ある小・中学校PTA合同の子育て教育講演会に招かれた。
演題は「今、大切なもの」と題して、シルクロードやインドなどを旅したスライドを見せながら、「貧しい中で懸命に生きる人々を知ってほしい。日本人は豊かさを求めるためにスピードを出しすぎている。受験に戦争と名を付けなければならないのも悲しい現象だ。私たちの周囲にも難病や障害をもって懸命に生きている人も多い。少しゆっくりと周りを見ながら生きていきたい。」
その時、20歳ごろ難病のベーチェット病と診断され、腸の切除手術を何度か受けたものの体調がすぐれず、10年間寝たきり状態だった若い女性の話をした。
このベーチェット病というのは、若い人に多く発症し、目や腸などの粘膜に炎症を起こす全身疾患で、重症になると腸の切除や、失明にいたることもあり、いまだに原因も治療法も確立していない難病だ。
後日、講演会に来られていた女性から、次のような手紙を頂いた。
「お話を聞きながら、涙が出て止まりませんでした。私の主人もベーチェット病です。先生から、難病で目にくれば失明、胃にくれば死亡することもあると聞きましたが、主人の場合、四〇歳を過ぎたとき脳に炎症ができ半身が不自由になりました。主人はショックで私や子どもにも八つ当たりをし、家の中がメチャメチャになりかけたこともあります。でも、同じ病気の方の話を聞くことができ、また主人よりまだまだ苦しんでいる人がいると思うと、私もがんばらなければと思います。」
私は早速この方のお宅を訪問した。しかしご主人は、「難病の会の人なんかと会いたくない」と言って、会ってはくれなかった。
私には、このときの「会いたくない」というご主人の気持は痛いほどわかっていた。
というのも患者会員の中には「難病」と印刷された郵便物を拒否する人もかなりいるのだ。
これは社会や周囲の人たちが難病というものを正しく理解せず、「病気がうつる」とか「病気の家系」などという偏見や差別がいまだに存在することを意味しているのだ。
手紙をくれた奥さんは、病気に対する不安や子どもさんのことなどについて、
「お父さんの病状が少しでも良くなるようにと、野菜や水はできるだけ自然のものを心がけ、お米も精白しないものに変え、お店では添加物や化学調味料が含まれていないものを買うように気をつけています。3人の子どもをかかえ、自分が一家の柱となった今は、パートをしながら一生懸命がんばっています」
私は、奥さんの労をねぎらい、ご主人の病状の快方を願いつつ帰宅した。
「今度は目の痛みを訴えるようになり、右目の摘出手術を受けました。主人は目までなくなってしまうのかとショックでしたが、痛みがとれただけましだといっております。失明した方の話も聞いていましたので、やっぱりベーチェットは難病なんだとあらためて思いました。幸い左目は見えていますので自分のことは自分でしてくれますが、この先再発しないか不安でいっぱいです。」
しばらく音沙汰がなかったため、病状は安定しているのではないかと考えていた私には、大きなショックだった。
「追伸 長男は経済的に大学進学は無理なので、お父さんの代わりに早く働けるように手に職をつけるため専門学校に入学しました。長女はお父さんが闘病してがんばっているようすや、私の看病のようすを見て、病気の人たちのために役に立ちたいと看護学校に通っています。子どもたちは毎日のように笑顔をくれます。」
私は子どもたちのようすが書かれたこの追伸文を読んで、少し救われる思いがした。
それにしても、突然、一家の大黒柱であるお父さんが難病に冒され、家計のこと、病気のこと、子どもたちのこと、すべてが自分の肩にのしかかってきたなかで必死に生きているお母さんは、なんとすばらしい子育てをしているんだろうと胸が熱くなった。
あえて教えなくても「子は背中を見て育つ」というのは本当なのだとつくづく思った。
私たちは好むと好まざるにかかわらず、自分にふりかかってくる現実を受け入れながら生きていかなければならないのが人生なのだ。
それが花の道であったり、いばらの道であったりするのかも知れないが、どちらかといえば、花の道よりいばらの道を歩んでいる方が教えられることが多いような気がする。
そして子育てにおいては、いばらの道を必死に歩んでいる親の姿は、本当のよき教師となるのだろう。だからこそこの子たちのように親を思い、家庭を思い、弱い立場の人を思うことのできる豊かな心をもった優しい人間に成長しているのかも知れない。
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