リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 最初のしるし(ヨハネによる福音書 2章)
    イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
    (ヨハネによる福音書2章11節)
    主イエスが最初のしるしをなさったのは、婚礼の席においてでした。結婚は、人生の大きな喜びの一つです。主はこの喜びの席に共にいてくださいました。しかし、その宴席で、困ったことが起こりました。準備していたぶどう酒がなくなったのです。喜びに水を差すたいへんな出来事でした。その時、マリアは、息子のイエスに何とかしてほしいと願います。しかし、主は願うだけではなく、主がなさることに、主の言葉に信頼することに招かれました。
    このとき、主の言葉に信頼し、それに仕えることによって、人びとは主の御業の素晴らしさを経験します。つまり、水がめに汲んだ水が、ぶどう酒に変わるというしるしをその目で見ることに導かれました。
    このしるしは、やがて来る「わたしの時」(4節)の前触れです。それは、主イエスが十字架について死なれる時のことを指し示しています。私たちも主を信じ、主の言葉に信頼して歩むとき、主の御業を経験します。欠乏や苦難の中で、なお主の言葉に信頼して生き、十字架を仰ぐとき、私たちも栄光を見ることに導かれます。
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  • 全能者への信仰(ヨブ記 34章)
    神が罪を犯すことは決してない。
    全能者は正義を曲げられない。
    (ヨブ記34章12節)
    エリフが、知恵ある者、知識ある者に語っています。彼はここでも、ヨブのこれまでの言葉を引用してその姿を厳しく問うています。エリフがここで繰り返し語っているのは、神こそ全能のお方であり、人はやがて塵に返るだけの存在だということです。
    神は罪を犯すことのない全能者(12節)、人の一歩一歩を見ておられる方(21節)、人を裁かれる方だと言われます(23節)。その方に対して、ヨブは自分の正しさのみを主張していると、エリフは問うのです。
    ヨブ記には、主なる神について「全能者」という言葉が多く用いられています。神は私たちのすべてを握っておられるお方であり、私たちの一歩一歩を見ておられます。また、世の権力者をもその座から引き下ろすことのできる全能の方です。
    エリフの言葉は間違いではありません。しかし、ヨブもまた神は全能の神、と信じていたでしょう。しかし、そのようにわかってはいても、苦悩し、嘆かずにはおれないのです。私たちにもその苦しみはわかるのではないでしょうか。このヨブを全能の神はお見捨てになりません。
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  • 私たちのための執り成しと代償(ヨブ記 33章)
    私たちのための執り成しと代償
    (ヨブ記33章27節~28節)
    エリフは、ヨブに向かって自らの心を率直に語ります。彼は、これまでヨブが語ってきたことを咎めます。そして、激しい苦難を味わう者に、一人の御使いを示します(23節以下)。
    この御使いは、苦難に呻く者のために神に執り成しをしています。また、滅亡に落とさないために、神が支払われた代償を見いだしました。この執り成しと代償によって、苦難に呻いていたこの人は新しくされ、若者よりも健やかにされるというのです。
    私たちにとっての健やかさがここにあります。27~30節を見ると、この苦しんでいた人は神によって滅亡から救い出されたことを喜び、命の光の輝きに包まれています。そしてこの人はこれまでの罪を悔い改めてもいます。
    このような神との関係こそ、私たちを健やかにするものです。罪人は私たちを神に執り成してくださる方、また私たちの身代わりとなってくださる方を必要としています。私たちにとってその方は、真の仲保者であられ、御自身を献げてくださったイエス・キリストです。この方によって、私たちも命の光の中を歩みます。
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  • 真実の言葉を語る(ヨブ記 32章)
    いや、わたしはだれの顔を立てようともしない。
    人間にへつらうことはしたくない。
    (ヨブ記32章21節)
    32章になり、突然エリフという人が登場します。彼はヨブに対しても、またヨブの三人の友人たちに対しても、憤りを覚えています。ヨブ記では、これまでには出てこなかったタイプの人です。
    おそらく、エリフはまだ若かったために、これまで年長者たちに意見を言うのを控えていたのかもしれません。しかし、ヨブと友人の討論にもはや黙っていることができず大胆に語りはじめます。彼はそのような自分について「腹の内で霊がわたしを駆り立てている」(18節)と言い表しています。
    霊によって彼が語ろうとしていることは、人の顔を立てることや、へつらうことではありません。彼は、苦難に喘ぐヨブの問題の核心について語ろうと決意しています。もし、自分がへつらう言葉を語るなら、神が自分を退けるように、とすら言います。
    神の霊に導かれて語る言葉は、真実の言葉です。へつらうことではなく、その人を生かす言葉です。私たちもきょう一日それぞれ遣わされた場所で、主イエスを証しする言葉を語る者にされたいと思います。
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  • 天上の礼拝を望みつつ(詩編 137編)
    バビロンの流れのほとりに座り
    シオンを思って、わたしたちは泣いた。
    (詩編137編1節)
    詩人は今、捕囚の地バビロンで静かに祈っています。エルサレム神殿での荘厳な礼拝を思い、あざける者たちの中で現在の状況を嘆いています。「どうして歌うことができようか。主のための歌を、異教の地で」(4節)。
    私たちの礼拝はどうでしょうか。エルサレム神殿の礼拝のように、力強い賛美が響いている教会もあるでしょう。けれど、自分の賛美の声だけが聞こえるような礼拝を守っている教会もあります。あるいは、礼拝の場に集うことができず、いつも一人の礼拝という方もいらっしゃるかもしれません。異教の地に生きる信仰者たちの嘆き、悲しみを私たちもまた経験しながら生きています。
    けれど、どんなに小さな祈り、賛美、礼拝でも、神はそこに目を注いでくださっています。神は、キリストを通して礼拝する者を求めておられ、その賛美と祈りを喜んで受け入れてくださいます。私たちの嘆き、叫びをも神は聞いていてくださいます。
    ですから、やがて加えられる天上の礼拝に思いを馳せつつ、今は、それぞれが置かれている場で、心からの礼拝をささげてまいりましょう。
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  • 来なさい。そうすれば分かる(ヨハネによる福音書 1章)
    イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。…イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。
    (ヨハネによる福音書1章38節~39節)
    自分たちの前を歩いておられる主イエスを、じっと見つめながらついていく弟子たちがいました。私たちもまた、主イエスの背を見つめながら、きょうも歩き続けます。主は、私たちのその眼差しに気付いてくださり、立ち止まり、振り向いてくださるのです。
    そして、呼びかけてくださいます。「何を求めているのか」と。主イエスに従いながらも、主のことが分からなくなることがあるかもしれません。そもそも、なぜ、今わたしは主イエスという方について行っているのかさえ分からなくなることがあるのです。
    しかし、主イエスは、言葉にならない私たちの思いを汲み取ってくださいます。「あなたはわたしの何を知りたいのか。わたしに何を求めているのか」と。主は、問いを私たちに投げかけながら、さらにおっしゃいます。「来なさい。そうすれば分かる」と。
    この主イエスのお言葉があるからこそ、安心して主に従うことができます。主に従えば、分かるのです。そして、いつも主に新しく出会えます(41節)。主が私たちの「救い主」であるとはどういうことかを、きょうも教えてくださいます。
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  • 励ましの祈り(ヘブライ人への手紙 13章)
    永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。
    (ヘブライ人への手紙13章20節~21節)
    この手紙は、迫害と艱難と戦いながら走り続ける信仰者に、大いなる救いの事実を見上げさせ、信仰の勇気を与え続けてきました。その上からの励ましが、最後の美しい祝祷に凝縮されます。
    神の栄光の反映である、神の御子イエス・キリストが、十字架で「永遠の契約の血」を流してくださり、私たちが命に至る道を開いてくださいました。この主が、憐れみ深い「大牧者」として、迷える「羊」である私たちを、完全な安息へと導いてくださいます。主イエスが「死者の中から引き上げられた」ことこそが、永遠の救いの契約が成就されたことの確証です。それゆえ私たちには、神との間に「平和」が与えられています。
    この「平和の神」が、世との戦いに疲れ果て、重荷を負う者たちに、永遠の平安を与えてくださいますように。どうかきょうも激しい戦いの中で、脱落せず、つまずかず、「御心」を行い、神の栄光を現すことができますように。
    この祝祷にあずかるとき、今の私たちも勇気と励ましを与えられます。この祝祷に送り出されて、きょうも走り抜きたいと願います。
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  • 今こそ、踏ん張り時(ヘブライ人への手紙 12章)
    また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。…エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。
    (ヘブライ人への手紙12章16節~17節)
    私たちは急に決断を迫られ、一気にその後の進退が決まるようなことに直面するときがあります。主イエスのもとに「正しい人を装う回し者」が現れます。彼らは主イエスの揚げ足を取るため、熟慮を重ねた抜け道のない質問を投げかけました。「ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか」(22節)。
    目の前に困難な現実が続くことで、自暴自棄になってしまって、神への信仰を投げ出してしまいたくなる時があるでしょう。しかし、たくさんの信仰の先輩たちが、まるで沿道からランナーを励ますようにして、私たちを囲んでいます(1節)。今が踏ん張り時だ、と。主イエスは「信仰の創始者また完成者」として(2節)、マラソンを始めさせ、走り抜かせてくださるトレーナーです。この方が、半歩先を一緒に走ってくださっています。
    このマラソンからの脱落者の例として、エサウが挙げられているのは興味深いことです。彼は、今すぐここでのインスタントな満腹を求めて、一番大事なものをやすやすと売り渡し、取り返しのつかないことになりました。私たちは、今すぐここでの快楽に流され、永遠の宝の希望から離れてしまうことがないようにしたいのです。
    苦しい時こそ、一歩一歩を刻むようにして、毎日こつこつと聖書を読み、お祈りをし、霊的に養われることを求めることです。その積み重ねが、あなた自身を変えてくれます。
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  • 神よ、答えてください(ヨブ記 31章)
    どうか、わたしの言うことを聞いてください。
    見よ、わたしはここに署名する。
    全能者よ、答えてください。
    (ヨブ記31章35節)
    「ヨブは語り尽くした」(40節)。彼は耐え難い試練の中にあって、自分のすべてを語り尽くしました。これまでヨブは、彼のもとを訪れた三名の友人から、自らの信仰を咎められてきました。無理解な友人たちに囲まれて孤独と絶望へと追いつめられたヨブは、ここで、自分はこれまで、これをしたことは決してない、あれをしたことは決してない、と神の前での潔白を繰り返し叫びます。
    ヨブがこれほど激しく訴える背後には、全能者である神に答えてほしい、という願いがあるからです。私たちが耐え難い苦しみに向き合わされるときも、自分の苦悩や悩みをそのまま神に注ぎ出すならば、それは神への信仰の始まりです。孤独と絶望の中で、ヨブは全能者を畏れつつ、この方にありのままにぶつかって行きます。そして、神はその叫びに答えてくださいます。
    神は私たち一人一人に、悟り得ない深い御旨を持っておられます。私たちは主イエスの十字架にある神の愛を信じるゆえに、幸いも不幸も神からのものと受け止めて歩みたいものです。
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  • あなたはお答えにならない(ヨブ記 30章)
    神よ
    わたしはあなたに向かって叫んでいるのに
    あなたはお答えにならない。
    御前に立っているのに
    あなたは御覧にならない。
    (ヨブ記30章20節)
    29章で「過ぎた年月」の繁栄を思い起こしたヨブは、30章では一転して、嘲笑を受けている「今」の自分を語ります。かつては人々から敬意を払われていた彼も、今は自分より若い者から嘲笑を受けています。
    しかし、ヨブにとって何よりも辛いことは、神に向かって助けを求めて叫んでいるのに答えがない、御前に自分が立っているのに自分に目を留めてもらえない、と彼が感じているところにあります。ヨブにとっての今は、神が自分に敵対し怒っておられ、自分を死の国へ連れ戻そうとされている、と思われるときです。
    信仰者もさまざまな試練を避けることはできません。試練の中で、神は自分に沈黙されている、と思われることもあるかもしれません。信仰者にとって辛いことです。しかし、ヨブが自分のありのままをすべて語り尽くし、注ぎ出した後に、神はヨブにお答えになり、彼は最後に神の憐れみを受け取ることになります。
    私たちも試練の中にあって主イエスに信頼して歩み続けるとき、最後に神の愛を受け取ることに導かれます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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