リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 十分に整えられるためには(テモテへの手紙二 3章)
    聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。
    (テモテへの手紙二3章16節~17節)
    テモテがいた教会には、キリストと共に生きることを忘れ、福音の言葉をあげつらって「聞く者を破滅させる」者たちがいました(2章14節)。パウロは彼らの高慢を警戒するよう注意すると共に、「自分が学んで確信したことから離れてはなりません」とテモテに命じています。
    テモテは幼い日から聖書(旧約聖書)に親しんできました。彼の祖母ロイスと母エウニケもまた聖書の神を信じる信仰者であったからです。テモテは、祖母の、また母の信仰に育まれながら、何より聖書に学ぶことを通して、救いに至る知恵、すなわちイエス・キリストを信じる確信を与えられていったはずです。そこから、決して離れてはいけないのです。
    「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」とあります。聖書だけが永遠の神の霊感によって書かれた書物であり、神の思いを伝えるただ一冊の本であり、人を教え、救いに至らせる命の言葉です。
    私たちが、神を喜び、神の求めておられる働きをするために、聖霊のお働きのもとに、聖書はきょうも私たちを教え、戒め、正し、訓練して、十分に整えてくださいます。
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  • 思い起こすべき方、主イエス(テモテへの手紙二 2章)
    イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
    (テモテへの手紙二2章8節~9節)
    テモテは教会の指導者でしたが、年が若いということで軽んじられることがあったのでしょう。加えて内外の厳しい状況の中で、彼は伝道者として生きることにひるんでいたのかもしれません。
    そのようなテモテに、パウロは「イエス・キリストのことを思い起こしなさい」と命じています。テモテが委ねられた働きを果たすためには、このお方を思い起こすことが何よりも必要なことでした。
    テモテが思い起こすべきイエス・キリストは、「ダビデの子孫で、死者の中から復活された」方です。このお方こそ、旧約聖書が指し示した約束の救い主、死の闇から復活されたお方です。その方が、小さな存在である私たち人間に目を留めてくださいました。このお方と共に死ぬなら、私たちはこの方と共に生きるようになります。この方の言葉は何にも、死にも繋がれていません。私たちをただ命へと導くものです。だからこそ、今、目の前にある苦難も耐え忍べるのです。この事実を思い起こすように、パウロはテモテを励まします。
    この主イエスに愛され、生かされる恵みを思い、感謝する一日でありますように。
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  • 福音に生き、福音を守る(テモテへの手紙二 1章)
    キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。
    (テモテへの手紙二1章13節~14節)
    「健全な言葉」とは、言うまでもなく「神の福音」のことです。なぜ、福音が健全な言葉と言われるのでしょうか。私たちの周りにはいろいろな教えがあり、全く根拠もないのに、人を救うことができるかのように教えるものがたくさんあります。それに対して、神の福音こそは、確実に人を救うことができる真実なもの、人に「不滅の命」(10節)を与えるものなのです。
    「健全な言葉」は、その直後に「あなたにゆだねられている良いもの」と言い換えられ、それを擁護するようにと命じられています。当時、テモテを取り巻く状況は厳しさを増していました。誤った教えに揺さぶられ、福音から遠い生活に堕ちていく人、キリスト者の交わりから離れていく人がありました。教会は内から揺さぶられていました。また、外からも、教会はさまざまな迫害にさらされていたのです。
    しかし、いつの時代においても、福音を守る戦いはあります。この手紙は、神が与えてくださった良いものを守るのがテモテ自身ではなく、彼の内に住む聖霊だと教えます。私たちの戦いも、この神の助け無しにはできません。
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  • まことの保証人(ヨブ記 17章)
    あなた自ら保証人となってください。
    ほかの誰が
    わたしの味方をしてくれましょう。
    (ヨブ記17章3節)
    エリファズに対するヨブの反論が16章から続いています。
    ヨブは神に向かって「息は絶え、人生の日は尽きる。わたしには墓があるばかり」と独り言のように訴えます。苦難のヨブには罪がある、という友の嘲りの中で、「あなた自ら保証人となってください。ほかの誰がわたしの味方をしてくれましょう」と、神御自身が、ヨブにも、友人たちにも、ヨブの無罪を保証し、味方となってくださることを願いました。
    ヨブは、友人たちにも言葉を向けています。「あなたたちは皆、再び集まって来るがよい。あなたたちの中に知恵ある者はいないのか」(10節)と。友人たちは、彼らなりの慰めの言葉、希望の言葉をもって、ヨブを励まそうとしました。それはヨブも認めています(12節)。しかし、それらの言葉は、ヨブの心を上滑りしていき、まったくヨブを生かす力になりませんでした。そうして、ヨブは、もう「わたしは陰府に自分のための家を求め、その暗黒に寝床を整えた」(13節)と友人たちの言葉を退けます。
    ヨブにとり、今や神だけが真の希望であり慰めでした。
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  • 神に望みをかける(ヨブ記 16章)
    このような時にも、見よ
    天にはわたしのために証人があり
    高い天には
    わたしを弁護してくださる方がある。
    (ヨブ記16章19節)
    エリファズの第二回目の論議に対してヨブはこの章と17章で反論します。
    ヨブは、「そんなことを聞くのはもうたくさんだ。あなたたちは皆、慰める振りをして苦しめる」(2節)と言って、自分の立場を理解しない相手を拒みます。
    神に向かっても、「戦士のように挑みかかり、わたしを打ち破り、なお打ち破る」敵であるかのように激しい言葉をぶつけています(14節)。さらに、「神は悪を行う者にわたしを引き渡し、神に逆らう者の手に任せられた」ので、友たちがヨブの敵となり「彼らは大口を開けて嘲笑い、頬を打って侮辱し、一団となってわたしに向かって来る」と言います(10節)。
    しかし、神に追い詰められていることを感じながら、それでもヨブは、神を「友」と呼び、心を高く天に上げ、「わたしを弁護してくださる方」、「わたしのために執り成す方」と、神に望みをかけ続けています。そして、「人とその友の間を裁くように、神が御自分とこの男の間を裁いてくださるように」と願い続けます(21節)。ヨブは敵と見える神になおも望みを失っていません。
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  • 友に対する忍耐(ヨブ記 15章)
    彼は暗黒から逃れられない。
    熱風がその若枝を枯らし
    神の口の息が吹き払う。
    (ヨブ記15章30節)
    ヨブと三人の友人たちとの論戦はひとまわりして、再びエリファズが登場し第二回の論戦が始まります。
    エリファズの言葉は、4、5章にある語り始めの言葉よりもはるかに厳しく冷たいものになっています。そうなってしまったのは、ヨブが、友人たちに対して語った、あなたたちは「神に代わったつもりで論争するのか」(13章7~10節)という批判と拒絶の言葉が原因でした。
    それに対し、エリファズは、ヨブの無知と不敬虔を責め、その不遜を指摘し、神を信じない者の運命をヨブに突きつけます。エリファズにとって、ヨブはもう友人ではないかのようです。彼にはヨブが自分を低くして悔い改めるとは考えられなかったのです。
    エリファズは「神の口の息が吹き払う」と悪人の運命を語ってヨブを威嚇します。これはエリファズの正義のように見えます。しかし、神の刑罰に対する恐怖によって引き起こされる悔い改めは、信仰的に真の価値はありません。それはルターが絞首台の思いによって生み出された悔い改めだと語ったとおりです。
    神の愛と友への忍耐が真の悔い改めに導きます。
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  • 救いの喜びをもって神を礼拝する(詩編 132編)
    ダビデのために一つの角をそこに芽生えさせる。
    わたしが油を注いだ者のために一つの灯を備える。
    (詩編132編17節)
    詩人は、ダビデが契約の箱を安置し、主を礼拝する場所を定めようとしたときの労苦に思いを馳せています。やがて、それが詩人の現実の祈りに重なります。「わたしたちは主のいます所に行き、御足を置かれる所に向かって伏し拝もう」(7節)。
    後半は神がダビデを通して与えられた約束、メシア詩編です。神はダビデを祝福し、ダビデの子孫から、救い主の誕生を約束されました。この約束は、ダビデだけでなく、詩人や神礼拝のために神殿に上る当時の人びとにまで及びます。
    そして今、私たちはこの約束がイエス・キリストの誕生によって確かに実現したことを知っています。
    新約聖書でザカリアは歌います。「我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」(ルカ1章69節)。「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」(同78、79節)。
    さあ、私たちも、与えられた救いの喜びと共に、主の日の礼拝に心を向けましょう。
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  • 変わらぬ愛をもって(エフェソの信徒への手紙 6章)
    平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。
    (エフェソの信徒への手紙6章23節~24節)
    きょうの御言葉は、手紙の結びとしての祈りの言葉です。ここでパウロは「兄弟たち」と呼びかけています。エフェソの信徒たちは、そのほとんどが旧約の区分から言えば異邦人でありました。ユダヤ人であるパウロにとって、かつて彼らは神を知らない汚れた者たちであったのです。
    けれども、イエス・キリストはユダヤ人と異邦人をご自分において一人の新しい人に造り上げてくださり、平和を実現してくださいました。異邦人であったエフェソの信徒たちも、パウロにとって「兄弟たち」となったのです。私たちもユダヤ人ではありませんが、イエス・キリストにあって、パウロから「兄弟たち」と呼ばれる者となっているのです。
    また、パウロは「変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人」にと呼びかけています。私たちは生まれながらの自分の愛で主イエスを愛しているのではなく、神からいただいている愛で主イエスを愛しているのです。その主の変わらぬ愛によって、私たちは今すでに永遠の命に生かされているのです。
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  • 暗闇ではなく光(エフェソの信徒への手紙 5章)
    むなしい言葉に惑わされてはなりません。これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです。だから、彼らの仲間に引き入れられないようにしなさい。あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。
    (エフェソの信徒への手紙5章6節~8節)
    パウロは「むなしい言葉に惑わされてはなりません」と語ります。むなしい言葉とは、空っぽな言葉であり、何の実りも結ばない言葉です。
    私たちが生活している日本社会には、たくさんのむなしい言葉が溢れています。それゆえ、私たちは、命の言葉である聖書に毎日耳を傾けていく必要があります。むなしい言葉に惑わされないために、私たちは毎日、真実で変わることのない神の言葉を読み、聞く必要があるのです。
    むなしい言葉の代表は、「神などいない」という言葉でしょう。そのようなむなしい言葉に惑わされるとき、私たちは自らを神とし、不従順になり、神の怒りに値する者となってしまいます。いや、かつて私たちはそのような者であったのです。以前の私たちは暗闇でした。暗闇に住んでいたというのではなく、私たち自身が暗闇であったのです。
    しかし、そのような私たちのもとに、世の光であるイエス・キリストが来てくださいました。そして、暗闇であった私たちを光としてくださったのです。
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  • 造り上げられる体(エフェソの信徒への手紙 4章)
    そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとな…るのです。
    (エフェソの信徒への手紙4章11節~13節)
    パウロはキリストを教会の頭、教会をキリストの体であると語りました。教会は民族の違いを超えた一人の新しい人であるのです。
    パウロは、7節で、頭であるキリストがその体の一部である私たち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みを与えてくださっていると教えます。第1コリント12章でも、パウロは聖霊の賜物について教えており、そこではさまざまな賜物が挙げられています。しかし、きょうの御言葉のなかで挙げられているのは、どれも御言葉の務めに関するものです。それはおそらく、パウロが御言葉こそ体の動きを統制するものであると考えていたからでしょう。キリストは教会に御言葉の奉仕者を与えることにより、すべての聖なる者たちを奉仕にふさわしい者として整えられます。
    「教会」と聞くと、各個教会のことを考えられると思いますが、日本キリスト改革派教会全体も一つの教会と言えます。私たちの教会が神と人に仕える教会となるために、この『リジョイス』が豊かに用いられることを願っています。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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