リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
Download on the App Store

リジョイス聖書日課 episodes

  • 神の主権(詩編 103編)
    主は天に御座を固く据え
    主権をもってすべてを統治される。
    (詩編103編19節)
    日本キリスト改革派教会は、創立の年(1946年)に「創立宣言」を表明しました。わたしが、神戸改革派神学校に入学する前、ある先輩の教師から半年間、毎週金曜日の夜、創立宣言を教えていただいたことを今でも忘れることができません。宣言の学びを通して何としてでも改革派教会の牧師になりたいとの思いが強くなっていきました。
    創立宣言で表明されている改革派教会の進路は、何にもましてすべての領域の権威の源でいます神が主権者であり、私たちは何をするにも神の栄光のためにするということです。そのことが「有神的人生観・世界観」という言葉で言い表されています。この第一点の主張は今後も日本における宣教と改革派教会の形成にも不可欠なものです。また私たちの日常の信仰生活の基本でもあります。
    この詩編の作者は、一切は神の支配下にあるので全被造物からの賛美に値する方である、そして詩の終わりで「わたしの魂よ、主をたたえよ」(103編22節)と呼びかけています。終末の日、主権者でいますキリストは神の国と神のご計画のすべてを完成されます。
    栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
    0 min
  • 罪のゆるし(ローマの信徒への手紙 7章)
    わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。
    (ローマの信徒への手紙7章24節~25節)
    私たちは、知らないうちに人を傷つけたり、何気ない言動で人をつまずかせてしまったりしていることがあります。逆に私たち自身が親しい人からの心ない言葉によって立ち上がることができないような痛手を被ることもあります。私たちは、この類の罪を日々、何度となく犯しています。
    パウロは、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」と嘆息していますが、これは、私たち自身の嘆きでもあります。人生とは罪との戦いです。私たちは、頭では主の御心に適った道を歩みたいと思っていても、誰ひとり自らの力や努力では、この悲惨な現実から抜け出すことはできないのです。
    しかし、イエス・キリストを信じる者には「罪のゆるし」の恵みが与えられます。イエス・キリストが私たちに代わって、神の律法を完全に守り行い、神の義を満たしてくださったので、神は私たちをあたかも罪を犯したことがなかったかのようにみなしてくださいます。それゆえに、救われた私たちは、お互いに主にあって罪赦された者として、愛し合うことができるのです。
    0 min
  • 賜物を分かち合う恵み(ローマの信徒への手紙 12章)
    わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。
    (ローマの信徒への手紙12章:6節~7節)
    聖徒の交わりは、キリストを頭とする教会に連なる一人ひとりが、「主キリストとこの方のあらゆる富と賜物にあずかって」キリストの体を形作ることで成り立っています。何の才能も賜物も与えられていない人は一人もいません。神はすべての人に各々、その人にふさわしく何らかの賜物を分け与えておられます。
    与えられている賜物は、人さまざまです。私たちは、それを主からの恵みとして感謝して受け、兄弟姉妹に与えられた賜物に対しては正しく評価し、お互いにねたまず、自分に与えられている賜物を喜んで兄弟姉妹の成長と益のために用いていくことが大切です。
    私たち日本人は、遠慮深い国民性をもっていますが、賜物を用いずにとっておくと、それはやがて錆びついてしまいます。惜しまずに賜物を他者のために用いることで神に対する感謝の念を表すことができます。それは、聖徒の交わり、キリストの体を大きく成長させるのみならず、自分自身の信仰をも豊かにしていくことでしょう。勇気をもって、主が与えてくださった賜物をお互いに分かち合ってまいりましょう。
    0 min
  • 救いの確信(ヨハネの手紙一 3章)
    これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます。
    (ヨハネの手紙一3章19節)
    イエス・キリストを信じる信仰を告白する者には、神の御前に義と認められ、神の怒りと呪いから解放されて、永遠の命と復活の恵み、御国を受け継ぐ等の恵みが約束されています。他方、私たちがこれらの恵みと祝福に与るためには、今しばらく、この地上にあって自分自身の中に根強く残る罪と戦い、日々悔い改めの生活を続けなければなりません。
    信仰生活の途上で遭遇するさまざまな艱難や試練によって、救いの確信が揺らいだり、場合によっては疑いを抱いたりするかもしれません。救いの確かさ、選びの保証を、自分自身の内に探そうとすると、むしろ、自分の罪と悲惨に気づかされ、自己嫌悪と絶望感に陥ってしまうでしょう。
    そういう時こそ、主の日ごとの礼拝に集い、そこで語られる説教、すなわちイエス・キリストの御言葉に耳を傾け、主の晩餐に兄弟姉妹と一緒に与ることによって、聖霊の助けと導きをいただきましょう。心を新たにさせられ、聖霊において臨在しておられるイエス・キリストを覚える時、私たちは群れの一つの枝であり、すでに死から命へと移されていることがわかるのです。
    0 min
  • イエス・キリストの羊(ヨハネによる福音書 10章)
    「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。…わたしは羊のために命を捨てる。」
    (ヨハネによる福音書10章14節~15節)
    イエス・キリストは、私たちにとって、永遠の大牧者であり、良い羊飼いです。
    私たちは、キリストを知る前は、自分の思い通りに、気の向くままに生活していました。自分の力で牧草のある所、水のあるところを見つけるつもりで、知らないうちに進むべき道を見失い、深い谷底に落ち、自分の力で脱出することもできずに、ただ声を上げて泣くことしかできないような者でした。しかし、イエス・キリストは、わたしという1匹の羊のために遠くの山々、谷底まで探し求めてくださっただけでなく、教会という囲いの中へと導いてくださいました。良い羊飼いが命がけで狼から羊を守るように、イエス・キリストは、私たちのためにご自分の血を流して罪という最大の敵と戦って勝利してくださいました。私たちを死と滅びの中から導き出してくださり、教会という主の牧場で常に見守ってくださるだけでなく、御言葉の糧によって養っていてくださいます。
    私たちは、聖霊の働きによって信仰による一致を保ちつつ、やがて来り給う永遠の御国を目指して、大牧者に養われ、導かれ、地上の旅を続けているのです。
    0 min
  • 聖なる者(エフェソの信徒への手紙 1章)
    天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
    (エフェソの信徒への手紙1章4節)
    教会に通っている人たち、いわゆるクリスチャンのことを「聖徒」と呼びます。つまり、「聖なる者」です。教会は、聖徒の交わり、聖なる者の共同体です。しかし、その実態は、決して、聖いと呼べるようなものではありません。クリスチャンを名乗ることを恥ずかしいと思うほどに俗なるもの、汚れたものであることを思わされます。
    かつて、コリントにある教会も、その点でさまざまな問題を抱えていました。分派争いや道徳的、倫理的な乱れ、礼拝の秩序そのものが保てなくなるほどの、およそ教会と呼ぶに値しない状態でした。しかしパウロは、このようなコリント教会への手紙の冒頭に「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」と挨拶文を送っています。
    「聖」とは、神の所有物となるということです。キリストの十字架の贖いの恵みによって、罪赦されて、神の所有物となったので、コリント教会は聖徒であり、聖なる者とされた人々なのです。罪人の頭であった私たちも世の人から選び分かたれて神のものにされた、その一点において「聖なる者」と呼ばれるのです。
    0 min
  • キリストの血により(ヨハネの黙示録 5章)
    「あなたは、屠られて、
    あらゆる種族と言葉の違う民、
    あらゆる民族と国民の中から、
    御自分の血で、神のために人々を贖われ
    …たからです。」
    (ヨハネの黙示録5章9節~10節)
    「教会」と聞いて、まず心に思い浮かべるのは、屋根の上に立てられた十字架ではないでしょうか。日本よりクリスチャン人口が多いお隣の国、韓国では、暗くなるとこの十字架に赤い電気が灯り、教会の存在をより一層アピールしています。イエス・キリストは、人びとを罪の世から救い、永遠の命を得させるために、十字架においてご自身の血を流されました。赤い十字架は、このキリストの血による罪からの贖いを表しています。
    十字架によって救われた者たちは、一人ひとりが主イエス・キリストに聖霊によって、結び合されています。そして、その一人ひとりは、世の中で孤立無援の存在なのではありません。キリストのもとで一つの群れとなり、お互いを兄弟姉妹とする強い絆で結び合わされていきます。
    主イエスは「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と言われました。そのような小さな群れから、数百人を超える大きな群れまで、このキリストの救いを信じる者の群れが「教会」となり、やがてそれは国を超え、民族を超え、時を超えた存在となるのです。
    0 min
  • 神の恵みによる選び(エフェソの信徒への手紙 1章)
    天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
    (エフェソの信徒への手紙1章4節)
    この御言葉は、わたしが入信して間もない頃、自分の信仰が確かなものかどうか悩んでいた時に与えられたものです。その時、驚きと喜びの中で神の恵みに感謝し、主を賛美しました。
    「予定についての信仰の宣言(50周年記念宣言)」4(2)に「神がわたしたちをキリストにあって選ばれたのは、世からわたしたちを聖別してキリストのもとに集め、神に仕える民としてわたしたちの奉仕を用い、神の国を進展させ、完成に至らせるためです」とあります。
    神の選びを確信できた後、どのように生きていけばよいのかという課題が頭に浮かんできました。そのような時に出会った御言葉がこれです。「その一人の方(キリスト)はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」(2コリ5章15節)。
    この御言葉により改革派教会の伝道者になろうと決心しました。43年間、定年まで伝道牧会を続けられた事を心から主に感謝します。
    0 min
  • 永遠にあなたがたと一緒に(ヨハネによる福音書 14章)
    わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。…この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
    (ヨハネによる福音書14章16節~17節)
    月曜日に確認したように、聖霊なる神は、天地創造の初めからおられた永遠の存在、永遠の神です。ですからきょうの御言葉で言われているとおり、この方は永遠に私たちと一緒にいてくださることができます。
    きょう、もう一点心に留めたいことは、聖霊なる神が「これからも、あなたがたの内にいる」と言われていることです。「あなたがたと一緒に」というのは、周りで漂うようにそばにいるというのではないのです。
    天から降ってきた聖霊は、もともと、いまにも爆発しそうな、雷のように落ちそうな存在だったのでした。そういう爆発的な力が私たちの内にある、ということを、私たちはもっと感覚を鋭くして感じ取りたいと思います。その爆発的な力は、もとはと言えば、父なる神の熱意から来ているものです。罪深い私たちを何とかして救い、まことの命に与らせたいという深い憐れみと愛。それほどまでの力が私たちの内にあるのならば、私たちはそれに突き動かされないわけはないのです。
    もう祈るだけの者ではなく、御心を行う者へと変われるはずです、永遠に。
    0 min
  • 神の霊が、あなたがたの上に(ペトロの手紙一 4章)
    愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、…驚き怪しんではなりません。…あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。…神の霊が、あなたがたの上にどとまってくださるからです。
    (ペトロの手紙一4章12節~14節)
    できれば試練に遭いたくない。そう思う人は少なくありません。しかし聖書によれば、キリスト者には試練がふりかかってくるものなのです。試練は耐え忍ぶもの、と思いがちですが、きょうの御言葉の省略された部分では「むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい」と言われています。驚きます。
    なぜそこまで言えるのでしょうか。そこに「神の霊」が働かれるからです。19節には「神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい」とあります。神が「真実であられる」こと、聖霊が天地創造のとき以来の存在であることは確認しました。そのお方にゆだねてよいのです。
    また「あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます」(5章10節)という言葉も見えます。試練に遭うと、このような聖霊の働きを味わえるので、喜ぶことすらできるというわけです。
    0 min

About リジョイス聖書日課

From the publisher's feed

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

More shows like リジョイス聖書日課

3分でわかる!聖書 by 中川健一

3分でわかる!聖書

6 Listeners

聖書人になりたい by kannokazuhiko

聖書人になりたい

1 Listeners

聖書プロジェクト BibleProject by BibleProject

聖書プロジェクト BibleProject

0 Listeners