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「ノブレス・オブリージュ」というフランス語があります。これは、もともとは貴族が社会に対して負っている義務を意味し、由来は聖書からきていると言われています。現在では、経済的に恵まれ、社会的地位のある人々の社会的責任、道義という意味で使われています。欧米で、富裕層が多額の寄付を当然のように行う背景には、このノブレス・オブリージュの思想があると思います。
さて、みなさん。ここまで読んで「ノブレス・オブリージュは自分には関係ない話だな」と思いましたか?
いやいや、思い出して頂きたい。この思想は、聖書のみ言葉が由来になっているのです。聖書はなにも富裕層に向けて書かれた書物ではありません。
今日、メッセージで語られるのは、まさにクリスチャン一人一人が与えられている「ノブレス・オブリージュ」についてです。
クリスチャンは、この世のどんなセレブリティーよりも多くのものを与えられています。
では、神様は私たちにお与えになった「莫大な資産」(=恵み)を、どのように用いるべきだと教えているのでしょうか?
私たちは王の王である神様に仕える貴族です。自分一人でその「財産」を耽溺して暮らすのか、ノブレス・オブリージュに従って生きるのか?
神の国のノブレス・オブリージュに従って生きること、そしてそれにはどのような結果が伴うのか、メッセージに耳を傾けてみましょう。
日本人は世界で最も睡眠時間の短い国民であると言われています。
しかし、この世界は霊的にはすっかり眠りこけているのです。いや、日常生活に忙殺されている現代社会だからこそ、「今」だけを切り取ったような刹那的な生き方となり、霊的に鈍感になるのです。
今日の箇所では、またもやダビデを追ってきたサウル陣営に、ダビデとその部下が潜入します。しかし、サウルの陣営はすっかり眠りこけており、誰一人として宿営の見張りをしている者はいませんでした。ダビデがその気になれば、簡単にサウルを殺すことが出来た状況であり、これは王を守るべき兵士たちの最大の失態でした。
この危機感の欠如は、単にサウル陣営が肉体的に眠りこけていたことだけでなく、霊的な状態も表しています。そして、これは誰よりもサウル自身の霊的な問題でした。
なぜ、何度もダビデの誠実さに心打たれながらすぐに心変わりするのか。
主は、目を覚ましている人を用いられます。
サウルとその陣営の霊的な鈍さを通して、私たちも自分自身の霊的な状態を見つめてみたいと思います。
あなたは、霊的に覚醒していますか。
私たちの人生は、無数の選択の連続で成り立っています。その選択は、小さなものから大きなものまでありますが、時にたった一つの選択が、人生の分水嶺となることがあります。
今日扱う「ルツ記」に出てくるのは、未亡人のナオミと、同じく未亡人となった義理の娘たち(オルパとルツ)です。ナオミたち一家は飢饉に見舞われたベツレヘムを離れ、モアブに移住しており、そこで二人の息子の妻となったのが、モアブ人のオルパとルツでした。
約束の地ベツレヘムから出て行った結果、ナオミは夫を失い、そして愛する二人の息子も亡くします。これ以上の苦しみ、悲しみがあろうかという不幸のどん底にいるような状況でした。しかし、ナオミは信仰も、そして希望も失いませんでした。
月日が流れ、ベツレヘムの飢饉が終わったという知らせを聞いたナオミは故郷に帰る決意をします。モアブ人であったオルパとルツにとって、ベツレヘムは宗教も文化も異なる異国の地。ナオミは、娘たちにモアブに留まって再婚を勧めます。オルパは泣く泣く自分の故郷モアブに留まる決断をしますが、ルツは姑ナオミに付いて行くとの一点張り。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」という固い決意のもと、ナオミと共にベツレヘムに戻ります。
この決断、この選択。
これが、オルパとルツの人生の分水嶺となったのでした。
オルパは、この後、聖書の物語から姿を消します。
一方、ルツは「ルツ記」という聖書の中の書物に名前を冠すまでの人物として永遠に記憶されることになります。なぜなら、この選択によって、彼女はダビデ王、そしてイエス様の誕生のルーツに連なることになったからです。
クリスチャンである私たちも、人生の難所で信仰生活から迷い出てしまうことがあるかもしれません。飢饉によって約束の地から迷い出てしまったナオミ一家のように。ナオミを約束の地に引き戻し、ルツと共に大きな祝福に与ることができたのは、ひとえに彼女とルツの「選択」の結果でした。
その選択を支えた彼女たちの信仰とは、一体どのようなものだったのでしょうか?
もし、あなたがクリスチャンでない場合、あなたは、今、「約束の地」の外にいるわけです。クリスチャンにならない理由が、もしかしたらあるもかもしれません。モアブに留まるというオルパの選択も、必ずしも悪意のあるものではありませんでした。しかし、悪意がなければそれでいいのでしょうか?
オルパの人生の結末を、もう一度深刻に捉えていただきたいと思うのです。
私たちが日々、主を喜ばせる選択を選び取ることが出来るように、心から祈ります。
あなたは賢い人ですか。
でも、そもそも「賢い人」って、一体どんな人なんでしょう?
人づきあいに長けて世渡り上手な人、家計のやりくりが上手な人、先見の明がある人、勉強が得意な人…?
確かに、そういう人たちは「賢い人」でしょう。
しかし、聖書の示す「賢さ」は、この世の「賢さ」とはだいぶ違うのです。
今日の箇所で出てくる一組の夫婦、ナバルとアビガイルは、「愚かな人」と「賢い人」の好対照をなしています。
夫ナバルは、裕福なやり手の実業家で、この世的には「賢い人」であったとも言えます。しかし、迫りくる危機を見抜くことも、それに正しく備えることも出来なかったという点で愚かでした。
それに対して妻アビガイルは、自分たちの置かれている状況を的確に判断し、謙遜な態度と知恵ある言葉で夫の愚かさが招いた危機を切り抜けます。
人生の危機に対峙する時、本当に必要なのはアビガイルの示した賢さです。それは、神様の前で身の程をわきまえ、他者のために自らを差し出す信仰的な姿と言えるでしょう。
世的な賢さはあなたを救えません。
今日、私たちが下す一つ一つの選択が、本当に賢い選択となるように、祈りたいと思います。
素直に人の幸せを喜べない。いや、それどころか我が身と比べて陰鬱な気持ちになってしまった経験はないでしょうか?それは、「妬み」というとても厄介な感情です。人を妬むのは良くないと分かっていても、なかなか妬みから解放されない自分に、ますます嫌気がさしてくる…。
アサフは、神殿楽隊長としてダビデ・ソロモン王の傍らで仕える中で、真面目に生きている人が報われずに悪者が栄える、という一見不条理な出来事を目の当たりにしてきました。
あなたは真の幸せをどこに見いだしていますか。
サウル王から命を狙われ、逃亡生活を続けていたダビデですが、千載一遇の「チャンス」が巡ってきます。ダビデとその兵士たちが身を隠していた洞窟に、なんとサウル王が一人で用を足しに来たのです!
側近や軍隊はいない。
ダビデの側近も、これこそ神が下さった絶好のチャンスだと暗殺を進言します。
私たちの人生でも、「これこそチャンスだ!」と思えるような出来事に遭遇することがあると思います。しかし、それが本当に「神から与えられた道」なのか、それとも「サタンによる誘惑」なのか、一体どうやって見分けたらよいのでしょうか?
そしてまた、私たちが間違った選択により失敗してしまったら、一体どうなるのでしょうか?
自分の直感や人間的な計算に頼るのではなく、御言葉に信頼を置く確かな生き方を、ダビデを通して今日一緒に学びましょう!
大きな決断をしなければいけない時が、人生には必ずあります。
自分の直感や分析力を頼りにする人もいるでしょうし、信頼できる人に相談したり、占いに頼る人もいるかもしれません。
しかし、ダビデは「神様の御心を問う」という姿勢を忘れませんでした。
今日の箇所では、ダビデは危険を冒してまでペリシテ人の手からケイラを救います。自分自身がサウルから命を狙われ国中で捜索されているにも関わらず、ケイラのために戦いに出ていくのです。
決して向こう見ずな心から出たことではなく、神様に対する揺るぎない信頼がダビデを動かしていました。
神様は、私たちにその時に必要なことを、必要なだけお示しになります。ご計画の全体像が見えないこともしばしばあります。それでも、あなたは従えるでしょうか。
全てが見通せない中で従うときにこそ、有益な訓練がある。
そのことを今日、ダビデの姿を見ていまいちど学びたいと思います。
朝食のメニューから結婚相手まで、選択だらけの私達の人生。
①聖書の言葉による促し
私達が大きな選択をするとき、このどれか一つに赤信号がついていることはないでしょうか?
私達クリスチャンは、罪赦され、自由の子とされています。その自由を味わいつつ、御心を求めることで、神様と共に歩む本当に有意義な人生を送ることができます。
こちらは、後編になります。前編はこちら↓
(前編) 色んな教会!色んな神学!もう、何が何だか・・・分かんないよ! (坂本高志)
「プロテスタント教会」と一口に言っても、その教理は驚くほど様々です。
しかし、たまたま自分が通っている教会の教理が正しいと、どうして言えるのでしょうか?
① どうして違いがあるの?
後編では、②③について坂本牧師が語ります!
誰でも何でも受け入れるのでもなく、かといって排他主義に陥るのでもなく、私たちが愛のうちに神様の真理を知る者と成長出来ますように。
★メッセージ中に紹介された、プロテスタントの教派を一覧できるサイトは↓こちらです。
こちらは、前編になります。後編はこちら↓
「プロテスタント教会」と一口に言っても、その教理は驚くほど様々です。
しかし、たまたま自分が通っている教会の教理が正しいと、どうして言えるのでしょうか?
① どうして違いがあるの?
前編では、①について坂本牧師が語ります!
誰でも何でも受け入れるのでもなく、かといって排他主義に陥るのでもなく、私たちが愛のうちに神様の真理を知る者と成長出来ますように。
★メッセージ中に紹介された、プロテスタントの教派を一覧できるサイトは↓こちらです。
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