リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神の宝の民(申命記 14章)
    あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである。死者を悼むために体に傷つけたり、額をそり上げてはならない。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は地の面のすべての民の中からあなたを選んで、御自分の宝の民とされた。
    (申命記14章1節~2節)
    ここでは、まずイスラエルの民が神の子らであると語られ、次に死者をどのように悼むかが示され、そして、イスラエルは神の宝の民とされた、と結論付けられます。神の民であるという自覚は、死別のあり方とも深く結びついています。
    当時の人びとは、死別の深い悲しみの故に、自分の体を傷つけ、死者との間に血の契約を結び、死者礼拝を行いました。死の向こうとこちらとは隔てられていますから、死者と結ばれ、それにより悲しみを癒やそうとしたのでしょう。
    しかし、イスラエルの民は、愛する者の死に際して、神の子として、神に祈り、悲しみを神に訴えます。死者と結ばれ、死者を礼拝し、悲しみに耐えるのではなく、死の悲しみの中でこそ、人の死をも支配しておられる神とより深く結ばれます。
    主イエスは、十字架にかかられ、私たちを神の聖なる民、神の子、神の宝の民としてくださいました。それは、私たちの悲しみや死別の深い傷をも癒やしてくださるためです。復活の主は死の悲しみの中でより力強く私たちを支えてくださいます。
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  • 誘惑に打ち勝つ力(申命記 13章)
    その預言者や夢占いをする者…は、あなたたちをエジプトの国から導き出し、奴隷の家から救い出してくださったあなたたちの神、主に背くように勧め、あなたの神、主が歩むようにと命じられる道から迷わせようとするからである。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。
    (申命記13章6節)
    偶像崇拝は生ける真の神を神としない最大の罪です。それによってイスラエルが真の神から引き離されるならば、イスラエルは罪のうちに滅びるほかはありません。誘惑するものは偽りの宗教であり、異教文化に馴染んだ隣人たちであり、友好関係にある共同体です。この世の絆にひかれて神を第一としなくなるとき、神の祝福は遠ざけられます。
    私たちは身近な誘惑にさらされて信仰の危機に直面します。偶像崇拝の危険とは他宗教の問題である以上に、神から私たちが離れていく危険性そのものです。そこで告げられる裁きの深刻さは、罪の堕落の悲惨さを語っています。そして、私たちはそうした救いがたい罪が自分のうちにあるのをここに認めざるを得ません。もし、この律法が徹底して実現されるならば、世界は神の御手によって滅ぼし尽くされます。
    しかし、福音によって明かされた真実は、神が御子の贖いによって私たちのうちから悪を取り去ってくださることです。聖霊の恵みであるキリストへの信仰こそが、あらゆる誘惑に打ち勝つ力です。
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  • 主の御心を行う(申命記 12章)
    あなたたちは、我々が今日、ここでそうしているように、それぞれ自分が正しいと見なすことを決して行ってはならない。
    (申命記12章8節)
    12章からは26章に至る法令集が始まります。これは、神との契約に従って民が豊かな祝福を得るための手段です。イスラエルがモーセの律法を全うして、それを孫子の代まで受け継がせるのは、異教徒たちに囲まれながらも、信仰の証しを通して真の神を知らせるためです。神の祝福は、契約の恵みを通して、イスラエルから世界へと向かいます。
    そこで注意すべきは「主が良しとし、正しいと見なされることを行う」ために(28節)、判断の基準を神に求めて、御言葉に聞くことです。自分の目に頼って周囲と同じように振る舞った結果、イスラエルは子どもたちを犠牲にするという悲惨までも味わいました。
    律法遵守の義務などと言うと、いかにも奴隷的な扱いを受けるような印象を受けますが、そこには土地の豊かさを享受する祝福があり、自由に肉食もできる寛大さも示されています。イスラエルの神は決して不条理な仕方で民衆を踏みつける暴君ではなく、御自分の民を愛情深く育てる親のように、モーセの口を通して語ります。
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  • 礼拝に行くときわたしはうれしい(詩編 122編)
    わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。
    「あなたのうちに平和があるように。」
    わたしは願おう
    わたしたちの神、主の家のために。
    「あなたに幸いがあるように。」
    (詩編122編8節~9節)
    「主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった」と、礼拝に向かうときのうれしさを素直・素朴に歌い出す詩編です。神を礼拝できることの個人的なうれしさから出発して、心は礼拝に共に与る仲間「わたしの兄弟、友」へと広がっていきます。そして仲間たちの顔を思い浮かべながら一人一人に「平安があるように、…平和があるように」と繰り返します(6節)。まるでこれを、礼拝に向かう喜ばしい足取りのリズムのようにして。さらには、主の家にまで人格のように呼び掛けて「あなたに幸いがあるように」、すべてのよきことがあなたを満たしますようにと願うのです。
    一人一人のこのような思いが一つになったとき、どれほど祝福に満ちた礼拝になることか、想像に余りあります。礼拝の喜びと聖徒の交わりの喜びは一体です。それは復活のキリストご自身からも「あなたがたに平和があるように」(ルカ24章36節)と願われている私たちの礼拝であり、聖徒の交わりです。そのような礼拝にきょうも行けるなら、単純素朴に「わたしはうれしかった」と言ってよいでしょう(1節)。
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  • 必要なことは(ルカによる福音書 10章)
    主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
    (ルカによる福音書10章41節~42節)
    主イエスたちが、ある村に入ると、マルタが迎えました。忙しく立ち働くマルタをよそに、妹マリアは主の足元に座り、話に聞き入っています。不満をもらすマルタに、主は、必要なことはただ一つ、マリアは良い方を選んだ、それを取り上げてはならない、と答えられます。
    必要なただ一つのこととは、主の御言葉に聴き入ることです。主のお考え、願い、戒め、ご計画を聴いて初めて、私たちは、主を知り、主に喜ばれる道を選び、歩むことができます。私たちの生活や活動の源に、主の言葉が据えられることが必要です。
    マルタは、もてなしを否定されたわけではありません。主イエスに諭され、優先順位を教えられた彼女は、過越祭の6日前にも主イエスを夕食に招き、給仕に励んでいます。
    聖書の中で、二度名を呼ばれた人は、主から大切な務めを委ねられています。モーセ、サウル、シモンです。マルタも主イエスから、奥義を聞かされます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハ11章25節)と。タイプこそ違いますが、マルタも主から深く愛され、主の御言葉に養われて歩みました。
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  • 最も小さい者こそ(ルカによる福音書 9章)
    「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」
    (ルカによる福音書9章48節)
    誰がいちばん偉いか。古今東西、人の集まる所では、このような議論が有形無形に起こるのが常のようです。主イエスの弟子たちも例外ではありませんでした。誰がいちばん偉いかを話し合いながら、その実、自分が一番だと各自が結論を出している「彼らの心の内を見抜き」、主イエスは一人の子供の手を取り、ご自分のそばに立たせて言われます。「わたしの名のために」この子供を受け入れる者は、わたしを、そして父なる神を受け入れるのだと。
    主イエスの御名によって悪霊を追い出しながら、自分たちと共に主イエスに従わない者を咎めたヨハネを、主イエスは振り向いて戒められました。大切なのは、主の「名のために」行うことにあるのでしょう。私たちの動機や目的が問われているのではないでしょうか。
    「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である」と語られた主イエスは、子ロバに乗り、弟子たちの足を洗い、十字架の死にまで従われた最も小さく低いお方でした。それゆえ神は、主イエスを復活させ、神の栄光の右の座に高く上げられました。
    最も小さく最も大きな私たちの主を、もう一度見上げたいと思います。
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  • 自分の持ち物を出し合って(ルカによる福音書 8章)
    悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。
    (ルカによる福音書8章2節~3節)
    罪深い女に赦しを宣言した主イエスは、その後、神の国を宣べ伝えながら、町や村を巡り、旅を続けられました。十二弟子を伴う大所帯です。
    彼らに奉仕したのが、多くの婦人たちでした。イエスに悪霊を追い出していただき、病をいやされた感謝と喜びを、彼女たちは忘れることなく語り合っていたのかもしれません。悪霊に悩まされる苦悩、床に臥さねばならない孤独で無力な日々から解放された今、憐れみによって与えられた自由な時間と財産をもって、主イエスの一行に奉仕したいと願うのは、信仰者として当然のことだったかもしれません。
    ルカはここで、マグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、スサンナ、と名前や立場を詳細に列記しています。「男だけで○○人」と、女性が人数に数えられていなかった当時の社会的背景を考えれば、特筆に値することです。事実、後に、彼女たちは誰よりも先に墓に向かい、キリストの復活の証人となり、復活の出来事を弟子たちに伝える役割を果たします。財産であれ時間であれ、与えられているものをもって、忠実に神にお仕えする私たちを主は喜んで用いてくださいます。
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  • 約束された祝福(申命記 11章)
    あなたたちが渡って行って得ようとする土地は、山も谷もある土地で、天から降る雨で潤されている。それは、あなたの神、主が御心にかけ、あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる土地である。
    (申命記11章11節~12節)
    神がイスラエルに約束された土地の祝福は豊かです。特に雨のことに注意が払われています。エジプトでは水汲みに多大な労力を費やして畑仕事をしなければなりませんでしたが、新しい土地では豊富な水が約束されています。雨は神の恵みを象徴的に表します。
    ただ、エジプトとの比較ということでは、実際、ナイル川の豊かな流れを知る民にとって、カナンの土地はそれほど魅力的に見えたかどうかはわかりません。モーセがここで語っているのは、むしろ、目に見えるもの以上の神の恵みを信じる信仰でしょう。大切なことは、地の実りという物質的な豊かさばかりでなく、神が常に目を留めておられ、配慮しておられる特別な恵みがあることです。
    こうした神の気配りが隅々に及ぶ土地は、さながらエデンの園のようです。そして、新しいエデンに住まうのは天の星の数ほどもある民です。呪いの警告は祝福の大きさを際だたせるばかりです。契約を結んでくださった主なる神だけを信じよう、と誰もが思うに違いありません。
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  • あなたの賛美、あなたの神(申命記 10章)
    あなたの神、主を畏れ、主に仕え、主につき従ってその御名によって誓いなさい。この方こそ、あなたの賛美、あなたの神であり、あなたの目撃したこれらの大いなる恐るべきことをあなたのために行われた方である。
    (申命記10章20節~21節)
    神がモーセを通じてイスラエルに授与された十戒の契約の板は、民の背きによって一度破棄されました。神と民との契約は、人間の側の違反によってかくも容易く破棄されてしまうものですが、神は再びご自身から契約を結んでくださいます。神ご自身が記入した契約の板は、もう一度モーセに手渡されて、民の間に留まります。
    イスラエルの民は、出エジプトと荒野の旅路において、神の力を祝福と裁きの両面で体験してきました。それらの出来事は苦しい道のりであったかも知れませんが、最後は主の祝福が実現して自分たちが幸せになるためだったとわかります。
    イスラエルは小さな民でしたが、神と出会って、その祝福のもとで大きくなります。躓きの多かった歴史を振り返れば、決して自分を誇ることはできません。しかし、唯一の真実の神と契約を結んだという、特別な神の恵みを誇ることができます。
    主はわたしの賛美、わたしの神です。この喜びに満ちるとき、神の民の喜びは土地との結びつきを越えて遥か遠くにまで及びます。
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  • 正しいからではなく(申命記 9章)
    あなたは荒れ野で、あなたの神、主を怒らせたことを思い起こし、忘れてはならない。あなたたちは、エジプトの国を出た日からここに来るまで主に背き続けてきた。
    (申命記9章7節)
    イスラエルが導かれる土地には強力な敵が待ち構えていました。それでもそこに入っていけるのは、神が先頭に立って戦ってくださるからです。それを信じる信仰だけが民に求められたことでした。
    ですから、イスラエルは自分を誇ることができません。モーセは念を押すように「あなたが正しいからではない」と繰り返します(4~6節)。イスラエルが選ばれて約束の土地に導いていただけるのは、第一に、神が御自身の契約に忠実であられるからです。そして第二に、イスラエルがいかに不信仰であっても、モーセという執り成し手があって、赦されてここまで来ることができたからでした。誇るものなど何もないのがイスラエルです。あえて言うならば、そのように何も誇ることができない、惨めで弱い民であることが、彼らが選ばれた理由です。
    神が罪人を救ってくださるのは、ただ憐れみによります。聖書は新約聖書の福音も合わせて一貫して恵みの神を私たちに伝えています。私たちはただ、その事実を受け入れて、神を神として仰ぎます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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