リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 絶えず試練、絶えず主イエスの助け(使徒言行録 27章)
    しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。「皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」
    (使徒言行録27章14節、25節)
    「良い港」という所でパウロは、これ以上航海を続けることは危険だと感じ、出港をやめるよう求めました。しかし、百人隊長は自分の経験や知識を信頼していた船長や船主を信用し出発します。
    その結果、エウラキロンという海の暴風にあい、ルカが「助かる望みは全く消えうせようとしていた」と書くほどでした(20節)。この自然災害によってパウロによるローマへの福音宣教は絶望的に見えました。しかし、神からの天使がパウロに、ローマへの福音宣教が神の計画であることを伝えて励まし、パウロを含めて276人の命を救ってくださいました。
    しかし、船が激しい波で壊れだします。囚人が逃げてしまったら兵士たちはその責任を負わなければならないので、囚人すべてを殺そうとしました。しかし、百人隊長が兵士たちを思いとどまらせたので、パウロは救われます。
    生きる望みがないような絶望の瞬間が次々と襲うときがあるかもしれません。そのときこそ、主イエスによって強く慰められる瞬間です。その希望を持つことがゆるされているのが、私たちクリスチャンです。
    4 min
  • 信じるように祈り続ける(使徒言行録 26章)
    「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
    (使徒言行録26章27節)
    パウロは、旧約の預言は、キリストの復活によって成就したと証しします。さらに福音が異邦人へも開かれている、と語り、アグリッパ王に福音を受け入れるように熱心に話しました。アグリッパ王の父はヨハネの兄弟ヤコブを殺した人ですが(12章参照)、アグリッパ王は、ユダヤ人に理解のある人でした(3節)。
    パウロの話を聞いて異邦人フェストゥスは、「お前は頭がおかしい」と言いました。しかし、旧約の預言を知っていたアグリッパ王は、「わたしを…キリスト信者にしてしまうつもりか」と言います。パウロはそう言う王に、「私のようになってくださることを神に祈ります」と答えました。
    アメーバが進化してサルとなりサルが人間になったと信じる現代の人には、復活など、おかしい話でしょう。私たちの前にいるのは、聖書の言葉で自分の人生を理解しようとしたことがない人々です。
    わたしは伝道所の信徒の方々と共に駅前で賛美しながら路傍伝道をしています。時にはおかしい人だなと思われたり、早く逃げる人もいます。けれども福音を信じ救われるように、パウロ以上に祈り続けたいと思います。
    4 min
  • ただ恵みにより救いが(イザヤ書 59章)
    主は正義の行われていないことを見られた。
    それは主の御目に悪と映った。
    主は人ひとりいないのを見執り成す人がいないのを驚かれた。
    主の救いは主の御腕により
    主を支えるのは主の恵みの御業。
    (イザヤ書59章15節~16節)
    イスラエルの救いは、現実の歴史の中で、さまざまな曲折を経ます。捕囚からの解放が実現しても、それがすぐさま民に平和と安定をもたらすわけではありません。行き詰まりと閉塞の中で、人々の心にきざすのは、「主の手が短くて救えない」という神への不信感です。まことの平和と解放を妨げている真実の原因を見ず、御手の業に不足を言い立てるのがアダム以来の人間の性癖です。
    救いに至る展望が容易に開けない現実は、神御自身の嘆きでもあります。神は、人間の心に潜む果てしない罪と背きに心を痛められるお方です。神は、愛と憐れみに打ち震えながら、救いの道を探られます。神の全能は、心情も驚きもない機械的な力ではありません。愛し、悲しみ、裁き、憤ることにおいても、神は全能の主であられます。
    民の悲惨を見ながら、誰一人執り成す者のない現実に、神は驚きを隠しません。救いは、ただ神の一方的な決意と献身による恵みです。独り子イエスを賜るほどに世を愛された神。神は、独り子をベツレヘムの飼い葉桶に横たえ、ゴルゴタの十字架にまで送られました。感謝します。
    5 min
  • 礼拝と正義(イザヤ書 58章)
    わたしの選ぶ断食とはこれではないか。
    …
    飢えた人にあなたのパンを裂き与え
    さまよう貧しい人を家に招き入れ
    裸の人に会えば衣を着せかけ
    同胞に助けを惜しまないこと。
    (イザヤ書58章6節~7節)
    断食という宗教的行為は、今日のキリスト教会とキリスト者には極めて疎遠な習慣です。一部のキリスト教会では、信仰生活の生きた慣行として重んじられていますが、多くの場合、主に宗教的な実り・敬虔の実行に焦点を合わせていると思われます。
    イザヤが同胞に求める断食は、社会的な不義や不公正を是正するための具体的な行動を呼びかけている点で注目されます。断食に、宗教的な偽善や自己満足が紛れ込みやすいことは、主イエスも指摘しておられる通りです(マタ6章16節以下)。
    断食が、祈りと悔い改めの徹底という、宗教上の目的をもつことは当然です。しかし、社会的な意味を考慮しないまま行われる断食は、少なくともイザヤのような預言者の理解からほど遠いと言わねばなりません。断食は、自分のパンを貧しい隣人と分かち合うこと、社会的な不公正の谷間で苦しむ人々を助けることです。礼拝の恵みと正義の要求は分離されません。分離されがちな二つを結び合わせるとき、教会は「わたしはここにいる」(9節)という主の声を鮮明に聞く集いとされるはずです。
    4 min
  • 打ち砕かれた心の支え(イザヤ書 57章)
    高く、あがめられて、永遠にいまし
    その名を聖と唱えられる方がこう言われる。
    わたしは、高く、聖なる所に住み
    打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
    へりくだる霊の人に命を得させ
    打ち砕かれた心の人に命を得させる。
    (イザヤ書57章15節)
    バビロン捕囚は、イスラエルの民にとって未曽有の試練でした。試練と苦難の中で、人々の信仰も篩われ、試されます。あれほどの悲惨を経験しても、イスラエルの心は神を畏れることから遠いままです。神に立ち帰り遜る道は、神が憐れみの霊を贈ってくださるときにのみ開かれます。
    「高く、あがめられて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方」。神の名乗りは圧倒的な威力をもっています。かつてイザヤを圧倒し、彼を預言者として召し出した神の、聖にして偉大な本質が、ここでも明らかにされます。人間の小賢しい知恵で、神の聖なる名を侮り欺くことが、どれほど空疎な企てであるか。神の聖なる威力は、高慢な人間を打ち砕き、「へりくだる霊の人」に造り変えます。ここに苦難の時の希望があり、困窮の時の慰めがあります。
    高く聖なる神が、「へりくだる霊の人」と共にあり、神の高さが、同時に神の低さでもあるというのがイザヤ書を貫く神の臨在です。「打ち砕く」とは、原型を留めないことです。そこまで砕かれた人は、歴史上、ただお一人です。神は独り子イエスにその道を歩ませてくださいます。
    5 min
  • 神への感謝と人々への証し(詩編 116編)
    主に満願の献げ物をささげよう
    主の民すべての見守る前で
    主の家の庭で、エルサレムのただ中で。
    ハレルヤ。
    (詩編116編18節~19節)
    この詩人は瀕死の病か、迫害の艱難に遭ったのでしょう。「あなたはわたしの魂を死から…助け出してくださった」と体験を語ります(8節)。この死ぬほどの恐ろしい体験は「死の綱」、「陰府の脅威」、「激しい苦しみ」、「縄目」と表現されます。
    牧師は還暦を過ぎるまでには、大抵の苦しみを経験します。病気の苦しみ、痛みやストレスで眠れない夜、老化による慢性的な痛み、伝道の不振によるあせり、人間関係のもつれ、言葉の過ちの悔い。それらを経験しつつ、今日、牧師は講壇に立っています。そして自分の伝道者としての力量を自覚した頃にはもう定年です。
    この詩人は「わたしは主を愛する」、「わたしは主を呼ぼう」、「わたしは信じる」と激しい口調で自分の信仰を証しします(1、2、10節)。それも「満願の献げ物」によって、「主の民すべての見守る前で」、「主の家の庭で」と、公的な場で主が「哀れな」私たちを憐れんでくださったことを知らしめようとしています。なぜならそれが「神の正義」だからです。きょうは神の正義が公に賛美される日です。この方を呼びましょう。
    5 min
  • 重なる陰謀を乗り越えて(使徒言行録 25章)
    祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。
    (使徒言行録25章2節~3節)
    40人の暗殺団の企みも、弁護士を使って判決によってパウロを死刑にさせようとしたことも失敗に終わりました。それでは終わらず、今度は新しく総督として赴任したフェストゥスに、ユダヤ人の最高宗教指導者たちが、ユダヤ人全体の代表として、初めての挨拶にやってきました。そこでカイサリアにいるパウロをエルサレムへ送り返すように頼みます。途中でパウロを殺そうと、陰謀を企んでいるのです。
    しかし、主イエスの導きによってこの陰謀もまた失敗に終わります。パウロはカイサリアで軍人たちによって徹底的に守られていました。また総督フェストゥスは、まもなくエルサレムからカイサリアに戻らなければなりませんでした。そのため、ユダヤ人たちの願いを断ります。
    この判断によってパウロは命が助かります。いろいろな宗教を含めて福音宣教を止めさせようとする陰謀やたくらみは今も絶えず起こっています。しかし、それは失敗に終わります。どのような状況でも主イエスによる福音宣教は揺るぐことなく進むからです。ここに宣教の夢と希望があるのではないでしょうか。
    4 min
  • 2年たって(使徒言行録 24章)
    さて、2年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。
    (使徒言行録24章27節)
    大祭司であり、最高法院の最高裁判官でもあるアナニアが弁護士を連れてきてパウロの死刑を求めています。罪の内容は騒動の罪、反乱の罪、神殿冒涜の罪の三つです。どれをとっても死刑の可能性が高いものです。パウロは訴えられている三つの罪に対して弁明し、自分の無罪を証明して勝利をします。
    しかし、フェリクスは、民衆の暴動を経験しており、ユダヤ人全体の願いを断ることで、もし、暴動が起きたら、自分自身の政治的な命が危うくなります。そこで彼が取った行動は、パウロから金をもらおうとする下心と、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを2年もの間監禁させることでした。
    ところが、これは2年の間、パウロを安全に保護しようとする主イエスの導きでした。パウロは、主イエスのローマ宣教の約束はどうなるだろうと心配したかもしれませんが、ここでも主イエスはフェリクスを用いて徹底的にパウロを守り、ローマ宣教への準備をしておられました。宣教は、主イエスご自身のものです。私たちは、忍耐と祈りをもって、主ご自身の宣教を主と共に行います。
    4 min
  • 祈りの家の祝福(イザヤ書 56章)
    また、主のもとに集って来た異邦人が
    主に仕え、主の名を愛し、その僕となり
    安息日を守り、それを汚すことなく
    わたしの契約を固く守るなら
    …
    わたしの祈りの家の喜びの祝いに
    連なることを許す。
    (イザヤ書56章6節~7節)
    56章では安息日への注意と関心が、前面に現れます。バビロン捕囚からの帰還という歴史的な変化を踏まえた言葉が、ここから始まります。歴史と社会が変化するとき、神の民の霊的な課題もまた変化を遂げることが多いと考えるべきです。
    何よりも大きな変化は、バビロン捕囚以後の救いの歴史が、異邦人の救いという、世界的な視野を持つに至ることです。礼拝から排除されていた「宦官」(3節)にも契約の恵みが適用されます。救いの扉が広々と開け放たれるとき、招かれる私たちが神の愛に相応しい応答を返すことは当然の責務です。その中心に置かれるのが、安息日を正しく守ることです。深い注意を寄せるべきなのは、安息日を守ることが、決して形式上の義務として教えられてはいないことです。
    「主に仕え、主の名を愛し、その僕と」なる安息日の生活が、霊的な深みを保つことを神は要求しておられます。安息日とは、神への愛が輝く日です。神の僕としての喜ばしい献身が実を結ぶ日です。それは「祈りの家」に住まう喜びです。この喜びに招くため主イエスは来られました。
    4 min
  • 魂にまことの命を(イザヤ書 55章)
    耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
    聞き従って、魂に命を得よ。
    わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
    ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。
    (イザヤ書55章3節)
    民に代わって罪と病を背負われる主の僕の愛と労り。そこから届く回復と癒しの恵みが、55章でも、さまざまな形で約束されています。
    「聞き従って、魂に命を得よ」。聞くことは、聖書の信仰の命です。聞くことで信頼し、聞くことが平和と喜びをもたらします。贖い主である主の僕は、「聞き従う」ことを喜びとされました(50章4節)。聞くためには、主のもとに集わなければなりません。つまり聞くことは、神の近さを約束する恵みだからです。聞き従う者は、「魂に命を得」ます。
    魂は、感情・知識・心の状態などのすべてを取りまとめ、人間の命と存在の根幹を形作ります。しかも旧約における魂は、人間の弱さを浮き彫りにします。命の寄る辺なさ、深い悩みの中で嘆き傷ついている人間、それが魂として生きる人間です。
    逃れられない弱さをもつ私たちを、また、聞くことが苦手な私たちを、力強い救いへと招く神の恵みが訪れました。ダビデが待ち、イザヤが憧れた「とこしえの契約」が実現しました。実現した契約を、一層深く体験する待降節でありますよう。
    5 min

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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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