リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
Download on the App Store

リジョイス聖書日課 episodes

  • 罪と死を超えるキリストの恵み(ローマの信徒への手紙 5章)
    そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
    (ローマの信徒への手紙5章18節)
    人は皆、死にます。それは自然法則にかなったことであり、どうしようもないのでしょうか。
    聖書はそのようには語りません。神が創造された世界には最初、死がありませんでした。その世界に死が入り込んだのは一人の人(アダム)の罪によってです。アダムは全人類の祖先であり、代表です。このアダムにあって私たちすべての人間は罪を犯しました。そして罪を犯した全人類の上に死が力を振るい、支配するようになったのです。私たちの力では、この死の支配から逃れることはできません。
    しかし、そのような罪と死の支配をはるかに超える豊かな恵みが、私たちに注がれました。それは一人の人イエス・キリストによって注がれた恵みです。このお方が、私たちができなかった神への従順を成し遂げてくださいました。このお方の義によって、私たち死ぬべき罪人が義とされ、永遠の命が与えられます。
    キリストに結ばれた私たちは、もはや罪と死の支配下にはいません。それを凌駕するほど豊かな恵みの支配の下に生かされています。なんと感謝なことでしょうか。
    0 min
  • サタンとの戦い(創世記 3章)
    お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
    わたしは敵意を置く。
    彼はお前の頭を砕き
    お前は彼のかかとを砕く。
    (創世記3章15節)
    私たちキリスト者にはこの世においてサタンとの霊的な戦いがあります。
    最初の人間はこの戦いに敗れてしまいました。人は神の言葉に堅く立ち続けることができず、サタン(蛇)の誘惑の声に耳を貸し、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、罪に陥ってしまったのです。その結果、すべてが満たされていた楽園から追放され、この世で多くの苦しみを味わうことになりました。このサタンとの戦いに勝利できなければ、私たちに幸いが訪れることはありません。そして弱い私たち自身を見るならば、勝てる見込みはないでしょう。
    しかし、神はサタンに敗北を宣言してくださいました。「女の子孫」が「お前の頭を砕」くと。もちろんなお続く戦いの中でサタンが私たちに傷を負わせ、痛みをもたらすことはあります。しかし、それは「かかとを砕く」程度のものであり、致命傷ではありません。頭が砕かれるという致命傷を負い、滅びるのはサタンの方です。サタンに対する私たちの勝利が神によって、キリストによって保証されているのです。ここに希望があります。
    0 min
  • 人間の回復(エフェソの信徒への手紙 4章)
    神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
    (エフェソの信徒への手紙4章24節)
    神は、人間をご自分にかたどって良いものとして創造されました。人間は神を正しく知り、神との命の交わりの中で生きるべきものとして造られたのです。しかし人間は堕落し、腐敗してしまいました。神に対する無知と心のかたくなさのために、神の命から遠く離れたものとなってしまいました(エフェ4章18節)。そして欲望のままに不潔な行いにふけってとどまるところを知りません(19節)。私たちもそのような中にいました。
    しかし、私たちはもはやそのように生きてはなりません。キリストを知り、キリストの内にある真理を教えられたからです。その真理の一つ目は古い人を脱ぎ捨てること(22節)。二つ目は、心の底から新しくされること(23節)。そして三つ目は新しい人を身に着けることです(24節)。「新しい人」とは真の義と聖において神にかたどって造られた新しい自分です。神はそのようなものとして私たちをイエス・キリストにおいて新しく造ってくださいました。この新しい自分を身にまとう時、私たちは本来の人間の姿に回復されるのです。
    0 min
  • 人間の創造と任務(創世記 1章)
    神は言われた。
    「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
    (創世記1章26節)
    この世には多くの苦しみがあります。被造物全体も「共にうめき、共に産みの苦しみを味わって」います(ロマ8章22節)。その責任は人間にあると言わなければなりません。
    人間は、他の被造物(植物や動物)とは異なる存在として神に造られました。神は人間をご自分にかたどり、ご自分に似せて造られたのです。そのように人間は神の栄光をあらわす器として造られました。そして人間には神の御心に従って被造物全体を治めるという光栄な任務が与えられました。
    ところが人間は造られたときの良い状態から堕落してしまい、委ねられた務めを正しく行うことができなくなってしまいました。そこに世界の悲惨と混乱の根本的な原因があります。
    しかし、神は私たちができなくなった務めを正しく果たすお方として主イエス・キリストを遣わしてくださいました。キリストのご支配にこそ世界の希望があります。そして、苦しみの中でもキリストに従う者は御国を受け継ぎ、キリストと共に被造物を支配するという光栄な務めに就かせていただけるのです(2テモ2章12節)。
    0 min
  • 今年も恵みによってのみ救われる(エフェソの信徒への手紙 2章)
    事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
    (エフェソの信徒への手紙2章8節~9節)
    「あなたがたは…信仰によって救われました。…行いによるのではありません」。志を行動に移すことが苦手な人にとって、これは響きのよい言葉かもしれません。しかし、どうでしょうか?「信じる」ということは、それほどに易しいことでしょうか?
    世に目を向けるとき、病気や貧困は蔓延し、天災や人災が後を絶ちません。自分に目を向けるとき、神がいるとは思えない日常が、私たちを取り巻いています。
    この罪と悲惨に塗れた世界で、救いがあると信じること。それは、手放しで信じることのできる自明なことではありません。信仰をもつことができるのは「自らの力によるのではなく、神の賜物です」。信仰と救いは、恵みの贈り物としてのみ、私たちのものとなります。
    そして「それはだれも誇ることがないためなのだ」と使徒パウロは言います。救いが恵みによってのみ与えられることで、誰が救う側で、誰が救われる側なのかがはっきりとします。
    この一年、私たちは、自分で自分を救うのではありません。この一年も神が私たちを救ってくださいます。
    0 min
  • 人は常に悪いことを思い計る(創世記 6章)
    主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
    (創世記6章5節~6節)
    私たちの心は、神と人とを愛する方向とは「逆の方向」に、生まれつき傾いています。このことは、きょうの箇所の他にも、聖書全体で何度も言われています。例えば次のように言われています。
    「わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります」(ロマ7章23節)。
    私たちには、母の胎の中にある時から、神に従いたくないという生まれつきの方向性が心にあります。ただ従いたくないだけでなく、『ハイデルベルク』では、「憎む方へと傾いている」と言っています。これは、自分ではどうすることもできない悲しい現実です。
    しかし、主イエス・キリストは、私たちのこの「神への反逆性」をご自分の十字架に釘づけにしてくださいました。そして「神に喜ばれる思いと行いをささげつつ生きることこそ我が喜び」という新しい心を造ってくださいました。
    パウロの感謝が私たちの感謝の言葉になります。「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」(ロマ7章25節)。
    0 min
  • 生まれつきの罪人(エフェソの信徒への手紙 2章)
    わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
    (エフェソの信徒への手紙2章3節)
    わたしが教会に通い始めたころ、その教会では、口語訳聖書が使われていました。エフェソの2章3節は、口語訳では、次のように訳されています。「わたしたちもみな、…肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生まれながらの怒りの子であった」。
    「生まれながらの怒りの子」とはどういうことか。「確かに怒ることはある。でも、自分はそんなに怒りっぽい人間でもない」と、その表現に、違和感を覚えていました。でも、そこは、新共同訳聖書のように、「ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者」という意味だと教えられ、わたしは納得できたのを覚えています。
    罪のゆえに生まれながらに、思い、言葉、行いにおいて、心のすべての傾向が、神が嫌われる方向に徹底的に傾いている。それが私たちです。
    「生まれながらに」と言いますが、詩編51編7節でダビデは言います。「母がわたしを身ごもったときも、わたしは罪のうちにあったのです」。生まれる前から罪の塊の私たちを、丸ごと赦してくださる。主の赦しの大きさは、どれほどなのでしょう!
    0 min
  • 隣人を自分自身のように愛する(レビ記 19章)
    自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
    (レビ記19章18節)
    「何のために生まれて、何のために生きるのか。答えられないなんて、そんなのは嫌だ!」これは、アンパンマンの歌の一部分です。わたしの学生時代、まさにこの歌の通り、何のための人生か、全く指針のない状態でした。
    やがて教会に行くようになり、主イエスが、私たちに、「隣人を自分自身のように愛しなさい」と、教えてくださっていることも知らされました。そのときも、わたしは本当に嬉しかったのを覚えています。
    もちろん、私たちは隣人を自分のように愛することはできません。でも、この指針になんとか自分の方を合わせて生きていきたいと思い、願い、祈ることはできます。
    そんな私たちを父なる神、また、人となられた主イエスは、いつくしみ深く見つめて、励まし続けてくださっています。がんばれ、がんばれ、と。
    ところで、私たちにとっての「隣人」とは?それは、教会の方々はもちろんのこと、日本では99パーセント以上のまだキリストを自分の救い主として受け入れていない私たちの周りの方々です。まず、そのような方々の友となる。隣人愛の初めの一歩です。
    0 min
  • 力の限り神を愛する指針(申命記 6章)
    あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
    (申命記6章5節)
    青年時代、自分が何のために生まれて、どう生きていけばいいのかわかりませんでした。人間には生きる意味や、生きるうえでの普遍的基準があるのか。もしも、一人一人が生きる意味も生き方も決めていくものなのだとしたら心もとない、と思っていました。
    やがて、教会に通うようになり、聖書を読み始め、人はどう生きるべきか、書いてあるのを知らされました。造り主である神と主イエスは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マタ22章37節)と教えている。人間が生きる指針が非常に明瞭に記されているのが、わたしにとっては実に嬉しいことでした。
    時代と共に移り変わる思想や個人が作り出す人生観ではない。「人間であるなら、こう生きるように造られている!」という明確な基準。それが、「神を力の限り愛する」という不変の指針です。
    明確な基準・指針が与えられていることは、本当に幸いなことです。しかし、私たちは、この基準に従えるわけではありません。愛の指針により、愛のない自分に気づかされ、本当の愛を求める者に変えられていきます。
    0 min
  • わたしはなんと惨めな人間(ローマの信徒への手紙 7章)
    わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。…わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
    (ローマの信徒への手紙7章24節~25節)
    わたしが大学生の時、倫理学のクラスは最初は100名ほどの受講者だったのですが、翌週には半分になり、ついに先生と一対一になりました。そのクラスの教科書はパスカルの『パンセ』でした。キリスト者ではない二人が『パンセ』を読んでいたのです。この随想録によく出てくる言葉が「悲惨」でした。わたしにはパスカルが言う「悲惨」の意味がよく分かりませんでした。
    キリスト教会に通うようになり、わたしは「そうか。パスカルが言う『悲惨』とは、つまり『罪の悲惨』のことだったのか」と、納得しました。
    生まれつき心の中に染みついている罪という自分ではどうすることもできないもの。この罪のゆえに人を傷つけ、自分をも傷つけてしまう。罪から逃れたいと思っても、生まれながらに心と体に染みついているので、どうすることもできない。罪を犯すまいと思えば思うほど、罪に支配されている自分と直面させられる。そんな私たちの告白がパウロと同じ告白でしょう。
    「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」。この嘆きから「だれがわたしを救ってくれるでしょう」という問いが生まれてくるのです。
    0 min

About リジョイス聖書日課

From the publisher's feed

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

More shows like リジョイス聖書日課

3分でわかる!聖書 by 中川健一

3分でわかる!聖書

6 Listeners

聖書人になりたい by kannokazuhiko

聖書人になりたい

1 Listeners

聖書プロジェクト BibleProject by BibleProject

聖書プロジェクト BibleProject

0 Listeners