リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 聖書の教えに従って勧める(テトスへの手紙 1章)
    監督は…教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。
    (テトスへの手紙1章7節~9節)
    パウロがテトスを残していったクレタの教会には、間違った教理を教える偽教師たちがいました。信仰生活が比較的短い異邦人教会であるため、クレタの教会の信徒たちは、それが間違った教えであるかどうか見分ける力がなかったのでしょう。間違った教理を教えられた信徒たちは、間違った信仰生活を過ごすようになっていました。それゆえ、パウロは健全な教えに従って、すなわち、聖書に従って、信徒たちを教えるようにと語ります。
    今日の多くの異端の教会も聖書を教えます。その教えは、一見、聖書からの「健全な教え」であるように見えることもあります。けれども、彼らの教えは「異端」という言葉のように、「端」すなわち最後が異なっています。なぜ、彼らはそういう教えを語るのか。それは、「恥ずべき利益を得るため」(11節)です。彼らは聖書に従って教えるのではなく、自分たちに聖書を従わせようとします。
    聖書は従わせるものではなく、私たちが従うべき信仰と生活の唯一の基準である神の言葉です。今日も一日、聖書の教えに従って、主と共に歩んで行きましょう。
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  • 主が招き入れたのは(申命記 29章)
    今日、あなたたちは、全員あなたたちの神、主の御前に立っている。部族の長、長老、役人、イスラエルのすべての男子、その妻子、宿営内の寄留者、薪を集める者から水をくむ者に至るまでいる。それは、…今日、主があなたを立てて御自分の民とし、自らあなたの神となられるためである。
    (申命記29章9節~12節)
    イスラエルが約束の地カナンに近づくと、主は今一度人々を集め契約を結ばれました。主が契約相手となさったのは、驚くほど広範囲の人々でした。特に「妻子、宿営内の寄留者、薪を集める者から水をくむ者」は、当時の社会では一人前扱いされていない人たちでした。女性や子どもは成人男性に劣るとされ、寄留者はイスラエル民族と血統的に異なる外国人、薪集めや水くみをするのは奴隷ということで(ヨシュ9章参照)、低く扱われがちでした。しかし、主はそうした人々をも分け隔てせず神の民とし、愛の御手を差し伸べると宣言されました。
    この主なる神の独り子キリストも、社会的に冷たく扱われていた人々のところに足を運び、御自身から進んで愛の御手を伸ばし、人々の友となられました。旅で泥まみれになった足を洗うという、当時奴隷の仕事とされたことをも進んで引き受けられました(ヨハ13章)。
    そして自ら、十字架で罪の贖いとなられることで、私たちを罪から救い神の民としてくださったのです。この分け隔てない神の愛にこそ、私たちの慰め、希望があります。
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  • 主の道と滅びの道(申命記 28章)
    あなたは、今日わたしが命じるすべての言葉から離れて左右にそれ、他の神々に従い仕えてはならない。
    (申命記28章14節)
    申命記28章は14節までは神に従う者への祝福を、15節から68節までは神に従わない者への呪いを語ります。祝福と比べ、呪いの警告にかなりの分量が割かれていることが分かります。それは「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」からです(マタ7章13節)。あまりに広いので、入ってしまっていることすら気づかないこともあります。そこで神は、神から離れた者にふりかかる出来事を列挙し、人々が神から離れてしまっていたことに気づかせようとされたのでした。
    ただこうした警告だけで旧約の神の民が主の道に立ち帰ることはできませんでした。命に通じる道は細く、それを見いだす者は少ないからです(同14節)。
    そこで「わたしは道である」と言われるキリストがこの世に来てくださいました。キリストが十字架で人の罪を砕いてくださったことで、滅びの道から抜けだし、主の道を選び取る者へと私たちを造りかえてくださいました。今、私たちの前には祝福の道が広がっています。その命の道を一歩ずつ確かめながら、人々を招き、共に歩みます。
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  • 愛が深いからこそ(申命記 27章)
    また、和解の献げ物を屠ってそれにあずかり、あなたの神、主の御前で喜び祝いなさい。あなたは石の上にこの律法の言葉をすべてはっきりと書き記しなさい。
    (申命記27章7節~8節)
    申命記27章の後半では主の戒めを守らない者への呪いが宣告されていきます。ここだけを見ると主なる神は恐ろしい方と思われるかもしれません。しかし主は、取るに足りなかったイスラエルを神の民とし、和解の献げ物の時には、主に献げられたいけにえの肉を民に分け与え、食べて喜び祝うようにされました(レビ7章参照)。主は人を喜びの内に生かそうという愛をお持ちの「熱情の神」(申5章9節)です。だからこそ、人から喜びや生き生きとした命を奪うことに対して、主は厳しい姿勢を取られます。人に戒めを与え、厳しく警告なさることも神の愛から出るものです。
    新約の時代になり、礼拝では、キリストの養いをいただき喜ぶ聖餐式が制定されています。そこに、私たちを滅びから救おうと御自身の命まで差し出してくださったキリストの十字架の愛が示されています。主からいただいた永遠の命の幸いを十分に全うするためにも、神からの深い愛に基づく主の戒めを深く心に刻み、救われ、キリストのものとされた感謝の応答として戒めを守るよう努めていきましょう。
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  • 主により聖なる民へ(申命記 26章)
    主もまた、今日、あなたに誓約された。「既に約束したとおり、あなたは宝の民となり、すべての戒めを守るであろう。造ったあらゆる国民にはるかにまさるものとし、あなたに賛美と名声と誉れを与え、既に約束したとおり、あなたをあなたの神、主の聖なる民にする」と。
    (申命記26章18節~19節)
    旧約のイスラエルは特別優れていたわけでなく、「わたしの先祖は、滅びゆく1アラム人」(5節)と言う他ありませんでした。エジプトで奴隷にされてもいました。しかし主はアブラハムを選んで以来、イスラエルを神の民とし、数々の約束を与え、エジプトで虐げられていた状態から解放し、約束通りカナンの地に導かれました。イスラエルの必死の努力ではなく、主の恵みの御手が、イスラエルに乳と蜜の流れる豊かな地を得させてくださったのです。
    ですから、神の民にふさわしく主の掟を守って生きよ、とイスラエルに命じられます。そのとき主は、イスラエルを宝の民、主の聖なる民にする、という後押しをも約束されました。新約の時代もそれは変わりません。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(フィリ1章6節)。
    私たちも弱く小さな者ですが、主が導き完成に至らせてくださると確信しています。だからこそ「主を自分の神とし、その道に従って歩み、掟と戒めと法を守り、御声に聞き従います」(17節)。
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  • 涙と共に種を蒔く(詩編 126編)
    涙と共に種を蒔く人は
    喜びの歌と共に刈り入れる。
    種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
    束ねた穂を背負い
    喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
    (詩編126編5節~6節)
    主が「捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった」とうたい出されています。つまり、この人は、そこから連れ帰ってもらえることは夢としか思えないような「捕われ」の中に閉じ込められてしまっているようです。しかし、その「捕われ」から連れ帰ってもらえるなら「わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう」とか、「わたしたちは喜び祝うでしょう」と期待します。その期待が「主よ、わたしたちのために、大きな業を成し遂げてください」、わたしたちを「捕われ」から連れ帰ってくださいという祈りになりました。
    今、この人は、どんな「捕われ」にあるのでしょうか。「涙と共に種を蒔く」とか、その涙の「種の袋を背負い、泣きながら出て行った」とありますから、何か大きな悲しみに捕われてしまっているようです。
    しかし、そのような「涙と共に種を蒔く」人が、「喜びの歌と共に刈り入れる」ことができる。「泣きながら出て行った」人が、「喜びの歌をうたいながら帰ってくる」ことができる。そのことを主の「大きな業」といいます。
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  • 信仰の戦いを立派に戦い抜く(テモテへの手紙一 6章)
    信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。
    (テモテへの手紙一6章12節)
    パウロはテモテに「神の人よ」と呼びかけ、信仰の戦いを立派に戦い抜くように励まします。そこで彼に、多くの証人の前で信仰を表明したことを思い起こさせます。
    信仰の戦いに行き詰まり、疲れを覚える時、私たちは自分が信仰を告白したことを思い起こしましょう。私たちは永遠の命を得るために神から召されて信仰を告白したのです。告白した内容は主イエス御自身が、ポンテオ・ピラトの前ではっきり宣言なさったことでした。私たちが「主イエスはまことの王であられる」と告白をするとき、主イエス御自身がピラトの前でなさったのと同じことを表明しているのです。パウロは教会の困難な問題に直面し疲れを覚えているテモテに、主イエスとの確かな結びつきを確信させて励まします。
    私たちも今は種々の信仰の戦いの中に置かれながらも、信仰の告白によって主イエスとしっかり結ばれています。その確かさは再臨の時に誰の目にも明らかになります。信仰の表明をした私たちには今も後も主イエスが共にいてくださいます。ですから神に召された信仰の戦いを立派に戦い抜いていきましょう。
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  • 寄り添う教会(テモテへの手紙一 5章)
    身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。…身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。やもめたちが非難されたりしないように、次のことも命じなさい。
    (テモテへの手紙一5章3節~7節)
    5章には教会のやもめへの援助について詳しく記されています(3~16節)。
    当時の教会ではやもめに対する配慮はとても大切なことでした(使6章1節)。当時はやもめが社会に出て生活資金を得る機会はほとんどありませんでした。ですから、困窮したやもめへの支援は教会としてなすべき義務でした。そのためにどういう人に財政的な支援をするかというルールは当然必要だったのでしょう。9節にあるのはそのための登録制度についての言及と考えられます。そして9、10節には登録に該当する具体的な条件が細かく記されます。
    当時と今日では社会保障制度も違いますし、教会と社会の状況も同じではありません。けれども弱い立場にある人、困窮している人に寄り添っていくという教会の姿勢が、この時代の教会から既にあり、しかも当時の社会と教会の状況を踏まえた、とても具体的できめ細かな制度作りが行われていたこともわかります。
    私たちの教会でこの姿勢が受け継がれ、愛の執事的業がさらに豊かに展開されますように祈りましょう。
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  • 働く者の権利(申命記 25章)
    脱穀している牛に口籠を掛けてはならない。
    (申命記25章4節)
    約束の土地での農業には牛が用いられました。農作業で用いる牛に口籠をかけると餌が食べられません。ですから、そのようなことをしてはならないと命じられました。牛に十分な栄養を与えれば、作業は進むからでしょう。
    この御言葉はテモテへの手紙一の5章18節で引用されています。「聖書には、『脱穀している牛に口籠をはめてはならない』と、また『働く者が報酬を受けるのは当然である』と書かれています」。
    使徒パウロは、牛でさえ働くために餌を与えられるのであるから、人間の場合はなおのこと、働く者にふさわしい報酬が与えられなければならないと語ります。また、テモテへの手紙一では特に「御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい」(5章17節)と述べられています。パウロの引用の意図は、福音の種をまき、福音に奉仕する者の生活は、支えられるべきであるということです。
    同様に、勤労者の生活全体も守られなければなりません。信徒一人一人の生活が支えられねばなりません。
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  • 神の救いを想起して(申命記 24章)
    寄留者や孤児の権利をゆがめてはならない。寡婦の着物を質に取ってはならない。あなたはエジプトで奴隷であったが、あなたの神、主が救い出してくださったことを思い起こしなさい。わたしはそれゆえ、あなたにこのことを行うように命じるのである。
    (申命記24章17節~18節)
    約束の土地で新しい営みを始める神の民に対して、神は、繰り返し、「寄留者、孤児、寡婦」に配慮を向けることを命じられました。
    神はその配慮をただ人道主義的な視点からではなく、エジプトからの解放に基礎付けられます。エジプトで奴隷であったイスラエルの民は、エジプト人の農場で働かされ、土木工事等に使役されていたでしょう。そのような困難な奴隷状態から、神は一方的な憐れみと愛によって彼らを助け出されました。
    困窮はかつての自分たちの姿です。寄留者は、難民のような方たちかも知れません。孤児にもシングル家庭にも貧困が迫っています。ですから、神は畑のぶどうの実を取りつくさないで彼らのために残すことを命じられました。それは彼らが神の救いの恵みを味わうためです。その味わいによって、共同体全体が喜びに満たされるためです。
    神は罪の奴隷から私たちを救い、私たちに貪欲と貧困に立ち向かう力を与えてくださいます。神はそのようにして、貧しい者たちに、また私たちにも寄り添ってくださるお方です。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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