リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • キリストはキリストの教会の頭である(コロサイの信徒への手紙 1章)
    また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。
    (コロサイの信徒への手紙1章18節)
    『ハイデルベルク』問50は、私たちにキリストの昇天について、二つの目的を教えています。それは、キリストがキリストの教会の頭であること、そして、父なる神がキリストを通して万物を統治されていること、です。
    上記の御言葉は「キリスト讃歌」と呼ばれてきたものの一部です。パウロはその讃歌の前半でキリストと創造の関係(コロ1章15~18節)を、後半でキリストと救いとの関係(同1章18~20節)を歌っています。先だっておられた御子と万物の創造を歌い、今もキリストによって万物の存在は継続し、支えられていることを歌っています。そして、パウロは、御子イエス・キリストが同時にキリストの教会の頭であると歌っているのです。「キリストの体」は、「エクレシア」、すなわち、人びとの集会です。信徒の集会であり、地方ごとにある共同体です。わたしは、小さな群れと共に毎週礼拝をしています。
    地方の小さなキリストの群れであっても、「私たちの教会の頭はキリスト」と信じる時、大きな喜びを覚えます。人が作った団体ではなく、キリストの復活によって造られた群れであるからです。
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  • 神の全能、己の無能(ヨハネによる福音書 15章)
    あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。
    (ヨハネによる福音書15章16節)
    表題の「神の全能、己の無能」という言葉は、信仰的な立場を改革派とは異にする、ある他派の伝道者が、何度も強調していた言葉です。わたしは改革派教会に来る前、この伝道者が校長を務める神学校で教えを受けていました。しかし皮肉なことに、この言葉が身にしみてわたしに分かるようになったのは、改革派教会へ来てからのことでした。わたし自身の救いの体験が、まさにその通りの救いであったにもかかわらず、です。
    神の全能を本当に悟らないままでは己の無能を悟ることができず、己の無能を本当に悟らないままでは神の全能を悟ることができません。神の主権的な選びを悟る者は、自分には神への信仰を選び取る力がなかったことを悟ります。また、自分には神への信仰を選び取る力がなかったことを悟った者だけが、神の主権的な選びを悟ります。
    「神の全能、己の無能」、これを悟った人は幸いです。神が、ご自身の自由な恵みと憐れみとによって、あなたを救いへと選んでくださいました。また、神が、ご自身の自由な恵みと憐れみとによって、それをあなたに悟らせてくださったのです。
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  • キリストの聖霊(ヨハネによる福音書 14章)
    わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
    (ヨハネによる福音書14章16節)
    ハイデルベルク信仰問答 問49の答によれば、天にあげられたキリストは、ご自分の霊である聖霊を地上に送られました。
    イエス・キリストは、ひとりの人ですから、一つの場所に身を置くことしかできませんでした。しかし、聖霊は、ペンテコステの朝、弟子たち一人ひとりの上にとどまったように、信ずるすべての者の内に留まります。また、風が思いのままに吹くように、時と場所に限定されることなく駆け巡り、キリストの支配を天地に満たす方でもあります。
    ところで、信仰のない人は、私たちが非科学的な復活やキリストの再臨を信じていることに驚きます。私たちも、なぜ自分が復活や再臨を信じるようになったのかうまく説明できないかもしれませんが、この信仰は、私たちが聖霊により復活のキリストにあずかっていることの実りです。
    聖霊が罪人に働きかけるとき、霊的に死んでいる者を、復活させ天地を支配しているキリストに結びつけ、その死と復活を適用して神の子につくりかえていきます。神の子にされた私たちは、地上のことではなく天上のことを求め、神の右に座し栄光を受けておられるキリストを讃えます。
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  • キリストが天に(ヨハネによる福音書 14章)
    わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
    (ヨハネによる福音書14章2節)
    昨日に続いてきょうも、キリストが父なる神のもとで栄光にあずかっておられることの益を考えます。
    今、キリストが天で輝いておられるのは、神の永遠の御子としてだけではありません。人となられ十字架において死んで葬られ永遠の命に復活された私たちの救い主として、です。キリストが栄光を受けられたのは、自分の益のためではありません。私たちの救いのためです。救われる者の初穂として、輝くためです。私たちの救いの核心は、キリストが語られたとおり、「わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」にあります(ヨハ14章3節)。
    科学的なものの見方に慣れている私たちには、復活であるとか神の国を受け継ぐということについて、戸惑いをおぼえることがあるかもしれません。しかし、キリストは復活し、その栄光のからだを持って天におられます。
    御子が弱き肉を取って人となられたのは、肉を持って生きている私たちを救うためでした。そして、この救いの完成は、キリストのいる所に、私たちも栄光のからだを持っていることになる。このことにあります。
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  • 弁護者キリスト(ヨハネの手紙一 2章)
    わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
    (ヨハネの手紙一2章1節)
    キリストは、天に上げられ、父なる神のもとで父なる神と同じ栄光を受けておられます。
    キリストがこの栄光にあずかったのは、第一に罪なき生涯を送り、神に従いきったこと、第二に十字架において私たちのすべての罪を償ったことによります。しかもキリストはひとりの人としてではなく、教会のかしら、すなわち信じるすべての者の代表として父のもとにおられます。
    私たちは日々罪を犯す者でありますが、父なる神はこのキリストにおいて私たちを見ておられます。罪に支配され、霊的に死んだ者としてではなく、キリストの恵みのもとに入れられ、キリストの命に生きる者として、神は私たちを見てくださいます。
    ハイデルベルク信仰問答の問49の答は、キリストを弁護者と呼んでいます。私たちの傍らに立って、「この人の欠けと罪はわたしが償いましたから、わたしのゆえにこの人を、罪なき神の子とみなしてください。そのために父はわたしを十字架にかけたのではありませんか」と、弁護しておられるかのようです。
    このキリストを主と仰ぎ見て、赦しの喜びを握りしめ、与えられた生涯を歩もうではありませんか。
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  • 天と地と陰府(ローマの信徒への手紙 8章)
    だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
    (ローマの信徒への手紙8章34節)
    天に上げられるイエス・キリストを見た弟子たちは、復活の朝に主イエスが葬られた墓をふさいでいた大きな石が転がされ、墓が開いているのを目で見ていました。
    ところで、墓は、復活した主イエスが外に出るために開けられたのではありません。復活した主イエスは鍵のかかった部屋に入ることができたのですから。墓穴は、死が克服され、陰府に風穴が開けられたことを、弟子たちが見て確認するためのものでした。
    その後弟子たちは、主イエスが天に上げられるのも目で見ました。開いた墓と昇天とを合わせて考えると、弟子たちは天と地と陰府とが復活の主イエスによって境が取り払われ、ひとつにされたことをその目で見たことになります。
    天と地と陰府の境を取り払ったイエス・キリストは、教会のかしらです。それゆえ、教会は、地上にあっても、天に座すキリストの恵みの支配の中に生かされており、死の力はもはや無力です。
    キリストを礼拝する教会は、地において天に通じている唯一の場所です。小さな教会であっても、大きな教会であっても、天上の祝福である永遠の命はひとしく満ちています。
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  • 天を見つめていた(使徒言行録 1章)
    こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
    (使徒言行録1章9節)
    キリストが上げられた天とは、空や宇宙のことではなく、神の御座です。御子をイエス・キリストとして地上に遣わしてくださった父なる神がおられるところです。
    この父のもとに上げられたことから分かることは、主イエスが父から託された救いを成し遂げてくださったこと、また、父なる神が主イエスの地上の御業を受けいれてくださったことです。託された働きを途中で投げ出して戻ることなどありえないからです。
    キリストは、神の栄光を捨て、人となり、罪なく生き、人類の罪の償いを果たしてくださいました。父なる神は、受肉前の永遠の御子としてではなく、人となってくだった私たちの主イエス・キリストを受け入れてくださいました。
    復活した主イエスが天に今おられることは、天が人のために用意されていることを意味しています。私たちもその時がきたなら、栄光ある姿に変えられ、キリストとともに、天の国を受け継ぐことになる、これが福音の約束であり、救いの完成です。
    私たちが天に上げられた主イエスを仰ぎ見ることは、天の国を受け継ぐ私たちの幸いを見ることでもあります。
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  • 天にのぼり(使徒言行録 1章)
    こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。
    (使徒言行録1章9節~10節)
    使徒言行録1章9節には、弟子の前でイエス・キリストが天にあげられたこと、弟子たちはイエスを雲に覆われて見えなくなるまで見つめていたことが書かれています。弟子たちは本当に驚いたことでしょう。それゆえ、二人の御使いに声をかけられるまで、弟子たちは天を見つめていたとあります。
    上げられていく主イエスをその目で見たことには、大切な意味があります。それまでにも、主イエスが神から遣わされた救い主であることを教える特別なできごとが起こるということがありました。
    ヨハネから洗礼を受けたとき、天が裂けたこと、聖霊が鳩のような姿で主イエスの上に降ったこと、天から声まで聞こえたことがありました。これは、主イエスにおいて天が、すなわち神の奥義が開かれたことを教えるためです。
    今度は、その天に主イエスが上げられるのを、弟子たちは目で見たのです。それゆえ、主イエスにおいて天と地がつながっていることを確信したはずです。この後、教会が誕生し、道、真理、命であるキリストを証ししていきます。教会は、目で見たことを世に証ししているのです。
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  • 愛なる神と共に(ヨハネの手紙一 4章)
    わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。
    神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
    (ヨハネの手紙一4章16節)
    わたしは救いというものを「神が共にいますこと」と定義しています。ますますその思いが強くなってきています。パウロ自身の心情でもありました(フィリ1章23節)。それは単に定義としてだけではなく、そのことを確信し、自己体験にしようと願っています。神が共にいますことこそ、生きていく上での支え、励まし、慰めだと思います。
    毎日、その時間と共に人生は刻々と古くなっていきます。そして、それをだれも押し留めることはできず、取り返しがつきません。慙愧の念に駆られ、悔恨の積み重ねの日々です。どうして、新しい生活など望めるのかと思います。
    しかし、そのような中で、神が共におられます。眠っているときもさめているときも、喜んでいるときも、悲しんでいるときも、順境のときも、挫折、失敗しているときも、神はわたしのうちに共にいまし、変わらない助けとなっていてくださいます。
    神はインマヌエルの神です(マタ1章23節)。その神との出会いが、救いです。救われた者としてその神と共に生きることが、私たちの新しい人生です。
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  • しかし本当は(フィリピの信徒への手紙 3章)
    しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
    (フィリピの信徒への手紙3章20節)
    この聖書の言葉は「しかし」で始まっています。その前に語られた事柄を受けてのことです。その前に語られていたのは「腹を神と」することでした。食べることは大切なことです。個人の人生にしても、政治にまつわる出来事にしても、どうやって「食べる」「食べさせる」か、の問題という面があるのは否定できないのではないでしょうか。そして、それこそが現実的な事なのだと私たちはいつしか信じ込んでいるのかもしれません。
    しかし、とパウロは言います。それとは違う現実に私たちキリスト者は生きはじめている、そこに一緒に立とうというのです。その現実こそが、天の本国におられる主イエスと共にある歩みです。
    パウロはこの節のもう少し前の箇所(3章14節)で、自らを「目標を目指してひたすら走る」者としています。それは、自分の地上における今この時の生き方において、天の国というゴールを目標とし、常に主イエスとの関わりにあって前向きに生きる生き方です。
    私たちは、本当は天に本国を持つ国民なのだ、だからそのように生きていこうというのです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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