リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 喜び・感謝・賛美(ネヘミヤ記 12章)
    その日、人々は大いなるいけにえを屠り、喜び祝った。神は大いなる喜びをお与えになり、女も子供も共に喜び祝った。エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた。
    (ネヘミヤ記12章43節)
    城壁の再建は、7章で完成していました。しかし、城壁の完成そのものが目的ではありません。神殿の再建、礼拝の整備、悔い改めと誓約、住まいを定めること、そのようにして、神の民として再出発することこそが目的です。それが整えられてきたからこそ、12章で城壁の奉献の儀式がなされます。
    二つの大きな合唱隊が、城壁の上を左右に分かれて行進します。二つの隊は神殿で合流し、賛美が献げられます。人々はいけにえを屠り、喜び祝います。奉献式の中心は、神が成してくださったことを喜ぶことです。27節は「奉献式と喜び(私訳、新共同訳は「祝典」)を行う」となっています。43節では「喜び」という語が5回(原文)も用いられています。「エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた」とあります。神の民たちは、神が成してくださったことを喜び、感謝し、賛美します。それが神の民の姿です。
    きょうも礼拝で、神の成してくださったことを喜び、感謝し、賛美を献げましょう。神がそうさせてくださいます。
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  • 永遠の命は神からの賜物(マルコによる福音書 10章)
    イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にはできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
    (マルコによる福音書10章27節)
    主イエスのもとを訪れた一人の金持ちの男。彼は地位や財産など、この世で得られるありとあらゆるものを手に入れました。しかし、彼の心は満たされてはいませんでした。どうしても手に入れることができなかったものがあったからです。
    「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」。男は自分が手に入れたくても手に入れることのできない永遠の命を求めて、主イエスの前にやってきました。しかし彼は、残念ながら主イエスの前を悲しみながら立ち去ることになります。「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」という主イエスの言葉に、彼は従うことができなかったからです。
    この男の誤りはどこにあったのでしょうか。それは永遠の命を、財産や地位と同じように、自分の力で獲得できるものだと勘違いしていたからです。しかし、永遠の命の祝福は神から与えられる恵みの賜物です。主イエスは永遠の命を、彼を信じて、従う者たちに喜んで賜物として与えてくださいます。
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  • 主が与えてくださる信仰(マルコによる福音書 9章)
    イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
    (マルコによる福音書9章23節)
    「信じます。信仰のないわたしをお助けください」。この父親の言葉は論理的に矛盾しています。どうして、信仰のない者が「信じます」と言うことができるのでしょうか。
    この父親は悪霊に苦しむ息子を助けるために、今まで必死に生きてきたのでしょう。少しでも可能性があるならばどこにでも息子を連れて行ったはずです。しかし、それはいつも裏切られました。今回、父親は一縷の願いを持って息子をイエスの弟子たちのもとに連れてきました。しかし、父親の期待はここでも裏切られてしまいます。弟子たちは息子を支配する悪霊に手も足も出ない無力な醜態をさらすしかなかったのです。父親が今まで経験したすべての体験が彼から「信じます」と言う力さえ奪ってしまったでしょうか。
    実は私たちは誰も自分では「信じます」と言う力を持っていません。そして、そのような私たちが「信じます」と言えるのはすべて主イエスの恵みの御業のおかげです。主イエスは今日も信じることができない私たちに、信仰を与えてくださるお方です。
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  • なお「しるし」を求めるのか(マルコによる福音書 8章)
    ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた。イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」
    (マルコによる福音書8章11節~12節)
    主イエスはさまざまな奇跡を行って自らが神から遣わされた救い主であることを明らかにされました。とりわけ二度繰り返された大いなる給食の奇跡は意味深いものでした(ヨハ6章参照)。しかし、ファリサイ派の人々は執拗に天からのしるしを求めてきました。主イエスを信じ受け入れる気持ちが初めからないのです。そのような不信仰な態度に、主は「決してしるしは与えられない」と拒絶されました。
    現代人の多くも依然としてしるしを欲しがっています。しるしを求めることがなかったとしても、「もし神がいるなら」、「神が愛なら」と問いかけています。このような疑問が出てくる世のさまざまな問題はたしかにあります。けれども忘れてならないのは、それをつくり出した原因は私たち人間の罪にあって、神の責任では決してないということです。
    主イエスは「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」(マタ16章4節)とも明言されました。キリストの十字架の死と復活の出来事こそ、昔も今も永遠に変わらない、確かで揺るぎのない天からのしるしです!
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  • 罪からの回復(ネヘミヤ記 11章)
    民の長たちはエルサレムに住んでいた。ほかの民はくじを引き、10人のうち1人が聖なる都エルサレムに来て住み、残りの9人が他の町々にとどまるようにした。民は、進んでエルサレムに住むすべての人々を祝福した。
    (ネヘミヤ記11章1節~2節)
    この章は、城壁再建後の住民のリストです。3節から19節までがエルサレムに住んだ人々のリストで、20節から36節までが他の町々に住んだ人々のリストです。エルサレムに住む者は、民の長たちのほか、くじを引いて10人のうち1人を選んだとあります(1節)。また、民は進んでエルサレムに住むすべての人々を祝福したとあります(2節)。エルサレムに住むことは、何か特別の意味があったようです。
    それ以外の人たちは、ユダのすべての町で、それぞれ住んだとあります。その地域は「キルヤト・アルバ」(25節)、「ベエル・シェバ」(27節)まで至ります。かつてヨシュアに率いられて、初めてカナンの地に入って行ったときのことを想い起こさせられる領域です。
    城壁が再建され、エルサレムは聖なる都(1節)とされ、神の民たちがそこを中心に、約束の地に広がって行く姿を見ることができます。バビロン捕囚から、着実に回復していくのです。
    神は、大きな罪からも、回復させてくださいます。
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  • 新しく歩む(ネヘミヤ記 10章)
    そのまことに貴い兄弟たちに協力するものであり、神の僕モーセによって授けられた神の律法に従って歩み、わたしたちの主、主の戒めと法と掟をすべて守り、実行することを誓い、確約するものである。
    (ネヘミヤ記10章30節)
    8章で礼拝が行われ、律法の朗読がなされ、仮庵祭が祝われました。それに応答するようにして、イスラエルの民は9章で罪を告白し、10章で新しく歩む誓約をします。あくまで、主の赦しと恵みが先にあって、新たに歩むことができるのです。
    10章は1節から30節までが誓約をした者たちのリストです。31節から40節までが、誓約条項です。この誓約条項は、異民族と結婚しない、安息日を守る、神殿のために献げ物をする、という三つにまとめることができます。細かく見ていくと、今までの律法にはなかった条項もあります。たとえば、「薪の奉納」(35節)は律法には特に言及がありません。それらの条項は、律法全体の精神を汲んで、今の自分たちの状態に合わせて、解釈・適用させたものということができます。そのようにして、神の恵みに応答して従っていこうと決意しました。
    今日でも御言葉が語られ、それが解釈され適用されます。私たちは神の民として、イエス・キリストの救いの御業に応答して、新しく歩んでいきます。
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  • 主を喜び祝う(ネヘミヤ記 9章)
    イスラエルの血筋の者は異民族との関係を一切絶ち、進み出て、自分たちの罪科と先祖の罪悪を告白した。彼らは自分の立場に立ち、その日の4分の1の時間は、彼らの神、主の律法の書を朗読して過ごし、他の4分の1の時間は、彼らの神、主の前に向かって罪を告白し、ひれ伏していた。
    (ネヘミヤ記9章2節~3節)
    9章と10章は一対になっています。9章で罪の告白をし、10章では神との契約が更新されます。過去の罪の告白と未来への約束とも言えるでしょう。9章は過去の罪の告白です。その中で、31節までは「彼ら」という言い方で、先祖の罪を語ります。32節から終わりまでは「わたしたち」という言い方で、先祖に続く自分たちの罪を告白します。
    そのような罪の告白の中で強調されるのが、イスラエルを見捨てない神の恵みと憐れみです。17節では「あなたは罪を赦す神。恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに溢れ、先祖を見捨てることはなさらなかった」と語ります。ここに記されている「恵みに満ち」、「憐れみ深い」、「忍耐強い」、「見捨てない」という言葉があちらこちらに記されています。そのような神であるからこそ、罪人は悔い改めることができます。
    イスラエルの罪の歴史と憐れみ深い神の姿は、他人事ではありません。私たちも罪の告白を新たにし、神の憐れみを受け、新たにお従いしていくのです。
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  • 主を喜び祝う(ネヘミヤ記 8章)
    エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。
    (ネヘミヤ記8章5節)
    城壁の再建工事が完成すると、ユダヤの民は集まって一つとなり主を礼拝します。エズラによって律法の書が朗読されます。レビ人は、律法を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解します。今日でいう聖書の解き明かしとしての説教です。
    律法の言葉を理解した民は、嘆いたり泣いたりしました。律法の言葉を通して、バビロン捕囚に至ってしまった民の罪を深く自覚したのでしょう。しかし、礼拝は嘆きでは終わりません。ネヘミヤとエズラは言います。「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(10節)。それゆえ、「まことに大きな喜びの祝い」(17節)である仮庵祭が、そのあと続いて祝われるのです。
    礼拝は、悔い改めと共に、主の赦しと恵みを覚える喜びの時です。深い罪の自覚と共に、恵み深い赦しの喜びを味わうのです。十字架を見上げるとき、そこに罪の悲惨さを目の当たりにして、悔い改めへと導かれ、同時に神の赦しの豊かさを味わい知る者とされます。
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  • 主イエスの口止め(マルコによる福音書 7章)
    そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れ…天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。…すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。
    (マルコによる福音書7章33節~35節)
    「耳が聞こえず舌の回らない人」を癒されるにあたって、主イエスは細やかな配慮をされました。まず群衆の中から彼を連れ出して不安を取り除き、そして彼の両耳に指を差し入れ、また唾をつけて彼の舌に触れられ、天を仰いで、神がこれから何をしてくださるかを理解させようとしました。それは愛のボディ・ランゲッジ(手話)でした。
    ふと、映画『奇跡の人』で見た感動的なシーン、少女ヘレン・ケラーがサリヴァン教師の手話によって心の目を開かれる場面が思い起こされます。ここでは、それに遥かにまさる驚きと感動を与える奇跡が行われたのです。
    しかし主イエスは人びとに口止めをされました。何よりも奇跡の意味と主イエスご自身が正しく理解される必要があったからでしょう。人びとのこのような反応は今日も殆んど変わりません。
    それだけに、聖霊によって心開かれ(エッファタ)、神の愛と真理を本当に知った者は黙しているわけにいかないでしょう。自ら積極的に出て行き、どのような妨げの中でも、喜びをもって主の御業を「ますます言い広め」ます。
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  • あのヨハネが、生き返った(マルコによる福音書 6章)
    「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」…ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。ヘロデが…その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。
    (マルコによる福音書6章14節~16節、20節)
    洗礼者ヨハネの殉教の次第が記されています。ヘロデ王の妻ヘロディアが唆してそうなったことですが、王自身は、ヨハネの教えに当惑しながらも喜んで聞いていたとあり、ヨハネ殺害後も心穏やかではなかったでしょう。主イエスの噂を聞いて「あのヨハネが、生き返ったのだ」と思いました。それは迷信に過ぎませんが、彼に対する神のたしかな裁きでもありました。
    洗礼者ヨハネの使命は人びとにキリストを指し示して道を整えることでした。その使命に忠実に生きて、彼は牢獄で突然斬首されることになりました。しかしこのヨハネの最期は、主イエスの死に固く結び付いていて、言わば先駆けとなるものでした。人びとの間で主イエスの業が「ヨハネが生き返った」と受けとめられたことも、まるで復活を先取りするかのようです。
    神の救いのご計画に挫折や失敗があるはずはありません。ヨハネの生涯と使命がそうであったように、たとえ私たちの祈り願った通りにならなくても、神を信じて行った労苦が空しくされることは決してないのです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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