息子の葬儀を終えてから、N師はより老僧に見えるようになった。
跡継ぎが寺務のかなりの部分を勤めてくれるようになったのもさることながら、愛息の死がやはり大きなショックとなったようだ。
それから10年、N老僧の目は一層衰え、夕方になるとほとんど見えなくなってきた。
寺同志の助け合い組合である結集の寄り合いにも出てくることはなくなり、この頃は寺でも床に伏すことが多くなっていた。
老僧の住まいする北側には鎮守(ちんじゆ)の森が控え、林立する杉の大木と一本の大きな銀杏(いちよう)の木が八十有余年、N師を見守り続けている。
その銀杏が黄葉する初秋の頃、大黒さん(住職の妻のこと)と副住職のS師夫妻が見守るなか、私の尊敬する大好きなN老僧は安らかに遷化されたのである。
私はN老僧の葬儀の導師を務めさせていただいた。こころからの感謝の気持ちを込め、次のような諷誦文を献げた。
其れ、かつらぎの山峰、茅(かや)の穂を秋風たなびき、
季節の移ろいは必ずやあらたなる季節を迎うると雖も、
生者必滅は、人、その生命たるや現世に再び生命を迎うることなく、
春夏秋冬の波瀾(はらん)を包含(ほうがん)せしめるものなり。
受けがたき仏門は勧修寺山階(かじゆうじやましな)派釈尊寺に受け、
その峻険なる檀家、三昧に参籠(さんろう)する師の法務下駄の音たるや経を唱誦する音色にて、
身丈五尺と雖も、師の心たるや無尽広大なる仏法を孕(はら)めり。
また、寺内にありては奥方を大黒といたわり、大黒殿は師に慕い、
かつらぎの山頂では、ススキの穂が秋風にたなびき、飯盛山のムベは紫紺の色鮮やかに実り、
曼珠沙華の根もとには数本のとがった葉を芽吹きはじめています。
初秋といっても、もうすぐやってくる冬の支度をしているようです。
季節は必ず新しい季節に移り変わりますが、生者必滅(しようじやひつめつ)の教えは、
人が死んでも、また同じ命が生まれることはありません。
しかも仏門勧修寺山階派釈尊寺にお生まれになられました。
檀家さんは老僧がお参りしてくれることを心待ちにしています。
師のその心は果てしなく広大なる仏の法をいっぱい説いていました。
まるでこの地になくてはならない風景のようなもので、
しかも老僧N師が果たした寺門護持、寺門興隆の功績は
N大和尚の遷化は檀家の方々の心の柱を失ったようなものです。
しかし、ご子息があとを継ぎ、寺務法務をつとめている姿は、
大和尚に優るとも劣らぬ丁寧さと温かさで、檀信徒の信頼も篤いものがあります。
さらに私たちの大師匠である老僧N師が亡くなられたことは、
力不足の私たちを暗闇に放り出されたような思いですが、
老僧N師の教えをまもり、その教えをみ灯りとして精進していくことお誓い申し上げます。
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