リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神の契約とイエス・キリストの福音(ガラテヤの信徒への手紙 3章)
    あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
    (ガラテヤの信徒への手紙3章29節)
    神が御子イエス・キリストにおいて信じる人との間に立てられる(新しい)契約の内容は、旧い契約と異なるものであったのでしょうか。
    キリストを信じた人々について、パウロは「あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です」と言っています。パウロは、神がイエス・キリストを信じる人に与える中心的な恵みは、旧約のそれと同じであることを教えています。
    それで、『ハイデルベルク』問74の答は、信者の子どもたちも「大人と同様に神の契約とその民に属しており」、とか「彼らもまた、契約のしるしとしての洗礼を通して…未信者の子供たちとは区別されるべきです」と言っています(コロ2章11、12節)。
    神は、イエス・キリストを信じる人々にも、きょう、「わたしはあなたとあなたの子孫の神である」と語ってくださいます。契約の子どもたちに対して、神はいつも味方です。ですから、私たちは、「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ロマ8章31節)と喜びの声を上げるのです。
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  • 神は契約に忠実(イザヤ書 44章)
    そして今、わたしの僕ヤコブよ
    わたしの選んだイスラエルよ、聞け。
    …
    あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ
    あなたの末にわたしの祝福を与える。
    (イザヤ書44章1節~3節)
    神は、アブラハムとの間に立てられた契約に常に忠実です。神は、その子孫の神として子孫を祝福し、導いておられます。これこそ、旧約聖書全体が告げていることです。
    その一方、アブラハムの子孫であるイスラエルは神に背信を重ねました。神は預言者たちの口を通してイスラエルに厳しい言葉を発せられました。それは、神の民とされたイスラエルが神との契約を無視し続けたからであり、かつ、神がそのことを放置できなかったからです。
    しかし、神はご自身がアブラハムとの間に立てられた契約のゆえに、その彼らに神に立ち帰るように語り、忍耐強く導いて来られました。そして神は、彼らを外国の手による捕囚という苦しい経験をさせるのですが、その民にも、「あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、わたしはあなたの末にわたしの祝福を与える」と契約の更新を約束されたのです(参照エレ31章31~34節、32章36~40節)。
    その同じ神が、イエス・キリストを遣わされて「新しい契約」を立て、いまは、主イエスを信じる人々とその子どもたちの神となってくださっているのです。
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  • 人間と契約を立てられる神(創世記 17章)
    わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。
    (創世記17章:7節)
    信者の子に洗礼を授ける幼児洗礼は、聖書の契約理解と深い関係があります。神が人との間に結ばれる(正確には、「立てる」)旧い契約と新しい契約との関係、さらに、イエス・キリストの福音をどう理解するのか、これらが幼児洗礼で問われています。四回連続で、考えて参ります。
    神は、ご自身の言葉を信じて従ったアブラハムを義とされ、彼との間に契約を立てられて、「あなたとあなたの子孫の神となる」と約束されました。神は、その契約のしるしとしてアブラハムの家系に生まれた男の子に割礼を施すようにと命じられました(17章9~14節)。そして、モーセに導かれてきたシナイで、神がアブラハム、イサク、ヤコブの子孫であるイスラエルと立てられた契約は、アブラハムとの間に立てられた契約の更新でした(出20章2節)。
    神はイスラエルに「父母を敬え」という戒めを授け、また過越の祭やその他の機会に彼らの子どもたちに神のことを、特に神の救いの業を教えるように命じられました(同12章24~27節、申6章20~25節)。神をアブラハムの子孫の神として理解することが、幼児洗礼を理解する出発点です。
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  • 聖霊が新たに造りかえてくださる(コリントの信徒への手紙一 6章)
    正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。…あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。
    (コリントの信徒への手紙一6章9節~11節)
    主イエスは、ご自身を信じる人皆に聖霊を与えると約束されました(ヨハ14章15~17節、使2章38、39節など)。聖霊は、イエス・キリストが十字架で血を流されたことによる罪の清めを、信じる人びとにあてはめてくださって、確かに罪は赦されたと証印してくださいます(2コリ1章22節、エフェ1章13、14節)。そのことを目に見える形で「保証」するために、神は洗礼を定められました。
    さらにまた、その聖霊は信じる人びとを新しく生まれさせ、新たに造りかえてくださいます(テト3章5、6節、2コリ3章18節)。聖霊が働いてくださることを、洗礼は見える形で表しています。
    ですから、『ハイデルベルク』問73は、「洗礼を『新たに造りかえる洗い』とか『罪の洗い清め』と呼」ぶお方は聖霊であると語っています。答において、霊的なことを「わたしたちに教えようとしておられる」このお方とは、聖霊のことです。そして、「ちょうど体の汚れが水によって除き去られるように」、「わたしたちが現実の水で洗われるように」と感覚的な水の洗いにおいて、実際に働いてくださるお方こそが聖霊です。
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  • 御子イエスの血が罪を清める(ヨハネの手紙一 1章)
    しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
    (ヨハネの手紙一1章7節)
    『ハイデルベルク』が洗礼について教えるところでこのような問いがあるのには、特別な時代背景があります。当時のローマ・カトリック教会は、司祭によって執行される洗礼の水そのものが自動的に洗礼を授けられる人の罪を洗い清めると、教えていました。ですから、『ハイデルベルク』は、その教えを聖書の教えではないと否定して、次のように言います。「いいえ。ただイエス・キリストの血と聖霊のみが、わたしたちをすべての罪から清めてくださるのです」。
    旧約の時代、神はご自身の民イスラエルに「罪の献げ物」の規定を与えられました(レビ4章1節以下)。そして神は、献げ物を献げたその人の罪が「罪の献げ物」の流す血によって清められたということを、示されました(同17章11節)。
    新約の時代、神はイエス・キリストが十字架の上で死んで血を流されたことによって、信じる人の罪を清めて、聖としてくださいます(ヘブ9章11~14節など)。そして神は、洗礼という「外的な水の洗い」という目に見える形、体感できる形で、洗礼を受ける者は罪から清められ、聖とされたことを、証印してくださるのです。
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  • 産めよ、増えよ、地に満ちよ(創世記 9章)
    神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。
    「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
    あなたたちは産めよ、増えよ
    地に群がり、地に増えよ。」
    (創世記9章1節、7節)
    聖書に「契約」という言葉が出て来るのは、ノアの箱舟物語(6章)が最初です。そのエンディングである9章では何度も用いられます。神はノアに、念を押すように祝福を約束されています。
    神は世の初めから、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という言葉で契約の民を祝福してくださっていました(1章28節)。しかし、その後神は、地上に人の悪が増している様子をご覧になり、非常に後悔されました(6章5~7節)。洪水のあと、神は、人が心に思うことは、幼いときから悪いけれども、生き物を打つことは二度とすまい、とおっしゃって(8章21節)、もう一度この言葉を述べて、祝福がいつまでも続くようにしてくださったのです。
    契約の民の子が誕生し、成長する。やがてその子にもまた子が与えられる。そして成熟し、老いてやがて土に帰る。この営みの中で神は命を継いでいてくださいます。人は悪いものだとしても、このように神は祝福してくださり、さらに、人の悪を一手に引き受け、十字架につけられた主イエスによって、契約の子とされていることに心留めたく思います。
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  • 救いと滅び(マルコによる福音書 16章)
    「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。」
    (マルコによる福音書16章16節)
    『ハイデルベルク』問71の答の括弧書き、「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」は、聖句そのもので、復活の主キリストの言葉です。洗礼は単に一つの儀式として、それを受ければ救われるというものではありません。そこには、人間の信じるという行為が必要です。
    この聖句は、キリストを信じる者には恵みの宣言であり、信じない者には非常に厳しい約束です。人間には「信じて洗礼を受ける者」と「信じない者」がいます。前者は「救われ」、後者は「滅びの宣告を受ける」と主は言われます。
    主キリストがこの言葉を語られたとき、弟子たちは復活を伝えに来た人たちの言葉を信じませんでした(14節)。いつも主と共にいた弟子たちがです。私たちも愛する肉親や友人に、主の復活を伝えても信じてもらえないことがあるのは当然だと思います。
    信じられなかった弟子たちは、復活の主と出会って、信じる者に変えられました。弟子たちと出会ってくださったキリストは、今、聖霊において私たちの中におられます。聖霊が、働いてくださり、親しい人たちが信じて洗礼を受けられるように祈ります。
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  • 確実に洗われる約束(マタイによる福音書 28章)
    「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
    (マタイによる福音書28章19節~20節)
    『ハイデルベルク』問71の答の第一に、きょうの御言葉が記されています。復活の主イエスが弟子に対して語られた言葉です。ここで「すべての民をわたしの弟子」にすること、そして、「父と子と聖霊の名によって洗礼を授ける」ことが命じられています。
    『ハイデルベルク』問69では、洗礼の洗いの効果について教えていましたが、問71では、キリストは洗礼の効果の約束をどのようにされたかが記されています。
    なぜこの洗礼が効果あるものとなるのか。それは、この前の18節に「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」とあるように、全能の神からキリストが授かった権威による命令だからです。
    それゆえ、教会が洗礼を授ける行為も、父なる神からキリストが受けた権威による命令であるからこそ効果あるものとなるのです。ですから、教会が施す洗礼は、神の権威に基づく洗礼なのです。
    この洗礼は確実に私たちの「罪を洗い流し」、私たちを「新たに造り変える」力あるものとして、私たちに施されます。それゆえに私たちはこの洗礼に希望をもって与ることができるのです。
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  • 新しく生まれる(ヨハネによる福音書 3章)
    「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。…『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。…霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
    (ヨハネによる福音書3章5節~8節)
    わたしが洗礼を受けたばかりのころ聞いた説教で特に心に残ったのが、きょうの御言葉でした。
    洗礼は「キリストの血と霊とによって洗われる」とあるように、「霊の洗い」であること、それによって「新たに生まれる」ことだということを、主イエスは上記の御言葉で教えておられます。
    「風」も「霊」もギリシア語では同じ言葉が使われます。激しい風、さわやかな風、色々な風を私たちは感じることができます。しかし、私たちには「それがどこから来て、どこへ行くか」は分かりません。
    私たちに神の霊がしてくださることも、「今、わたしはこんなに清くされた」と自覚できないかもしれません。しかし神は、「わたしたちが次第次第に罪に死に、いっそう敬虔で潔白な生涯を歩む」ように導いてくださいます。ですからこのように私たちは告白できるのです。
    たとえ、今のわたしが清くなくとも、霊の働きは、私たちの思いを超えて「思いのままに吹」き、そして、私たちを清めてくださるのです。
    この神の霊に信頼し、自分自身をゆだねて歩んでまいりましょう。
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  • キリストの犠牲のゆえに(エフェソの信徒への手紙 1章)
    わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて…くださいました。
    (エフェソの信徒への手紙1章7節~9節)
    洗礼の恵みの根拠は何といってもキリストの十字架です。『ハイデルベルク』問70の答は「それは、十字架上での犠牲においてわたしたちのために流されたキリストの血のゆえに、恵みによって、神から罪の赦しを得る、ということです」と告白します。
    イエス・キリストは、十字架に架けられ、私たちが受けるべき罪の罰を受けてくださいました。そしてそこで流された血によって私たちの罪は洗い流されるのです。それは、神がイエス・キリストの十字架の故に、私たちの罪を赦してくださったということです。
    私たちの功績ではなく、神からの一方的な恵みである、と聖書は言います。私たちが真に悔い改めてイエス・キリストのもとに行き、洗礼に与るとき、恵みとして神は私たちの罪を赦してくださいます。
    さらに聖書は「神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与え」る、と言います。
    私たちが洗礼を受けることができるのも、神の恵みです。また、その後に神からいただくさまざまな恵みがどれほど大きいかを理解させてくださるのも、神の恵みです。
    洗礼は、神の国の入り口なのです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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