リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 今年も神の栄光のみを追い求める(ペトロの手紙一 4章)
    神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。…それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。
    (ペトロの手紙一4章10節~11節)
    宗教改革者たちは「神の栄光だけが、この世界に結実するように」と願い求めました。「栄光」は「神のすばらしさ」と言い換えることができます。聖書には多種多様な神のすばらしさが教えられています。詩編には次のような言葉があります。「天は神の栄光を物語り、大空は神の御手の業を示す」(詩19編2節)。大自然には、創り手である神のすばらしさが反映されています。この大自然に溢れる神の輝きと同じすばらしさが、互いの愛が形づくられるところに光輝きます。
    愛することの下手な、罪人である私たちの間に、愛が形づくられるとき、そこには、救いの恵みの賜物として愛を創りだしてくださる神の御手の業が示されます。愛を知らない世界が、キリストによって愛を知り、互いを愛する共同体を形成していく。そこに神の栄光が示されます。
    この世界のどこにも、神の恵みが届かない領域などありません。毎日の暮らし、教会生活、新しい一年にも、その栄光を示すため、神はあなたに賜物を託されます。「神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」。
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  • 神は正しく裁く方(ヘブライ人への手紙 10章)
    「復讐はわたしのすること、
    わたしが報復する」
    と言い、また、
    「主はその民を裁かれる」
    と言われた方を、わたしたちは知っています。
    (ヘブライ人への手紙10章30節)
    聖書は、神が正しい方であると教えています。正しい方であるとは、罪を正しく裁かれる方であるということです。
    考えてみてください。私たちの世界では、毎日いろいろな所で犯罪が起こっています。しかし、もし犯罪が放置されたまま、誰も裁かないとしたら。また、裁判が行われたとしても、本来裁かれなければならない人が裁かれず、罪のない人が裁かれたとしたら。そこに正義はありません。
    現実に、私たちの世界では冤罪があり、不正な裁きがあります。だからこそ、神の正しい裁きが必要です。たとえこの世で裁きを逃れたとしても、神は体と魂の両方において永遠の刑罰を下され、正義を行われます。
    ただ、そうなると罪人である私たちは、誰一人として神の裁きから逃れることができないのではないか?罪を裁く正しい神と、罪を赦す憐れみの神のどちらが真の神なのか?不安になります。しかし、どちらも神の姿です。
    神は、キリストの十字架において、私たちの罪を完全に裁かれました。十字架こそ、「神の義と愛のあえるところ」(讃美歌262)です。
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  • 憐れみ深く、忍耐強い神(詩編 103編)
    主は憐れみ深く、恵みに富み
    忍耐強く、慈しみは大きい。
    永久に責めることはなく
    とこしえに怒り続けられることはない。
    (詩編103編8節~9節)
    聖書が教えていることは、神は確かに憐れみ深いお方であるということです。イスラエルの歴史を見て行くなら、そのことがよく分かります。
    神は奴隷として虐げられていたイスラエルを慈しまれ、モーセを用いて、エジプトの奴隷から解放されました。神は無条件にイスラエルに恵みと憐れみを注いでくださいました。その後イスラエルが神の憐れみを忘れ、神の律法を破り、真の神以外の偶像に心を奪われた時も、神はイスラエルに裁きを与えられましたが、決してイスラエルを見捨てることはありませんでした。
    主イエスは弟子のペトロが、「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか」と質問した時、「7回どころか7の70倍までも赦しなさい」とおっしゃいました(マタ18章21、22節)。まさに、憐れみ深い神ご自身が、何度でも私たちに赦しを与えてくださっています。
    今、神は、私たちが悔い改め、神に立ち帰るのを忍耐強く待っておられます。どうか日々、悔い改めて、神に立ち帰る勇気が与えられますように!
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  • 律法を守ることのできないわたし(ガラテヤの信徒への手紙 3章)
    律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。
    (ガラテヤの信徒への手紙3章10節)
    この世界に罪のない人は一人もいません。詩編の詩人が、「わたしは咎のうちに産み落とされ、母がわたしを身ごもったときも、わたしは罪のうちにあったのです」(詩51編7節)と告白しているように、アダムから生まれたすべての人間は、生まれながらの罪(原罪)を持っています。
    この生まれながらの罪の故に、人間は神の律法を正しく知ることも、正しく守ることもできなくなりました。どんなに自分は正しいことをしているように見えても、神の目から見た時、わたしも、あなたも日々、思いと言葉と行いにおいて律法違反の罪を犯しています。
    神はそうした私たちの罪を激しく怒り、裁きを下されます。「この律法の言葉を守り行わない者は呪われる」(申27章26節)とある通りです。私たち人間はすべて神の裁きによって滅んで当然の罪人です。
    しかし安心してください。神は律法の行いによってではなく、恵みによって、信仰によって生きる道を備えてくださいました。そのためにキリストご自身が律法の呪いを引き受けてくださったのです。
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  • 神は罪を決して見逃されない(詩編 5編)
    あなたは、決して
    逆らう者を喜ぶ神ではありません。
    悪人は御もとに宿ることを許されず
    誇り高い者は御目に向かって立つことができず
    悪を行う者はすべて憎まれます。
    (詩編5編5節~6節)
    神は律法によって、人間がどのように生きるべきかを教えておられます。それによって、神はこの地上に正義と公平を実現し、私たちに祝福を与えようとしておられます。
    したがって、神は律法違反の罪を決して見逃されません。神は律法に背き、逆らう者を憎まれ、呪われます。なぜならば、律法に背き、悪を行っても、その罪を正しく裁くことができなければ、決してこの地上に神の正義と公平は実現しないからです。そうなったら、驕り高ぶる者、強い者の力が正義となり、弱い者、虐げられた者の救いは永遠に実現しません。
    ただ、私たち人間は、罪を正しく裁くことができません。なぜなら、罪を裁く人間もまた罪人だからです。罪の無い神だけが正しい裁きをすることができます。神はこの世においても永遠においても、律法違反のあらゆる罪を正しく裁かれます。
    神は虐げる者、悪を為す者への裁きを通して、地の貧しい人をすべて救われます。主はおっしゃいました。「わたしは必ず時を選び、公平な裁きを行う」(詩75編3節)。
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  • 一人の罪と一人の正しさ(ローマの信徒への手紙 5章)
    そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
    (ローマの信徒への手紙5章18節)
    聖書は人間の罪の原因を始祖アダムとエバの堕落によると教えています。アダムとエバは、蛇の誘惑に負け、神が決して食べてはならないとお命じになった善悪の知識の木から取って食べてしまいました。それによって、人類全体が堕落し、死がすべての人を支配するようになってしまったのです。
    ただ、そのように言われても、自分はそんな昔のことは知らない、関係ない、と言いたくなるかもしれません。どうしてアダムの罪の責任を自分が問われなければならないのか、と思う人もいるでしょう。しかし、始祖アダムは私たち人類の代表です。ですから、アダムの罪の責任は単にアダム個人の問題ではなく、人類全体の問題です。そして、実際、私たちもアダムと同じように罪を犯しています。
    こうして、一人の罪によって、すべての人が罪人となりました。しかし、神は私たちを救うために「一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得る」道を備えてくださいました。この一人の正しいお方・主イエスこそ、私たちの救いの希望です。
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  • 神にかたどって造られた人間の責任(エフェソの信徒への手紙 4章)
    神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
    (エフェソの信徒への手紙4章24節)
    神は、神にかたどって造られた人間に律法をお与えになりました。神は律法によって、すべての人間に「真理に基づいた正しく清い生活を送る」よう命じておられます。
    しかし、すべての人間は始祖アダムとエバの不従順によって堕落し、律法を行うことができなくなりました。それならば、もはや行うことができない律法を、神が人間に求めておられることは理不尽なこと、不正なことなのでしょうか。そうではありません。
    神にかたどって造られた人間は、律法を正しく行うことのできる能力を与えられていました。神は決して不可能なことを人間に要求なさってはいません。神は最初から無理な要求をなさっているのではないのです。堕落し、律法を行うことができなくなってしまったのは、私たち人間の責任です。
    私たちはまず神の愛を裏切って堕落し、律法を行うことができなくなってしまった自らの罪を自覚したいと思います。そして、私たちの救いは、神の憐れみによって新しく造られる以外にないことを、今一度深く覚えたいと思います。
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  • 今年もキリストのみが救い主(ローマの信徒への手紙 8章)
    死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。
    (ローマの信徒への手紙8章34節~35節)
    古代において、王はその右の座に皇太子や総理大臣を置き国の統治を任せました。この世界のまことにして唯一の王であられる神の右の座。そこにはイエス・キリストが座しておられます。この御方が父なる神とわたしの間を取り持ってくださいます。
    宗教改革の時代、改革者たちは「神とわたしたちを執り成す方は、キリストのみである!」と力強く声を上げました。神とわたしの間にいてくださる方は、誰でもよいわけではないのです。神を信じることに疎く、信じた後も失敗を繰り返す私たちに愛想を尽かすことなく、最後まで面倒をみてくださる御方でなくては、この大役は務まりません。それができるのは、十字架の死と復活によって、私たちへの愛を示してくださったイエス・キリストのみです。
    使徒パウロは「この御方の愛からは、何者も、わたしたちを引き離すことはできない!」と力強く語ります。
    新しい年にも、私たちを否定する数多くの力があることでしょう。体のこと、性格のこと、社会的なこと…。しかし、どんな力が自分を否もうとも、キリストがあなたを肯定してくださいます。
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  • 聖霊による新しい誕生(ヨハネによる福音書 3章)
    イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。…だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」
    (ヨハネによる福音書3章3節~5節)
    ニコデモという人はファリサイ派に属していましたが、主イエスに好感を持っていました。主イエスのなさったしるしを見て、主イエスが「神のもとから来られた教師」であると信じていたのです(ヨハ3章2節)。その彼に主イエスは思いもよらない教えを語られました。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。
    なぜ主イエスは、彼にこのようなことを教えられたのでしょうか。主イエスは、ニコデモの心の中に律法を熱心に守ることによって神の国に入れるという思いがあることを、ご存じだったのでしょう。主イエスはそのような彼の思いを根底から打ち砕かれるのです。人は新しく生まれなければ、すなわち「水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」と。
    人は誰も、自分の善行や熱心さによっては救われません。堕落した人間の腐敗はそれほど深刻なのです。ただ神の霊によって洗われ、新たに生んでいただくことによって、神の国に入ることができます。それは全く上からの、神からの恵みによる救いです。
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  • 人の悪を忍耐される神(創世記 8章)
    主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。
    「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」
    (創世記8章21節)
    この世界には悪と不法が満ちています。人が人を憎み、殺します。他人事ではありません。神は私たち人間の心をご存じであり、言われました。「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」。人の心は生まれながら悪の方向へと傾いています。悲しいことですが、愛する方向ではなく、憎む方向へと傾いてしまっているのです。堕落した人間全員にそのような心の腐敗と闇があります。
    しかし、神はそのような人間を、そして世界を見捨てられませんでした。人の心の悪を知りながらなお、あの洪水のように世界を滅ぼし尽くすことは二度としないと約束してくださいました。なぜでしょうか。洪水から救われたノアは神のために祭壇をつくり、清い動物をささげました。神はその「宥めの香り」をかがれたのです。そして今や全く汚れのないキリストが「わたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物」(エフェ5章2節)としてささげてくださいました。
    神は一人でも多くの者が悔い改め、キリストを信じて救われるように今も人間の悪を忍耐し、世界を保持してくださっています。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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