リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 苦しみの彼方に(歴代誌上 9章)
    彼らは神殿の奉仕の職務について有能な人々であった。
    (歴代誌上9章13節)
    1章から始まった長い系図は9章で終わります。そしてサウルの記事に進んでいきます。9章の最後にサウルの系図がもう一度書かれていますが、ここには、厳しかったバビロン捕囚後、祖国に帰って来て、エルサレムに居住できた者たちが記されています。
    1節によれば、捕囚として連れ去られた理由が神に背いたこと、つまり偶像礼拝の罪によるのであることがわかります。それならば帰還の理由はなんでしょうか。主はペルシアのキュロス王を用いて不思議な方法で帰還の道を開かれました。特に最初に帰還を果たした祭司の数の多さを見るにつけ、主への礼拝の回復、主の栄光を表すことが強調されています。このことがエルサレムに帰還の道を開いたように思えます。
    私たち一人ひとりも主が示された地で懸命に生きています。そこには存在する意義や使命、理由がそれぞれにあるはずです。それらを受け止め、そこで精一杯主から賜った使命を果たしてゆきましょう。
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  • 信仰の継続と継承の大切さ(歴代誌上 8章)
    ネルにはキシュが生まれ、キシュにはサウルが生まれ、サウルにはヨナタン、マルキ・シュア、アビナダブ、エシュバアルが生まれた。
    (歴代誌上8章33節)
    8章はすべてベニヤミン族について記しています。33節にはイスラエルの初代の王であるサウルの名前が出てきます。そしてサウルの子たちの名前もありますが、彼らの名前の意味が興味深いのです。
    ヨナタンは「主なる神の賜物」、次男マルキ・シュアは「わたしの主なる王は救い」、三男アビナダブは「わたしの父は高貴」、四男エシュバアルは「バアルの人」という意味なのだそうです。長男と次男につけた名前を見ると、主への信仰のあついサウルであったことが分かります。
    しかし三男からは主に栄光を帰すのではなく、自分への賞賛に変わっています。四男に至っては異教の神バアルを賛美する名前になっているのです。初めの信仰を保てず、主から見離されてからのサウルは悲惨な生涯を終えます。あつき信仰を保ち続けることの如何に難しいことかと思います。
    信仰はたとえ、地味であっても、何よりも継続、そして次の世代への継承が大事であることを教えられます。
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  • 心が挫けるとき(詩編 143編)
    わたしの霊はなえ果て
    心は胸の中で挫けます。
    わたしはいにしえの日々を思い起こし
    あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
    御手の業を思いめぐらします。
    (詩編143編4節~5節)
    詩人は敵に命をねらわれ「わたしはさながら墓穴に下る者です」と絶望感をあらわにしています(7節)。人間的には助かる見込みがない中で、詩人の心は意気消沈していきました。「わたしの霊はなえ果て、心は胸の中で挫けます」と赤裸々に告白しています。
    信仰者でも激しい試練に直面するとき、どうしようもないほど心が沈むことがあります。直面している試練にだけ目を留めるならば、詩人のように落胆し、そこから抜け出せなくなってしまう弱い者です。
    ここで詩人がとった信仰回復の方法は非常に賢いものでした。それは、これまでに主がなしてくださった御業を思い巡らすということでした。彼の人生の中で主がなしてくださった驚くべき救いの御業、また歴史の中で主の民イスラエルになしてくださった御業、それらをひとつひとつ思い返し思い巡らしたのです。
    私たちも試練から目を離して、主が神の民に、そして私たちに何をしてくださったかを、御言葉をとおして黙想し、そこから希望と力をいただきましょう。
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  • 成し遂げられた(ヨハネによる福音書 19章)
    イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
    (ヨハネによる福音書19章30節)
    十字架は一番残酷な死刑の方法です。囚人を裸にして、木に釘づける。それだけと言えばそれだけです。一気に殺してしまわない。恥と苦しみの中に放って置く、長い痛みと苦しみ。のどの渇き、じわじわと味わわされる死。しかし肉体の苦しみもさることながら、主イエスにとっては父である神に捨てられるという恐ろしさがあります。
    罪のないお方が罪人として裁かれる。耐えがたい苦しみであったでしょう。十字架のメッセージは、何度でも新たに聞き直さなければなりません。それはわたしのための主イエスの愛であると。
    十字架の上で「成し遂げられた」と主イエスは言われました。神の御子が人となられた、苦しみの生涯を送られた、ついに罪人のわたしを救うため身代わりの十字架に架かってくださった。その御生涯の目的が今完成した、と。
    「頭を垂れ」、この言葉はもう一箇所でだけ使われています。ルカによる福音書9章58節「人の子には枕する所もない」、の「枕する」です。主イエスは十字架の上に今枕されました。安息なさったのです。私たちの救いが完成したからです。
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  • だれを捜しているのか(ヨハネによる福音書 18章)
    イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。
    (ヨハネによる福音書18章4節)
    「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(13章1節)。主イエスの最後の1日を、ヨハネによる福音書はこのように書き始めています。主イエスは御自分から十字架に向かわれました。逃げ場がなくて十字架につけられたのではなく、御自身の栄光と受け止めて、正面から向かい合われました。最後の夜を過ごされたゲツセマネの園に、敵たちが迫ります。
    「だれを捜しているのか」との主イエスの声は、あなたは正しい捜し方をしているのか、とわたしには聞こえます。正しい関係を持つように、と。それは自分の思惑、利害でのつながりか。十字架で結ばれる命と愛の関係なのか。
    かつて「あなたはどこにいるのか」と、神は罪を犯したアダムに呼びかけられました。神が捜してくださいました。今、主イエスはだれを捜しているのか、と呼びかけられます。罪を犯している兵士や祭司長に、いいえ、私たちに。
    御自分の血潮をもって買い取られた御自分の民たちを、主イエスはいつも求めておられます。
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  • 栄光の時(ヨハネによる福音書 17章)
    イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。」
    (ヨハネによる福音書17章1節)
    主イエスは「時が来ました」と言われます。十字架の時です。罪人を救うために主イエスを十字架につけるという神の救いのご計画の完成する時です。この日まで主イエスは「わたしの時は、まだ来ていません」と、たびたび言われました。その時が来ていませんでしたから、敵の誰も主イエスを捕らえることはできませんでした。けれどもついにその時が来ました。神の御子が、罪を一度も犯されなかったお方が、私たち罪人の身代わりとして罪人の頭のように十字架につけられる。それも、偶然の時の流れではなく、神が計画なさり、主イエスが選び取られた時として。
    それを主イエスは「栄光」と言われます。御子の栄光であるだけでなく、父なる神の栄光であると。栄耀栄華を求めるのでなく、私たちのために貧しさの極みの十字架につくことこそ主イエスの栄光と。なんということでしょう。罪人であるこのわたしの救いが神の栄光であるとは。それほど私たちを愛していてくださるのです。私たちを愛して、このうえなく愛し抜かれた(13章1節)、その表れが十字架なのです。
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  • その家が災いのさなかにも(歴代誌上 7章)
    彼は名をベリアと付けた。その家が災いのさなかに
    (ベラア)あったからである。…ラダン、アミフド、エリシャマ、ノン、ヨシュアと続く。
    (歴代誌上7章23節~27節)
    マナセとエフライムは、神の憐れみによるヨセフの子どもです。その子孫からモーセの後継者であるヌンの子ヨシュアが生まれます。系図には、ヨシュアの先祖ベリアが登場します。ベリアという名は、その父エフライムが付けたもので、「災い」という意味です。
    ベリアには二人の兄がいました。二人は、ガトで盗みを働いたために、殺されました。父は、喪に服し悲しみます。ベリアは、その中で身ごもられた子どもです(21節)。父は兄の罪への悔い改めの思いから名付けたのではないかと考えられます。
    兄の出来事は、名前が列挙されている中に書かれています。主は、父の執り成しと悔い改めを聞かれ、子孫を与えてくださいました。罪を赦すばかりか、ヨシュアを主のご計画の為に用いてくださいました。
    人類の歴史は、罪の歴史でもあります。私たちも罪の歴史を担う者です。その罪を思うと、身が縮みます。しかし、憐れみに富まれる主の前に悔い改め、自らをささげる者でありたいと願います。
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  • 主への賛美の尊さ(歴代誌上 6章)
    ソロモンがエルサレムに主の神殿を築くまで、彼らは幕屋、すなわち臨在の幕屋の前で詠唱者として仕え、その規則に従って任務に就いた。
    (歴代誌上6章17節)
    神の箱が幕屋に安置されたとき以来、ダビデによって神殿での詠唱者としてヘマンが任務に召されます。彼は「歌をうたう者」とか「歌い手」とも呼ばれています。この呼び名での表現で歴史の中に刻まれた人物でした。そして、この表現から彼の賜物、人格や人柄を推測できるのではないでしょうか。私たちも主の日、幕屋の前で、主を賛美する者として覚えられたら何と幸いなことでしょうか。礼拝の中での心からの賛美は主への祈りであり、素晴らしい献げ物なのです。
    詩編22編4節には「だが、あなたは聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方」と言われています。主の日にとどまらず、何時でも、どこでも主を賛美する者、主に向かって歌をうたう者として歩めたら何と幸いなことでしょうか。人生の海の嵐の中でも、晴れの日も雨の日も、ただ声を出すだけでなく、心から主に向かって賛美をささげましょう。宗教改革者マルチン・ルターはこう言いました。「賛美を歌おう、そして悪魔を退散させよう」と。
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  • 主の憐れみによる選び(歴代誌上 5章)
    彼の兄弟の中で最も勢力があったのはユダで、指導者もその子孫から出たが、長子の権利を得たのはヨセフである。
    (歴代誌上5章2節)
    5章には、ヨルダン川東岸ギレアド地方に嗣業の地を得た部族の系図と、大祭司とされたアロンの子らの系図が記されています。
    父祖イスラエル(=ヤコブ)の長男ルベンは、母ラケルの死後、その悲しみがまだ癒えない時期に、父の側女ビルハと床を共にしました。これは、父の家督の権を強奪する行為であり、家族の崩壊を意味します。このために、ルベンは長子の権利を失うことになりました。
    そこで、代わって長子の権利を得たのがヨセフです。ヨセフは、他の兄たちの妬みを買ってしまいます(創37章3、4節)。それで、彼は兄弟たちによってエジプトに奴隷として売られてしまいました。やがて、彼は神の守りを得て、高い地位を得、エジプトの大飢饉に備えました。
    本来、罪の故に祝福を得ることのできない私たちに、神はしばしば同様の計らいをなさいます。主イエスの愛と憐れみによって、神の子となる特権をお与えくださったばかりでなく、さらに、主の救いのわざのためにも用いてくださるのです。
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  • わたしの避けどころ、わたしの分(詩編 142編)
    主よ、あなたに向かって叫び、申します
    「あなたはわたしの避けどころ
    命あるものの地で
    わたしの分となってくださる方」と。
    (詩編142編6節)
    詩人は今、迫害者に追われています。安全な逃れ場はなく、また彼に同情し助けの手を差し伸べてくれる友もまったくいません。激しい孤独感にさいなまれています(4、5節)。
    しかし詩人の心は決して絶望しません。地上のいかなる場所も、いかなる助け手も彼の避けどころではないことを知っているからです。詩人の心は、まっすぐに彼の唯一の助け主、避けどころである、生ける主に向かい叫びます。「あなたはわたしの避けどころ、命ある者の地で、わたしの分となってくださる方」。
    カナンの地がイスラエルの各部族に分配されたとき、レビ人は土地ではなく、主ご自身を「嗣業」として受け取りました(ヨシュ13章33節)。詩人はこの表現を比喩的に用い、彼の分は地上のいかなるものではなく、ただ主ご自身である、と信仰告白をしているのです。
    主はどのような状況下にあっても、私たち信仰者にとって安全な避けどころ、またすべてとなってくださるお方です。主を受け継ぐことを光栄とし、生ける主に信頼して歩みましょう。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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