リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
Download on the App Store

リジョイス聖書日課 episodes

  • 神と和解しなさい(ヨブ記 22章)
    神に従い、神と和解しなさい。
    そうすれば、あなたは幸せになるだろう。
    (ヨブ記22章21節)
    21章にあるヨブの激しい反論をエリファズは冷たく聞き流すようにして、三回目の論議に入ります。
    エリファズは「あなたが正しいからといって全能者が喜び、完全な道を歩むからといって神の利益になるだろうか」と、自分は神に訴えていると言ったヨブを軽くあしらっています。そして、ヨブが今、災難を受けているのは、「あなたは甚だしく悪を行い、限りもなく不正を行ったではないか」、「だからこそあなたの周りには至るところに罠があり、突然の恐れにあなたはおびえる」と、ヨブの罪に対して、神の罰がもたらされたことを指摘しています。さらに、エリファズは、「彼らは時ならずして、取り去られ、流れがその基までぬぐい去った」と、神が悪人を裁かれたことを述べます。そのうえで、ヨブに「神に従い、神と和解しなさい。そうすれば、あなたは幸せになる」と勧めます。
    エリファズはヨブを罪ありと決めつけ、幸せのために、神と和解せよと語っています。あまりにもお手軽な救いの道の提示ではないでしょうか。神との和解に自らひれ伏すことなしに、人を招くことはできないはずであるのに。
    0 min
  • 神に逆らう者が生き永らえて(ヨブ記 21章)
    なぜ、神に逆らう者が生き永らえ
    年を重ねてなお、力を増し加えるのか。
    (ヨブ記21編7節)
    悪人は、不幸になる運命だと語るツォファルの威嚇を、ヨブは忍耐をもって受けとめ、「どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ」と友人たちに願っています(2節)。
    本当に、ツォファルの言う通りなのか。ヨブの目には、悪人であっても、「彼らは幸せに人生を送り、安らかに陰府に赴く」ことがあるように見えます。「なぜ、神に逆らう者が生き永らえ、年を重ねてなお、力を増し加えるのか」。このことは、ツォファルら友人たちが語る因果応報の教理でも説明がつきません。ヨブは、ツォファルらの言葉にある嘘を指摘します。「悪人が災いの日を免れ、怒りの日を逃れている」。そうであるならば、ヨブへの威嚇も、慰めも的外れであるはずです。「それなのに空しい言葉で、どのようにわたしを慰めるつもりか。あなたたちの反論は欺きにすぎない」。ヨブは、友人たちの因果応報の教理を痛烈な言葉で批判します。ヨブは本当のことが知りたいからです。
    私たちにも分からないことが多くあります。そのことに欺きの言葉ではなく、謙虚に向き合えたらと願います。
    0 min
  • 神の祝福(詩編 134編)
    主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。
    夜ごと、主の家にとどまる人々よ
    聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ。
    天地を造られた主が
    シオンからあなたを祝福してくださるように。
    (詩編134編1節~3節)
    この詩編は「都に上る歌」の最後に位置しており、神殿礼拝の最後に、聖職者と民とが交互に唱えあった詩と考えられます。
    「主の僕らよ、こぞって主をたたえよ」と聖職者が呼びかけ、民が「夜ごと、主の家にとどまる人々よ、聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ」と応えます。
    最後は聖職者の祝福の祈りで締めくくられます。「天地を造られた主が、シオンからあなたを祝福してくださるように」。
    私たちの礼拝も、「招きの言葉」で始まり、賛美、祈り、御言葉の朗読、解き明かし、…そして「祝福の祈り(祝祷)」と続きます。私たちもこの民と同じように、神の祝福をいただいて再びこの世の旅へと出ていくのです。キリスト者の生涯はこの繰り返し、積み重ねです。しかし、これこそが神の国へと続く歩みであることを覚えましょう。「あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに」(121編8節)。
    さあ、私たちも神の御前に集い、神からの祝福を頂きましょう。そして、この世へと踏み出していきましょう。
    0 min
  • 押し流されないように(ヘブライ人への手紙 2章)
    だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違反や不従順が当然な罰を受けたとするならば、ましてわたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。
    (ヘブライ人への手紙2章1節~3節)
    1章3節で見たように、「神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」である御子イエスの登場は、それ自体が、最終的・究極的な神からの救いのメッセージでした。
    これまでの歴史において、天使たちを通して語られてきたことをはるかに凌駕する「これほど大きな救い」を、御子は携えて来てくださったのです。この方は、私たちを栄光へと導くために、数々の苦しみを通って、十字架の死を死んでくださいました(9、10節)。悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった私たちを解放してくださったのです(15節)。そういう御子の足跡そのものが、大いなる救いへの神の招きです。
    この招きは、人類の歴史の大転換点です。けれども、私たちは、「今はそれどころではない」と言いかねないほどに、慌しく、忙しく、疲れてしまっているかもしれません。むとんちゃくであるかもしれません。今、あなたの魂は、行き場なく漂流していませんか。しばし手を止めて、神の壮大な語りかけに耳をすましませんか。押し流されてしまわないように。
    0 min
  • とてつもない方の登場(ヘブライ人への手紙 1章)
    御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
    (ヘブライ人への手紙1章3節)
    神とは「祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方」です(1テモ6章15、16節)。この神を見た者は、死なねばならないと、旧約の民はおそれを抱きました。
    しかし最初の弟子たちは、自分たちはイエス・キリストという方において、その神を見たのだ、と告げ広めました。「御子は、見えない神の姿」(コロ1章15節)とパウロは告白し、「わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです」とペトロは叫びました(2ペト1章16節)。あのヨハネ福音書の序章も然りです。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハ1章18節)。それは、弟子たちにとっても、まったくありえないような告白であったはずです。しかし、主イエスに出会った者たちは、そう叫ばざるを得なかった。なんと驚くべきことだったのでしょう。
    「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」とは、そういうとてつもない信仰告白です。
    0 min
  • 力となってくださる主(テモテへの手紙二 4章)
    わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。彼らにその責めが負わされませんように。しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。
    (テモテへの手紙二4章16節~17節)
    「テモテへの手紙2」は、苦難の中で殉教の死を迎えようとしているパウロが、愛弟子テモテに書き送ったものです。
    パウロは福音宣教のために多くの苦しみを忍び、戦わなければなりませんでした。最初に裁判にかけられたときには、誰も助けてくれず、弁明してくれる人もいませんでした。どんなに孤独であったことでしょう。
    しかし、主だけはいつもパウロを離れず、そばにいて力づけてくださいました。「福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために」宣教の業を導き続けたのは主でした。彼が戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守り抜くことができたのも、主が守り支えてくださったからです。パウロがテモテに知ってほしいのは、この主の確かな守りと恵みの豊かさなのです。
    私たちもまた、どのような状況の中に置かれようとも、たとえ死の時にも、主がそばにいて、力づけてくださることを確信したいのです。そして、その確信をも主が与えてくださることを共に祈り求めて参りましょう。
    0 min
  • 神に逆らう者の喜びは、はかない(ヨブ記 20章)
    神に逆らう者の喜びは、はかなく
    神を無視する者の楽しみは、つかの間にすぎない。
    (ヨブ記20章5節)
    ヨブは、19章29節で、友人たちに「あなたたちこそ、剣を危惧せよ」、「裁きのあることを知るがよい」と警告しました。その言葉を受けて、ツォファルは激しい怒りをあらわします。「あなたの説はわたしに対する非難と聞こえる」、「わたしは反論せざるをえない」と。
    ツォファルはここで新しいことを語っているわけではありません。彼は、前回(11章)同様、因果応報の教理を、厳しさを増したかたちで繰り返しながら、ヨブを責めているに過ぎません。「神に逆らう者の喜びは、はかなく」、「豊かさの極みにあって欠乏に陥り」、「食い尽くして、何も残さない」、「神の怒りの日に、洪水が起こり、大水は彼の家をぬぐい去る」。このように、ツォファルは、「神に逆らう者」の運命を語ります。
    相変わらずの因果応報一点張りでヨブを説得できるのでしょうか。ヨブは、ツォファルの言う「神に逆らう者」ではありません。ツォファルは、ヨブに変わるように求めます。しかし、変わらなければいけないのはヨブではなくツォファルたちです。けれどもまた、その姿こそ、罪深いわたしたちの姿かもしれません。
    0 min
  • この身をもって神を仰ぎ見る(ヨブ記 19章)
    この皮膚が損なわれようとも
    この身をもって
    わたしは神を仰ぎ見るであろう。
    (ヨブ記19章26節)
    ヨブはビルダドに対して反論します。「どこまであなたたちはわたしの魂を苦しめ、言葉をもってわたしを打ち砕くのか。侮辱はもうこれで十分だ」と(2、3節)。
    ヨブはビルダドに、「神がわたしに非道なふるまいをし」、「不法だと叫んでも答えはなく、救いを求めても、裁いてもらえないのだ」、「神はわたしに向かって怒りを燃やし、わたしを敵とされる」と訴えます。また、「神は兄弟をわたしから遠ざけ」たため、家族とすべての人から疎まれていることを述べます。そしてついに友の情けを求めて号泣します。「憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ、神の手がわたしに触れたのだ。あなたたちはわたしの友ではないか」と(21節)。
    この悲嘆のどん底で、なんとヨブは、「わたしは知っている、わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう」と語るのです。
    ヨブは復活の希望により自らの身をもって贖い主である神を仰ぎ見ることを願います。その一縷の望みが、ヨブを絶望から守ります。
    0 min
  • ヨブの死後の罰を語る(ヨブ記 18章)
    彼は光から暗黒へと追いやられ
    この世から追放される。
    (ヨブ記18章18節)
    ヨブの悲痛な訴えと嘆きに対し、友人ビルダドは前回(8章)以上の冷酷な因果応報の教理でヨブを責めます。
    ビルダドは、「なぜ、わたしたちを獣のように見なすのか。その目に愚か者とするのか」と自分たちの善意と知恵を認めないヨブを責めます。
    ビルダドはヨブを悪人と決めつけ、「神に逆らう者の灯はやがて消え」、また「破滅が四方から彼を脅かし」、「死の初子が彼の肢体をむしばみ」、「破滅の王に向かって一歩一歩引き寄せられる」と言います。「死の初子」とは重い皮膚病のこと、「破滅の王」とは、死のことです。そして「彼の思い出は地上から失われ」、「彼は光から暗黒へと追いやられ、この世から追放され」、「子孫はその民の内に残らず、住んだ所には何ひとつ残らない」と悪人の過酷な運命を三段階で述べます。
    ヨブに罪があり、この罰を受けるのがふさわしいと、ビルダドのように誰が言うことができるのでしょうか。「怒りによって自らを引き裂く者よ」(4節)。ヨブにぶつけたビルダドの言葉は彼自身が引き裂かれていることをあらわしています。人を裁くことができるのは神お一人だけです。
    0 min
  • 神の家族と共に礼拝する恵み(詩編 133編)
    見よ、兄弟が共に座っている。
    なんという恵み、なんという喜び。
    (詩編133編1節)
    「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」。
    この詩編の御言葉を読むとき、幼い兄弟が仲睦まじく座っている姿、わたしにはそんなほほ笑ましい情景が浮かんできます。ですがこの詩編は、単に肉親の兄弟の姿を語っているのではありません。ここで語られていることは、同じ信仰を持ち、一人の神を崇める神の家族、兄弟姉妹が共に在る幸いです。とりわけ、その幸いは、神の家族として共に主の礼拝の場に留まり、恵みに与り続けるときに味わえます。
    注がれる油(2節)は、神が与えてくださる祝福です。祝福は全身に注がれ、シオンの山々に滴り落ちるほど、豊かにあふれるのです。
    また、きょう、礼拝の場に集っておられる方だけでなく、病院や施設、あるいはご自宅で療養中のあの方、この方、神の家族お一人お一人を思いながら、共に神の恵みに与りたいと思います。祝福は、私たちが地上の歩みを終えた後もさらに、永遠の命の祝福へと続きます。
    さあ、私たちも愛する方々と共に、心からの礼拝をささげましょう。
    0 min

About リジョイス聖書日課

From the publisher's feed

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

More shows like リジョイス聖書日課

3分でわかる!聖書 by 中川健一

3分でわかる!聖書

6 Listeners

聖書人になりたい by kannokazuhiko

聖書人になりたい

1 Listeners

聖書プロジェクト BibleProject by BibleProject

聖書プロジェクト BibleProject

0 Listeners