リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 恐れず迎え入れなさい(マタイによる福音書 1章)
    主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
    (マタイによる福音書1章20節~21節)
    ヨセフは何を恐れたのでしょうか。それは「マリアを迎え入れ」ることでした。ヨセフはマリアから身を引こうとしました。自分はもう関われないと思ったのでしょう。
    ところが神は天使を彼のもとに送って、「マリアを迎え入れることが正しいことなのだ。そうしてくれることが救いを実現することなのだ。あなたにはとびっきりの役目があるのだ」とおっしゃいます。
    ヨセフがエジプトで母子を守ったことや、生活を支えたことはよく知られています。また、ヨセフは王族の末裔だったので(1章16節)、ダビデ王の血筋を長男イエスに継ぐという大切な役目を託されたのです。ヨセフは神の救いの計画にこのような形で参与するとは考えてもいなかったでしょう。王族であっても一介の庶民に過ぎなかったからです。でも神はヨセフに積極的にこの計画に加わるようにと促しています。
    わたしはここにクリスマスをもたらすための神の細やかな配慮を見ます。神の計画では小さな一つも一人もおろそかにされることはありません。ですから、私たちは様々な恐れを捨てて、神のご計画に参与しましょう。
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  • 山々はぶどうの汁を滴らせる(アモス書 9章)
    見よ、その日が来れば、と主は言われる。
    耕す者は、刈り入れる者に続き
    ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。
    山々はぶどうの汁を滴らせ
    すべての丘は溶けて流れる。
    (アモス書9章13節)
    主の日は闇であって光ではないと、主は語っておられました。その日を待ち望む者は災いだ、と(5章18節)。
    しかし、9章の「その日」(複数形)は神がイスラエルの廃墟を復興してくださる時です。収穫の後には再び畑は耕され、ぶどうの種を蒔けば豊かに実を結び、人びとを潤します。そうしてイスラエルの繁栄も回復されます。主は、イスラエルの罪のゆえに激しい怒りを注がれますが、憐れみをも注いでくださり、荒れ果てた町を再建してくださるお方なのです。
    ところで、新約聖書の視点から読むと、イスラエルの繁栄の回復とは、歴史的、地理的に国土を持つこの世の国のことではありません。主イエスにとって「わが民イスラエル」とは、ある国土、ある民族に限定されるものではなく、「まことの主の民」のことです。その民は、水をぶどう酒に変えることさえできる救い主によって集められます。そうして主の民として幸いな日々を歩ませていただけるのが、今日、主を信じて生きる民、私たちなのです。
    その民は、主が植えられるのですから、もう再び、引き抜かれることはありません。
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  • 小さな町ベツレヘム(ミカ書 5章)
    エフラタのベツレヘムよ
    お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
    お前の中から、わたしのために
    イスラエルを治める者が出る。
    彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
    (ミカ書5:1)
    ミカは、ベツレヘムにイスラエルを治める新しい王が誕生すると預言しています。人びとはこの預言を時代が変わっても、状況が変わっても、まだかまだかと待ち続けました。
    エルサレムの南方8キロメートルにあるこの町は、今でも大きな町ではありません。近くには羊飼いの野と呼ばれる場所があり、羊の放牧がなされている様子を見ることができ、牧歌的雰囲気を味わえます。しかし防備のない町は、当時の社会では無力で、アッシリア帝国の侵入を前にして風前の灯火でした。そのような中でダビデ家につながる「永遠の王」が与えられると告げられています。
    人びとはこれから7百年待ったのですが、神は約束を決して破られません。キリストの誕生によってこれは現実となりました。そしてこの方は、単なる現実の助け以上の、より大きな祝福をもたらしてくださいます。永遠のお方が来て、永遠の王になってくださいました。
    このことをお祝いするクリスマスまであと一週間です。さあ、心からキリストをお迎えする準備をいたしましょう。
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  • わたしの聖書(詩編 119編(6))
    主よ、わたしの叫びが御前に届きますように。
    御言葉をあるがままに理解させてください。
    わたしの嘆願が御前に達しますように。
    仰せのとおりにわたしを助け出してください。
    (詩編119編169節~170節)
    ふと目にとまった本の1節。「聖書は読むものではなく、味わうものです。神様から私たちへの愛の手紙なのですから」。
    わたしが今、手にしている聖書は、神学校に入学する前、教会のご婦人に図書カードを頂き、新しく購入したものです。それから、7年と少しの時が経ち、美しかった装丁はずいぶんとくすんだ色に染まり、めくるページはずいぶんとくたびれたものになりました。そのような聖書を眺めることが毎朝のわたしの喜びです。初めて、わたしが教会に足を踏み入れた時、年配の方が鞄から大切そうに、愛おしそうに出される聖書の重厚さが目に焼き付いています。その聖書に、わたしの聖書も一歩ずつ近づいているような気がして嬉しい。
    この聖書はわたしの叫びを知っています。わたしの祈りを、嘆願を知っています。そうして、わたしは、あの日よりわずかでも、御言葉をあるがままに味わえるようになったのか。そうぼんやり考えながら、それでも、神の愛が、わたしから片時も離れることがなかったと、また嬉しくなって、きょうも聖書の言葉を追いかけています。
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  • 健やかな弱さ(詩編 119編(5))
    わたしは口を大きく開き、渇望しています。
    あなたの戒めを慕い求めます。
    わたしの目は川のように涙を流しています。
    人々があなたの律法を守らないからです。
    (詩編119編131節、136節)
    神と、その教えが軽んじられている、それが、この詩編を取り巻いている世界です(136節)。しかし、その愚かしい世界の中にも、神のために涙を流す、そのような健やかさを持つ人びとがいます。しかも、そこで流されている涙は、「川のように」、絶え間なく、終わりがなく、透き通っている、そういう悲しみを湛えるものです。
    その人びとに、世界を直接、変革させる力があるわけではありません。神の教えを大きな声で叫ぶ、そういう勇ましさがあるわけでもありません。むしろ、彼ら・彼女らは、この世界の中で魂を渇かせ、倒れ込んでしまいそうな弱い存在です。深い深呼吸をするように御言葉を身体に浸み込ませなければ、この世界の中に吸い込まれていきそうな弱い存在です。人びとは、神のために涙を流すことしかできません。しかし、そのような涙を、かつても、今も、これからも、世界はどれほど必要としているでしょうか。私たちは、このような人びとでありたい。
    神の憐れみは弱き者の涙に注がれ、世界はいまだ愚かしさに染まりきらない、そうわたしは信じています。
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  • ひと足、またひと足(詩編 119編(4))
    あなたの御言葉は、わたしの道の光
    わたしの歩みを照らす灯。
    (詩編119編105節)
    私たちは、今、混迷と不安の時代を生きています。幼い子どもたちから年老いた人に至るまで、これからどう生きていけばよいのかわからなくなっています。深い闇、悩みの中を歩んでいます。
    しかし、そのような私たちにきょうの詩編は「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯」と語りかけます。聖書の言葉には力があり、確かさがあります。聖書に聴きながら生きるなら、人生の道を違えることはありません。
    では、聖書の言葉が「わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」であるとは、どのような光のことを言っているのでしょうか。もしかすると、まばゆいばかり、遠い将来まではっきりと照らすようなとても強い光を思い浮かべるかもしれません。しかし、この光は、「灯」と語られています。闇の中の一歩先を照らすだけの灯です。しかし、それでよい、それで十分なのです。
    「行く末遠く見るを願わじ主よ、我が弱き足を守りて、ひと足、またひと足、道をば示し給え」(讃美歌288)。
    神よ、きょう、わたしが行く道を御言葉によって照らしてください。
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  • 主なる神の記憶の中に(アモス書 8章)
    主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
    「わたしは、彼らが行ったすべてのことを
    いつまでも忘れない。」
    (アモス書8章7節)
    主なる神は、イスラエルの人びとの行いが不正に満ちていることをご覧になって、厳しい裁きを語り続けておられます。人びとは、神を軽んじて商売を優先し、日常生活の中には偽りとごまかしと無慈悲が溢れていました。
    そのようなイスラエルの人びとの行いを、主はいつまでも忘れない、と言われます。主は聖なる正しいお方ですから、人間の罪をそのままにして、適当に水に流す、ということをなさいません。主の前には、人びとの言葉も、隠れて行ったどのような業も明らかです。主はそれらを決して忘れることがない。これは一面非常に恐ろしいことです。
    しかし同時に主は人の罪を赦すお方でもあります。人の罪をすべて見通しておられる主の前から隠れることはできませんが、罪を告白して赦しを求める者には、憐れみを施してくださいます。
    そのことは、御子キリストによって明らかになりました。神の記憶の中にある私たちの罪を、神はキリストと共に十字架につけてくださいました。贖い主キリストに依り頼む人を、主はあたかもその人の罪を忘れたかのようにみなしてくださるのです。
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  • 神の言葉の前にへりくだる(アモス書 7章)
    ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「イスラエルの家の真ん中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。」
    (アモス書7章10節)
    ベテルは旧約時代の重要な聖所でした。エルサレムの北、国境を超えたすぐのところにあります。イスラエルが南北王国に分裂してからは、北イスラエル王国の聖所として、エルサレムに対抗するようになっていました。
    祭司アマツヤは、聖所ベテルで預言するなとアモスに命じます。アモスが王国に対する裁きの言葉ばかり語るからでした。
    北イスラエル王国はアモスの語るすべての言葉に耐えられない、とアマツヤは言います。「耐えられない」とは、受け入れられない、受け止められない、という意味です。
    アモスの言葉は神からの言葉です。神が預言者を通して語っておられるのに、それを受け止められず、受け入れられない。これが北イスラエル王国の神の前にある姿でした。神に仕えるはずの祭司でさえ、そうだったのです。
    神の言葉は、私たちの世界と日常生活の中に鋭く切り込んできます。罪を認めて悔い改めよ、と迫ります。それを人間は受け止められず、聞くに耐えない、と言います。しかし、御言葉に聞いてへりくだることの中に真の幸いがあることを知りましょう。
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  • 主なる神が誓われる(アモス書 6章)
    主なる神は御自分を指して誓われる。
    万軍の神なる主は言われる。
    わたしはヤコブの誇る神殿を忌み嫌い
    その城郭を憎む。
    わたしは都とその中のすべてのものを敵に渡す。
    (アモス書6章8節)
    主なる神が誓いをなさるときは、ご自身よりも偉大な者がいないので、ご自身にかけて誓われます(ヘブ6章13節)。主は誓われることを、確実に実行されます。
    ここで主は北イスラエル王国をヤコブと呼び、その都にあるすべてのものを敵に渡すと誓われました。イスラエルが敵の手に渡されることは避けられません。
    イスラエルの人びとは、自分たちは神の民であるから、敵の手に陥落することなどないと思っていたことでしょう。しかし主は彼らの行いをすべて見ておられ、彼らが公平も真実も嫌い、弱者を踏みつけ、賄賂を取っていることをご存じです。そのような者たちへの裁きを、主はあえてご自身を指して誓われるほどに必ず実行されます。
    しかし主なる神がご自身にかけて誓って実行されることは、裁きだけではありません。主はアブラハムへの祝福を誓われました(ヘブ6章14節参照)。この約束は決して取り消されません。罪を裁かれる主は、その民の救いも、誓いによって必ず実現してくださいます。悔い改めて主に立ち帰る者を必ず赦してくださいます。
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  • エッサイの根株から(イザヤ書 11章)
    エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
    その根からひとつの若枝が育ち
    その上に主の霊がとどまる。
    知恵と識別の霊
    思慮と勇気の霊
    主を知り、畏れ敬う霊。
    (イザヤ書11章1節~2節)
    今、この瞬間にも世界の各地に紛争があります。争いのない平和がいつ来るのだろうかと絶望的な気分になることもしばしばです。人間の知恵だけで平和の構築を果たそうとすると、どうしても限界を感じてしまいます。
    イザヤがここで述べていることは、エッサイの根株から生える若枝が樹立する平和な王国とその統治です。にわかには信じにくい光景かも知れませんが、野生の世界でさえ、もはや支配することも、されることもありません。そうだとすれば、人間どうしはなおさらなのです。
    ここで大切なことは、その統治をなさる「若枝」の持っている資質です。それらは「主の霊がとどまる」ことによってもたらされます。「知恵と識別の霊」は裁判をする時に必要とされる能力で、「思慮と勇気の霊」は実行する能力があることを示します。しかし同時に「主を知り、畏れ敬う」という宗教的側面でも十分な人物です。
    このようなお方が打ち立てる平和こそが、真の解決です。この平和は、武力によるのではなく、福音によりもたらされ、小さな若枝から芽生え、世界を覆います。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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