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「ハドソン川の奇跡」という映画は、USエアウェイズ1549便の不時着水事故を元に作られています。
この構図、イエス・キリストに似ていませんか?
今回は、洞窟でたくさんの弱者の拠り所となったダビデから、「嵐の中も主こそ隠れ場」ということを学びます。
「体の中に入って困るものは?」という質問に対して、今世界で最も多いのは恐らく「コロナウィルス!」という回答でしょう。その症状は発熱や、のどの痛みなどが挙げられます。
では、「体の中に入れられて有難いもの」は何でしょう?それは、「聖霊」です。そして、その「症状」は、平安や強い確信、大胆さと言えるでしょう。
神様を信じ受け入れた時、聖霊が私たちのただ中に住んでくださいます。その聖霊は神様による愛の表現であり、私たちの喜びの源であります。
まず、聖霊は「証印」=「シール」であり、私たちが神様のものとなったことを証ししています。私たちは、イエス様の十字架の贖いによって買い取られた存在だということです。
また、聖霊は神様からの「誓約」でもあります。つまり、神様が私たちに責任をもってずっとコミットして下さる、ということです。
そして、聖霊は私たちに「証言」をして下さいます。本来なら罪ある人間には理解出来ない神様の言葉、つまり聖書を理解することが出来るようにして下さるのです。
これは、本当に素晴らしい恵みです!
もし、あなたが内に住んでくださっている聖霊をすっかり忘れていたならば、それはなぜでしょう?何が聖霊の働きを阻んでいたのでしょうか?
このメッセージが、聖霊との豊かな交わりを回復するきかっけとなりますように。
国籍、性別、年齢、居住地、仕事…。
しかしながら、私たちはこのIDを忘れてふらふらさまよい出て、クリスチャンらしからぬ行動を取ってしまうことがあるのではないでしょうか?
信仰によってあのゴリアテを倒し、油注がれた王ダビデですら、このIDを見失った時、惨めな振舞いをするに至りました。それはつまり、①嘘で身を守り、②この世の知恵に頼り、③使命を忘れる、ということです。
ダビデはサウルの追撃を恐れていたのです。しかし、恐れる時こそ、私たちは神様からのアイデンティティー(ID)を確認しなければならないのです。
さて、あなたにとって一番重要なIDは何でしょうか。
もし、「神の手で、神に似せて創られた」というIDをどこかに置き忘れていたならば、きっと名前を呼ばれます。主は、ご自身の羊一匹一匹を、その名前を呼びながら探し求めるお方だからです。
そんな時は、ぜひ早くIDを取りに戻ってください。
「愛なる神なら、何でも受け入れ、赦し、愛してくれるのでは?」と考えている人は結構多いのではないでしょうか?
例えば、あなたの愛する配偶者やパートナーが、自分以外の異性に心を奪われ、いつもその人のことばかり考えていたら、あなたは平気でいられますか?
神様は私達罪ある人間とは違いますが、妬まれる。そして、私達の心を取り戻すために、ご自身さえ投げ出される…。
しかし、私達はゴメルを「自分とは関係ない堕落した女」と切り捨てられるでしょうか。
神様が私達にお求めになっている心を少しでも知り、それに少しでも応えることが出来ますように。
あなたは、今、希望を持っていますか。
もし、「はい」と即座にあなたが答えられたら、それはとても幸いなことです。
しかし、恐らく多くの人が返答に困ってしまうのではないでしょうか。それは現代社会は右を向いても左を向いても、閉そく感が充満していて、幸せな未来が描きにくいからです。
今日は、「バルティマイ」という一人の男の人に目を向けてみましょう。
いいえ、事実は全く逆で、彼は目が見えず、物乞いをしてその日暮らしをしていたのです。
そんなバルティマイが、なぜ自暴自棄になったり卑屈にならず、強い希望を持ち続けることが出来たのでしょうか?
それは、彼が正しい人に希望を置いたからです。
現代は「自分を信じなさい」というメッセージが受けがよいようです。しかし、そこに本当にゆるがない希望があるのでしょうか。
バルティマイが誰に希望を託し、そして希望が現実のもとなったか、松本牧師と一緒に聖書から見ていきましょう。
「神様はクリスチャンを祝福して下さっているはずなのに、なんだか自分の人生は祝福されているような気がしない…。」
そう、クリスチャンになったからといってバラ色の人生が約束された訳ではないのは分かっていたはず。でも、試練のさなかにいると、ついつい「神様は私をお救いになった後は、ただ非力でこの辛い現実を傍観しているだけなんじゃないか…?」と思ってしまう人もいるかもしれません。
それでもなお、「神様の与える祝福は誰も奪えない」ということを、今日、皆さんに知っていただきたいのです。
旧約聖書に出てくるダビデもまた、サウル王に何度も殺されそうになります。ダビデは次期王位を約束された人物であるのにも関わらず、危険で哀れな逃亡生活を余儀なくされるのです。
神様はダビデから祝福を取り去ったのでしょうか?
ダビデがサウルだけに目を向けていれば、サウルに人生を支配されてしまっていたことでしょう。
あなたの「サウル」に支配されないために必要なことを、坂本牧師が次の3つのポイントから語ります。
① 思いを吐き出す
神様の祝福は誰も奪えない。奪わせない。
「クリスチャンになったけど、家族からの視線が冷たい・・・」「福音を伝えたけど、怪しい目で見られた・・・」「聖書的に生きたいけど、周囲の世界観と合わない・・・」
問い① 摩擦、感じてる?
今回のモデルは、サウル王の息子ヨナタン。
あなたは、神様に用いられたいと思っているでしょうか?
自分の賜物を用いて神様のお役に立ちたいという願いがあることは、自然なことです。そして、それはとても素晴らしいことです。
モーセもまた、そのような思いを抱いていたと思います。モーセは、エジプトの王子としてパロの娘に育てられました。しかし、イスラエル人としてのアイデンティティーを失うことなく、「いつか神様は、この奇遇な運命にある自分をお用いになるはずだ」と思っていたのではないでしょうか。
ところが、モーセは神様に用いられる準備が出来ていませんでした。それは、彼には手放さなければならないものがあったからです。
神様に用いられるために手放さなければならないものは、3つあります。
① 自己保身
あなたは、「そんなことは頭では分かっている。でも手放すことが出来ないからこそ難しいのだ」と思っているかもしれません。
もし、そうであれば、思い出して頂きたいのです。
父なる神様が、私たちを救うために手放されたものを。
今ある苦難や試練は、神様が私たちを「用いられる器」へと変えるため、手放さなければならないものをお示しになっているのかもしれません。
私たちが今日、御言葉によって探られ、握りしめているものを手放す信仰を持つことが出来ますように祈ります。
「泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶ」。
おそらく、多くの人にとって「泣く人と共に泣く」ことの方がたやすいのではないでしょうか?残念なことに、他人の喜びは私たちにとって手放しに喜べないばかりか、暗い影を落とすことすらあるのです。
この惨めな心の状態は「嫉妬」から来ています。そして、嫉妬する人は、他人から羨ましがられることで自己肯定感を得ようとする傾向があります。
サウル王もまた、次々に敵を打ち破って輝かしい戦績をあげたダビデに嫉妬を燃やしました。一方で、サウル王の息子ヨナタンはダビデに嫉妬するどころか、生涯の友情を誓いました。
なぜ、ある人は嫉妬し、またある人は嫉妬から解放されているのでしょうか?
聖書の世界観を私たちの心に取り戻し、嫉妬から解放され、軽やかな心で人の幸せを心から喜ぶ者となれますように!
ペリシテ人の戦士、ゴリアテは3メートル近い大男。イスラエルの軍勢は、このゴリアテを見た時、恐れをなして逃げてしまいます。
誰もが恐れるこの大男を、石投げの一撃で倒した少年ダビデの話は、心躍る痛快なエピソードです。
あなたの人生の中にも、「ゴリアテ」がいるかのように感じられるかもしれません。それは、怖い上司かもしれませんし、越えがたいと思われるチャレンジ、病、経済苦、会社、あるいはいじめっ子かもしれません。
しかし、それは本当に「ゴリアテ」なのでしょうか?
確かにそれは、あなたにとって恐ろしいものであり、人生の前に立ちはだかる越えがたい壁かもしれません。
しかし、それらは実は「偽ゴリアテ」なのです。そんな「ゴリアテ」は既に死んでいるのです!
では、私たちにとって「本当のゴリアテ」とは一体何なのでしょうか?私たちが真に恐るべきものは、怖い上司でもなければ、経済苦でもありません。それは、以下の3つです。
① 永遠の死
「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。」
私たちもダビデのように、主の力によってこの「ゴリアテ」との戦いに勝利していきたいと、切に願います。
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