リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 究めがたい英知の神に望みをおく人(イザヤ書 40章)
    主に望みをおく人は新たな力を得
    鷲のように翼を張って上る。
    走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
    (イザヤ書40章31節)
    主を信じる人は、信仰によって喜びをもって生きています。来るべき救い主に対する望みがあるからです。けれども、時には疲れを覚え、この世での苦労から、確信を失いかけることがあります。
    イザヤは捕囚の苦しみを体験し、戸惑う神の民にこのように告げました。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」と。
    主に望みをおくためには、主なる神がどのようなお方かを正しく知る必要があります。私たちの神はとこしえにいます神であり、地の果てに及ぶすべてのものの造り主です。主ご自身、疲れるお方ではなく、究めがたい英知を持った神です(28節)。信仰者が絶望するのは、究めがたい神の英知を低く見積もるからです。神こそ私たちのすべてをご存じです。
    私たちは神に望みをおいて生きる者です(31節)。主なる神を仰ぐことは私たちの生きる力です。望みを失いかけるときにこそ、目を高く上げ、究めがたい英知の神に期待して信仰の歩みを進めます。
    4 min
  • 主の御業を見よ(詩編 111編)
    主の御業は大きく
    それを愛する人は皆、それを尋ね求める。
    (詩編111編2節)
    この詩は、表題にあるとおり、ヘブライ語のアルファベット22文字を、各行の頭に用いる「いろは歌」の構造です。1節「ハレルヤ」の「ハレル」は「ほめたたえよ」、「ヤ」は「ヤハウェ」の短縮形です。
    この詩には「御業」という言葉が5回繰り返されます。原文では単数形の「彼の働き」と、4回登場する「彼のもろもろの業」で、これが3種類の言葉で表現されます。神のなさったすばらしい業を見るだけでなく、それを積極的に尋ね求めることが勧められています。
    神の御業とは天地創造から、人間の歴史を導いておられる摂理まですべてです。その中で詩人は、神と信仰者との関係に焦点を定めています。信仰者は「それを愛する人」、「主を畏れる人」、「御自分の民」と呼ばれます。神は「御自分の民」に嗣業をお与えになり(6節)、贖いを送る方です(9節)。それは神が私たちとの間に立てられた「契約」があるからです(5、9節)。
    従って私たちは、契約に忠実なお方の前に、心をつくして主の御業を尋ね求め、心に記し、命令に従い、畏れ敬い、賛美をささげるのです。
    4 min
  • 教会は一つ(ガラテヤの信徒への手紙 6章)
    兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。
    (ガラテヤの信徒への手紙6章18節)
    「わたしたちの主イエス・キリスト」という言い方は、この手紙の中では6章にのみ出てきます(14、18節)。
    「わたしたちの主イエス・キリスト」は、割礼のあるパウロから割礼のないガラテヤ教会の人びとへの呼びかけの中で語られています。さらにもう一つ。同じ文脈でパウロは、ガラテヤ教会の人びとに対して、「兄弟たち」とも呼びかけています。「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」(15節)。パウロは、イエス・キリストは分け隔てなさることなく、新しく創造された私たちの主なのだ、と言っています。
    現代の日本の私たちには、ユダヤ律法主義の偽教師問題(割礼問題)というものは存在しないでしょう。しかし、パウロがガラテヤ教会の人びとに願ったことは、神が私たちに願っておられることと同じです。私たちは、「わたしたちの主イエス・キリストの十字架」(14節)だけを誇ります。そのとき、兄弟姉妹間を分け隔てる壁が取り除かれ、「神のイスラエル」(16節)としての、すなわち唯一の公同の教会としての一致を保つことができるのです。
    4 min
  • 愛と自由(ガラテヤの信徒への手紙 5章)
    兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
    (ガラテヤの信徒への手紙5章13節~14節)
    愛と自由は、密接な関係にあり、切り離すことはできません。親と子の関係であっても、愛を押しつけることはできません。ここに愛する苦しさがあります。愛を受け取るように強要することも、愛を引き出すために何らかの力を用いることもできません。
    愛を育む自由には、社会的な側面もあります。昔なら身分の差が、今日でも民族的な偏見や経済的な格差が、愛の自然な発露を妨げることがあります。真実の愛が社会を包むために、自由で平等な社会の構築が必要です。この自由を保障することは、国家の責務であり、キリスト者の祈りです。
    まず神が私たちを愛してくださり、御子キリストの十字架によって、律法の呪いからの自由を私たちに得させてくださいました。この自由を与えられた私たちは、自己中心的に生きるのではなく、「愛によって互いに仕え」なければなりません。これは、教会が教えるべきことです。
    「自由を得るために召し出された」ことへの感謝と喜びが、隣人のために喜んで奉仕する人を造り上げ、隣人のために喜んで奉仕する人を、世へ、国へ、と送り出します。
    4 min
  • あなたがたのことが心配です(ガラテヤの信徒への手紙 4章)
    しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。
    (ガラテヤの信徒への手紙4章9節、11節)
    未成年者が、遺産相続の権利を持っていても、実際に遺産を手にするのは大人になってからです。ガラテヤ教会員は、霊的な意味で、神の国を相続できる大人です。しかし、彼らは、その祝福を享受しようとせず、「あの無力で頼りにならない支配する諸霊」と呼ばれているこの世の思想の一つ(律法主義)に「逆戻り」しようとしていました。
    パウロは、彼らは遺産相続をすることができない未成年者だと勘違いしている、と嘆いています。彼らの態度は、命の代価を払って贖い出してくださった方に恩を仇で返すことであり、反逆であると言えます。「わたしの子供たち」と呼びかけるパウロは、「あなたがたのことが心配です」と語り、「途方に暮れてい」ます(20節)。
    彼らは、パウロの心を察することができたでしょうか。御子を遣わしてくださり、御子の霊をお与えくださり、自分たちを相続人としてくださった父の御心を察することができたでしょうか。
    父なる神は、私たちにも「あなたがたのことが心配です」と、多くの人を通して語りかけ、なおも招き続けていてくださいます。
    4 min
  • エルサレムの裁きと未来の救い(ゼファニヤ書 3章)
    「お前の主なる神はお前のただ中におられ
    勇士であって勝利を与えられる。
    主はお前のゆえに喜び楽しみ
    愛によってお前を新たにし
    お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」
    (ゼファニヤ書3章17節)
    本章は災いと裁きの前半部と、救いと賛美の後半部が対照になっています。預言者ゼファニヤは、先ず「災いだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都は」と指摘して(1節)、エルサレムの代表的な三つの罪、すなわち、反逆、汚れ、暴虐を取り上げます。神の恐ろしい警告にもかかわらず、エルサレムは悪を行い、また腐敗と罪のゆえに結局神の裁きを招いてしまいます。悔い改めない人の結末は明らかです。イエス・キリストの贖いの恵みを拒む人に対する神の裁きも同じです。
    しかし、神は全能者で王の王として存在されます。神はユダの残りの者に救いを与え、その国を回復されます。それゆえ、救われたユダは心の底から喜び躍ります。同時に、神の救いはユダだけでなく、諸国にも広がります。神がユダの残りの者のゆえに喜び楽しまれる理由はここにあります。
    このようにゼファニヤは将来メシアを通して成し遂げられる救いを見上げつつ、慰めと希望に満ち溢れています。全能なる神は、キリストによって救われた私たちのゆえに喜び楽しまれます。
    4 min
  • ユダへの悔い改めと異邦人に対する裁き(ゼファニヤ書 2章)
    主を求めよ。
    主の裁きを行い、苦しみに耐えてきた
    この地のすべての人々よ
    恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。
    主の怒りの日に
    あるいは、身を守られるであろう。
    (ゼファニヤ書2章3節)
    「主の日」は裁きの日、怒りの日として、神の正義が明らかになる日です。罪を徹底して裁くのが神の正義です。そこで、預言者ゼファニヤは、「共に集まれ、集まれ、恥を知らぬ国よ」(1節)と呼びかけつつ、「主を求めよ。…恵みの業を求めよ」と悔い改めを促しています。
    特に、ゼファニヤの「すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ」(3節、口語訳)という表現に注目する必要があります。悔い改めて神に立ち帰る人は、神の御前に謙遜な人です。神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになります。洗礼者ヨハネが「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」(マコ1章4節)理由もここにあります。
    それからゼファニヤは、ユダの周辺の代表的な国々、すなわち、ペリシテ、モアブとアンモン、クシュ、アッシリアに対して裁きを語ります。これらの国の人々がユダの滅亡をあざ笑い、神を無視し、高慢に振る舞ったからです。異邦人もまた主の前にひれ伏す時が到来します(11節)。神の裁きと救いの御業は、全世界におよび、「キリストの再臨」によって明らかになります。
    4 min
  • ユダに対する裁き(ゼファニヤ書 1章)
    主の大いなる日は近づいている。
    極めて速やかに近づいている。
    聞け、主の日にあがる声を。
    その日には、勇士も苦しみの叫びをあげる。
    (ゼファニヤ書1章14節)
    旧約の他の預言書のように、本書は1章で裁きを、2章で悔い改めを、3章で救いを語るというパターンを見せてくれます。ゼファニヤは、ユダの王アモンの子ヨシヤの時代に活動した預言者です。その時、ユダの国とその民は、マナセとアモン(王下21章)の悪影響によって、さまざまな偶像崇拝と罪に陥っていました。ゼファニヤは、その民に、「主の日」が近づいていると警告しつつ、悔い改めを促しています。
    それゆえ、ゼファニヤは本書の最初からユダとエルサレムに対する神の徹底した裁きを予告します。神の裁きの対象は、偶像崇拝者、その祭司たち、天の万象を拝む者、主に背を向ける人です。それから預言者は、その裁きの明白性と緊急性を強調します。「主の大いなる日は近づいている。極めて速やかに近づいている」と。民が思うよりも神の裁きは近づいていました。
    神は罪を憎まれるだけでなく、徹底して裁かれるお方です。キリストの最後の審判は近づいています。しかし、罪を悔い改めてキリストに結ばれている私たちは安全です。キリストへの信仰こそ、救いにつながるからです。
    4 min
  • メシア預言(詩編 110編)
    わが主に賜った主の御言葉。
    「わたしの右の座に就くがよい。」
    (詩編110編1節)
    この詩は、王の即位式において歌われた式文と解釈されます。宮廷詩人は「わが主」である王に向かって、「主(ヤハウェ)が語られる。主の右の座にあなたは座るのだ」と、最大級の褒め言葉をもって王を称えています。
    ダビデは偉大な王でしたが、主の右に座ることなどできませんでした。イスラエル・ユダの歴代の王も同様です。神の右の座に着座されたのはイエス・キリストだけです。従ってこの詩は、旧約聖書における最高のメシア預言の一つとなりました。
    主イエスは言われます。「どうしてメシアがダビデの子なのか」(マコ12章37節他)。ユダヤ人たちはメシア(救い主)を待ち望んでいましたが、そのメシアとは武力によって敵を打ち破ってくれる軍事的解放者だと考えていました。主イエスは、メシアは人間ではない、神の子だ、と教えられました。
    メシアは「とこしえの祭司」(4節)です。従って異教徒との戦争などありえません。戦いはヤハウェが身を乗り出すように、自ら「諸王を撃たれる」(5節)のです。それは悪の諸勢力が完全に滅ぼされる最後の戦いの日です。
    4 min
  • “霊”によって歩み続ける(ガラテヤの信徒への手紙 3章)
    あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。あなたがたに、“霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか。
    (ガラテヤの信徒への手紙3章3節、5節)
    5節の「授け」「行われる」という言葉は、現在形です。ガラテヤの教会で奇跡が実際に行われていたのでしょう。その前提でお話しします。
    ガラテヤ教会の人びとは福音を聞いて、福音を信じたので、ただそのことによって、信仰によって、聖霊が与えられました。たとえ、ガラテヤ教会の人びとの信仰の状態が、律法主義を主張するユダヤ的キリスト者たちに混乱させられ、「肉によって仕上げようとする」ほど悪くなったときでさえ、神は、ガラテヤの教会へ、聖霊を注ぎ続け、奇跡を行い続けていてくださいました。
    そのとき、彼らは勘違いしたのかもしれません。「もっと律法を守れば、そして割礼を受ければ、ユダヤ人のようになれば、聖霊は、もっと働いてくださるに違いない」と。神の恵みと憐れみの印である聖霊と奇跡を、立派な行いに対するご褒美のように思ってしまったのです。
    主を誉め讃える言葉を授けてくださる聖霊は、今日も私たちに豊かに注がれています。これは、神からの約束によるものです。私たちは、主に感謝し、”霊”によって心から賛美を献げます。
    4 min

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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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