リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
Download on the App Store

リジョイス聖書日課 episodes

  • そうして、言葉は暴力になる(ヨブ記 5章)
    わたしなら、神に訴え
    神にわたしの問題を任せるだろう。
    見よ、幸いなのは
    神の懲らしめを受ける人。
    全能者の戒めを拒んではならない。
    彼は傷つけても、包み
    打っても、その御手で癒してくださる。
    (ヨブ記5章8節、17節~18節)
    ヨブがなぜ嘆くのか。どうやら友人エリファズは理解したようです。それは、神を見失い、神の御業にゆだねることを忘れているからだ、と。
    そこで、エリファズは、神の偉大さと、その御業の憐れみ深さとについて、そして、その神にゆだね生きる者の幸いについて、熱心に教え聞かせます。それらの言葉は、おそらく神を正しく語っているものでした。しかし、そうでありながら、それらの言葉のいずれもが、どこか攻撃的です。エリファズ自身が神の正しさを背負っているかのような興奮が感じられます。そうして、言葉は暴力になりました。神を正しく語ることが、神を正しく示すことには必ずしもなりません。そこに、語る者自身の正しさへの畏れと、語りかける者への柔らかい愛がないならば。「わたしなら、神に訴え、神にわたしの問題を任せるだろう」(8節)。そのようなエリファズの高揚が、ヨブの悲しみを深めます。
    私たちが神の正しさを語るのは、互いの違いを強調し、高みから説得するためでしょうか。いえ、その正しさのもとに、共に在ることを、同じ目線で分かち合うためです。繊細な愛の想像力をもって。
    0 min
  • 苦悩する友の傍らで(ヨブ記 4章)
    あなたを疲れさせるだろうが
    誰がものを言わずにいられようか。
    あなたは多くの人を諭し
    力を失った手を強めてきた。
    あなたの言葉は倒れる人を起こし
    くずおれる膝に力を与えたものだった。
    だが、そのあなたの上に何事かふりかかると
    あなたは弱ってしまう。
    それがあなたの身に及ぶと、おびえる。
    (ヨブ記4章2節~5節)
    「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、1トンの塩をいっしょになめなければだめなのよ」(『塩1トンの読書』)。わたしが大切にしている本の一節。塩は一度にたくさんなめることができません。少しずつ味わうものです。そのように嬉しいことも悲しいことも共に少しずつ長い時間をかけて経験していくことで、やっとひとりの人を理解する入口に立てる、とその言葉は教えてくれます。
    ヨブの苦悩に友人エリファズは言葉を向けます。彼はためらいがちに、それでもヨブの嘆きを咎めずにはおれません。エリファズはヨブの輝かしい過去を知っています。ヨブのことをよく理解しているつもりでした。だからこそ、ヨブが嘆きに身を浸すのはふさわしくないと言葉を重ねます。しかし、エリファズは、今、ヨブが何に苦しみ、どのような言葉を必要としているかに心を向けていません。
    この時、エリファズが友人としてできた唯一のことは、ヨブに寄りそい、その痛みを理解できなくても、発せられる嘆きに耳をすませることではなかったでしょうか。それが共に少しずつ塩をなめるという営みに繋がったはずです。
    0 min
  • 苦悩する人間の尊さ(ヨブ記 3章)
    なぜ、労苦する者に光を賜り
    悩み嘆く者を生かしておかれるのか。
    彼らは死を待っているが、死は来ない。
    地に埋もれた宝にもまさって
    死を探し求めているのに。
    (ヨブ記3章20節~21節)
    「苦悩のうちにある者は聖なる者である」という言葉に出会ったことがあります。
    塵の中にうずくまるヨブのもとにやってきた友人たち。ヨブの悲惨な姿に皆が言葉を失いました。その沈黙を破ったのはヨブでした。「その日は闇となれ」(4節)。ヨブは自らの誕生の日を呪います。
    神は「光あれ」と世界を創られ、その光のうちに、人間を良いものとして造られました。それが、ヨブには分からなくなりました。なぜ神は、人間に光を見せられたのか。なぜ神は、人間に嘆きを与えながら、なお生かされるのか。すべて闇に覆われてしまったなら、命さえも奪われてしまったなら、ヨブは理解できます。神はそういうお方であると。しかし、そうではない。神は光を奪いきらず、ヨブを暗さの中で、深い悲嘆の淵で、なお生かされる。そこにヨブの苦悩があります。神の御業の意味が分からない。その苦悩にヨブは正直です。そこにヨブの人間としての美しさ、尊さを見ます。
    私たちも神の恩寵の光と、心に広がる闇との狭間で苦悩するでしょう。その苦悩が、私たちを神の御前にある人間であり続けさせます。
    0 min
  • 不幸も共にいただこう(ヨブ記 2章)
    彼の妻は、
    「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、ヨブは答えた。
    「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
    このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。
    (ヨブ記2章9節~10節)
    財産を失い、子たちを失ったヨブ。しかし彼から神へのまっすぐさが失われることはありませんでした。ヨブを信頼した神の正しさも揺らぐことはありませんでした。
    しかし、サタンはあきらめません。ヨブの無垢さはまだ証明されていないと神に詰め寄ります。サタンは再び神の許可を得、ヨブの体にひどい病をもたらします。ヨブは、まるで神の呪いを受けたかのような有様に変貌しました。ヨブは灰の中に座り、体をかきむしります。そのようなヨブに、彼の妻は寄り添い、言います。もう無垢であることをやめて、神を呪った方が楽ではないか。それは彼女なりの精一杯の思いやりの言葉だったでしょうか。彼女も辛かったでしょう。しかし、そのような優しさにもサタンは企みを忍びこませます。妻の言う通りと、ヨブに神を呪わせるために。
    それでも、ヨブは願います。「わたしたちは」と。ヨブはまっすぐに神に向かい続けます。しかも妻と共にそうあることを願います。神から共に不幸をもいただくことが共に在ること、愛し合うことです。ヨブのまっすぐさは、妻への愛と妻の神への愛を守ります。
    0 min
  • かつての苦しみから(詩編 129編)
    イスラエルは言うがよい。
    「わたしが若いときから
    彼らはわたしを苦しめ続けたが
    わたしが若いときから
    彼らはわたしを苦しめ続けたが
    彼らはわたしを圧倒できなかった。」
    (詩編129編1節~2節)
    「わたしが若いときから彼らはわたしを苦しめ続けた」ということを二度繰り返してこの詩編は始まります。人生の長い期間にわたって「わたしを苦しめ続けた」もの。そのことに思いを凝らすことでデボーションも深められます。
    そのつらい思い出から祈り始めることは、「彼らはわたしを苦しめ続けたが彼らはわたしを圧倒できなかった」という事実に自から向かうでしょう。それによって、やはり「主は正しい」という認識をあらたにすることになります。自分の人生の歩みを思い返し、主は常に「束縛を断ち切ってくださる」方であったことを思いましょう。
    そのかつての束縛をこの詩編はさらに生き生きとした比喩にして「抜かれる前に枯れる屋根の草のよう」と歌い、それを現在と未来へも向けるのです。つまり、今もそしてこれからも悩みや苦しみに捕われるとき、主はやはりそれを「抜かれる前に枯れる屋根の草のよう」にしてくださるに違いない。「彼らはわたしを苦しめ続けたが彼らはわたしを圧倒できなかった」という体験をもう一つすることになるでしょう。
    0 min
  • 人間にはできないこと、神にはできること(ルカによる福音書 18章)
    「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。
    (ルカによる福音書18章25節~27節)
    議員はイエスに「何をすれば」永遠の命を頂けるかと質問をしました。彼は青年だとマタイによる福音書にあります。若くして成功した人でしたが、人生に対してむなしさを抱えていたのでしょう。
    イエスは青年の問題を見抜き、議員に財産を捨てるように招きました。しかし彼にはそれができませんでした。この財産が彼を縛る偶像だったのです。彼に隣人愛から目をそらさせ、真の神に従うことを邪魔していたのです。財産を捨てるようにというイエスの招きは、ただ真の神を礼拝するようにという招きでした。
    私たちにも、捨てられない偶像があります。しかし人の力で捨てることはできません。救いは人が「する」努力の先にはないからです。永遠の命は「受ける」(30節)ものであるからです。イエスは言われました、「人間にはできないことも、神にはできる」(27節)と。捨てるのは愛の交わりに入るためです。永遠の命を探す議員に、イエスは「私」が答えだ、身軽になって従いなさいと招かれたのです。
    0 min
  • キリストに向かって走る(ルカによる福音書 17章)
    「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。」
    (ルカによる福音書17章24節~25節)
    3・11の地震から5年たちました。町の復旧もままなりませんが、それ以上に、心に受けた深い傷はなかなか癒されません。神からの慰めを心から祈ります。
    災害には備えが必要です。なおのこと世の終わりには備えが必要なはずです。どう備えるべきかが31~33節にあります。「その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない」のです。直訳すれば「畑にいる者は後ろのモノをふり返るな」となります。「後ろのモノ」とは過去の生活のことです。良いモノ、悪いモノどちらであっても捨てるのです。
    最後の日に私たちはキリストの前に立ちます。誰もが丸裸で隠すことはできません。ただし信じる者たちには、キリストは恐ろしい方ではありません。「目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」お方なのです(黙21章4節)。だから共に「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、…目標を目指してひたすら走」りましょう(フィリ3章13、14節)。
    0 min
  • 貪欲は偶像礼拝にほかならない(ルカによる福音書 16章)
    「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
    (ルカによる福音書16章13節)
    ある金持ちと、ラザロというできものだらけの貧乏人がいました。金持ちは贅沢に暮らし、そして死んで立派な葬儀をしてもらいました。他方、ラザロはいつも腹ぺこで、ついに死んでも葬儀はありませんでした。しかし死後、彼らの境遇は逆転します。ラザロは天使によって宴会の席にいるアブラハムのそばへ、金持ちは陰府へと。
    金持ちは陰府で苦しみますが、境遇はもう変わりません。彼の間違いは何だったのでしょうか。それは聖書の間違った読み方による自己正当化です。神の祝福は神の命令への服従の結果である。それなら富んでいる自分は神に間違うことなく神に従っていると。そして貧しいラザロを無視しました。反対に主イエスは貧しい人を憐れみます。主イエスは「貧しい人」に福音を告げ知らせるために来られました(4章18節)。
    世界には1日1ドル以下で暮らす人が13億人近くいるそうです。金持ちとラザロは家の門でつながっていました。私たちは世界中の情報と一瞬でつながる時代に生きています。神は私たちに分かち合うよう招いておられます。
    0 min
  • ある日、天上の集会で(ヨブ記 1章)
    主はサタンに言われた。
    「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
    (ヨブ記1章8節)
    天上において交わる神と御使いとサタンの集会。そこから二つの視線が一人の男に注がれます。その視線の衝突にこの物語の幕はあきます。
    ヨブという男。彼はまっすぐに神を畏れ生きてきた人でした。神はそのヨブを温かく見つめ、「彼ほどの者はいまい」と信頼されていました。一方、サタンは睨んでいました。ヨブのまっすぐさには裏があると。ヨブは東の国一番の富豪でした。多くの家族に恵まれ暮らしている人でした。それがヨブを無垢にさせていると。それらが奪われたなら、すぐに神を呪い始めると。
    サタンは神に挑戦します。神の視線が正しいのか。サタンの視線が正しいのか。サタンは否定してしまいたい。神に向かうまっすぐなヨブを。そしてヨブに信頼を置く神を。
    神はその挑戦を受け止められます。ご自身の正しさをヨブに託されます。そうして、悲嘆がヨブを襲い、瞬く間に財産も子どもたちも奪われていきました。
    ヨブは知りません。天上からの視線を。私たちも知りません。自らの苦難の意味を。しかし、そこに注がれている神の視線があることを私たちは知っています。
    0 min
  • 主の約束を待ち臨む(申命記 34章)
    イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。
    (申命記34章10節)
    イスラエルを率いた偉大な指導者モーセは、カナン到着を前にして天に召されます。申命記は「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった」という賛辞を贈ります。ただ、申命記を通読してきた者からすると、18章15節で神がモーセのような預言者を送ると約束されたことと矛盾する、と思われるかもしれません。しかし旧約時代に限定すれば、モーセに匹敵する預言者は現れなかったのです。キリスト教会はモーセから千年以上も後に降誕されたキリストに、モーセのような預言者の成就を見ます。いやモーセに優るお方です。
    主が約束なさったことはすぐに実現するとは限りません。キリストが再臨し、罪と死を完全に滅ぼされるとの約束も未だ成就を見ていません。それでも主は最も適切な時に確かに約束を成就してくださることを、聖書は強調し、それゆえ信仰に踏みとどまるように励まします。私たちも、この地を完全に神の国とするという主の約束が確かに成就することを信じ、主に従って今日も神の国の進展のために励んでまいりたいと願います。
    0 min

About リジョイス聖書日課

From the publisher's feed

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

More shows like リジョイス聖書日課

3分でわかる!聖書 by 中川健一

3分でわかる!聖書

6 Listeners

聖書人になりたい by kannokazuhiko

聖書人になりたい

1 Listeners

聖書プロジェクト BibleProject by BibleProject

聖書プロジェクト BibleProject

0 Listeners