リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神は憐れみに富む(イザヤ書 54章)
    わずかの間、わたしはあなたを捨てたが
    深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。
    ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが
    とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと
    あなたを贖う主は言われる。
    (イザヤ書54章7節~8節)
    個人も社会も、歴史の中で苦しみもだえる経験を続けています。もっと違った、もっと穏やかな道がないものか。目を伏せ首を振りながら嘆きを繰り返す私たちです。けれども、イザヤ書を通して語り続ける主は、人間とその歴史が、苦悩と嘆きに満ちたものであることに、まっすぐ向き合っておられます。
    神は、イスラエルの民を「わずかの間」捨てられました。捕囚はイスラエルの存亡にかかわる重大な試練です。選びの民が直面する試練。その原因が、民自身の背きと罪にあることは、まぎれもないことです。捨てられ、見放される屈辱を、不当な扱いだと言い開きする権利は、人間にありません。抗弁する資格も権利ももたない私たちのために、一人の僕が苦難を背負われました(53章)。苦難の僕による罪の贖い。その愛と憐れみによって、神の民の嘆きは「わずかの間」で終わりを告げるでしょう。
    それに対して、神の慈しみは「とこしえ」です。神が御顔を隠されるかに思える霊的な闇夜は、やがて過ぎ去ります。神の強い御手が、とこしえの愛で私たちを「引き寄せる」日が近づいています。
    4 min
  • 愛、痛みの果てに(イザヤ書 53章)
    彼が担ったのはわたしたちの病
    彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
    わたしたちは思っていた
    神の手にかかり、打たれたから
    彼は苦しんでいるのだ、と。
    (イザヤ書53章4節)
    イザヤ書後半部には、「僕の歌」と呼ばれる四つの驚くべき使信が記されています。53章はその最後の歌です。これによってやがて新約聖書で全貌を現す主イエスの救いの核心につながる、重大で痛切な福音を伝えています。
    僕の苦しみは、人々から理解も共感も得られないかに思われました。しかし、やがて事態は一変します。僕の苦しみと惨めな面影に、まったく新しい光が当てられます。この僕が受けている、恐ろしいほどの苦難と痛みは、「わたしたちの病」を担う代理の受苦でした。
    「神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ」。これがとんでもない思い違いだと知ったとき、人は皆神の前に恥じるでしょう。僕の苦難の中に救いと赦しがあることを知れば、この僕こそ人生の主だと告白するでしょう。主の僕の苦しみが、主イエスの生涯を通して実現したことを、感謝をもって告白するに違いありません。
    僕自身には、どのような罪も過ちもありません。しかし神は、この僕の上に罪と背きに対する裁きを置かれました。主イエスの愛と痛みの故に、今日の平安があります。
    4 min
  • わたしたちこそ、主をたたえよう(詩編 115編)
    偶像を造り、それに依り頼む者は
    皆、偶像と同じようになる。
    (詩編115編8節)
    古代社会では、戦争はそれぞれの国の守り神どうしの戦いと考えられていました。バビロンへ捕囚となったイスラエルの人びとは、国の守り神が負けたことになり、バビロン人から「彼らの神はどこにいる」(2節)と笑われました。
    しかし詩人は、諸国の神々は偶像にすぎないと、言い切ります。敗戦は神のご計画の上であって、自分たちへの刑罰かもしれない。これによって神は、私たちに大きなことを教えようとしておられるのだ、と信仰を表明します。
    4~8節の偶像をあざける一まとまりは、当時の慣用句として用いられたものでしょう(参照:詩135編15~18節)。足、口、目、耳、鼻、手、喉がいくら偶像にあっても、それらは全く役に立ちません。
    そして、もっと恐ろしいことは、「偶像を造り、それに依り頼む者は、皆、偶像と同じようになる」ことです。偶像礼拝者の口は役に立たず、彼らの祈りは、天地の創造主に届くことがありません。
    「主を賛美するために民は創造された」(102編19節)のですから、きょうの主の日、「わたしたちこそ、主をたたえよう」(18節)。
    4 min
  • 無事に護送するように(使徒言行録 23章)
    また、馬を用意し、パウロを乗せて、総督フェリクスのもとへ無事に護送するように命じ、次のような内容の手紙を書いた。
    (使徒言行録23章24節~25節)
    40人以上のユダヤ人たちの暗殺団が組織されて、パウロを殺す陰謀が企てられました。それはパウロを殺すまでは飲み食いしないと誓いを立てるほどの激しいものでした。この状況から逃れるのは不可能のように見えます。
    ところが、絶望的な状況を脱する契機となったのは、(意外なことに)パウロの甥でした。パウロの甥は千人隊長にその陰謀を告げます。千人隊長はその話を信じるようになりました。それはユダヤ人全体を敵に回すより主イエスを死刑にしたピラトの行動とは正反対のものでした。千人隊長は40人の暗殺団をはるかに超える470人ぐらいの軍隊を動員させてカイサリアまで護送し、無事にパウロを守りました。
    実はパウロの暗殺団が組織される前の夜、主イエスはパウロを励まし、「ローマでも証しをしなければならない」と言われていました(11節)。どれほど主イエスご自身が福音宣教に情熱を持っておられるかが分かります。
    今も主イエスは福音を伝える者を助けながら働かれます。だれも主イエスの宣教を止めることは不可能です。
    4 min
  • 主よ、あなたはどなたですか(使徒言行録 22章)
    「『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。」
    (使徒言行録22章8節)
    熱心に神に仕えているという確信に満ちていたパウロは、クリスチャン男性は勿論、女性たちをも迫害し、獄に入れ、死に至らせることすら正しいと思っていました。
    クリスチャンたちを逮捕しに行くとき、パウロは正午の一番強い太陽の光を遥かに超える神の光と遭遇しました。パウロにとって、これは奇跡的な体験でした。パウロは、光の中で、自分こそ赦しがたい悲惨な罪人であったことに気付かされました。そして、主イエスがクリスチャンたちと一つの体であることを知り、驚きました(マタ28章20節)。さらに驚いたのは、このように悲惨な罪を繰り返していた自分の名前を主がよく知っておられたことです。そして、報復の言葉ではなく、赦しと恵みが差し出され、洗礼を受けることに戸惑いを覚えるような自分が、異邦人の宣教のための使徒として任命されていたことでした。
    主の救いは、どのような者にも制限なく与えられます。私たちの将来をご存じで、私たちを用いて、揺らぐことなく宣教を進めるお方が、「主よ、あなたはどなたですか」の答えなのです。
    4 min
  • 主の御心が行われますように(使徒言行録 21章)
    パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。
    (使徒言行録21章14節)
    パウロがエルサレムに上ろうとすることに対して、霊に動かされていたティルスの弟子たちは、何回も何回も繰り返して命令語調で反対しました。また、本書の著者であるルカも含めて泣きながらエルサレムに上らないようにと説得しました。
    さらに、カイサリアでもアガボという預言者が、エルサレムでユダヤ人がパウロを縛って異邦人の手に引き渡すと預言しました(11節)。聖霊によって知らされたのですから、行くのを断念しても、どこででもすばらしい働きができるはずでした。しかしパウロは、たとえ殺されても、神の愛と恵みであるエルサレムの教会のための献金を届け、自分が行った宣教の報告をしたい、とエルサレムに上ることを決めました。
    結局、パウロは預言どおりにユダヤ人に逮捕され、暴行を受け、殺されそうになります。しかし、主イエスの導きによって千人隊長に助けられ、これをきっかけにローマへの宣教の準備が始まります。「主の御心が行われますように」と祈ったとおりになりました。今の時代にも全く変わりなく、主イエスの御心のみが行われます。
    4 min
  • 急いで逃げなくてもよい(イザヤ書 52章)
    しかし、急いで出る必要はない
    逃げ去ることもない。
    あなたたちの先を進むのは主であり
    しんがりを守るのもイスラエルの神だから。
    (イザヤ書52章12節)
    バビロンに留まることは、神の民にふさわしくありません。「立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ」と命じられています(11節)。神の民はみな、この命令を聞いています。バビロンに象徴される世は、希望と失意の間で揺らぐ場所です。約束と希望を打ち砕くものが満ち満ちています。最終的には立ち去るほかない場所で、神の民は苦難と忍耐の日を過ごしています。
    やがては立ち去るべき場所で、耐え、そして待ちながら、真剣な祈りと奉仕に明け暮れつつ、主の民は生きています。主の助けが遅くなることはありません。神は、ご自身の民が耐えられない試練のなかに、生身のまま置き去りにされることを、決してお許しにならないからです。
    捕囚の地からの旅立ちを、先頭に立って導かれたのはイスラエルの神、主です。神の国を目指すキリスト者と教会の進路を、先頭に立って導くのも同じ主です。ですから、私たちの地上の旅路は、信頼と平和に満ちた巡礼の旅です。急いで逃げる必要はありません。「しんがり」を守られるのは、勝利を得られた主です。慌てず、怠らず、進みましょう。
    4 min
  • 振り返れば恵み(イザヤ書 51章)
    わたしに聞け、正しさを求める人
    主を尋ね求める人よ。
    あなたたちが切り出されてきた元の岩
    掘り出された岩穴に目を注げ。
    (イザヤ書51章1節)
    イスラエルの民は、捕囚という試練の痛手を受けています。神との信頼関係を再建することなど到底不可能なほどの激震が、人間と社会を闇のなかに閉じ込めています。癒しと回復への道を指し示してくださるのは、ただ神の憐れみのみです。神は、預言者を通して、回復と再生に向かうただ一つの道を、イスラエルに示そうとされます。何よりもそれは「わたしに聞け」という切なる呼びかけであり、痛みを伴う愛の招きです。神は、みずから痛みを負うため、すでに「主の僕」を召し、歩むべき苦難の道、忍ぶべき道を定めておられます(50章4節以下)。
    神は、苦難と悩みの内で「主を尋ね求める人」に、救いと解放の道を備えてくださいます。その道は、物珍しいものではありません。神に聞き、救いの歴史を振り返ることです。2節の「父アブラハム」と「母サラ」は、イスラエルが「切り出されてきた元の岩」です。アブラハムを記憶することは、神の選びと愛に立ち帰ることです。取るに足りない者にどれほどの真実が注がれたか。どのキリスト者にも振り返れば、感謝の数だけ、恵みの記憶があります。
    4 min
  • 主を畏れ、主の僕の声に聞き従おう(イザヤ書 50章)
    お前たちのうちにいるであろうか
    主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。
    闇の中を歩くときも、光のないときも
    主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。
    (イザヤ書50章10節)
    この章では、エルサレムとその住民の関係を、母と子になぞらえています。人々の目には、エルサレムがまるで夫から離縁状を突きつけられた妻のように、エルサレムに住む住民たちが借金の肩代わりに債権者に引き渡された子供のように映っています。しかし、主である神は「離縁状はどれか」「債権者は誰か」と問いかけます(1節)。エルサレムが敵の手に渡り、その住民が捕囚の民として連れて行かれたのは、決して神が離縁状を突きつけたからではなく、債権者として子供を引いていったからでもありません。神の民自身のそむきの罪の結果です。神が彼らを見捨てたのではありません。
    ここには、まだ救いの希望があります。神はその僕を通して、神の民イスラエルを救いへと招き続けています。「主なる神が助けてくださ」います(7節)。主の僕も、頑ななこの民の抵抗にも挫けずに、主からの言葉を語ります。主にそむき続け、自分の思いに頼って歩み続けるならば、その行き着く末は苦悩しかありません。
    神は、今日もなお、神を畏れ、キリストの声に聞き従う者がいるかと問いかけ、イエス・キリストを通して私たちを救いへと招いておられます。
    4 min
  • イスラエルを導く神(詩編 114編)
    地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に
    ヤコブの神の御前に
    岩を水のみなぎるところとし
    硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。
    (詩編114編7節~8節)
    エジプトを脱出したイスラエルの民に、最も強烈なインパクトを与えたのは、紅海渡りの奇跡でした。「海を押し返されたので…人々は海の中の渇いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった」(出14章21、22節)。また主は「硬い岩」から水を出させ、民の渇きを癒してくださいました(出17章6節)。
    シナイ山での律法授与のときは、「シナイ山は全山煙に包まれ…山全体が激しく震え」ました(出19章18節)。また民がカナンの地に入るためヨルダン川を渡るとき、「ヨルダン川の流れはせき止められた」(ヨシュ4章7節)のです。
    まことにヤハウェはカナンの土着宗教を凌駕する方。詩人はカナンの自然宗教を克服する主をほめたたえます。イスラエルを導く方は、この世の常識を越える方です。
    私たちは物質的な水には足りていますが、霊の水に渇いてはいないでしょうか。霊の水を求めましょう。主イエスは言われました。「わたしを信じる者は、…その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハ7章38節)。
    4 min

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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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