リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 世に勝っている(ヨハネによる福音書 16章)
    「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
    (ヨハネによる福音書16章33節)
    きょうの御言葉は14章から続いてきた主イエスの最後の説教、その結びの言葉です。主イエスがお話しされた、その目的は、「わたしによって平和を得るため」でした。そうです。その平和を味わうことこそ、私たちの人生の目的です。主イエスによってこそ、私たちは神との間に平和を得ることができます。ウェストミンスター小教理問答の第1問が私たちの人生の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことだと言っているのはこのことです。
    クリスチャンとして悩み多い毎日の生活です。また妥協してしまった。また誘惑に負けてしまった。それなのにどうしてそんなことが可能なのか。それは、主イエスが既に、世の事柄に勝利しておられるからです。主イエスにつながっている私たちは全員すでに勝利しているのです。
    どんなに弱いわたしであっても、大丈夫だよ、と言って頂けます。主イエスにある者は主イエスと共に「世に勝っている」のですから。世は神に敵対するものです。最後の敵は死です。けれども主イエスが十字架と復活によって勝利されましたから、私たちも勇気を出すことができます。
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  • ぶどうの木(ヨハネによる福音書 15章)
    「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」
    (ヨハネによる福音書15章5節)
    主イエスと私たちとの関係が、ぶどうの木と枝の関係に譬えられています。
    幹を離れた枝は、実りどころか生きていくこともできません。そのように、主イエスこそ私たちの命の源です。枝が幹に支えられているように私たちは主イエスに完全に支えられているのです。また、農夫がぶどうの枝に注意するように、神は私たちに対して一所懸命に世話してくださる、私たちが育ち、実を結び、豊かな収穫をもたらすように、絶えず見守っていてくださる、こう主イエスは教えていてくださるのです。
    私たちの内には何の強さも、霊的な生命力もありません。それらは全部、主イエスによって与えられるものです。主イエスとつながっていなくても十分やれるじゃないか、と言われるかも知れません。つながらない枝は切り花のようなものです。一時花が咲いても実ることはありません。
    主イエスを離れてはわたしには力も実りもないのです。主イエスとつながり、その間に生命的な流れがあって初めて実を結ぶことができ、天の御国を目指す望みを持つことができるのです。
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  • 御国への道(ヨハネによる福音書 14章)
    イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
    (ヨハネによる福音書14章6節)
    主イエスは御自身を「道である」と言われます。天の御国に行くための道筋であるとともに、方法・手だてをも意味しています。このお方なしではどうしても「そこ」に行くことはできません。
    「真理」は人が知らなければならない知識・知恵です。物理学や数学で言う真理ではありません。それらの一番深い基礎になる事柄、神に至る、天の御国に至る真理です。「主を畏れることは知恵の初め」(箴1章7節)、そういう、神に至る、天の御国に至る真理です。真理は一つ、このお方のみです。
    また、主イエスは「命」そのもののお方です。人だけではなく、天地万物の造り主であり、ことに永遠の滅びに陥るべき罪人を、御自身の命をもって救ってくださいました。私たちを死から命に移し替えてくださった命の主です。
    そしてこれらの事実は一つの方向に向かっています。「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」。賢さも、優しさも、よい行いも、天の御国に入れていただくのには役に立ちません。このお方による以外はないのです。
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  • 苦しみの彼方に…(歴代誌上 4章)
    母は、「わたしは苦しんで産んだから」と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。
    (歴代誌上4章9節)
    2章に続いて、ここではユダのもう一つの系図が記されています。何と言っても注目されるべき人は9節に出てくるヤベツでしょう。この祈りはヤベツの祈りというよりも、ヤベツに与えられた祈り、教えられた祈りと言えるでしょう。
    ヤベツに祈りを教えたのは、母親だと思います。ヤベツの母は人生の深い苦しみ、肉体の深い痛みを味わい、失意のどん底にいました。けれども、そこで主に祈りを献げ、神の助けに与り、無事に出産を終えることができたので、その恵み、主の計らいを忘れないために、あえて苦しみを意味する「ヤベツ」という名をつけたのかも知れません。
    そのとき、ヤベツの母を祈りに導いたのは、助け主である聖霊なる神でした。聖霊は母だけではなく、その子ヤベツに、そして私たちをも祈りに導かれるのです。聖霊ご自身は、同じ様に人生の苦しみを味わっている私たちのために、言葉に表せない呻きをもって今も執り成してくださいます。そして神はこの祈りに応え、万事が益となるようにしてくださるのです(ロマ8章28節)。
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  • ダビデの子孫からの祝福(歴代誌上 3章)
    ヘブロンで生まれたダビデの息子は次のとおりである。
    (歴代誌上3章1節)
    この章にはダビデの子らの名が記されています。先ず、ヘブロンで王位についた時の子たちの名が記されています。続いてエルサレムで王位を頂いた時のたくさんの子たちが続いております。人も羨むダビデ大王の子として生まれた子たちでした。
    しかし、信仰者の父のもとで恵まれた状況にありながら、それに感謝もせず、彼らの生き方は父の道を踏み外してしまいました。欲望の赴くままに生き、流血の災いを繰り返し、父ダビデの苦しみの種となってしまったのです。
    また、ダビデは、苦しみの中で、バト・シュアとの間で犯した自分の罪を悔い改め続けるしかありません。御心にしたがう敬虔な親と言っても、完全な親などいません。
    子どもも親も、自らが神の前にしっかりと立ち、自分の弱さと罪を認め回心しないならば、ダビデの子アムノンやアブサロム、アドニヤのように罪と悪を繰り返す者となるのです。
    私たちは、ダビデの子孫からの祝福を、主イエスから受けています。今一度、神の前に出て、霊による主イエスの子として歩ませていただける幸いに感謝を献げます。
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  • ユダの子孫からの祝福(歴代誌上 2章)
    ユダの子は皆で5人であった。
    (歴代誌上2章4節)
    この章にはイスラエル十二部族が最初に記されていますが、その後即座に北イスラエル王国ではなく、南の王国ユダにスポット・ライトをあてています。すなわちユダの系統の中に将来の希望の光を灯しているのです。ユダの子、ペレツ、ラム、そしてエッサイを紹介した後、ダビデとつながっていきます。
    このように聖書の中に系図が示されるときに、私たちは何を覚えるのでしょうか。そこには、人間の罪と汚れや弱さ、また善を行いたくても行うことができない人間の限界性を知るのです。しかし、そのような私たちにもかかわらず、神は御自身の憐れみを我らに注いでくださったことを覚えるのです。
    昔、アブラハムとその子孫とに結ばれた恵みの約束をお忘れにならずに、人間の現実の歩みの中に介入してくださいました。その歴史の延長線上の彼方に来るべきお方を通して私たちを救われるという祝福の光を見出すことができるのです。このように歴史の中に働かれる神の救いの約束に気づく者は、まことに幸いな人です。
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  • わたしの心を守ってください(詩編 141編)
    わたしの心が悪に傾くのを許さないでください。
    悪を行う者らと共にあなたに逆らって
    悪事を重ねることのありませんように。
    彼らの与える好餌にいざなわれませんように。
    (詩編141編4節)
    詩人はいま激しい試練に直面しています。逆らう者がわなをしかけ、彼を落とそうとねらっているからです。彼は主の速やかな助けを祈り求めています。
    しかし、そのような切迫した状況のなかでも、詩人の思いは冷静に彼の内側に向けられています。悪人の誘いに乗って、彼らと同じ道を歩んでしまう弱さを自身の内に見ています。そして、「わたしの心が悪に傾くのを許さないでください」と祈るのです。ただ主だけが彼の心を守り、御心にかなう歩みができるように恵みを備えてくださることを知っているからです
    私たちは誰かに苦しめられているとき、自己憐憫に陥り、冷静さを失い、その苦しみから助け出されることだけを祈り求めがちです。しかし、この詩人の最大の関心事は主との正しい関係であり、彼自身の心の健やかさでした。詩人は、主の道を歩み続け、常に主に喜ばれる者でありたいと願い、主の恵みをひたすら祈り求めます。この詩人の言葉の中に、真の信仰者としての深い霊性を感じとることができます。
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  • 愛の主イエス(ヨハネによる福音書 13章)
    さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
    (ヨハネによる福音書13章1節)
    過越祭はイスラエルの救いを一番具体的に、印象的に表すものです。イスラエルは過ぎ越しの小羊の血によって神の裁きの死を免れたからです。過ぎ越しは、はるかに主イエスの十字架の死を指さしています。
    それを主イエスは「御自分の時」と言われます。いつどのようにして苦しみにあい、死なれるのかを主イエスは知っておられました。それでもなお主イエスは十字架の道を歩まれます。主イエスの死は偶然でも、避けられなかった事故でもありません。主イエスは「御自分の時」として受け止められます。
    その上で「弟子たちを愛して、このうえなく愛し抜かれ」ました。主イエスの愛は御自分の命をかけての愛でした。十字架が間近に迫っているこのときでも、主イエスの心を占めているのは弟子たちへの愛でした。
    この愛こそ福音の中心です。主イエスは私たちを愛し抜いてくださる。いのちをかけて愛してくださる。私たちが弱くても罪深くても愛してくださる。この愛が私たちの救い、命、喜びなのです。
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  • 一粒の麦の恵み(ヨハネによる福音書 12章)
    「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」
    (ヨハネによる福音書12章24節~25節)
    今のわたしがあるのは、主イエス・キリストのおかげです。キリストに出会うまでのわたしは、自己中心的なまでに、自分を愛して生きてきました。自分さえよければ、他のことはどうでもよかったのです。また、聖書の話を何度聞いても、古い自分にしがみついたままで、新しくなろうと真剣に考えたことは少なかったと思います。自分に栄光を帰そうとする自分を憎み、心をすべて主にお委ねすることが、なかなかできなかったのです(25節)。
    しかし、そんなわたしを主は忍耐し、愛し続けてくださいました。自分だけを愛する生き方がいかに惨めであるかを知って、思い悩んだときに、主イエスは、十字架を指し示してくださいました。一粒の麦である主イエスが、わたしのために十字架について死んでくださり、すべての罪を赦してくださったことが、本当に分かったのです。
    一粒の麦である主イエスの恵みが、多くの実りを与えてくださいました。御子を賜わるほどに、神から大切にされている自分を心から喜び、これからも主を賛美し、主にお仕えしていきたいと思います(26節)。
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  • 死んでも生きる(ヨハネによる福音書 11章)
    「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
    (ヨハネによる福音書11章25節~26節)
    私たちは、涙ながらに神に訴えることが、時にあるのではないでしょうか。主よ、あなたがいてくだされば、こんなことにはならなかったのに。なぜここにいてくださらなかったのですか、と(21節、32節)。
    マルタとマリアの姉妹は、愛する兄弟ラザロの死を深く悲しみました。マルタとマリアも、彼女たちを慰めるために来た人たちも共に涙を流し、彼の死を悼みました。この涙の中には、人の力も、そして神の力さえも、死には打ち勝てないのだという諦めがあったのかもしれません。
    しかし、主イエスは、彼らと一緒に涙を流しながらも、死に対して真っ向から立ち向かわれたのです。そして、愛するラザロをよみがえらせてくださいました。
    私たちは、どれだけ涙を流しても、どれだけ叫んでも、死を命に変えることはできません。しかし、復活の主は、死んで終わることのない確かな命の喜びへと招いてくださるお方です。だから、どのような悲しみの中にも、主がいてくださることを信じることができます。そして、今日も生きる力と勇気が与えられています。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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