リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 喜び、祈り、感謝(テサロニケの信徒への手紙一 5章)
    いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
    (テサロニケの信徒への手紙一5章16節~18節)
    主は確かに私たちを愛してくださっている。私たちが生きるということは、この愛に支えられて歩むこと。そこに喜びがある。どんな時にも、何によっても、凋むことのない喜びが。主によって救われ、主が共にいてくださる喜びは、私たちが自分で考えている以上に大きくて、そして、はるかに力強い。だから、何事につけても深刻めいたりせず、しらけたりせずに、あきらめたりもせずに、喜ぼう。
    朝方、まだはっきりとは覚めやらぬ意識の中で、突然の雨が家の屋根をたたく音が聞こえてくる。とても嬉しくなる。信仰があればこそ、ここにも小さな喜びを見出すことができる。一つ一つの小さな喜びが、両手に抱えきれない喜びとなる。
    日々、喜びをもって祈ろう。感謝をもって主を心からほめたたえよう。神が求めておられるのはこのこと。
    いつも祈りと感謝とをもって、喜びの中を歩み行く私たちは、常に新たな希望を発見していく。その中で、また新しい祈りの言葉が与えられていく。そのように歩むことのできる私たちは何と幸いなことか。何と感謝すべきことか。
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  • 今まで、主は我々を助けてくださった(サムエル記上 7章)
    サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。
    (サムエル記上7章12節)
    ベンチに座って沈む夕陽を眺めながら一日を振り返る。神の恵みを思い、感謝する。幼子のように素朴な、心からの信頼をもって一層深く主に拠り頼む。このような平安な時こそ、信仰者の特権。
    一日の恵みを思うことは、この一年の恵みを振り返ることに重なる。何と多くの恵みと幸いによってこの年も生かされて来たことだろうか。そして、一年を思うことは、自分の来し方行く末を思うことへとつながる。その生涯にどれだけの恵みを見出すことができるだろうか。恵みは溢れて、現に受けているのに、どれほど受け止めて感謝しているだろうか。
    受けた恵みをひとつひとつ数え上げて感謝しよう。それもまた喜びの時。「今まで、主は我々を助けてくださった」。この御言葉を常に思い、口ずさんで感謝しよう。今まで助けてくださった主は、これからも助けてくださる。沈む夕陽が明日もまた昇ってくるように。
    たとえ再び太陽の昇らなくなる日が来ても、共にいてくださる主の恵みは変わることがない。絶えず新たな力と勇気を与えられて、この一日も歩み出していこう。
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  • 神の威光の輝き(ハバクク書 3章)
    その威厳は天を覆い
    威光は地に満ちる。
    威光の輝きは日の光のようであり
    そのきらめきは御手から射し出でる。
    御力はその中に隠されている。
    (ハバクク書3章3節~4節)
    現代に生きる私たちは、世界の出来事を、偶然の産物、あるいは、人間のわざとみなす考え方に影響されています。しかしハバククは、歴史を神のわざとして受け止めています。さらに、地上の混乱のうちにも神の到来を仰ぎみようと努めています。
    ですから、彼はバビロニアの軍隊が近づいてくる現実を見つめつつ、不安な状況のなかでも神を讃えます。5節から始まる壊滅的情景の叙述にさきだって、神の威光の輝きが記されていることに注意を払いましょう。胸を締め付けられるような言葉の背後に、神に沈潜する心があることがわかります。苦難のなかでも神の名が軽んじられてはならないことを彼は肝に銘じます。
    そして、神を讃える人は、粘り強く待つことを学びます。「わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る」(18節)。のちに、この賛美はマリアによって新しく歌われることになります。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ1章46、47節)。罪と悲惨のただなかにあった私たちを、御子が救いを携えて訪れてくださいました。
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  • 信仰によって生きる(ハバクク書 2章)
    2章
    (ハバクク書2章2節~4節)
    「書き記せ」。ハバククへの神の答えは、民全体が銘記すべき答えとして与えられます。それは同時に、民への問いかけでした。「見よ、高慢な者を」とあります。それが誰なのか分かりません。誰もが自分への警告とすべきでしょう。また、「待っておれ」とありますのは、待つ忍耐が必要だからです。民が神の言葉に忠実に、無条件に、忍耐をもって従うことを、神はハバククに求めておられます。
    「神に従う人は信仰によって生きる」。使徒パウロはこの言葉を、イエス・キリストを信じる者に神が授けてくださる義と永遠の命を語るものとして受けとめました(ロマ1章17節)。ハバクク書の文脈から理解するなら、キリストを信じる信仰にも、忍耐をもって神の言葉への聴従が求められています。
    主イエスは「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マタ10章22節)と語られ、ヨハネの黙示録は困難な状況における辛抱強さを勧めます。「聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である」(13章10節、14章12節)。「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」(2章10節)。
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  • あなたはいつまで(ハバクク書 1章)
    主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに
    いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。
    わたしが、あなたに「不法」と訴えているのに
    あなたは助けてくださらない。
    どうして、あなたはわたしに災いを見させ
    労苦に目を留めさせられるのか。
    (ハバクク書1章2節~3節)
    大国は、情け容赦なく、周辺の弱小国を食い物にします。イスラエルの権力者たちの民への態度も同様でした。いたるところに暴虐と不法があり、争い、いさかいがはびこり、…。
    けれども、ハバククにとって最も苦しくつらいことは、そのことではありません。彼の心を重くする最大の問題は、神が世の悪を傍観し、自らの正義を示さないかのように思えることです。なぜ、わが民のうえに秩序を打ちたててくださらないのか、いつまで苦難のなかに置かれるのか。「あなたは助けてくださらない」と口にするとき、彼は我知らず、いっそう恐ろしい問いに近づいています。神ご自身、冷たく凍りついていて行動できず、何もしてくださらないのではないか、という問いに。苦しいとき、ハバククの問いが私たちの問いになります。神はわたしをどう見ておられるのか。この状況にどう関わっておられるのか、と。
    神の答えは、心に群がる問いを蹴散らしてくれます。御子が誠実な証人として立てられている。神はあなたを覚えておられます。主イエスの歩みが、それを証ししています。
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  • 肉となられた言(ヨハネによる福音書 1章)
    言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
    (ヨハネによる福音書1章14節)
    神は、人の目には異常と見える仕方で介入なさることがあります。それが奇跡です。本日の御言葉が語っていることは、奇跡中の奇跡である「言の受肉」です。神が人の体を取られたことです。
    ヨハネは、神話的に受け取られないように注意して言葉を使っています。「宿られた」は、「天幕を張って住む」という意味です。移動式の神殿である幕屋に神がおられたように、「わたしたちの間に宿られた」のです。肉体が神の栄光を隠しているとは言え、その神性の光は恵みと真理に満ちていて、十字架の中にも輝いています。こうして「神は我々と共におられる」というインマヌエルが実現したのです。神と自称した人はたくさんいますが、人となられた神はイエス・キリストだけです。
    キリストが来られたのは、世のあらゆる困難や悩み、苦しみを思いやるためであり、そこから救うためです。キリストから肉を取り去ると現実感のない理想となり、逆にキリストから神を取り去れば救う力がなくなります。インマヌエルにこそ、希望と喜びとがあるということを覚えて、クリスマスをお祝いしましょう。メリー・クリスマス!
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  • 引き寄せられた人びと(マタイによる福音書 2章)
    家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
    (マタイによる福音書2章11節)
    「占星術の学者たち」と訳されている言葉は、ペルシアあたりの身分の高い学者を意味しています。占星術だけではなく、医術や薬品、学問に秀でていた学者たちです。天体の運行にも精通していて、見たことのない不思議な星から、ユダヤに新しい王が生まれたと判断し、わざわざ訪ねて来たのです。
    砂漠の道を千キロメートル以上も旅するのは大変なことです。彼らの数が3人とされるのは、持ってきた贈り物が3品であることからでしょう。身の回りの世話をするお付きの人がいたことでしょうから、キャラバンを組んで多人数で行動していたことでしょう。
    それにしても、何という情熱でしょう。「拝みに来た」とあります(2節)。ただただ会いたかった、礼拝したかったと言っているのです。御子の誕生は彼らを惹き付け、神は、イスラエルではない人びとのこのような願いをも喜んで受け入れてくださいます。
    私たちの救い主イエスは、いろいろな人を引き寄せるお方です。そして、この方を拝みに来る人は豊かな祝福を得ます。多くの人がそうであるようにと祈ります。
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  • あなたがたのために(ルカによる福音書 2章(2))
    「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」
    (ルカによる福音書2章10節~11説)
    ベツレヘム近郊の羊飼いに告げられた言葉をよく見て考えてみましょう。誰にとってこのニュースは喜ばしいのでしょうか。おめでとうと言われているのは誰なのでしょうか。「民全体」は厳密にはイスラエルの民のことでしょう。しかし、ルカによる福音書が持っている救いの広がりから考えると、すべての人びとと理解することができます。
    その中には野にいる羊飼いも含まれます。当たり前のようですが、実は、羊飼いは放牧のために安息日を十分に守ることができないため、厳格な人びとからは民の一員と見なされていなかったのです。でも、神はそのような区別をなさいません。このお方は「あなたがたのために」生まれてくださったのです。救い主誕生のニュースは、救いの外にいると思われていた人にとっても、大いなる喜びです。
    ですから、おめでとうと言われているのは私たちなのです。子ども賛美に「うれしい楽しいクリスマス」という歌詞があります。そのうれしさ、楽しさは神が人類に与えられた大きなプレゼントである救い主の誕生という事実があればこそのものです。何とうれしいことでしょうか。
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  • 主の貧しさによって(コリントの信徒への手紙二 8章)
    あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
    (コリントの信徒への手紙二8章9節)
    主イエスの降誕について、まずは物質的な貧しさを先に考えますが、比較すべきは、天で本来持っておられた栄光との差です。地上という場に限定されることも、嬰児の姿であることも貧しくなることであり、へりくだりの姿であったからです。
    もちろん、この貧しさの中には十字架の上で何もかもはぎ取られたことや、死んで墓に葬られたことも含まれます。何かの本で「人が生まれてくるのは生きるためである」という言葉を見かけたことがあります。しかし、主イエスは、人の罪を背負って死ぬために、そうして、神の御旨を行なうために、生まれてくださいました。そのために貧しく生まれてくださったのです。それは、人として勝ち取ってくださった義という富を私たちに与えるためです。
    クリスマスの讃美歌は明るい曲調のものが多いのですが、わたしには悲しげに思える曲調のものもあります。救いがいよいよ成ったという喜びと共に、「主よ、申しわけありません」という気持ちも覚えます。主の貧しさをしのびつつ、主によってもたらされた富の価値、救いの価値を覚えましょう。
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  • 飼い葉桶に眠る御子(ルカによる福音書 2章(1))
    彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
    (ルカによる福音書2章6節~7節)
    ローマ帝国が行った人口調査は、住んでいる町で行うのが一般的であったようですが、ユダヤでは部族や氏族が重要であったため、先祖の町で登録することになったようです。命令する側は簡単ですが、身重の者、子どもや老人は大変な思いをしたことでしょう。庶民が政治に翻弄されている姿があります。
    小さなベツレヘムは人で溢れ、客間はすべて先約でいっぱいになっていました。馬小屋は夜間に牛や羊を野の獣や泥棒から防ぐ目的で入れておくべき所で、このあたりに多い洞窟の一つではなかったかと言われています。
    それにしても何という貧しい姿でしょうか。敷き布団の代わりとなったのは干し草であり、飼い葉桶が揺りかごであったのです。バリトン歌手の今仲幸雄さんが『クリスマスオラトリオ』を説明して、バッハは主イエスの貧しさをせめて音楽で飾りたかったのではないか、と言っておられたことを思い出します。
    私たちの救い主が誰よりも貧しい境遇にお生まれになったことに感謝いたしましょう。このような方であるから、私たちを思いやることがおできになる救い主なのです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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