締結の誓いに加わります。虚偽に基づくことが後日判明すれば、一般の契約なら破棄されるでしょう。しかしこの場合は、誓いを神に立てたという理由で、契約は継続されます(ヨシュ9章19、20節)。御前での誓約は、人間の不実と無知にまさり、隠された偽りを癒やす力をもつことが、暗示されています。
    ギブオン人は、イスラエル共同体と主の祭壇で一種の神殿奴隷として奉仕し、捕囚後の城壁再建にも貢献します(ネヘ3章)。ギブオン人の例を「ぶどう園の労働者」の譬に繋いで語る説教伝統もあるようです(マタ20章)。不利益な誓いさえ癒やして用いる神の知恵。すべてを益とする神に感謝します。
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  • 主は生きておられる(エレミヤ書 4章)
    もし、あなたが真実と公平と正義をもって
    「主は生きておられる」と誓うなら
    諸国の民は、あなたを通して祝福を受け
    あなたを誇りとする。
    (エレミヤ書4章2節)
    約束の地カナンに入るイスラエルの民に、神は既存の民と町々を「滅ぼし尽くす」よう命じました(申7章2節)。しかし既存の民を皆殺しにしたわけでないことは、聖書の記録からも歴史的な知見からも明らかです。
    ギブオン人は、遠方からの困窮者を装ってヨシュアを訪ね、助命と占領地での居住を求めて、イスラエルとの「協定」を謀ります。虚偽を見抜けないまま和を講じ、指導者たちは協定締結の誓いに加わります。虚偽に基づくことが後日判明すれば、一般の契約なら破棄されるでしょう。しかしこの場合は、誓いを神に立てたという理由で、契約は継続されます(ヨシュ9章19、20節)。御前での誓約は、人間の不実と無知にまさり、隠された偽りを癒やす力をもつことが、暗示されています。
    ギブオン人は、イスラエル共同体と主の祭壇で一種の神殿奴隷として奉仕し、捕囚後の城壁再建にも貢献します(ネヘ3章)。ギブオン人の例を「ぶどう園の労働者」の譬に繋いで語る説教伝統もあるようです(マタ20章)。不利益な誓いさえ癒やして用いる神の知恵。すべてを益とする神に感謝します。
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  • 主への愛と畏れの中で生きる(申命記 6章)
    あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。
    (申命記6章13節)
    神はご自身の御名が、私たちの生活のすべての領域で尊ばれ愛されることを要求されます。この要求つまり神の戒めこそ、教会とキリスト者に与えられる喜び、平和、慰めの保障です。神の戒めは、神が私たちの全生活に責任を負うという約束と一体だからです。律法は神の愛の証しです。
    「誓い」を巡る聖書とハイデルベルク信仰問答の教えは、神の民がどのように日々、言葉の生活を誠実に謙虚に営んでいるかへの、問いかけであり真剣な検証です。安易な約束で大切な隣人に失望を与えることが、どれほど多いことか。共に生きる信仰の友に身勝手な主張で不愉快な思いをさせたことが、幾たびあったか。省みて顔を伏せるほかありません。誠実さに欠けた言葉が、取り返しのつかない躓きを生んでしまったことも、伝道者としての苦い反省です。
    真実な言葉の生活は、主イエスの御名にしっかりと結び合わされることから生まれます。主イエスへの愛と畏れから、偽りのない交わり、欺かない言葉の歩みが始まります。何よりも礼拝を通して御言葉の恵みを受け、言葉の癒やし、言葉の再建を祈り求めます。御名が崇められますように。
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  • 宣べ伝え、寄り添う(ルカによる福音書 9章)
    イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。
    (ルカによる福音書9章1節)
    主イエスは十二人を呼び集め、「神の国を宣べ伝え、病人をいやすために」派遣なさいました。「神の国の宣教」と「病人のいやし」が共に弟子たちに与えられた使命であったことに注目したいと思います。「病人のいやし」は「悪霊の追い出し」と共に神の国の到来を告げ知らせる特別なしるしでした。ですから、すでに完成した聖書が与えられている今の時代の教会に同じように与えられている能力ではありません。伝道の使命は第一に神の国を宣べ伝えることにあります。「神が王としてあなたを支配し、すべての暗闇の支配から解放してくださる」ということを、十字架の言葉を通して告げ知らせるのです。
    同時に、義なる神のご支配は人々に罪の悔い改めを迫ると共に、悪魔の暗闇の支配を打ち砕いてくださいます。ですから、神の国を宣べ伝えることと、苦しみ悲しみの中にある人々に愛をもって仕えることは別のことではなく一体的になされるべきことです。主イエスによって世に派遣される弟子たちは、神の国を宣べ伝えつつ、弱い立場にある人々に主の愛をもって寄り添うことを通して神の国に仕えるのです。
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  • 御名を汚すことは最大の罪(コロサイの信徒への手紙 5章)
    だれかが罪を犯すなら、すなわち、見たり、聞いたりした事実を証言しうるのに、呪いの声を聞きながらも、なおそれを告げずにいる者は、罰を負う。
    (コロサイの信徒への手紙5章1節)
    偽りの誓いや、神の名を用いて人を呪うことに、神がどれほど激しい嫌悪と怒りをお持ちになるか。この聖句は、取り付く島もないほどの厳格さで私たちに迫ってきます。レビ記5章の文脈で問われている罪は、意図的に犯した罪でない場合を念頭に置いています。1節は、神への冒涜の事実を知りながら、罪を告発せず証言を控えることも「罰を負う」とされます。沈黙による消極的な罪への加担が罪責を負うのです。神が、御名の聖さと誉れをどれほど重んじておられるか。際立った決意が示されています。
    軽はずみな罪も神の前には「責めを負う」(4節他)。その通りです。けれどもここには、小さな罪でも罪責を負うとともに、すべての罪への「赦し」の道も同時に開かれています。「彼はその罪を犯したことを告白し」(5節)、贖罪の献げ物をささげることによって、罪の赦しを受けることができます。極度に貧しい者は「小麦粉1/10エファ」が赦しの代償です(11節)。小さな罪を見逃さない主が、一握りの小麦粉で罪人を放免されます。憐れで貧しい罪人のための救い主が、もうここに立っておられます。
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  • イエスの御名がすべてを包む(コロサイの信徒への手紙 3章)
    そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。
    (コロサイの信徒への手紙3章17節)
    神は言葉によって世界を創造し、人間と世界の贖いのため、御子を「言(ことば)」として世に遣わされました。御子イエスは、言葉と聖霊によって世にいる神であられます。つまり、神は言葉という手立てを用いて人間と一つになろうとされます。神は、言葉を通して、人間と世界に近くおられ、いや世のただ中に住んでくださるお方です。
    言葉によって、祈りと賛美、告白と感謝によって神に近づくことができること。それは何という幸いでしょう。「わたしたちのすべての言葉と行い」が、神を讃える用具とされます。それだけに、すべての言葉、すべての行いが、神への賛美に用いられるよう、十分に整えられることが求められています。責任は依然として重大です。
    「我々がイエス・キリストのものではなく他の主のものであるような、我々の生の領域がある…という誤った教えを我々は退ける」(バルメン神学宣言、1934年)。すべてを主の誉れに帰することは、言葉と生活両面での真剣で誠実な献身と戦いを求めます。弱く崩れやすい私たちを、主よ、支えてください。
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  • 御名を呼ぶ者に答える神(詩編 50編)
    「告白を神へのいけにえとしてささげ
    いと高き神に満願の献げ物をせよ。
    それから、わたしを呼ぶがよい。
    苦難の日、わたしはお前を救おう。
    そのことによって
    お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」
    (詩編50編14節~15節)
    聖書の神は「名」をもつ神です。神の名は、神の恵みと真実を担う「器」ですから、主の名が正しく唱えられるところに主は真実に臨在してくださいます。主の日の礼拝は、神の臨在の最先端であり、主はそこで唱えられる名によって、民との出会いを実現してくださいます。
    主の名はイエス・キリストという御名の啓示で頂点に達します。主の名を正しく知り、信頼し、告白することによって、道と真理と命の発見に至ります(ヨハ14章6節)。ですから、イエス・キリストの名に勝る名はなく、キリストの御名が包みえない苦難も嘆きもありません。「悩みの日にわたしを呼べ」(詩50篇15節、口語訳)。神を呼ぶこと。それは賛美であり、祈りであり、信仰の告白です。人間の唇、人間の舌、人間が語る言葉とその響きが、最も深く神への誉れを現す道、それが主を呼ぶことです。
    主を呼ぶ信仰と礼拝は神への最善のささげものです。苦難の日に、試練と困窮の日に、キリスト者と教会は、はばかることなくただ神を呼びます。病の中で、眠られない夜の闇の中で御名を呼べば、救いは直ちに私たちに届きます。
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  • 大胆にキリストを告白する(マタイによる福音書 10章)
    「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。」
    (マタイによる福音書10章32節)
    注意深く言葉を用いることは、言うまでもなく大切です。けれども、言葉に生きる生活は、決して臆病であってはなりません。周りを気にして、語るべき言葉まで惜しむことは、聖書と主イエスの本意ではありません。
    主の名をみだりに唱えないための最善の道は、イエス・キリストを「主」と言い表す信仰の告白です。主は言われます。「耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」(10章27節)。キリスト告白の点で、臆病になるな、大胆であれ、と主は教会を励ましておられます。屋根に登りなさい。つまり外に出て行ってキリストを告白せよ。これは、とくに神の言葉の宣教を託された教会、なによりも説教の務めを担う伝道者への挑戦ではないでしょうか。居心地のよい教会内だけで通用する言葉ではなく、教会の外にいる人に語りかける言葉を、教会は必要としています。
    主イエスを伝え、この名に込められた神の愛と義、真実と公正を大胆に告知することが、いま教会に託された最大かつ緊急の使命であると信じます。イエス・キリストをすべての人の主と呼ぶことにまさる大胆な言葉はありません。
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  • 然りは然り、否は否(マタイによる福音書 5章)
    「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
    (マタイによる福音書5章37節)
    社会の慣習の中で、誓いや約束を求められることがしばしばあります。とりわけ信仰に生きる生活は、神と人の前でなされる厳かな誓いぬきには成り立たないと言えるでしょう。洗礼、結婚、教会の務めにつく場合などです。
    それでは、「誓うな」という主イエスの厳しい言葉は、何を語るのでしょうか。人は、自分の誓いの誠実さを自ら保証することができません。また、神の名による誓いを自分の目的のために身勝手に乱用する過ちに陥りがちです。さらに、神に対しても人に対しても、自分の都合で然りを否に変え否を然りに捻じ曲げ、状況に合わせるという名目で「然り、否、否、然り」という屈折した道に、すぐにそれてゆきます。ですから、キリストは不用意に誓うことを厳しく戒めておられます。
    言葉の真実に幾らかでも近づこうとすれば、然りと否を明らかにする道を探究しなければなりません。その道は、「然り」を「然り」とされたただ一人のお方、イエス・キリストに通じています。人間に対する最後の「否」を十字架で語り、最後の「然り」を復活で完成されたキリストの言葉に養われる人は幸いです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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