リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 炎のことば(申命記 4章)
    あなたの神、主は焼き尽くす火であり、熱情の神だからである。
    (申命記4章24節)
    モーセはまるでシナイ山に立っているかのように神の契約について語ります。かつて神は、黒雲と密雲が垂れこめるホレブの山(シナイ)で、火の中からイスラエルに語りかけられました(11、12節)。民は神の姿を見ることができませんでしたが、神の言葉は雷鳴のようで、炎のごとき激しさで民に迫りました。モーセは、神の熱情をうちに宿して、炎のように燃え上がる主の愛と裁きを「今日」、再び語ります。
    イスラエルは人間の願望が生み出す神々に惑わされないように、御言葉に従う生活によって自らを聖別しなくてはなりません。偶像は手元にあって触ることさえできますが、それは何の希望も与えてくれません。それに対して真の神は姿をもたず、遠く手の届かない天におられます。しかし、真の神は御言葉によって、私たちの心に語りかけ、生活にまで触れて来られるお方です。
    契約違反を警告する裁きの言葉もまた、民に対する神の熱情を伝えます。私たちはその炎の中に、私たちの罪のために十字架におかかりになった主イエスのお姿を垣間見ることができます。
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  • 信じる理由(申命記 3章)
    わたしはそのとき、ヨシュアに命じた。「あなたたちの神、主が二人の王に対してなさったことをすべて、あなたは自分の目で見た。主は、あなたがこれから渡って行くすべての王国にも同じようにされるであろう。彼らを恐れてはならない。あなたたちの神、主が自らあなたたちのために戦ってくださる。」
    (申命記3章21節~22節)
    ヘシュボンの王アモリ人シホンとの戦い、そしてバシャンの王オグとの戦いはイスラエルにとって輝かしい勝利の記憶となりました。それは、カナンを前にして、臆して世を去った前の世代とは異なるイスラエルの姿です。けれども、その出来事を通してモーセが伝えるのは、イスラエルの雄姿ではなく、主の御業です。主と共にあってこそ、イスラエルには栄光が輝くのであって、そうでなければ、民は荒れ野で滅びる他はありません。
    それを忘れてしまえばイスラエルは力を失い、敵を前にして怖けます。アモリ人の地での二つの戦いは、主がイスラエルのために戦ってくださった聖なる記憶であり、イスラエルが勇気を奮い起こすことができる理由です。「恐れてはならない」との呼びかけには、まず主が戦ってくださった、という歴史的な根拠があります。
    私たちは、主イエスが十字架と復活を通して戦い取ってくださった勝利を信じることによって、「恐れてはならない」との神の呼びかけを、今も日々への派遣の言葉として聞くことができます。
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  • 与えられた土地で友好関係を築く(申命記 2章)
    主はわたしに仰せになった。
    「あなたは、今日、モアブ領アルを通り、アンモンの人々のいる所に近づくが、彼らを敵とし、彼らに戦いを挑んではならない。わたしはアンモンの人々の土地を領地としてあなたには与えない。それは既にロトの子孫に領地として与えた。」
    (申命記2章17節~19節)
    かつてイスラエルはカナンの地へ、南からの侵入を試みて失敗しましたが、今度は主の言葉に従って北からのルートを辿ります。その際、神は五つの民との接触について慎重にお語りになりました。
    エドム、モアブ、アンモンは、どれもイスラエルと親戚関係にある民族です。エドムはヤコブの兄エサウの子孫ですし、モアブとアンモンはアブラハムの甥であるロトの子孫です。イスラエルは彼らの土地を通過して約束の地へ進まなくてはなりません。その際、神はイスラエルに、彼らに戦いを挑んではならない、と命じておられます。きちんと礼を尽くして通らせてもらうようにと、友好関係を築くことが求められます。
    土地の取得の背後に、土地に対する神の定めがあります。イスラエルには約束された土地があり、そこで自らを聖別して信仰を保たなくてはなりません。同時に神は諸民族にも固有の領地を与えておられます。信仰が異なる周りの人々も、神の目からすれば皆兄弟姉妹です。
    私たちも、住む場所を与えてくださった神に感謝し、周りの方々と友好な関係を築きます。
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  • 歴史を振り返る(申命記 1章)
    主はわたしに言われた。「彼らに言いなさい。攻め上って戦ってはならない。わたしはあなたたちのうちにいない。敵に撃ち破られてはならない。」わたしはそう伝えたが、あなたたちは耳を貸さず、主の命令に背き、傲慢にも山地へ上って行った。
    (申命記1章42節~43節)
    イスラエルの世代交代を前にして、モーセが懇切丁寧に解き明かした神の言葉が、この『申命記』にまとめられています。はじめにモーセは神の民と共に荒れ野を旅してきた道程を振り返って語りかけます。
    イスラエルの信仰はその歴史と深く結びついています。歴史を振り返ることで重要なのは、そこに神の救いの業を確認して、神への信頼と忠誠とをいつも新たにすることです。そしてまた、そこでの民の躓きを反省して、同じ過ちを繰り返さないように自戒することです。都合の悪いことは思い出したくないのが人情かもしれませんが、そうしたごまかしが何の意味もないことをイスラエルは知っています。歴史の真実から目を背けることは人間の愚かさに過ぎず、神の御前にとぼけても何の益もありません。歴史を反省し悔い改めて歩むところでこそ、明日への道は開かれます。
    モーセの言葉は私たちに信仰の目で振り返るように促します。その時、神が先頭を進まれた救いの道と、神が背負ってくださった人生の歩みが、私たちの過去に未来に見えてきます。
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  • 御言葉を楽しむ (詩編 119編)
    わたしはあなたの律法を楽しみとします。
    卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
    わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。
    あなたの口から出る律法はわたしにとって
    幾千の金銀にまさる恵みです。
    (詩編119編70節~72節)
    「わたしはあなたの律法を楽しみとします」(70節)、「あなたの律法はわたしの楽しみです」(77節)。このように繰り返される「律法」とは、この119編の冒頭で、「いかに幸いなことでしょう…主の律法に歩む人は」と言われていた「律法」です。
    また、それは詩編全体の冒頭、第1編の「いかに幸いなことか…主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」のように「教え」とも訳されます。私たちの幸いの基である主の教え、御言葉のことです。
    私たちの幸いは御言葉を「楽しむ」生き方にあります。「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」。
    そのようにして私たちの苦難は御言葉との出会いを生みます。今、私たちは御言葉を学びながら生きるすばらしい生き方に移されています。そのことを思えば、そのきっかけになったあの時の苦難は自分にとって良いことだった、と考えることができる幸いがあります。
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  • 揺るがず、信仰に立つ(使徒言行録 4章)
    そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」
    (使徒言行録4章8節、20節)
    ペトロとヨハネは足の不自由な男を主イエスの御名によって癒し、主イエスこそ聖書が預言したキリストであると宣教しました。そのため最高法院で尋問されます。二人は主イエスの十字架の死と、神の力による復活を堂々と語って、「この方以外には、だれによっても救いはありません」(12節、新改訳)と福音を告げ、最後に「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と明言します。
    私たちも信仰のゆえに迫害を受けることを想定すべきです。そのとき私たちは、たとえどのような権威であっても、それに従うことはできません。私たちが従うのは、ただキリストだけです。
    それにしても一体、どこからこのような勇気や力が湧いて来るのでしょう。御言葉はペトロとヨハネの背中を押してくださった方がおられたと記録しています。「そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った」。そうです。聖霊が揺るがない信仰に立つ大胆さをペトロに与えられたのです。この新しい年も聖霊の力と導きを信頼し、「見たことや聞いたこと」を証しし続けましょう。
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  • 信仰を支える四つの柱(使徒言行録 2章)
    彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
    (使徒言行録2章42節)
    一年の計は元旦にありと言いますが、皆さまは何を今年の信仰生活の要とされるでしょうか。初代教会の信徒たちは、使徒の教え(御言葉)・交わり・パンを裂くこと(聖餐式)・祈りを信仰生活の四つの柱とし、その実践に熱心でした。
    御言葉は、公的礼拝や家庭・個人礼拝を通し、私たちの魂が健全で希望をもって安らかに過ごせるように神が与えた命の糧です。
    交わりは、一人ひとりをキリストの体の大切な部分として互いに励まし、慰め、喜び、泣いて、主にある兄弟姉妹として歩むことです。
    「パンを裂くこと」は十字架で主がその命を献げることによって私たちを滅びから救ってくださった事実に、私たちの心を向けさせます。
    最後に、主は祈りを用いてご自身との人格的な交流に私たちを招き、御言葉に示された御心を聖霊により明らかに示されます。
    この四つの柱に熱心であるなら、当時の信徒が「すべての民に好意を持たれた」(47節、新改訳)ように、私たちも、周りの人びとにキリストの香りを放つことになります。
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  • 礼拝-神の顧み(イザヤ書 66章)
    天はわたしの王座、地はわが足台。
    あなたたちはどこに
    わたしのために神殿を建てうるか。
    …
    わたしが顧みるのは
    苦しむ人、霊の砕かれた人
    わたしの言葉におののく人。
    (イザヤ書66章1節~2節)
    長く重厚な書物が、ここで閉じられます。けれどもここで語られた神の言葉は、決して閉じられることがありません。人間と世界、とりわけイスラエルと教会に語りかけ続けます。イザヤ書を通して語られる神の言葉は、甘い言葉、人にへつらう言葉ではありません。神の言葉は、人間の罪を直視し、罪ゆえの悲惨から目を逸らしません。
    イザヤ書が最後に問いかけるのは、礼拝という主題です。どのような礼拝を神は喜ばれるか。新天新地を待ち望む教会と世界は、礼拝の恵み、礼拝の改革という主題を曖昧にしないよう、最大の注意を払うべきです。「あなたたちはどこに、わたしのために神殿を建てうるか」。これは神殿礼拝の否定ではありません。しかし、神殿礼拝が形式に流れ、偶像礼拝の罪に陥る現実に、預言者は終わりまで敏感です。
    神が喜ぶ礼拝者は、「苦しむ人、霊の砕かれた人」です。信仰ゆえの苦しみを恐れず、謙遜な祈りで主に近づく人です。御言葉におののく人を、神は顧みられます。神の顧みは神の牧会です。神の顧みこそ、来る年の教会と世界の希望、信じる者の慰めです。
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  • 喜びに生きる民(イザヤ書 65章)
    見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
    初めからのことを思い起こす者はない。
    …
    見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
    その民を喜び楽しむものとして、創造する。
    (イザヤ書65章17節~18節)
    神の言葉は、どのような苦難の中にも希望を見出す力を主の民に与えます。イスラエルの歴史が、その最も鮮やかな実例です。数々の背きと過ちが、選びと恵みを空しくするのではないかと懸念されるような危機がありました。人間の目では、希望を繋ぎとめることが不可能に思えるほどの失意と闇。それが神の光に照らされた人間の現実です。
    天地を創造された神には、失望もなく諦めもありません。それが「新しい天と新しい地」の創造に結実します。聖書に証しされた神は、人間のあらゆる失意に終わりをもたらす神です。世界のどのような危機にも、明るい見通しをもって立ち向かい、最後の勝利と完成をもたらす神です。
    「新しい天と新しい地」を描く聖書の言葉は、不思議なほど控えめです(黙21章も同様)。イザヤ書が告げる新天新地の最大の特質は「喜び」です。神ご自身が喜びの内におられます。神はその民を喜び、民もまた神を喜びとします。歓喜の光が私たちを待っている、何という幸いでしょう。しかもそれは、終わりでなく真の始まりです。
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  • 神を待ち望む(イザヤ書 64章)
    あなたを待つ者に計らってくださる方は
    神よ、あなたのほかにはありません。
    昔から、ほかに聞いた者も耳にした者も
    目に見た者もありません。
    (イザヤ書64章3節)
    捕囚が解けて、民がエルサレムに帰還する時代が、この箇所の背景と考えられます。一説では、紀元前538年に捕囚から解放され、同515年にエルサレム神殿が再建されるまでの期間が、ここでの預言の背景とされます。
    荒廃し手の付けようのない都に、人々の目が釘付けにされている様子を想像することができます。古いものは去り、新しいものは未だ再建されない、いわば空白の時代です。自分の存在の限りない軽さを嘆く痛ましい言葉も見られます。「わたしたちは皆、枯葉のよう」(5節)。恵みに根を下ろさない人生は、枯葉に等しい。この実感が、自分たちの「汚れ」と「悪」の自覚に結びついていることが重要です。預言者は、罪の自覚に欠ける民のため、深い嘆きと悔い改めを痛切に告白しています。
    自分で自分を救う道はないことが分かるとき、「あなたを待つ者に計らってくださる方は、神よ、あなたのほかにはありません」という嘆願と希望が真実となります。骨身に徹して自己の無力を知るとき、神を待ち望む信仰が希望を生みます。神を待ち望め!
    4 min

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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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