リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
Download on the App Store

リジョイス聖書日課 episodes

  • 主の民にふさわしい業(アモス書 2章)
    2章
    (アモス書2章4節)
    主は、まずペリシテ人の町々、そしてエドム、モアブ、アンモンなどの近い関係にある人々への審判を語られました(2章3節まで)。彼らに対する裁きの理由は、他者への憐れみの情を捨てたことや、そのあまりの残虐さです。非人間的な、非道徳的な行いに対しての裁きでした。
    しかし、主の民であるユダに対しては、理由が違います。主の教えを知っていたにもかかわらず、その教えを拒んだこと、偽りの神に惑わされたことがその理由でした。
    主の御言葉を聞かされていなかった者には、人間としての一般的な道徳観を基準にしてその罪を指摘されますが、主の民に対しては、主の御言葉を基準にして語られます。
    真の神を知らされた者には、それにふさわしい業が求められています。
    私たちは、主の御言葉により自分の罪を明らかにされています。しかし神は、主イエスによって私たちに憐れみを施してくださいました。罪を悔い改めて主に依り頼むことこそ、主の民にふさわしい業なのです。
    0 min
  • 神の裁きの宣告の前で(アモス書 1章)
    主はこう言われる。
    エドムの三つの罪、四つの罪のゆえに
    わたしは決して赦さない。
    彼らが剣で兄弟を追い
    憐れみの情を捨て
    いつまでも怒りを燃やし
    長く憤りを抱き続けたからだ。
    (アモス書1章11節)
    主イエスがお生まれになる7百年以上も前のことです。羊飼いだったアモスは、主から召し出されて神の御心を人々に告げました。当時、宗教的にも社会的にも多くの罪を犯していた人々に、アモスは神の正義と裁きを語りかけます。彼はイスラエルに対してだけでなく、諸国民へも神の厳しい裁きを宣告します。
    きょうの御言葉は、その中のエドム人たちに対するものです。彼らはヤコブの双子の兄エサウの子孫ですから、イスラエルの人たちとは兄弟関係にあります。具体的な事情は不明ですが、そういう関係にあるのに、憐れみの情を捨てて憤りを抱き続けたことを決して赦さない、と主は言われます。民族と民族の間の対立、いがみ合い、殺し合いは今日も相変わらず続いています。同じ神によって造られた人間同士にもかかわらず、剣で敵を追い回し、殺し合う。ここにも人間の罪が現れています。
    このような人間の罪を裁かれる神は、人間の罪を贖われるお方でもあります。神の厳しい裁きの御言葉の背後に、罪を取り除こうとされる神の御心を聞き取りましょう。
    0 min
  • 慰める者はどこに(ナホム書 3章)
    お前を見る者は皆、お前から逃げて言う。
    「ニネベは破壊された
    誰が彼女のために嘆くだろうか。」
    お前を慰める者はどこを探してもいない。
    (ナホム書3章7節)
    富と力に満ちたアッシリアは人々の恐れの対象であり、同時に羨望の的でした。しかしそのアッシリアが滅ぼされる時、かつては恩恵を受けようとすり寄ってきた国々は逃げ去ります。富と力を失ったアッシリアに存在価値はないと言わんばかりです。その首都ニネベがどれほど惨めな状態になっても、「誰が彼女のために嘆くだろうか」、「慰める者はどこを探してもいない」と言われるのです。
    17節には「お前を守る部隊…お前の将軍たちは…日が昇ると飛び去り、どこへ行くのかだれも知らない」とあります。アッシリアは永遠の虚無の世界、無限と思われる孤独の中に放り出されてしまいます。
    しかしこういう悲惨な現実の中で示されているのは、「神だけは知っておられる」「神だけは慰めてくださる」ということです。このナホム書は、虚無の中にいる人たちに慰め(ナホム)を与えるために書かれた書物です。そしてこの慰めは、イエス・キリストがこの世に来てくださったことによって私たちに現実のものとなりました。
    0 min
  • インマヌエルの到来(イザヤ書 7章)
    それゆえ、わたしの主が御自ら
    あなたたちにしるしを与えられる。
    見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
    その名をインマヌエルと呼ぶ。
    (イザヤ書7章14節)
    イザヤのよく知られる預言の言葉です。「男の子」は主イエス、「おとめ」はマリアのことを示す、クリスマスの出来事を表す言葉として教会は読んできました。
    果たして7百年先を見通して語られているのかは疑わしいという議論があります。しかし、ユダヤ教でさえ、この時代だけに関係するとは考えられていないようです。時間を超越する言葉として読むほうが自然です。
    ここでは、神が人と共に住むという意味のインマヌエル預言が語られています。しかも「おとめが身ごもって男の子を産む」というしるしを伴うと言われます。この子は常識ではあり得ない到来をします。さらにこの子はインマヌエルという神的な不思議な存在です。このようなお方は私たちの主イエス・キリスト以外にはおられません。
    きょうからアドベントに入りました。世の中は既にクリスマス一色になっています。しかし、主を信じる私たちはクリスマスを、年中行事として祝うのではありません。大きな祝福を与えられる時として祝い、備えます。御言葉によって、ワクワクさせられながら待ち望みます。
    0 min
  • 目を覚ましていなさい(マルコによる福音書 13章)
    「だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたにはわからないからである。」
    (マルコによる福音書13章35節)
    かつて「宗教はアヘンだ」と言った人がいます。しかし、主イエスは私たちの目を現実から引き離して幻想を見させるのではなく、「目を覚ましていなさい」と警告されています。「目覚めていること」それは、きょう主イエスが再臨されたとしても、それでよしという1日を私たちが送ることです。
    きょう、私たちの心を支配しているものは何でしょうか。そのために大切な人生の時間を使うことは本当に正しいことなのでしょうか。私たちは自分の人生のために必要なものが何であり、またそうでないものが何であるか分からないまま、混乱してきょうと言う大切な1日を送ろうとしてはいないでしょうか。そんな私たちに主イエスは「目を覚ましていなさい」と勧めてくださいます。私たちは「きょう、主イエスが来てくださっても大丈夫。きょう、私の命が取り去られることになっても、大丈夫」と言えるでしょうか。私たちがそう言えるために、この朝、主イエスの御言葉をもう一度心に留めながら、きょうの1日をどのように過ごすべきかを考えてみましょう。
    0 min
  • やもめが持っていたもの(マルコによる福音書 12章)
    イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。」
    (マルコによる福音書12章43節)
    女性の自立が困難であった時代、夫に先立たれたやもめは最も弱く、貧しい存在と考えられていました。そのやもめが神殿でささげたレプトン銅貨は当時の貨幣で最も小さい単位で、それは誰にも顧みられることもないわずかな金額でしかありませんでした。しかし、その献金を主イエスは「だれよりもたくさん入れた」と評価してくださったのです。
    私たちはこのやもめがレプトン銅貨以外に何も持っていなかったことに目を注ぎがちですが本当にそうでしょうか。実はこのやもめは他の人が持っていなかった大切なものを持っていたのです。それは神への信頼です。だから彼女が持っていたこの神への信頼が、その献金の姿勢に表されたと言えるのです。
    「ただ神により頼む人々は、幸いだ。天の国はその人たちのものだから」(マタ5章3節、共同訳)。私たちは自分の生活の中で足りないものだけに目を注ぎがちです。しかし、何も持っていなくても、この神への信頼を持っていることこそが、私たちにとって最高の幸せと言えます。
    0 min
  • 主がお入り用なのです(マルコによる福音書 11章)
    「もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」
    (マルコによる福音書11章3節)
    ろばは王様を載せるのにはふさわしくない動物です。戦いに勝利した英雄たちは馬に乗ることで人々にその勇ましい姿を示そうとします。ろばは人々の重荷を担う動物です。だから人々の重荷を担うためにやってこられた救い主イエスの姿を示すのには最もふさわしい動物であったと言えます。
    昔、ある有名な牧師の信仰の証しを読んだことがあります。そこにはこの「子ろば」の話が記されていました。彼は「主がお入り用なのです」という御言葉を、自分に語られた神の言葉として受け取り、自分の人生を主のために献げようと決心し伝道者になったと語られていました。
    「まだだれも乗ったことのない子ろば」。今までこの子ろばは誰からも必要とされることがありませんでした。しかし、今、この子ろばを必要とされる方が現れました。しかも、その方は救い主として人類を救う御業を実現させるためにこの子ろばを必要とされているのです。
    主イエスはきょう、私たちにもこの言葉を語ってくださっています。「主がお入り用なのです」。
    0 min
  • 良い知らせを伝える(ナホム書 2章)
    見よ、良い知らせを伝え
    平和を告げる者の足は山の上を行く。
    ユダよ、お前の祭りを祝い、誓願を果たせ。
    二度と、よこしまな者が
    お前の土地を侵すことはない。
    彼らはすべて滅ぼされた。
    (ナホム書2章1節)
    敵国アッシリアに虐げられてきたユダの人々にとって、アッシリアの首都ニネベが陥落するという預言は「見よ、良い知らせ」と叫ぶべきものでした。この章にはニネベが滅ぼされる様が写実的に描かれています。それはユダにとって嬉しい描写だったことでしょう。しかし間もなくユダもエジプトに脅かされ、ついにはバビロンに滅ぼされることになるのです。ですから敵国アッシリアの滅びの預言は自らの滅亡の前触れに過ぎませんでした。
    最終節の14節でも「見よ」という言葉が出てきます。そこでは万軍の主が「わたしはお前に立ち向かう」と言われます。「お前」とはニネベを指すと同時にユダのことでもあり、また神に逆らう私たちであるとも言えるでしょう。
    神の裁きは私たちの敵に向かう時には「良い知らせ」となりますが、自分自身にも向かうものともなります。主イエスはその私たちが受けるべき裁きをご自分の身に引き受け、私たちを滅びから救ってくださいました。これこそすべての人々に伝えられるべき真の「良い知らせ」です。
    0 min
  • 主の忍耐と罰(ナホム書 1章)
    主は敵に報復し
    仇に向かって怒りを抱かれる。
    主は忍耐強く、その力は大きい。
    主は決して罰せずにはおられない。
    その道はつむじ風と嵐の中にあり
    雲は御足の塵である。
    (ナホム書1章2節~3節)
    ユダの人々はアッシリアに経済的にも宗教的にも抑圧されていました。私たちもさまざまな苦しみにあいます。その時、神に祈ります。しかしどんなに祈っても神が一向に動いてくださらず、不義をも放置されているかのように思われることがあるのではないでしょうか。
    しかし神は神に敵対する者を「決して罰せずにはおられない」方です。悪を放置し続けることは神の義に反するからです。ですから神が悪を行うアッシリアの首都ニネベの滅びを預言なさるのは当然のことです。しかし同時に神は「忍耐強く」(3節)、「恵み深く」(7節)あられます。滅びの時を先延ばしにして、人々が罪から立ち帰るのを待たれます。このように神は裁きを行われると同時に恵みを与えようとなさるお方なのです。
    私たちはこの神のご性質の一方だけしか見えなくなることがあります。そして、神に対して怒りや苛立ちを抱いてしまいます。自分の思いや願望を後退させて神のなさることに道を明け渡し、心から神への信頼に生きようではありませんか。
    0 min
  • 新しい契約(ネヘミヤ記 13章)
    またわたしはレビ人に、身を清めて門を守り、安息日を聖とするように命じた。
    わたしの神よ、このことについてもわたしを心に留め、あなたの大いなる慈しみによって、わたしを憐れんでください。
    (ネヘミヤ記13章22節)
    ネヘミヤ記は、再建された城壁の喜ばしい奉献式では終わりません。なお改革が必要だったことを、最後の章に記します。この章の出来事の正確な時期は分かりません。しかし、ネヘミヤがエルサレム不在の時に、神殿は汚され、安息日は守られず、禁じられていた異民族との結婚が行われていました。新しく歩み始めたはずなのに、また神に逆らうことをしてしまうのです。エルサレムに帰還したネヘミヤは、それらに対し断固たる処置をとります。
    イスラエルの民の歩みはいつもそうです。神の恵みによって新しく歩み始めたかと思うと、また神に逆らってしまう。それは一つには、人間の罪深さということがあるでしょう。それと共に神殿や律法に基づく改革には限界がありました。神に立ち帰り神と共に歩むためには、新しい契約が必要だったのです。
    主イエス・キリストの十字架と復活によって、神に立ち帰り、神と共に歩む新しい道が開かれました。キリストに依り頼むならば、大胆に神に近づき、神と共に歩めます。新しい契約の恵みの中を歩んでいきましょう。
    0 min

About リジョイス聖書日課

From the publisher's feed

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

More shows like リジョイス聖書日課

3分でわかる!聖書 by 中川健一

3分でわかる!聖書

6 Listeners

聖書人になりたい by kannokazuhiko

聖書人になりたい

1 Listeners

聖書プロジェクト BibleProject by BibleProject

聖書プロジェクト BibleProject

0 Listeners