リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神が成功させてくださる(ネヘミヤ記 2章)
    そこでわたしは反論した。「天にいます神御自ら、わたしたちにこの工事を成功させてくださる。その僕であるわたしたちは立ち上がって町を再建する。あなたたちには、エルサレムの中に領分もなければ、それに対する権利も記録もない。」
    (ネヘミヤ記2章20節)
    荒廃したエルサレムの再建を願っていたネヘミヤに、機会が訪れます。王はネヘミヤの願いを受け入れ、エルサレムに行くことを許します。エルサレムに着いたネヘミヤは、城壁を調べ、自分の目で確かめた上で、ついにユダの人びとに呼びかけます。「エルサレムの城壁を建て直そうではないか」(17節)。人びとは奮い立って、いよいよ再建の事業が始まります。
    しかし、同時に妨害者が現れます。ネヘミヤの活躍やエルサレムの再建によって、自分たちの立場が損なわれてしまう者たちです。彼らはネヘミヤたちの企てをあざ笑い、さげすみ、中傷します。これからの事業に暗雲をもたらすかのようです。
    しかしネヘミヤは動じません。「天にいます神御自ら、わたしたちにこの工事を成功させてくださる」。エルサレム荒廃の悲しい知らせを受けて以来、ネヘミヤは祈り続けています。そして、行く末に恵み深い神の御手を覚えています。「神の御手が恵み深くわたしを守り、…彼らは…この良い企てに奮い立った」(18節)。神のための働きは、神が成功させてくださいます。
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  • 宗教改革の心(2)~ただ信仰のみ(ハバクク書 2章)
    「神に従う人は信仰によって生きる。」
    (ハバクク書2章4節)
    預言者ハバククの苦悩は、自分が信じてきた神についての認識が揺さぶられたことにありました。
    律法が無力となり正義が曲げられているにもかかわらず、神は助けてくださらない。それどころか冷酷なカルデア人を用いて、ご自分の民を懲らしめようとなさる。何が正しいのか、信仰の拠り所をどこに置けばよいのか…。
    私たちの信仰は、時に、神を縛ろうとするかもしれません。神ならきっとこうなさる、こうするはずだと。しかし、それは私たちの頭で考えた神、偶像に他なりません。真の神は生きておられる方です。苦難に遭おうがすべてを失おうが、神は神です。人間の思いを超える形で、裁きを与え、救いをもたらす方。
    神を信じるとは「神」を信じることであって、私たちの考えや業を信じることではありません。義人は、このような信仰(信頼)によって生きるのです。
    宗教改革記念日は、プロテスタントの正統性を記念する日ではありません。想像を絶する仕方で私たち罪人を救ってくださる生けるキリスト、その驚くべき恵みを仰いで喜び讃える日なのです。
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  • 宗教改革の心(1)~十字架に生きる(マタイによる福音書 4章)
    そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
    (マタイによる福音書4章17節)
    「私たちの主であり師であるイエス・キリストが『悔い改めよ』と言われたとき、彼は信仰者の全生涯が悔い改めであることを意味されたのである」。
    1517年10月31日、ドイツはヴィッテンベルク教会の門扉に張り出されたという『95箇条の論題』の第一論題は、右のような文章でした。この問題提起をしたのは、神学教授として聖書注解を始めて間もない一人の修道士、マルティン・ルターという人です。
    主イエスがお命じになった「悔い改め」とは、決して教会の儀式にあずかれば済むというものではなく、私たちが生涯自分の罪と格闘しつつ十字架に生きることではないかと、ルターは訴えました。
    この主イエスの言葉の前に、福音書は荒れ野の誘惑の記事を記しています。ルターの時代の教会は、まるで悪魔にひれ伏したかのように、御言葉を濫用してはこの世の栄華を求め、安価な「平安」は説くものの十字架が語られてはいませんでした。
    真の悔い改めと平安は十字架を信じ、十字架に生きることにある。それがルターの心に宿った確信なのでした。
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  • 神の子キリストなのだから(マルコによる福音書 1章)
    それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
    (マルコによる福音書1章12節~13節)
    わたしが洗礼を受けたのは高校3年生の時でしたが、不安に思うことがありました。それは、もし昔あったような迫害が起こった時、自分は果して大丈夫だろうかということでした。
    迫害の歴史を振り返ると、文字通りに野獣の餌食とされ殉教した人が大勢います。しかし主イエスを信じて生きる道は、「主は強ければ、われ弱くとも恐れはあらじ」(讃美歌461番)と歌われる幸いな人生です。私たち人間は本当に罪深く弱いもので、誘惑に負け失敗することも多々あります。昔イスラエルの民も荒れ野で何度失敗を繰り返したことでしょうか。しかし主イエスは真に私たちを救うため人となって来られた神の子です。サタンは繰り返し「もし神の子なら」と巧みに誘惑してきましたが、主イエスは即座にきっぱりと神の言葉をもって退け、十字架の死に至るまで御心に従い完全に勝利されました。
    この勝利の王キリストがやがて栄光のうちに御使いたちを従えて来られ、「狼は小羊と共に宿り…」(イザ11章6~10節)と預言された真に平和に満ちた世界が実現します。
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  • わたしが命じた事を守るように教えなさい(ユダの手紙 )
    愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。
    (ユダの手紙20章~21章)
    「キリストの完全な贖いがあるから、罪を犯しても赦されるし、これによって神様の救いの栄光がますます称えられる」との異端的な教えが早くも初代教会の中にあらわれてしまった。パウロもペトロも主イエスの弟のヤコブもこれを取り上げている。「霊魂だけが永遠に生き、肉体は関係ない」との主張はギリシア哲学の一種にもあった。
    ここでは、主イエスの弟ユダが、この考え方を徹底的に断罪して、救いの完成の日を待ち望みながら、主のきよい目的や掟を思い起こしながら、信心深い生活に励むように勧めている。
    このような御言葉によって私たちには主イエスがお育ちになった家庭の環境をいくらかでも、想像することができる。主イエスは、「神の掟を守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる」とおっしゃり、「わたしが命じておいた事をすべて守るように教えなさい」と弟子たちに使命を託された。私たちも、ただ主の憐れみと恵みによってのみ救われた者として、感謝に溢れ、主の愛の掟をいつも大切にして、救い主の再臨に備えたいと願う次第である。
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  • ガイオへ(ヨハネの手紙三 )
    愛する者よ、あなたは、兄弟たち、それも、よそから来た人たちのために誠意をもって尽くしています。彼らは教会であなたの愛を証ししました。どうか、神に喜ばれるように、彼らを送り出してください。
    (ヨハネの手紙三5章~6章)
    教会とは、神の御子イエスをキリストとして信じる者たちの集いであり、礼典を大切に行い、信仰告白を基とした集いです。そこには、神と聖徒との関係があり、また、聖徒と聖徒との関係があります。聖徒は神に対して真実に生き、聖徒や隣人に対して忠実さを示します。教会で行われていることは、神の救済を伝え、味わうこと、証しすることです。
    ヨハネの手紙三を受け取ったのはガイオという人でした。彼のことは、1節後半で、「わたしは、あなたを真に愛しています」と書かれているように、使徒ヨハネがよく知っている人物でした。彼は神を真に信仰し(3節)、聖徒や隣人を愛し、仕えていた人でした(5~8節)。ガイオは、特に他教会から訪れた者らに誠意をもって尽くしていました。彼らは自分の教会に帰り、ガイオの奉仕に感激を受けたと証言します。そのこと自体が、教会を大きくしたわけではないにせよ、ガイオの働きは、聖徒たちには大きな喜びをもたらしました。
    教会は自分の会員を大切にするように、客員と求道者、誰であっても大切にする必要があります。
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  • 祈りから始まる(ネヘミヤ記 1章)
    これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。
    「おお、わが主よ、…わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください。」
    (ネヘミヤ記1章4節、11節)
    ユダの民たちが捕囚から解放され、ユダの地に帰り始めていたころのことです。ネヘミヤはペルシアに残り、献酌官という役割をもって王に仕えていました。そこへユダの地から来た人びとによってエルサレムの様子が伝えられます。ネヘミヤは、エルサレム神殿が、順調に再建されていると予想していたかもしれませんが、その知らせは悪いものでした。城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままだというのです。ネヘミヤは嘆き、断食をし、祈りをささげました。その祈りが5節から1章の終わりまで記されています。
    その祈りの最後のところに「この人の憐れみを受けることができるように」とあります。「この人」とはペルシアの王のことでしょう。ネヘミヤは、王の許しを得て、自分がエルサレムに行って再建することを考え始めていたようです。ここからネヘミヤの再建事業が始まります。
    ネヘミヤは何よりもまず、神に訴え、祈りました。そこから、新しい使命が始まったのです。きょうも、私たちが、どういう状況であったとしても、祈りから始めましょう。そこから新しい歩みが始まります。
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  • 希望の計画(歴代誌下 36章)
    「あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、上って行くがよい。神なる主がその者と共にいてくださるように。」
    (歴代誌下36:23)
    ゼデキヤ王は、王国を堕落させました。この王が、南ユダ王国最後の王となりました。主は傲慢な王に、裁きをくだされました。バビロンの王ネブカドネツァルを遣わし、神殿と町を破壊させ、生き残った者を捕囚としてバビロンへと連れ去らせました。
    しかし、主はお語りになります。「バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレ29章10、11節)。
    主はご自分の計画に心を留めているとおっしゃいます。それは必ずあなたがたを連れ戻すという、力強い希望の計画です。主の愛は揺らぐことはありません。「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ロマ8章28節)。主の救いの計画の中に私たちは召され、置かれています。主を信じ、共にきょうを生きましょう。
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  • とこしえに変わることのない神との結びつき(歴代誌下 35章)
    ヨシヤの他の事績および主の律法に忠実に従った行為の数々は、初期のことも後期のことも、『イスラエルとユダの列王の書』に記されている。
    (歴代誌下35章26節~27節)
    ヨシヤ王は、神との契約に忠実に生きる者として行動をし、その事績は記録されました。ヨシヤ王は律法に忠実な礼拝を整えるために、異教の祭壇をすべて壊しました。そして礼拝を回復するために、祭司たちを励まして、ふさわしい務めにつかせました。こうして、「預言者サムエルの時代以来」と言われるほどの盛大な過越祭が執り行われました(18節)。
    すばらしい功績を残したヨシヤ王。彼が主の御言葉に従い、主の契約に忠実であったのは、先だって主が契約に忠実であられたからです。「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに」(イザ55章3節)。
    主は招かれます、魂に命を得よ、と。あなたの人生をわたしが担う、あなたの命をわたしが救い出す、わたしのもとに来なさい、と。その招きは、今、主イエスによって私たちにもたらされています。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタ11章28節)。
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  • 主を畏れることは知恵の初め(歴代誌下 34章)
    『あなたが聞いた言葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。あなたはこの所とその住民についての主の言葉を聞いて心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。』
    (歴代誌下34章26節~27節)
    ヨシヤ王は、主の目にかなう行いをした王の一人として数えられます。このヨシヤ王の三代前の王ヒゼキヤがなした最大の貢献は、聖書に従って神殿礼拝をあるべき形へと整え、民の信仰を呼び覚ましたことでした。
    神殿修復の時に、祭司ヒルキヤは律法の書を発見します。それを書記官シャファンに渡しました。シャファンは王のもとに書を持っていき、そして読み上げました。ヨシヤ王はそれを聞くと、衣を裂きました。ヨシヤ王は、先祖が律法の書に書かれていることに背き、神の怒りを招いていたことを知り、深く悲しんだからです。主はその姿をご覧になって、「へりくだって衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた」と言われます。ヨシヤ王はそれから人を遣わして、ユダとエルサレムの人びとを集めて、彼らに、聖書の言葉をみな語り聞かせました。そして書に書かれている言葉を実行することを自らが誓い、そして、民らにも誓わせました。
    「主を畏れることは知恵の初め」((箴1章7節)。主は聖書を通して、その心を呼び覚ましてくださいます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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