リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 完全な仲保者イエス(テモテへの手紙一 2章)
    神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
    (テモテへの手紙一2章5節)
    ユダヤ議会で尋問された時、ペトロは主イエスについて敢然と言いました。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使4章12節)。
    そのとおり、私たちの罪がいかに深くても、罪と永遠の悲惨から救われるために、ほかのどんな宗教指導者も救い主もいりません。父なる神から私たちに与えられたイエス・キリストは唯一完全な救い主だからです。「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです」。
    問18も「まことの神であると同時にまことのただしい人間でもある、その仲保者とはいったいどなたですか」と問い、「わたしたちの主イエス・キリストです。この方は、完全な贖いと義のために、わたしたちに与えられているお方なのです」と断言します。
    この仲保者イエス・キリストの完全性を、私たちはもっと深く心に刻むべきでしょう。この完全な救い主が、生きるにも死ぬにも、私たちに「あなたはわたしのもの」と断言してくださるのです(ハイデルベルク信仰問答 問1参照)。
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  • まことの神、イエス(ヨハネによる福音書 3章)
    神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
    (ヨハネによる福音書3章16節)
    主イエスの十字架を思うと胸が痛み、イザヤ書53章の「苦難の僕」を思わずにはおられません。見るべき面影はなく、軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、刺し貫かれ、打ち砕かれ、懲らしめられ、捕らえられ、裁きを受け、命を取られました(イザ53章2~8節参照)。ここまで徹底的に苦しめられた人が、かつて世にいたでしょうか。
    人間には耐えられない苦痛を、主イエスはまことの人間として耐えてくださいました。神の怒りから何としても私たち罪人を救うために、御子イエスは、ご自分の神としての性質と力により、すべてに耐えてくださいました。ハイデルベル問17は言います。「その方が、御自分の神性の力によって、神の怒りの重荷をその人間性において耐え忍び、わたしたちのために義と命とを獲得し、それらを再びわたしたちに与えてくださる」と。
    こうして見ると、神が敢えてご自分の独り子を世に遣わされた理由が、一段とよく分かります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。神よ、あなたを讃えます!
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  • 正しいまことの人、イエス(ペトロの手紙一 3章)
    キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。
    (ペトロの手紙一3章18節)
    神は絶対的に正しい方ですから、罪には償いが求められます。従って、私たちが救われるためには、私たち自身が自らの罪の責任をすべて負い、償うか、あるいは、正しい誰かが、私たちに代わって罰を受け、私たちの罪を全部償ってくれる必要があります。
    しかし、人には皆、生れながらに罪があるため、誰も他人の罪を償うことなどできません。ハイデルベルク信仰問答 問19は答えます。「神の義は、罪を犯した人間自身が、その罪を償うことを求めていますが、自ら罪人であるような人が他の人の償いをすることなどできない」と。
    では、私たちには絶望しかないのでしょうか。いいえ、ここに福音があります!
    全く罪のない正しいまことの人、イエス・キリストが、地獄の刑罰ともいえる苦しみを、十字架で受けてくださいました。それは、ただただ私たちのためでした。「正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです」。
    御子イエスは、私たち罪人に代わって、苦しむために、まことの人となって世に来られたのです。何という主の愛でしょう!主よ、御名を賛美し、あなたを愛します。
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  • ナボトのぶどう畑(列王記上 21章)
    ナボトはアハブに、「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることなど、主にかけてわたしにはできません」と言った。
    (列王記上21章3節)
    イズレエル人であったナボトは、アハブ王の宮殿のすぐ近くにぶどう畑を持っていました。そのナボトに対して、王は畑を譲ってくれと話を持ちかけました。引き替えに、ナボトにはより良い畑を与えることを約束しました。この条件は決して悪くはないはずですが、ナボトはこの申し出を断ります。理由は簡単です。それは先祖から受け継いだ土地だからです。ナボトはアハブに言います。「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることなど、主にかけてわたしにはできません」。王は腹をたて、ナボトを石で打ち殺してしまいます。このようなアハブ王の行動を神は裁かれました。
    王の権力を乱用したアハブ王に対して、ナボトは神を第一として、信仰を告白しました。聖書が記すナボトの言葉はごく短い言葉だけです。しかし、この言葉は重く、信仰と決心に満ちています。「主にかけてわたしにはできません」。その結果、王を怒らせ、自らに死を招くことになりましたが、ナボトは神への信仰を貫きました。
    もし国家が権力を持って襲いかかってきたとしても信仰を告白するものでありたいと願います。
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  • 神との平和を創り出す方(イザヤ書 9章)
    ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
    権威が彼の肩にある。
    その名は、「驚くべき指導者、力ある神
    永遠の父、平和の君」と唱えられる。
    ダビデの王座とその王国に権威は増し
    平和は絶えることがない。
    (イザヤ書9章5節~6節)
    イザヤ書前半は、メシアが「指導者、神、父、王」と称され、勇ましいのですが、40章からの後半は、四つの「僕の歌」を中心に、メシアの苦難が語られています。
    福音書では、主イエスがメシアとしてのお働きを開始される場面でイザヤ書9章始めの部分が引用されています。その方は「驚くべき指導者、…平和の君」なのですが、やはり、そのご生涯の後半において受難の道を歩まれます。
    マタイ福音書は、その始まりにおいて、ダビデの子イエス・キリスト誕生の次第でイザヤ書7章14節の「インマヌエル(神は我々と共におられる)」預言を引用します。そして、主イエスが苦難の僕の任務を果たして復活したのち、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と、やはり最後も「インマヌエル」で結んでいます。
    キリストの誕生と生涯、死と復活、昇天と着座で、私たちに神との平和が与えられました。神は私たちに、罪の赦しと永遠の命、神の子とする特権と、共に王座に着く光栄をお与えくださいました。私たちは天に国籍を持ちながら、平和を創り出す神の子らの使命を果たしましょう。
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  • 神とわたしを結ぶ方(ヘブライ人への手紙 2章)
    それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
    (ヘブライ人への手紙2章17節)
    「ヘブライ人への手紙」は、「大祭司」という職務から、イエス・キリストの働きを説明しています。一般に祭司は、民の罪を償うために、いけにえの儀式をして、神に執り成す人たちですが、「大祭司」はただ一人であり、イエス・キリストのモデルでした。
    イエス・キリストは、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言われました(ヨハ14章6節)。天から来られたお方は、地上で自らいけにえとなって、私たちの罪を償う任務を全うし、天に昇られました。
    そこで、天地の間に道ができて、クリスチャンの祈りはキリストを通って天に通じるのです。ですから、主イエスは「わたしの名によって祈れ」と言われました。私たちは、お祈りの最後に「イエス・キリストの名によって」と言います。その祈りは、キリストを通って、天に通じるのです。
    ノアのときに現れた天地を結ぶ虹の意味は、イエス・キリストの和解に鮮やかに現されました。神とわたしを結ぶ方は、きょうも憐れみ深い大祭司として、わたしを神に執り成してくださっています。
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  • 生涯を取り返してくださる方(詩編 49編)
    神に対して、人は兄弟をも贖いえない。
    神に身代金を払うことはできない。
    魂を贖う値は高く
    とこしえに、払い終えることはない。
    人は永遠に生きようか。
    墓穴を見ずにすむであろうか。
    (詩編49編8節~10節)
    詩編49編は、罪に対する厳しい罰を語っています。私たちの犯した罪は、取り返しのつかないものです。罪を犯した事実は一生消えません。ところが、神の目に、取り返しのつく方法が一つだけあります。キリストの生涯がわたしのものになることです。
    キリストの生涯は、神の律法が要求する愛を完全に行うものでした。人となった神の御子はわたしを「兄弟」と呼んでくださいました。ゆえに、神は、このわたしをも、キリストにあって、「神の子」と呼んでくださいます。
    そして、キリストの死は、私たちの律法違反の罪を「神に対して」完全に贖い、「とこしえに払い終えること」を成し遂げてくださいました。したがって、私たちは「墓穴を見ずにすむ」のです。人の「魂を贖う値」とは、キリストがご自分の命をかけるほど高価なものだったのです。
    そのように、神は、わたしをキリストに結び合わせて「わたしの目にあなたは価高く、貴く」(イザ43章4節)と言ってくださいます。わたしの生涯は取り返しがつきます。神が、わたしをキリストの復活に結び合わせて再創造してくださるのですから。
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  • 身代わりになることができる方(エゼキエル書 18章)
    「罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである。」
    (エゼキエル書18章20節)
    地震や津波で若い命が失われたとき、助かった年配者は、「代われるものなら代わってやりたい」とつらい思いになります。ましてそれが家族なら、孫をなくした祖父母は、心底、そのような気持ちになるでしょう。しかし、人は誰も人の身代わりにはなれないことを痛感します。ですから、本当に身代わりになることができるなら、それは本当にすごいことで、神にしかできないことだと思わされます。
    きょうの聖書箇所は、人は自分の罪を背負うのみで、誰も他人の罪の身代わりにはならないと断言しています。それゆえ、神は「単なる被造物」ではないイエス・キリストを、人の罪の身代わりとされました。旧約時代の動物のいけにえは、本当のいけにえイエス・キリストのモデルだったのです。
    神の子にして人となられたイエス・キリストだけが、本当に身代わりになることができる唯一の方です。この方は命を捨てることもできれば、再び命を受けることもできる方です。今、復活して生きておられるキリストは身代わりを体験して、私たちの血肉が持っている罪の弱さを思いやることができるお方なのです。
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  • 払いきれない罪の代価(ローマの信徒への手紙 2章)
    神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。
    (ローマの信徒への手紙2章4節~5節)
    罪の代価は払いきれないものです。まず、人類の罪を考えてみるとどうでしょう。神の作品である美しい世界を治めるよう、人類は特権と使命を与えられました。しかし、互いに殺し合う戦争はエスカレートし、今や世界を破壊する兵器まで存在します。
    核兵器廃絶を願いながらそれができない現実は、わたし個人にも当てはまります。自分の欲する善は行わず、願わない悪を行ってしまう自分がいます。天地万物の創造者が「地球を元通りにして返せ」と要求されたら、その代価はどれくらいでしょうか?人類もわたしも、神の怒りを自分のために蓄えています。
    人類もわたしも、罪の代価を払いきれません。わたしは自分の罪の代価も払いきれませんが、わたしが地球規模で巻き込まれている罪の代価も払いきれません。わたしも人類も罪の奴隷です。
    罪の奴隷から解放される身代金を神は要求なさいますが、それを神自らお与えくださいました。払いきれない罪の代価を払える方を、神は救い主として与えてくださいました。ここに愛があります。キリストの十字架には神の忍耐と寛容があります。
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  • 神の最高の満足(出エジプト記 23章)
    偽りの発言を避けねばならない。罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない。
    (出エジプト記23章7節)
    イエス・キリストは、裁判で「偽りの発言」により、「罪なき人、正しい人」でありながら殺されてしまいました。神は「悪人を、正しいとすることはない」のに、なぜ、イエス・キリストの死は、神が満足して受け入れられたのでしょうか。
    天地創造の始め、神は万物を創造して「良し」と満足されました。そして特に人間を神のかたちに創造して、地上に造られたものが人間によって治められる状態を「極めて良し」と満足されました。
    しかし、人間はサタンに誘惑され、神に背いてしまいました。そこで神は、人間と世界を救うために、神の御子を人間の姿にしてお遣わしくださいました。イエス・キリストは人間として神の満足される生涯をおくり、人間の身代わりとして十字架にかかってくださいました。
    神は正しい人が悪人の身代わりになることを、ただ一度、キリストの十字架だけを「良し」とされました。そして、キリストの復活によって新しい天地創造をなさいます。したがって、キリストの死と復活には、神の最高の満足があるのです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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