リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神の恵みはどこまでも(ローマの信徒への手紙 8章)
    神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
    (ローマの信徒への手紙8章14節)
    神の子は、本来イエス・キリストのみに当てはまることです。しかし、キリスト者になった私たちも当然のようにして神の子と呼ばれます。私たち自身を見つめるならば、罪の子、罪人とだけ呼ばれたほうが、まだその現実に当てはまるのかもしれません。
    けれども、神は、私たちをどこまでも神の子と呼んでくださいます。私たちが、自らをいたずらに神の子と名乗るのではありません。また反対にどうせ罪人だから、と開き直るのでもありません。
    神から呼びかけられることこそが、何よりも大切なのです。神の呼びかけは、独り子をお与えになるほどに現実のものです。それだけではありません。信仰を呼び起こす聖霊を与えてくださるほどに確実なものなのです。
    私たちは、神からの大きな宝物を受け取る手さえ、萎えはてていたのです。そんな私たちに神は、独り子イエス・キリストと聖霊によって現された御手をもって、私たちを支えてくださいました。
    神がお支えくださるからこそ、私たちはどこまでもその恵みに生きることが許されるのです。神の子という名が、その恵みのしるしです。
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  • 十字架から始まる生活(ヘブライ人への手紙 1章)
    御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、…人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
    (ヘブライ人への手紙1章3節)
    御子イエス・キリストを見つめる生活は、神を神とする生活です。それは、神ではないものを神とするのではなく、神のみを礼拝する生活です。
    新約聖書が書かれた時代には、天使を礼拝する人たちがいました。しかしイエス・キリストは天使よりも優れたお方です。なぜなら、そのお方は「神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」であるからです。
    イエス・キリストは、旧約聖書にも記されていた神の言葉をその存在をもって完全に現されました。地上の生涯そのものが「義を愛し、不法を憎」(ヘブ1章9節)む歩みでした。その極みが十字架でした。
    あの十字架の主イエスを見つめるとき、私たちは自らの不義を見つめます。同時にキリストの義を得ている事実に出会います。私たちの不義をキリストが担い、キリストの義が私たちに転嫁される。
    自分には非がないと責任を擦り合う世にあって、私たちは、この御子の十字架のもとに留まります。それは罪を罪と認めることです。罪を罪とすることは、神を神とすることに繋がります。御子の十字架は、その罪を神が赦される場です。
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  • 独り子を見つめる幸い(ヨハネによる福音書 1章)
    言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
    (ヨハネによる福音書1章14節)
    私たちは、キリストのものです。それは「神の子」と呼んでくださるほどに確かなものです。しかし神の子という身分は、本来キリストのみのものです。ですからキリストは神の「独り子」と呼ばれます。私たちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです(問33答)。
    その恵みは神の言であるイエス・キリストが「肉」となったことに現されました。ご自身を十字架の死に至るまで、この悲惨な私たちの現実を身にまとわれたのです。私たちの現実は、ほうっておけば滅びゆく体、また魂です。絡みつく罪が私たちを死へと誘いこむからです。誰も明日の命を保証できません。
    けれどもキリストは肉をとり、「わたしたちの間に宿られました」。私たちの罪にまみれた生活、死へと向かう命に入って来られたのです。
    どこに救いが、と嘆かざるを得ないような世に神の独り子は宿られました。私たちにはない栄光が、この御子にはあります。私たちにはない恵みと真理が、この御子には満ちています。
    私たちはこの独り子に、この世にはない命の光を見出したのです。
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  • 恵みの善い管理者(ペトロの手紙一 4章)
    あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
    (ペトロの手紙一4章10節)
    私たちが、愛をもって仕えることができる者となるために、なんと神はすべての必要を満たしておられます。
    まず、一人一人に賜物が与えられています。この賜物は特別なものとは限りません。体を動かせることも、口を動かせることもすべて賜物です。さらに神は、一人一人に賜物を用いる力も与えておられます。
    かつてモーセは、エジプト行きを命じられた時、主に答えました。「全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです」。つまり、私は賜物が無いのでできませんと答えたのです。すると主は言われました。「一体、誰が人間に口を与えたのか。…主なるわたしではないか」(出4章11節)。これでは、主の召命に応えない訳にはいきません。
    聖書は、一人一人に賜物も、これを用いる力も与えられていると告げています。私たちに、あと必要なのはただ一つ、善い管理者であることです。すなわち、主人の心を喜ばせたいと願うしもべの心です。どうか主が、私たちの内にその心を燃え立たせてくださいますように。
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  • キリスト者と呼ばれるように(ペトロの手紙一 2章)
    あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
    (ペトロの手紙一2章5節)
    使徒言行録の11章に、アンティオキアの教会で「弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」と記されています。キリストの名を口にする者は、キリスト者・クリスチャンとあだ名されたのです。
    自分から名乗ったのでもなく、宣伝したのでもありません。そのようにあだ名されるくらい、人びとから見て、その生き方と存在が世間の人たちとは違っていたのでしょう。
    自分を振り返って考えてみると、主イエスに見いだされて救われるまでの私たちの生き方は世間のそれとかわらず、自ら名乗りをあげ、自分の存在を訴え、自分の居場所を必死に守らなければ生きていけなかったのではないでしょうか。そのような中に埋もれていた私たちを主イエスはご自身の命で救い出してくださいました。
    私たちは今、この方にあって神に対して生きています。ですから私たち自身を「生きた感謝の献げものとして」この方に献げて、きょう生きるのです。私たちもパウロと同様です。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラ2章20節)。
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  • あなたがたはキリストの体(コリントの信徒への手紙一 12章)
    あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
    (コリントの信徒への手紙一12章27節)
    「あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分」、これと似た言葉に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハ15章5節)があります。こちらは「実を結ぶ」ということのためにイエスが教えてくださった御言葉です。実を結ぶためには枝は木につながっていなければいけない。だから実がなるように「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながってい」ると語られました。
    私たちが普段の生活でそのような実を結んでいるかどうかを考えると、ちょっと不安になってきます。そのようなとき私たちは自分の原点に帰らなければいけません。
    神は御子を私たちに遣わされ、キリストは私たちを救い、ご自身の「体」としてくださいました。そして「神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました」(1コリ12章24節)。私たちは、まさにその部分なのです。
    私たちはこの方を通して父を知り、この方の犠牲によって贖われ、この方の命で守られ、神に対して生きています。
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  • わたしは良い羊飼い(ヨハネによる福音書 10章)
    わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。
    (ヨハネによる福音書10章28節)
    旧約の昔から神の民を「尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする」、そういう役目をもった者を「牧者」と言ってきました。(エゼ34章16、23節)。
    神は群れや民に対してそういう役割を託した人たちを立ててこられましたが、旧約聖書にはこうした牧者への神からの指示や叱責の言葉がたくさんみられます。なかなか神の御心にかなう牧者はいなかったようです。
    良い羊飼いか、そうでないかは、自分自身を養うか、群れを養うか、という養いの対象がその中心にあったようです。主イエスは「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と断言され、その言葉どおり、私たちのために十字架にかかってご自身の命をもって罪から贖いだしてくださいました。
    「決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」のは、この羊飼い主イエスが、まさにご自身の命をもって救ってくださったからに他なりません。主イエスの命が私たちを守り、私たちを永遠の命へと養ってくださいます。
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  • 永遠の贖いを成し遂げられた祭司キリスト(ヘブライ人への手紙 9章)
    雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。
    (ヘブライ人への手紙9章12節)
    きょうもまた、新しい一日が始まります。神が与えてくださるという意味で「新しい」日なのですが、現実の生活は日々の繰り返しのようです。昨日までの過去も明日からの未来も喜怒哀楽さまざまありますが、なんだか繰り返しのような日々です。神の御前での私たちの歩みも、ときどき改善も進歩もないように感じられることがあります。
    ヘブライ人への手紙10章11節には「すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます」と記して、いけにえによる礼拝の不完全さにふれています。動物犠牲による贖いは決して完全には罪を取り除いてはくれないのです。
    イエス・キリストの「ただ一度」の、動物ではない「御自身の血」による犠牲こそ、私たちを罪から完全に贖う救いなのです。犯しては悔い、悔いては犯す繰り返しの毎日の中に、「見よ、すべてが新しくなった」という日が来ています。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」(2コリ5章17節)。
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  • 既に父を見ている(ヨハネによる福音書 1章)
    いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
    (ヨハネによる福音書1章18節)
    店で買い物をしていて、品物を見ていて気づかず、手を伸ばしたそのとき、ばったり友人と会う。買い物かごを持っているので、ちょっと恥ずかしそうに挨拶して…、などということがあります。私たちは目でさまざまなものを見つつも意外とそのすべては見ていなくて、心を向けているものだけを見ています。
    人間と同じような姿や形をもたない神を目で見ることはできません。かつてモーセの時代、神の山ホレブで神が降ってこられたとき、全山煙に包まれ山全体が激しく震えるのを民たちは見ました。そこに民たちが見出したものは、神の恐ろしい姿だけで、神のまことの姿全体では決してありませんでした。
    主イエスが十字架につく前、父のもとに行くことを告げ、「父を知る。いや、既に父を見ている」と語られると、フィリポが「御父をお示しください」と願います。するとイエスは「わたしを見た者は、父を見たのだ」と教えられました。
    神は、震える山の様子でもなく、主イエスの顔や服装でもなく、主イエスの教え、その業、主イエスの存在そのものを通して、私たちにご自身を現されたのです。
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  • あなたはわたしの愛する子(ルカによる福音書 3章)
    聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
    (ルカによる福音書3章22節)
    私たちはたくさんの人の中で生活をしています。きょうも仕事場で、家庭で、社会で、いろいろな人と共に生活をしています。ただ周りに人がいるというのではなく、助けたり、助けられたりして、生きています。「人が独りでいるのは良くない」と言われた神は私たちのまわりにさまざまな人を備えてくださり、私たちの歩みを助けてくださいます。
    とりわけ私たちが神と共に歩む上で必要とする助けを、神はいにしえの昔から遣わしてきてくださいました。特に王や祭司や預言者たちがそうでした。それらの人々が任職されるときに注がれる「油」は、神から特別な賜物が与えられたことを表しています。イエス・キリストこそ、最も豊かな賜物を備えた助け主です。
    私たちと同じ洗礼を受けられた主イエスは、その洗礼の中で、天の父の「あなたはわたしの愛する子」という声と、聖霊が鳩のように目に見える姿で降って来られたのを見られました。神の愛する御子でありつつ、私たちを助けるために洗礼まで受けられる主イエスこそ、父の心に適うキリストです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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