リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 貧しい者への配慮(申命記 23章)
    隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよいが、籠に入れてはならない。隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない。
    (申命記23章25節~26節)
    今日であれば、ぶどうや麦は所有者の物で、他人が勝手に入り込んで作物を食べると窃盗になるでしょう。しかし、神はイスラエルの共同体の中で、貧しい者たちが飢えに苦しまないように、このように配慮しました。
    神は、ぶどう畑や麦畑の所有者の権利だけでなく、そこを通る神の民の生存の権利をも同様に守ります。もちろん、健康でありながら、人の畑で生活を満たす者は盗みに当たるでしょう。神は土地をイスラエルに与え、それぞれの畑に作物を育み、祝福してくださいます。神に与えられた物は、神の必要のために用いられます。
    もし、事故や病で家の主人が失われたとしたら。その心配は家族を残さねばならない主人にも、残される家族にもありました。しかし、イスラエルは、共同体において、生きていくことを分かち合いました。この相互扶助の戒めは、後の社会保障の精神の先取りとなりました。
    私たちが手に入れた地位も名誉も財産も健康もただ神の憐れみと祝福によります。与えられた祝福への感謝は、与える幸いと結びついています。
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  • 同胞への親切(申命記 22章)
    同胞の牛または羊が迷っているのを見て、見ない振りをしてはならない。必ず同胞のもとに連れ返さねばならない。もしも同胞が近くの人でなく、だれであるかも分からない場合は、それを家に連れ帰り、同胞が捜しに来るまで手もとに置き、捜しに来たとき、その人に返しなさい。
    (申命記22章1節~2節)
    自分たちの同胞を助けなければならないことが語られています。困っている方があれば、誰でも助けることは当たり前だと思われるかもしれませんが、実行することは簡単ではありません。ですから、戒めとして、「見ない振りをしてはならない」と繰り返し語られています。
    私たちは面倒なことには関わりたくありませんし、忙しい時に、同胞の牛や羊の世話まで手が回りません。そこに私たちの罪の問題があります。
    さらにここには、同胞とは誰か、という問題もあります。身内の家畜であれば、保護しますが、他人の家畜の世話まではできません。まして相手が厄介な人間であればなおのことです。
    しかし主イエスは、善いサマリア人のたとえで、同胞を超え、敵と思うような人に対しても、見ない振りをすべきでないことをお教えになりました。同胞という言葉は兄弟も意味します。
    主イエスは十字架と復活によって、私たちの同胞となってくださいました。ですから、私たちは目の前の人を主イエスの兄弟姉妹、同胞と思って親切にするのです。
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  • 自分の道にそれて行く者(詩編 125編)
    主に依り頼む人は、シオンの山。
    揺らぐことなく、とこしえに座る。
    山々はエルサレムを囲み
    主は御自分の民を囲んでいてくださる
    今も、そしてとこしえに。
    (詩編125編1節~2節)
    「主に依り頼む人はシオンの山。揺らぐことなく、とこしえに座る」。これが私たちの姿です。しかし、周囲を見渡すとどうでしょうか。「よこしまな自分の道にそれて行く者を、主よ、悪を行う者と共に追い払ってください」(5節)と言いたくなるような人がいるものです。
    そのような人が視界に入る中で、それでも「主は御自分の民を囲んでいてくださる、今も、そしてとこしえに」ということに思いを寄せましょう。その思いを確かなものとするためには、「主に依り頼む」という自分の姿勢を改めて明確にすることが必要でしょう。そうしなければ自分自身が「よこしまな自分の道にそれて行く」ことになりかねないからです。
    きょう、自分がどんな「自分の道にそれて行く」可能性があるか、それを意識的に「追い払って」、主に依り頼む姿勢を取り戻し、自分が「主の民」であることを再確認しましょう。そういうあなたこそが「今も、そしてとこしえに」主に囲まれて、「揺らぐことのない」あなたなのです。このことを実感して、きょうという日に向かい、きょうという日を終えましょう。
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  • 専念すべきこと(テモテへの手紙一 4章)
    わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。…以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。
    (テモテへの手紙一4章13節~14節、16節)
    13~16節では、牧会者と教会にとって一番大切なことが教えられます。それは御言葉と祈りに集中することです。
    パウロはテモテに「聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい」と命じます。エフェソの教会では偽教師が誤った教えを言い広め、教会を混乱させていました。ですから、彼らの教えに心を奪われることなく、御言葉の奉仕に専念するように命じました。
    教会の中に起こるさまざまな問題に心を奪われて、右往左往しないように注意しなければなりません。また人心掌握術を駆使して教会を動かそうとすることも正しい取り組みとはいえません。聖書の朗読と説教によって神が教会を守り、健全に建て上げてくださいます。主の御言葉を信頼することが求められます。そこから離れてはなりません。
    教会が種々の問題で混乱するときこそ、指導者がどこに焦点を定めているかが問題となります。パウロはテモテに、この点で自分自身と教えに気を配るように命じます。そうすれば自分自身と、その言葉を聞く人々(教会)を救うことになるからです。
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  • 教会役員を覚えましょう(テモテへの手紙一 3章)
    この人々もまず審査を受けるべきです。その上で、非難される点がなければ、奉仕者の務めに就かせなさい。
    (テモテへの手紙一3章10節)
    3章には「監督」「奉仕者」(教会役員)の資格が記されています。教会役員が忠実に主に仕えてその務めを果たすとき、教会も役員本人も大きな祝福を受けます。ここに記された資格はとても厳格なものです。それらを全部厳密に満たすことができなければ「監督」や「奉仕者」にはなれないのでしょうか。
    長老や執事に選ばれても、この箇所を読んで自分にはとてもできないと思ってしまわれるかもしれません。けれども、そう気づかされることがとても大切なことです。そこから、主への、教会への忠実さが培われていきます。
    教会役員になるために一番大切なことは神の召しです。種々の弱さや欠点を持つキリスト者を、神が役員として召し、教会の働きのためにお用いになるのです。神は召された人に、その務めを果たすために必要な賜物を与えてくださいます。神の恵みによって赦され召されていることを信じて仕えていけば大丈夫です。
    今朝は教会役員として立てられた兄弟姉妹が、神の恵みによって整えられてその務めを果たしていくことができるように祈りましょう。
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  • 獣と化した国家への抵抗(ヨハネの黙示録 13章)
    この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。
    (ヨハネの黙示録13章12節)
    神は人びとの福祉と平和の実現のために、国家的為政者を立てておられます。しかし人間の罪ゆえに、国家が獣と化し、権力を振るい、人びとから思想・良心・信教の自由を奪うことがあります。「獣を拝ませた」とは、そういう全体主義的な支配の現実状況を表しています。
    戦前の日本も、天皇を現人神とする国家神道体制の下で国家が獣と化し、天皇崇拝と神社参拝を強制し、人びとを侵略戦争へと駆り立てました。信教の自由、良心の自由は奪われ、真理は大きく歪められました。
    そのことを忘れないために、今、日本の多くの教会が、2月11日を天皇制神話に基づく「建国記念の日」としてではなく、「信教の自由を守る日」として覚えています。そして、各地で2・11集会を開催し、思想・良心・信教の自由と政教分離を守るために祈り、行動しています。
    私たちも為政者が神の御心に適う正しい政治を行うことができるように、執り成し祈ることが必要です。同時に、国家が獣と化し、全体主義的にならないように見張りの務めをも果たしていかねばなりません。
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  • 十字架の預言(申命記 21章)
    ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。
    (申命記21章22節~23節)
    パウロは、この箇所をガラテヤの信徒への手紙3章13節で引用し、主イエスの十字架刑が、呪われた者に対する刑罰であることを語りました。この申命記の戒めは、特に、死刑執行後のことを語ります。ここで言われている、その死体を木にかけるとは、遺体をさらしものにするということです。
    ヨシュア記10章26、27節は、ヨシュアがアモリ人の5人の王を打ち倒し、彼らを殺して木にかけ、その日のうちに埋めたと記しています。敵である王を処刑し、遺体をさらし、神の敵は神に呪われた者であることを明らかにしました。
    私たちの救い主は私たちの代わりに、そのような神の敵意を身に受けてくださいました。裸同然で十字架にかけられ、さらし者にされて神の呪いを引き受けてくださいました。神に敵対する者こそ、そのような裁きを受けなければなりません。しかし、主イエスは御自身の罪は何もないままに、その裁きを受けてくださいました。それは、神に敵対していた私たちを救うためでした。その主イエスの愛に、今日も私たちは守られています。
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  • 主による勝利(申命記 20章)
    「イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。」
    (申命記20章3節~4節)
    申命記20章では戦争についての戒めが語られています。神の民は多くの、そしてさまざまな戦争を経験しました。エジプト脱出の時には後ろからエジプトの軍に追われました。荒れ野の旅路の途上でもアマレク人からの襲撃に苦労しました。約束の土地においても争いの危機が絶えずありました。敵から民を守るための戦力が必要でした。その戦力をいかに用いるのか。神の民には戒めが必要でした。
    この戒めがあっても、イスラエルは、バビロン捕囚を体験し、また、その領土はローマ帝国に組み込まれてしまいます。これらの戒めは、土地を巡る戦いではなく、霊的な戦いに当てはめられることとなります。
    主イエスの弟子たちが全世界に遣わされるなかにも、戦いはあります。「血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするもの」です(エフェ6章12節)。大きな力が教会に立ち向かって来る時に、私たちは恐れてしまいます。しかし、神は「心ひるむな。恐れるな。…主が共に進み、…勝利を賜る」と励ましてくださいます。
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  • 報復を越えて(申命記 19章)
    あなたは憐れみをかけてはならない。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足を報いなければならない。
    (申命記19章21節)
    「目には目を」という戒めは、報復を奨励しているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。この戒めは、申命記では裁判での偽証に対して、同等の報復を求めることを述べています。
    私たちの社会では、しばしば、被害を受けたら倍返しだと心の中で叫びます。それは愚かな罪人の報復の思いです。それでは報復の連鎖が続き、さらなる悲劇が生まれかねません。ですから、神は同等の報復で忍耐することを命じました。怒りと復讐に支配されてはならないということです。
    ところが主イエスは、この戒めをマタイによる福音書5章38節で引用し、続けて39節で、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と語られました。主イエスは復讐心に支配されないために、やり返さないことを教えられたのです。そして愛による解決の道を示し、十字架において実行されました。
    社会秩序としての法は必要です。しかし、法的処置だけでは問題は解決しません。神の正義と主イエスの愛だけが、復讐と怒りの思いを乗り越える力です。
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  • 主がわたしたちの味方でなかったなら(詩編 124編)
    イスラエルよ、言え。
    「主がわたしたちの味方でなかったなら
    主がわたしたちの味方でなかったなら
    わたしたちに逆らう者が立ったとき
    そのとき、わたしたちは生きながら
    敵意の炎に呑み込まれていたであろう。」
    (詩編124章1節~3節)
    きょうは、もし「主がわたしたちの味方でなかったなら」ということを想定してみるようにと聖書は促しています。そうであったなら「わたしたちは敵意の炎に呑み込まれていたであろう」。「驕り高ぶる大水が、わたしたちを越えて行ったであろう」。
    意識されているのは、わたしたちの身近な人間関係です。「逆らう者」、つまり自分と意見の違う者が、炎のような「敵意」を向けてくる。自分としてはそれは「驕り高ぶり」としか思えないが、そういう人の言葉が「激流」のように自分を呑み込み、まるで息の根を止めようとするかのように自分を苦しめる。そういう現実の「餌食」になっていただろう。そのことを思ってみよ、と言われると、誰しも決して他人事ではない事態を思い浮かべることができます。
    しかし、そんな「仕掛けられた網」を破ってくださり、「わたしたちの魂」を逃れさせてくださった方。それは「天地を造られた」方だ。「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」。こんな筋道を思いめぐらしてみるように、聖書は、きょう、わたしたちを促しています。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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