リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 歴史の進展(サムエル記下 19章)
    ダビデは身を震わせ…言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」
    (サムエル記下19章1節)
    アブサロムとの戦いが終わり、その後のさまざまな処置が記されます。勝利した者、敗北した者、それぞれの言動が記録されています。勝者のような姿ではないダビデ、それを叱責する将軍ヨアブ、アブサロム側に立った人たちの改悛、功労者バルジライの願いなどとさまざまです。
    本来なら、この勝利によりダビデ王国の統一がなった、と記載されてもよかったのではないでしょうか。しかし、聖書は、勝利者ダビデを描くにまして、これまで延々とダビデ家の内情、つまり親子の対立に筆を注いできました。ダビデ家の負の側面を記す意図は何でしょうか。
    その目的は、当然、ダビデの失敗談をただ記すことにあるのではありません。あくまでも神が導かれた神の民の歴史を記すことにあります。神は強い者、成功した者、賢い者を用いてその民の歴史を展開されますが、また弱い者、失敗する者、敗北者、不運と見なされている者をも用いて救いの歴史を推進していかれます。
    今日も、神は神の国発展をさまざまな人々の人生を組み合わせて推し進められます。
    4 min
  • 悲哀と憐憫(サムエル記下 18章)
    兵士は言った。「出陣なさってはいけません。…しかしあなたは我々の1万人にも等しい方です。」
    (サムエル記下18章3節)
    アブサロムは戦闘中、樫の木に頭がひっかかり、宙づりになったまま、ダビデの将軍ヨアブに殺害され、あっけなく死んでしまいます。アブサロムの反乱はこうして失敗し、鎮圧されることになります。
    ダビデはこの戦闘には参加しませんでした。当時の戦争は、大将の首を取ることで決着しました。部下の兵士たちは、そのことをおもんばかって出陣を阻んだかのように記されています。しかし、実態はダビデに戦意がないと思ったからではないでしょうか。敵将の「アブサロムを手荒には扱わないでくれ」(5節)など、戦う相手の指導者が言うべき言葉ではありません。
    しかし、正直なダビデの心情であったと思います。歴戦の勇士ダビデから見れば、アブサロムの戦術は児戯にも等しく見えたのではないでしょうか。ダビデが送ったフシャイの偽りの策にアブサロムが乗せられた時点で、敗北は明らかです。それだけに、ダビデは子アブサロムの運命を心配したはずです。
    神の人ダビデのこのような悲哀と憐憫は、敗者を思いやる神の思いを映し出しているかもしれません。神は敗者であっても憐れむお方です。
    4 min
  • 曙を呼び覚ます(詩編 108編)
    神よ、わたしの心は確かです。
    わたしは賛美の歌をうたいます。
    「わたしの誉れよ
    目覚めよ、竪琴よ、琴よ。
    わたしは曙を呼び覚まそう。」
    (詩編108編2節~3節)
    まだ暗い明け方、ベッドの中で目覚めます。あるすばらしいアイディアがひらめき、もう寝てはいられません。さんざん苦しんできた問題に、解決の道がありそうだと希望がわいてきた。詩人はそのような状況下だったのでしょうか。神を信頼し、「わたしは曙を呼び覚まそう」と言うのです。
    普通は曙がわたしを呼び覚ますのです。詩人は神に賛美を歌わねば気がすまないほど興奮しています。そして古くから歌われてきた57編の後半を朗唱しました。
    そして詩人は歴史を支配される摂理の神を思い起こしました。そうだ、今までわたしは自分の力でこの苦境を解決しなければと思っていたが、神の御手に守られているのだ。
    この詩編の最後の部分は、60編の後半と同じです。これはイスラエルが敵に包囲され苦境にあるときに、神に助けを訴えた祈願の歌です。イスラエルの神は全民族を支配される神ではないか、それなら私たちの苦境をご存じだ。今こそ神は敵を踏みにじってくださる。
    すべてが八方塞がりで絶望的なときこそ、神を信頼し、神を見上げましょう。
    4 min
  • 受難に向かって行かれるイエス(マルコによる福音書 14章)
    イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」
    (マルコによる福音書14章41節~42節)
    主イエスを殺そうとするユダヤ宗教指導者たちの計略は着々と進んでいきました。
    14章は、十字架につけられる金曜日までの出来事を記しています。そこには、イスカリオテのユダの裏切り、イエスの逮捕、最高法院での尋問に至るまでの緊迫した状況が生々しく描かれています。
    目の前に迫った受難に向かって、主イエスはオリーブ山にあるゲツセマネに行かれます。最後の祈りをささげられるためです。主イエスはペトロとヤコブ、ヨハネを近くに連れて行きました。三人は主イエスが苦しむのを見守るために呼び出された証人です。
    ルカは苦しみもだえて切に祈る主イエスの姿を「汗が血の滴るように地面に落ちた」と記しました。それほどまでに、苦しい時を主イエスは父なる神に向かい、祈り続けられました。主イエスのその祈りは、子として「畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」(ヘブ5章7節)。主イエスは死を免れたのではありませんが、死からの復活という形で聞き入れられました。そうして、復活の主イエスは、私たちの永遠の救いの源となりました。
    4 min
  • その時に備えなさい(マルコによる福音書 13章)
    「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」
    (マルコによる福音書13章32節~33節)
    13章で主イエスは、エルサレム神殿の崩壊について預言され、ついに世の終末についての預言をされます。ペトロとヤコブ、ヨハネ、そしてアンデレが終末の徴について質問すると、主イエスはその徴について答えてくださいました。しかし、その終末がいつ来るかについては父なる神だけがご存じであると答えられ、終末は神の固有の権限であることをはっきりと示されました。確かに主の再臨に伴う終末がいつ来るか誰も知りません。多くの偽預言者が現れ、終末について預言しましたが、すべて外れてしまいました。
    終末の日に備えて人間がやるべきことは、たえず目覚めていることだけです。目覚めていれば毎日が、毎時間が、再臨の主と出会う絶好のチャンスともなります。
    37節で「すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい」と命じられた主イエスの言葉を最後に、受難の物語が始まります。主を信じる私たちにとっての終末は、主の十字架、復活、昇天に基礎づけられています。終末は世の終わりではなく、既に始まっている永遠の命の完成です。怖がることも、拒むこともありません。
    4 min
  • 人間の思いを超えて(サムエル記下 17章)
    アブサロムも、どのイスラエル人も、アルキ人フシャイの提案がアヒトフェルの提案にまさると思った。アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである。
    (サムエル記下17章14節)
    フシャイがエルサレムに戻った目的はアヒトフェルの計略を阻止するためでした。ダビデがフシャイに託した計画は見事に功を奏するようになってきます。
    逃亡したダビデをどうするか。アヒトフェルの提案はダビデをすぐに襲うことでした。夜襲をかければダビデたちは虚をつかれ敗走するに違いありません。しかし、次に呼ばれたフシャイは、ダビデはそのような策を必ず見抜くはずだ、むしろ、大軍を率いて正面から攻撃すべきだと主張します。むろん、大軍を集めるためには時間がかかります。その間、ダビデは十分な準備をすることができます。それこそフシャイの策略でした。アヒトフェルはダビデ王を助けようとするフシャイの意図を読み取ったに違いありません。そして、フシャイの策の結果も分かっていたはずです。アヒトフェルこそ先を見通すことができるほんとうの戦略家、「軍師」でした。しかし、その意見は採用されませんでした。そこに、主の定めがあったことをサムエル記は記しています。
    様々な人間の思いを越えて、主が定められたことこそが成し遂げられていきます。
    4 min
  • 苦悩の中で(サムエル記下 16章)
    「主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」
    (サムエル記下16章12節)
    アブサロムがエルサレムで勝利を宣言している間、ダビデは逃亡を余儀なくされます。その時、ダビデは、若いころ、サウル王に命を狙われて荒れ野を逃亡した経験を思い出していたかもしれません。
    しかし、今回のほうがより深刻であったに違いありません。かつて親しいものであった人たちが裏切り、しかもダビデを呪いました。あるいは、王宮に残したダビデの側女をアブサロムは自分の自由にします。これはダビデに代わってアブサロムが権威を掌握したことを公然と示すものでした。このような屈辱をダビデは経験したことがありません。目に見えているところで起きていることは悲観的なことばかりです。ダビデは、サウル家の一族であったシムイの呪詛に対して弱気とも受け止められる言動で応じています。ダビデのこのような態度は失望と敗北感で満たされていたと考えても不思議ではありません。
    しかし、そうであったでしょうか。ダビデは、今の呪いを幸いへと変える神の意志を決してあきらめていません。私たちも人々から敗北と挫折の中にあると思われても、神の意志に信頼します。
    4 min
  • 本当の力(サムエル記下 15章)
    「わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。」
    (サムエル記下15章25節)
    再びダビデに会うことがゆるされたアブサロムでしたが、やがてそのダビデの王位を狙うようになります。放っておいても彼は王となる器量があった人かもしれません。しかし、ダビデから王位を奪うことで、王になろうとします。そして、彼が40歳のとき、ついにその思いを実行に移し(7節)、ヘブロンで反抗の狼煙を上げます。最初は少数でしたが、徐々にアブサロムを支持する人々が増加していきます。
    これを聞いたダビデはアブサロムに抵抗もせず、あっさりとエルサレムを脱出していきます。彼に従って行こうとする者をエルサレムに帰したりもします。これではまともにアブサロムの攻撃を撥ね除けることはできません。ここに、若いころのような勇敢さでもって、正面から敵と戦うダビデの姿はありません。むしろ、アブサロムの家臣団を混乱させるという戦術を取ります。
    このようなダビデの行動を見ればアブサロムがわざわざ暴挙に出る必要はなかったかのように思われます。しかし、力は腕の力、暴力だけではありません。一見姑息のようであってもダビデは実は忍耐する力を蓄えていたのです。
    4 min
  • ゆるされるべきもの(サムエル記下 14章)
    「わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。神は、追放された者が神からも追放されたままになることをお望みになりません。そうならないように取り計らってくださいます。」
    (サムエル記下14章14節)
    兄弟を殺害したアブサロムはその罪を精算するかのように外国に逃亡します。しかし、ダビデはアブサロムを愛しており、その帰国を願っていました。しかし、逡巡もしていました。アブサロムの罪は、カインによるアベル殺害を思い起こさせる悲劇であり、ダビデの家の恥辱であったからです。
    ダビデの信頼する家臣ヨアブは、ダビデの内なる心をつかみ、計略を立てます。テコアの女を呼び、その口から、アブサロムを許すように導く言葉を語らせます。見事、この計画は成功し、アブサロムはエルサレムに戻ってくることになります。
    ところが、アブサロムは父ダビデ王のもとに行こうとしません。何故行かなかったのか。「わたしの前に出てはならない」(24節)といったダビデの言葉を文字通りに受け取ったために、父親の本意を掴めなかったからです。さらにいえば、子を愛する父ダビデの思いを理解できなかったからです。アブサロムは自らを低くして父の憐れみによりすがるべきでした。神の愛を理解して立ち帰る者のように。私たちは日々、神の愛を求め、立ち帰り続ける者でありましょう。
    4 min
  • 慈しみ深い主(詩編 107編)
    苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと
    主は彼らを苦しみから救ってくださった。
    (詩編107:6,参照13,19,28節)
    主に感謝せよ。主は慈しみ深く
    人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
    (詩編107:8,15,21,31節)
    (詩編107編6節、8節他)
    詩編第5巻最初の107編は神賛美で始まります。
    神は私たちの具体的なこの世の人生のただ中に来られ、苦しみから救ってくださいます。このことを詩人は四人の異なる人生を登場させて詠います。荒れ野や砂漠で迷う流浪の民。闇と死の陰に座り、鉄の枷に締めつけられる囚人。どんな食べ物も喉を通らない病人。嵐と大波に翻弄される船乗りです。どのような立場の人にも神の慈しみの目は注がれ、人の目には驚くような方法で、神は私たちを「苦しみから救ってくださ」います。
    神は、大自然に御手をのばし、山河を起こしまた消滅させ、農地を祝福してこれを潤わせ、また怒りによってこれを塩地にされます。神は義人に祝福を、不義な者には災いをのぞませます。
    ハイデルベルク信仰問答27を見てみましょう。問「神の摂理について、あなたは何を理解していますか。」答「全能かつ現実の、神の力です。それによって神は天と地とすべての被造物を、…支配し、…すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によってわたしたちにもたらされるのです。」
    5 min

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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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