リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • キリスト者が信じるべき最も大切なこと(ヨハネによる福音書 20章)
    このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
    (ヨハネによる福音書20章30節~31節)
    ヨハネによる福音書は、主イエスが「キリスト」、すなわち約束されたメシアであるばかりでなく、父のみもとから遣わされた神の子であることも教えています。この方を信じるとは「永遠の命」を受けるということでもあります。そのことを知らせるために、聖書は書かれました。
    主イエスは弟子たちの前で多くのしるしをなさいましたが、それらのことすべてがこの書物に書かれたのではありませんでした。それは、福音の中心的メッセージを伝達しようとする時、しるしすべてを書き記すことが重要ではなく、また必要でもなかったからです。聖書には、私たち人間にとってなくてはならない必要な言葉すべてが書き残されています。そして、その中心は、私たち罪人を救おうとなさる神の福音の約束です。ですから、キリスト者にとって信じるべきことは、「福音においてわたしたちに約束されていることすべて」(ハイデルベルク信仰問答 問22の答)なのです。
    御言葉を通して明らかにされた「永遠の命」の約束を、私たちは信仰をもって握りしめ、力強い確信の中で感謝にあふれて、きょう一日を過ごしていきましょう。
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  • 新しく神に造られたもの(エフェソの信徒への手紙 2章)
    なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
    (エフェソの信徒への手紙2章10節)
    聖書の神は、私たちに「善い業」をするよう命じる前に、私たちを新しく造り変えてくださいます。「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです」。
    ここで「神に造られたもの」であるわたしたちが「キリスト・イエスにおいて造られた」ということが大切です。これは、ただ無から創造された被造物という以上に、罪と死の中から再創造された「神の芸術作品」であることを強調しています。キリストを信じるようにされた者は、神が前もって準備しておられる善い業を行うための「芸術作品」へと再創造されたのです。「芸術作品になりなさい」と命じられているのではありません。既に「芸術作品」とされているのです。
    キリストの贖いによって新しくされ、神の尊いお働きのためにこのわたしが神の芸術作品へと造り変えられている、という喜びの中で、神ご自身が準備してくださる善い業までも行う事ができるという幸いを覚えつつ、きょうも一日、主に感謝しながら、主に喜ばれる業を行って歩みましょう。
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  • あなたにこのことを現したのは(マタイによる福音書 16章)
    シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」
    (マタイによる福音書16章16節~17節)
    主イエスが弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねられたとき、シモン・ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白しました。彼は、どのようにして主イエスの本当の姿を正しく知ることができたのでしょうか。主イエスは言われました。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」。この主イエスの御言葉によれば、神の霊の働きによらなければ、人は主イエスの正体・本質を知ることはできないのです。
    神の御霊が働かれ、今まで閉ざされていた心の目が開かれます。そして、聖書を通して主イエスの中にまことの神としてのご性質と栄光を見ることができるようになります。すると人の中の霊が黙ってはいられなくなり、信仰の告白へと導かれます。私たちが主イエスを救い主として信じる時、実は御霊の働きを受けたのです。そのような恵みに与ったのだから「あなたは幸いだ」と主イエスはおっしゃるのです。ペトロと同じ信仰告白へと導き、恵みによって救いに至らせてくださった主に心から感謝を献げましょう。
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  • 聖書はイエスを証しするもの(ヨハネによる福音書 5章)
    「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」
    (ヨハネによる福音書5章39節)
    ユダヤ人たちは旧約聖書の中に永遠の命があると思って、熱心に旧約聖書を研究しました。しかし、彼らの聖書研究には大きな欠陥がありました。旧約聖書が「永遠の命を与える方」として指し示している主イエスを、受け入れなかったからです。主ご自身が「聖書はわたしについて証しをするものだ」と言われているように、キリストを証言することが聖書の根本的な目的です。人は聖書を用いて、聖書が指し示すイエス・キリストを見上げるのです。そのことをユダヤ人たちはしませんでした。
    今日、私たちは、聖書によってのみ、主イエスを知ることができます。ですから、まことに神が、御言葉において私たちに啓示されたことすべてを真実であると確信する、その確かな認識が必要です。聖書を調べたり研究することは、異教徒にもできます。しかし、旧新約聖書を神の言葉であると信じるということは、イエス・キリストを救い主と信じる者に与えられた特権です。私たちには、聖書の御言葉を理解し信じるために聖霊が与えられています。聖霊なる神の助けの中で御言葉を読み、きょうも新しくキリストに出会うことができるのです。
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  • 信頼して大胆に出て行く(マルコによる福音書 5章)
    さて、ここに12年間も出血の止まらない女がいた。…イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
    (マルコによる福音書5章25節~2節8)
    群衆が主イエスに押し迫っている中、12年間も出血が止まらず苦しんでいた一人の女性が「群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れ」ました。この女性は、主イエスについての良い知らせ(福音)を聞き、主イエスへの知識を得ていました。そして「その知らせは間違い無い、この方の服にでも触れればいやしていただける」と信じました。
    病気のゆえに汚れているとされ、人前に出ることを許されていなかったこの女性は、「どうしても主イエスの助けに与りたい」という願いを捨てきれませんでした。そして、誰にも気づかれないようにして群集の中に紛れ込み、自分の運命をかけて手を伸ばし主イエスの服に触れたのでした。主イエスを信じ、行動したのです。悪霊も、神が唯一の絶対者であるという知識を持ち、それをはっきりと信じています。けれども神を信頼し従うことはしません(ヤコ2章19節)。しかし、彼女は、知って信じるだけではなく、信頼して行動を起こしました。そのことが主に喜ばれたのです。
    私たちもこの信頼の心を持ち、心からの切なる祈りをもって、神の御前に大胆に出て行きましょう。
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  • 狭い門から入りなさい(マタイによる福音書 7章)
    「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
    (マタイによる福音書7章13節~14節)
    「人生は選択の連続である」とよく言われます。人生はまるで道のようなものであり、至る所に分岐点があり、その分岐点にぶつかるごとに、どちらの道を進むのかを選択しなければならない。そして、その人が今立っている地点というのはこれまでの一つ一つの人生の選択の積み重ねの結果なのだ、という考え方です。
    主イエスもご自身を「門」にたとえて、ご自身を選ぶ者が受ける祝福について教えられました。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」。この御言葉を通して、主イエスは「わたしを選びなさい」と招いておられます。
    これは、人の生涯のうちで最も大事な決断です。キリストを救い主と信じて心にお迎えし、救いの恵みに与るのか、あるいはそれを拒否して滅びに通じる道をたどるのか、その決断です。これは誰も避けて通ることのできない分岐点。この分岐点の後、その人の永遠の道がはっきりと決まるからです。招かれている門から入りましょう。
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  • 神を畏れる(ペトロの手紙一 2章)
    すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。
    (ペトロの手紙一2章17節)
    ペトロは手紙の中で、神の僕として生きるように勧めています。信仰者は天の国を目指す旅人です。ですから、天を目指すものとしてふさわしい歩みが求められています。
    この地上を歩む上で、教会と国家の問題を避けて通ることができません。ペトロが生きていた時代は、皇帝に代表される権力とどのように対峙するのかが問題でした。ペトロは、「すべて人間の立てた制度に従いなさい」(1ペト2章13節)と語り、国家の持つ政治権力を重んじています。しかし、それは主なる神という絶対的な存在の前では相対的なものです。国家を初め、諸々の権威は敬うものですが、私たち信仰者はなによりも神への畏れが先立つのです。私たちが地上の権威に従うのであれば、それは「主のために」(同2章13節)です。
    地上の国は、神の国に比べれば過ぎゆくもの、暫定的なものです。それは旅人にとっては仮住まいであり、一時的なものです。地上の国家がどれほどの力を持ったとしても、それはまもなく過ぎ去ります。そのような視点にたちつつ、旅人としてやがてくる神の「訪れの日」(同2章12節)を目指して教会は歩みます。
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  • 神の時が満ちて(ガラテヤの信徒への手紙 4章)
    時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
    (ガラテヤの信徒への手紙4:4)
    人を罪と悲惨から救うことのできる救い主は、まことの人でありつつまことの神でなければなりません。このような条件を満たせる救い主に、人が自ら成ることはできません。しかし、神は、聖なる福音によって、「御自身の愛する御子によってついに成就なさいました」(ハイデルベルク信仰問答 問19の答)。
    しかも、御子イエスがマリアから誕生されたことは、神の最高のタイミングで起こりました。きょうの個所は「時が満ちると、神は、その御子を女から…生まれ」させられたと言います。そうです。神の時が満ちたのです。
    ローマの支配下にあったユダヤでは、救い主の到来にしびれを切らしていた者もいたでしょう。しかし、それは遅すぎることも早過ぎることもありませんでした。人の思惑を超えて、神はご自分の時計でご計画を進め、満を持して御子を遣わされたのです!
    ここに神の時を待つことを教えられます。「神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。『もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない』」(ヘブ10章36、37節)。主よ、あなたの時を待ちます!
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  • 身代りの犠牲-イエス-(レビ記 1章)
    牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる。奉納者は…臨在の幕屋の入り口にそれを引いて行き、手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。
    (レビ記3章4節)
    レビ記の最初の数章には、人の罪の贖いを初めとして、動物犠牲についての規定が続きます。奉納者は無傷の雄を臨在の幕屋の入り口に引いていき、動物の頭に手を置き、それを屠り、祭司が血を祭壇の側面に注ぎかけるのでした。
    人が動物の頭に手を置くことは、動物への人の罪の転嫁を意味します。その後、それが屠られ、血が注がれることは、人に赦しが与えられることを意味しました。
    自分に代わって殺される無傷の動物の鳴き声!大量の血!自分の罪の償いのために、人は自分では何もなし得ず、他者の犠牲を必要とするという罪の恐ろしさ、また痛みを、強く覚えたことでしょう。
    実は、このような形で、神と人との間の唯一の仲保者、贖い主イエス・キリストの十字架の犠牲を、神は予め示しておられたのでした。ハイデルベルク信仰問答 問19が、キリストの死について「律法による犠牲や他の儀式によって象り」と言うとおりです。
    御子を「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハ1章29、36節)として遣わされる上で、ここにも驚くべき神のご準備があったのでした。神よ、御名を心からほめたたえます!
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  • 悪魔の頭を砕く主イエス(創世記 3章)
    「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
    わたしは敵意を置く。
    彼はお前の頭を砕き
    お前は彼のかかとを砕く。」
    (創世記3章15節)
    私たちは、イエス・キリストが2千年前、世に来られ、私たちのために十字架で命を献げ、悪魔に勝利されたことを教えられています。
    これは歴史の中で、いきなり起こったのでしょうか。いいえ、神の見事なご計画と準備によって起こったのでした。
    人類の始祖アダムとエバが神に背き、神を恐れて園の中に身を隠した、何とすぐその後に、神は、キリストの十字架による悪魔への勝利を告げられました。神は悪魔に言われました。「彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」。この時、既に福音が世界に語られていたことに驚かずにはおれません。
    私たち人間はしばしば思いつきで発言や行動をして、よく失敗します。しかし、イエス・キリストの出来事は、遥か昔、それもアダムとエバが取り返しのつかない罪を犯した直後に、神がその計画を自ら示されていたことでした。神の救いの決意は、何と素早く、私たちを救おうとされる愛の熱意にあふれていることでしょう。ですから、ハイデルベルク信仰問答 問19は言います。「それを神は自ら、まず楽園で啓示し」と。
    神よ、あなたの愛と熱心に心から感謝いたします!
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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