リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 苦難の意味(詩編 119編(3))
    卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
    わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。
    あなたの口から出る律法はわたしにとって
    幾千の金銀にまさる恵みです。
    (詩編119編71節~72節)
    どんな苦難も、その苦難そのものだけが、人を苦しませるのではありません。実はその苦難に意味が見いだせないことこそが苦しい、ということがあります。たとえ苦しくても、意味が見いだせるなら、耐えることができ、希望を失うことはありません。
    この詩編は、苦難の意味を語ります。それは苦難によって人が神の前に卑しめられることにあると言います。苦難の中でこそ、人は自分が無力な小さな者であることを知らされます。ここではじめて人は砕かれ、低くされます。ここでこそ神の前における自分とは何者なのかを見つめ、神を求める者とされます。そのようにして神の愛と慈しみを知る者とされます。
    「病まなければ
    ささげ得ない祈りがある
    病まなければ
    信じ得ない奇蹟がある
    病まなければ
    聴き得ない御言葉がある
    病まなければ
    近づき得ない聖所がある
    病まなければ
    仰ぎ得ない聖顔がある
    おお 病まなければ
    私は人間でさえもあり得なかった」
    (河野進牧師の詩)
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  • あなたの掟に従う道(詩編 119編(2))
    主よ、あなたの掟に従う道を示してください。
    最後までそれを守らせてください。
    あなたの律法を理解させ、保たせてください。
    わたしは心を尽くしてそれを守ります。
    (詩編119編33節~34節)
    詩人は、「あなたの掟に従う道を示してください」と願います。さらに「あなたの律法を理解させ、保たせてください。わたしは心を尽くしてそれを守ります」と心を込めて祈っています。そこには詩人の深い思いが込められていると言えるでしょう。詩人は、「掟に従う道」と言うように、神の教えを知っているだけでなく、その教えに聞き従って生きることを教えてください、悟らせてくださいと願っています。
    私たちが陥る誘惑は、戒めを言葉としては知っていることに満足し、その戒めに従って生きているかという自己吟味を怠ることです。詩人は、自分をよく知る人でした。主に導かれることがなければ、とっくに恵みの道から外れる自分に気付いています。わたしには主の教えの道が備えられているからこそ、わたしに与えられているものが何なのかを、もっともっと教えてくださいと願っています。
    救いは、ただただ主イエスからの恵みによります。そして、救われた者は、祝福として、掟に従う道を歩みます。守れないことを悔い改めこそすれ、掟に生きる喜びを手放すことはありません。
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  • まったき道を歩む幸い(詩編 119編(1))
    いかに幸いなことでしょうまったき道を踏み、主の律法に歩む人は。いかに幸いなことでしょう主の定めを守り心を尽くしてそれを尋ね求める人は。
    (詩編119編1節~2節)
    詩編の中で最も長い119編は、(アルファベットによる詩)と記されています。日本語ではイロハ歌です。
    そこでは「いかに幸いなことでしょう」で始まっています。そしてその幸いは主の律法(トーラー)、に生きることであると言います。果たして人はどのように生きるべきでしょうか。誰もがまったき道を歩みたいと願います。けれども、「正しい者はいない。一人もいない」のです(ロマ3章10節)。そのとおり、私たちは弱く、誰も律法を完全に守ることはできません。むしろ、ここで求められていることは、「心を尽くして」歩むことです。これは二心なく、思いを一つにして主にお仕えすることを目指すものです。
    詩編119編で「定め」、「命令」、「掟」、「道」などが繰り返されるのは、まさに御言葉と共に生きるところに私たちの幸いがあるからです。律法を確実に全うすることが、幸いを得る条件ではありません。私たちは、今日も御言葉が与えられていることを、なによりも主に感謝し、祈りつつ、願いつつ歩むようにと招かれています(7、8節)。そこにこそまったき道を歩む幸いが開かれていくからです。
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  • 主の日は私たちにとって何か(アモス書 5章)
    災いだ、主の日を待ち望む者は。主の日はお前たちにとって何か。それは闇であって、光ではない。
    (アモス書5章18節)
    きょうの聖句では、主の日は神の裁きの日、罪に対する審判が下される恐るべき日です。それは闇であって光ではないと言われます。
    旧約時代、主の民であるイスラエルは、主が自分たちの神なのだから、必ず敵から守っていただけると信じていました。しかし、それに安住して、主に服従せず、自分の生き方を顧みることもせず、心が主から離れてしまっていました。この民に対して、主は大変厳しく臨まれました。
    イスラエルの人びとは、ついに主が自分たちを敵から救ってくださる「主の日」が来ることを期待していました。しかし、主の日は裁きの日、闇がもたらされる日となることをアモスは語ったのでした。
    主イエスは、私たちの罪のために十字架にかかり、死んでくださいました。この主イエスによる罪の赦しを信じる私たちにとって、主の日はやがて完成される救いを待ち望む喜びの日です。
    今日、主の日は裁きの日でなく、主キリストの復活と、救いの恵みに感謝して礼拝を献げる喜ばしい日です。心からの感謝をもって礼拝しましょう。主イエスにあって主の日を待ち望む者は幸いです。
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  • その御名は万軍の神なる主(アモス書 4章)
    見よ、神は山々を造り
    風を創造し
    その計画を人に告げ
    暗闇を変えて曙とし
    地の聖なる高台を踏み越えられる。
    その御名は万軍の神なる主。
    (アモス書4章13節)
    主なる神は、すべてのものをお造りになった全能者です。山々も、風も、闇も光も神の御手によるものです。この万物の創造主は、万軍の神または万軍の主、とも呼ばれるお方です。「万軍の神なる主」とは、天体も含むすべてのものを支配しておられる主、という意味が込められています。
    今日では、旧約聖書の時代とは比べられないほど学問が進歩して、特に天文学では、宇宙の姿が描き出されています。そういう時代に生きている私たちは、果てしない宇宙の壮大さを知れば知るほど、万軍の神の偉大さと、そのお力のすばらしさを味わうことができるのです。
    しかし、壮大な宇宙も漠然と存在しているのではありません。人の救いと神の御国の完成へと向かうご計画を神はお持ちです。
    そして主なる神はそれを罪深い私たち人間に、預言者を通して告げてくださいます。神が主であられ、救いのご計画があることを私たちに知らせてくださいました。そうして神の御名をあがめる道へと私たちを招いておられます。万軍の神なる主の御名をあがめましょう。
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  • 預言の確かさ(アモス書 3章)
    まことに、主なる神はその定められたことを
    僕なる預言者に示さずには
    何事もなされない。
    獅子がほえる
    誰が恐れずにいられよう。
    主なる神が語られる
    誰が預言せずにいられようか。
    (アモス書3章7節~8節)
    主なる神は、諸国民に対して大変厳しい裁きの言葉をお語りになりました。イスラエルの人びとは、選ばれた民ですから、特に厳しく主から罰せられます。
    ここで預言者は自分と主との関係について語ります。主は、預言者たちを用いて、人の言葉でお語りになります。旧新約聖書を通して、主なる神は、この世とそこに生きる人間に対する御心を明らかにしてこられました。
    狭い意味では預言者といえばこのアモスや、イザヤ、エレミヤ、といった人たちのことですが、広い意味ではアブラハムも(創20章7節)、ダビデも預言者と呼ばれます(使2章30節)。
    神は、このような預言者たちを通してその御心を告げ知らせておられます。私たちが知るべきこと、知って益となることはすべて明らかにされています。
    預言者は確実に神の言葉を私たちに告げてくれました。それは聖書に完結しています。この確かな御言葉が私たちの手に届くところにあることは、本当に幸いなことです。きょうも神の語りかけに聞くことができるように祈りましょう。
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  • 男の子誕生の予告(イザヤ書 9章)
    ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
    ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
    権威が彼の肩にある。
    その名は、「驚くべき指導者、力ある神
    永遠の父、平和の君」と唱えられる。
    (イザヤ書9章5節)
    この箇所は、変えようのない過去や、確実に起こる未来を意味する完了形で書き記されています。前後関係からここは未来のことを言っています。
    この男の子が誰のことなのかで議論があり、王の即位式の歌だと考える人までいますが、多くの人は当時の人物ではなく、未来に到来する救い主の予告であると理解して来ました。
    「名」と言っているのは、名前そのものではなく、なされることに対してつけられる尊称・肩書きのことです。それにしても何という内容でしょうか。「驚くべき指導者」とは、誰の助言をも必要としない最高の指導者を指します。「力ある神」という言葉は、このみどり子が大能の神ご自身であられることを、驚きをもって表現しています。「永遠の父」は、このお方が、永遠に民の保護者であることを、最後の「平和の君」は平和を保つように統治されるお方であることを指します。
    イザヤ書の指し示す、このような救い主が生まれてくださるというすばらしいニュースです。心からの喜びと感謝をもって私たちもお迎えしようではありませんか。
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  • 最初の出会いへと(マルコによる福音書 16章)
    「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
    (マルコによる福音書16章7節)
    マルコによる福音書は、主イエスの復活物語を、空になった墓の出来事を記すことで終えています。そのとき弟子たちに伝えられたメッセージは、復活された主イエスが弟子たちより先にガリラヤに行かれ、そこで彼らを待っておられるというものでした。ガリラヤは主イエスと弟子たちの出会いの場所であり、彼らの活動の出発点となった所でした(マコ1章9節以下)。ガリラヤで始まりガリラヤで終わる物語は、復活まで読み進むと、最初に戻ってもう一度を読み返すようにと指示しているかのようです。
    聖書を繰り返し読むことを通して、私たちは聖書の言葉から新しい発見をすることができるはずです。聖書の言葉自身は変わっていなくても、聖書を読む私たち自身が、主イエスによって日々変えられているからです。私たちは、変えられていくなかで、主イエスが私たちと共に生きておられることを実感します。この福音書に復活の主イエスの姿が描かれていないのは、読者が既に復活の主と出会っていることを前提にしているからかもしれません。復活の主と出会った最初の日々を思い起こしましょう。
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  • キレネ人シモンの出会い(マルコによる福音書 15章)
    そこへ、アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
    (マルコによる福音書15章21節)
    処刑のためゴルゴタまで歩まれる主イエス。すでに多くの体力を消耗し、十字架を負う力を失っていた主イエスの姿を見たローマ兵は突然、彼の負っていた十字架を通りすがりの一人の男に負わせようとしました。当時のユダヤの人びとにとってローマ兵の命令は絶対で、逆らうことは許されていませんでした。
    十字架を負わされたのはキレネからエルサレムにやって来たシモンという男でした。福音書はこの男を「アレクサンドロとルフォスの父」と、わざわざ家族の名前を挙げて紹介しています。それは、彼の家族の名前が、この福音書を読む人びとによく知られていたからだと言われています。また、パウロを支えた協力者の中に、ルフォスとその母親が紹介されていますが、彼らも同一人物と考えられます(ロマ16章13節)。
    そうだとすれば、この時、シモンに起こった突然の出会いが、その後の彼と家族の行方を大きく変えることとなったということになるでしょう。きょう、御言葉を通し十字架の主イエスと出会う時、この出会いもまた私たちと家族を大きく変える出来事となるに違いありません。
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  • 高価な香油(マルコによる福音書 14章)
    「この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。」
    (マルコによる福音書14章8節)
    「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか」。高価な香油を主イエスの頭に注いだ一人の女性の行為に対しての人びとの反応は冷ややかで、批判的なものでした。彼女の行為の本当の価値を知っておられたのは、主イエスだけだったのです。おそらく彼女の行為を「無駄遣い」と言った人は、主イエスの十字架の死も、「無駄死に」としか思えなかったのではないでしょうか。
    私たちの神への奉仕の価値を決めるのは主イエスご自身であって、私たちの行為を好奇心で眺めている他の人びとではありません。もし、私たちが人の評価を気にしてしまうなら、私たちは自分の奉仕の本当の目的も、またその価値も見失ってしまいます。私たちのために十字架で命を献げてくださった主イエスの愛の御業への感謝が、奉仕を生み出します。主への感謝がなければ、私たちの奉仕には何の価値もありません。
    主イエスの愛を見つめて生きる私たちの奉仕は、たとえそれが小さな業であったとしても、主イエスはその業を「高価な香油」として受け取ってくださいます。きょう、私たちは誰を見つめて一日を始めようとしているでしょうか。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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