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出典は、宋代(1200年頃)の高名な僧侶・虚堂(きどう)の語録「虚堂録(きどうろく)」。
復擧、香林因僧問、萬頃荒田是誰爲主。
林云、看看臘月盡。
復(また)挙(おこす)、香林(きょうりん)因(ちなみに)僧、問う、万頃(ばんけい)の荒田(こうでん)是(これ)誰(たれか)主と為す。
林(りん)云(いわく)、「看看臘月尽(みよみよろうげつつく」。
(私的訳)話は続く。僧は香林に「この荒れ果てた広大な田んぼは誰のものですか」と聞いた。香林は「年の瀬の月を眺めてごらん」または「みるみるうちに今年も終わる」と答えた。
あっという間に時は過ぎるから、今やるべきことをやりなさい…とか。
命には限りがあるから、一生懸命に生きなさい…とか。
人生を無駄遣いせず、主体的に生きなさい…とか。
とにかく、今すぐ、ちゃんとしなさいよ!的な解釈になるようです。
個人的にはやはり、「この荒れ果てた広大な田んぼは誰のものですか」のところが、肝(きも)かなと思います。
これまでの人生、色んなことがありました。まだまだ、やるべきことがあるような気もするし、もう疲れたなぁ…何もしたくないなぁ…とも思う。
放置された土地を見たとき、今のあなたは何を感じるでしょうか。
何とかしないとなぁ、と思うのか。あらあら困った、と感じるのか。所有者を知りたいのか。あるいは、何も感じないのか。
ひとつの物事や状況を見たとき、自分が何にフォーカスしているかによって、今の自分を捉えることができそうです。
どのように捉えたとしても、人生の暮れ、つまり死にむかって進んでいきます。
今の自分が何を見て、どう感じ、どのように振舞うのか、あるいは何もしないのか。
このあたりが、人生後半〜終盤の幸福度を左右するのではないでしょうか。
TOMOKO
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出典は、中国仏教禅宗の大元締め、六代目の偉いお坊さんの説教を、弟子たちがまとめた「六祖壇経(ろくそだんきょう)」。
師示衆云、善知識、一行三昧者、於一切處、行住坐臥、常行一直心、是也。
師匠が人々に話しました、仏の教えを正しく伝える者(善知識)は、目の前のひとつのこと(たとえば坐禅)に集中し、念を抱いてはなりません。常に、ひたすらに、ひとつのことに没頭するのです…と、いったところでしょうか。
「一行」については、「坐禅の修行そのもの」なのか、「日々の生活にある一つ一つのこと」なのか、意見が分かれるようですが、私たちは、そんなことは気にしません。
「三昧」は、サンスクリット語「サマディー」の音訳。精神の集中レベル・マックス状態、いわゆるゾーンに入っている感じですね。
「贅沢三昧」「放蕩三昧」は、ダメな感じ。「ゴルフ三昧」は微妙で、「地魚三昧」「炙り三昧」なら美味しそう。「風流三昧」「読書三昧」だと、イイ感じです。
というわけで、何を「三昧」するかで、私たちの印象は変わりますよね。印象が変わるのは、社会の常識や、見栄・体裁を気にしているからです。もちろん気になりますけどね。
世間は、効率よく成果を得ることを求めていますから、成果のはっきりしないボンヤリしたことは評価されません。
そうです!世間が評価しないこと、それこそが、私たちに必要なもの!この三昧は良くて、あの三昧は悪い、といった、しょうもない判断に気を取られている場合ではありません。
生きている間しか、生きられないのですから。生きている間に、自分が三昧したいことを、三昧しないと間に合いません。
と言われても、何を三昧したらいいのか分からない人もいることでしょう。
まずは、「ながら」をやめる一時を確保してください。3分でも、1分でもいいから、スマホ片手に食事するとか、ウオーキングしながら英語リスニングとか、歯を磨きながらスクワットとか、二つ同時を禁ずる時間を確保します。
マルチタスクで効率アップ!と見せかけて、実は、あっちもこっちも中途半端、何もしない方がマシだった、ってこともあります。
人間は、忙しいと心を亡くす、これ古典です。
思いっきり効率悪く、思いっきり偏った、思いっきり一般的でないことに、思いっきり集中しましょう。
歩くなら歩く三昧、飲むなら飲む三昧、何もできないときは何もしない三昧です。
三昧は、極度の集中状態ですから、損得勘定・勝ち負けは生じず、嫉妬・焦燥・羞恥も起きません。自分の心と身体と魂だけ。
歩くだけで、大自然と繋がる自分を感じられる、三昧ってお得です。
TOMOKO
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孔子がまとめたと言われる「詩経」、中国最古の詩集から、禅語として取り上げられた言葉です。
「珪」(おうへんにつちふたつ)は古代中国で、官位などを表すために授けられた宝石・貴石などのこと。
「白珪」で、白くて美しい玉。完璧な様子を表します。
「尚可磨」は、もっと磨きなさい。
完璧だ、これで大丈夫だと思っても、もっとがんばりましょう。努力を続けましょう。…という意味になるでしょうか。
そもそも完璧じゃないし。もっと磨けって言われても、何をどう磨いたらいいか分からないし。努力はしてきたけれど、完璧にはほど遠い…。そうです。もう、いいですよね。
私たちは、もう完璧を求めないし、ほどほど穏やかに生きていきたいわけです。この人生が終わるまでに成し遂げたいのは、自分との仲直り。
ですから「白珪」は、今のあなた、そのもの。「尚可磨」は、自分に優しく、と勝手に上書きしておきましょう。ありのままの自分を、丁寧に扱うのが、これからの私たちの白珪尚可磨です。
さて、原典の詩経に戻ると、この話は様子がガラッと変わるのです。
白珪之玷尚可磨也(はっけいのかくるはなおみがくべし)
斯言之玷不可爲也(このげんのかくるはおさむべからず)
美しい珠に傷がついたら、磨けばまた美しくなる
(しかし)
口から出した言葉は、元には戻らない…というような文脈で、どちらかというと後半がメインなのですよね。失言は、なかなか挽回が難しいものです。私たちも、いい大人ですから、うっかり人を傷つけるような言葉を吐かないようにしたいものです。なるべく穏やかな、美しい言葉を使って生きていきましょう。
そして、もうひとつ。禅語に限らず、ものごとの一部だけを見て、あーだこーだと決めつけることからも卒業したいですね。ほんの少し視野を広げるだけで、まったく違う世界が見えてくることもあります。
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薫とは、良い香りを放つこと、人の心に善きものを与えること。習とは、繰り返しによって身につけること、積み重ねること。
以下、私の個人的な解釈です。
薫習(くんじゅう)とは、身口意(しんくうい)つまり、行動と言葉と考え方によって、潜在意識に働きかけること。
お香を焚き、衣服に香りを染み込ませるように。心の清らかな人のそばにいるだけで、心が清められるように。太陽の光を浴びると、ちょっぴり元気になるように。
何かしらの、見えない力が、私たちの心身に影響を与えています。
この見えない力は、テレパシー・霊感・潜在能力・集合意識、何と呼んでも構わないのですが、磁気とか電波だと思えば、誰にでも受け入れやすいような気がします。
私は「何となく感じるもの」とか、「雰囲気」という言葉で表すのが好きです。何となく好ましい人や物のそばにいたい。何となく嫌な感じの人や物から離れたい。…「何となく」を、大切にしたい。周りの人や物に、良い香りを放てるような自分でありたい。
さらに自分自身にとって、心地よく柔らかく温かいと感じられる自分でありたい。
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心の外に、別の法は無い。「法」は、真理とか、ありのままの姿、本来のありよう、などと言い換えてもよさそうです。
ざっくりいうと「すべては、自分の心のもち方、状況の捉え方次第」ということになりますね。そりゃ、そうなんですけど。
自分次第って言われたって、相手のせいで、状況のせいで、こんなに苦しんでいるのに。心のもち方って、どうやったら切り替えられるんですか?切り替え方、教えてくださいよ!と、思いますよね、やはり。
粋なやり方ではありませんが、こんな風に考えてみるのは、いかがでしょうか?
「モテモテだけど、いつも便秘と下痢に悩まされる人生」よりは「モテないけど、おなかの調子が整った人生」の方がマシ。と思ったら、モテモテじゃなくても幸せを感じられるかも。
「貸すほどお金はあるけど、家族から言葉の暴力を受ける人生」よりは「借金があるけど、家族に意地悪な人間はいない人生」の方がマシ。
こう言っちゃあ何ですが、どんなに辛く苦しい状況だとしても、もっと辛くて苦しい人は、やっぱり、いるんですよね。
失礼ながら、その「もっと辛くて苦しい人」とか、「世間的な幸せをもっているのに、実は超のつく残念な人」を、エネルギー源として、使わせていただくのです。
自分の方が、ちょっとはマシ、というポイントを見つけると、けっこう楽になったりするものです。
繰り返しますが、これは粋でなく、高尚でなく、かなりカッコ悪い考え方です。カッコ悪い考え方ですが、けっこう効果があります。
とにかく、何かひとつ、面白いこと、ニンマリするようなことを見つけてください。チマチマ続けていくと、そのうち「心のもちかた」も、少しは変わってくるでしょう。
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精神的に追い込まれると、身動きがとれず出口も見えず、とても苦しいものです。こんなに苦しいのは、あの人の、あの言動のせいだ。…と捉えている限り、ここからは逃げられません。
あらゆる因果の、因(直接の原因)が他人にあったとしても、果(間接の条件)は、自分にあります。なぜなら、因(直接の原因)を、どう捉えるか(間接の条件)は自分が決めているからです。
たとえば相手の不愉快な言動の、元にあるものを、どう捉えるか。
・自分への攻撃
・自分への嫉妬
・自分への恐怖
・自分への興味関心
・相手の自己否定
・相手の自己満足
・相手の不安恐怖
・相手の迷い
…などなど、捉え方は自分次第です。
相手の悪意を自分の心に響かせるから、悪意を受け取ってしまう。心に響かせなければ、悪意の元は相手に還っていく。受け取らなければ、すべての悪意は相手に戻る。…という意味の言葉を、お釈迦様が残しています。
人間関係に悩み、結果として心身の不調を抱える人は、たくさんいます。とても辛いことだと思うのですが。
受け取る、と決めたのは、やはり自分。相手の悪意を心に響かせ、その影響力を拡大し、自分の心を満たしているのは、自分なのです。
自分の苦しみの原因が、他人にあると思う限り、心も身体も弱っていきます。どんどん自分を追い込み、追いつめていきます。
どうか「受け取らない」ことを、意識してください。心の中で、両手を広げ、前に突き出し、拒絶のポーズをとる。心の中で「受け取らない!」「お返しする!」「笑顔!」とつぶやく。
今の、このピンチを突き破るヒントです。
TOMOKO
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Q:夫は仕事優先で、家庭を大事にしてくれない。「家庭と仕事と、どっちが大事なの?」と聞くと、「どっちも大事」と答えるが、仕事が大事だとしか思えない。どうしたら家庭を大事にしてもらえるか?…という相談の趣旨は?
A:夫がかまってくれない。もっと優しくされたい。
【どうすれば良いか?】
1:まずは自分の気持ちを素直に認めることですね。自分は夫に、もっとかまって欲しいんだ、ということを。
2:どう、かまって欲しいのか、を自分なりに整頓します。かまわれていない、と思うポイントは?
・会話レス
・セックスレス
・ボディタッチレス
・アイコンタクトレス
・男女感レス
いずれかに関わりがあるはずです。SNSやテレビ、子どもの話題しかないとか。二人で外出する機会がないとか。記念日や誕生日を祝ってくれないとか。具体的な不満をリストアップしてみると、何かが明らかになるはずです。
3:夫の状況を整理します。かまわれなくなる前の夫と、今の違いは何か?
・職場のストレス
・体調不良
・収入の増減
・親の問題
何かあるはずです。自分の不満をいっとき横に置き、夫の現状を観察してみてください。妻をかまう余裕がないだけかもしれません。
そして、もうひとつ。かまいたいと思えないような、妻が、いるのかもしれません。
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「家庭と仕事と、どっちが大事なの?」という言葉は、もはや古典の領域かと思っていましたが、まだまだ現役のようです。
ある相談者さんの話。
…………………………
夫は仕事優先で、家庭を大事にしてくれない。「家庭と仕事と、どっちが大事なの?」と聞くと、「どっちも大事」と答えるが、仕事が大事だとしか思えない。どうしたら家庭を大事にしてもらえるか?
…………………………
困ったなぁ。旦那さんも、きっと困っているだろうなぁ。
「家庭」とは何か?「仕事」とは何か?
「家庭」と「仕事」は、比べられるのか?
…という疑問はさておき、「家庭の方がが大事」あるいは「仕事の方が大事」という答えには、意味がありません。
なぜなら「家庭と仕事と、どっちが大事なの?」は質問ではなく、「私を大事にして!」という叫びだからです。
夫は自分を大事にしていない。残業も増えたし、会話は減ったし、今年の結婚記念日は出張だったし。自分に飽きたのか?浮気してるのか?疑いの心が大きくなり、つい夫を責めてしまう。夫はますます、口数が減る。
…さて、どうしましょうか?
TOMOKO
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意地悪な人に意地悪されると、こちらも意地悪な気持ちになります。優しい人に優しくされると、私も少し優しくなるような気がします。
相手の優しさが染み込み、自分の中にも小さな優しさが生まれるのかもしれません。
いつでも誰にでも優しく、なんて、できっこないけど。誰かに少し優しくすることは、相手のためだけではなく。自分の心に優しくすることだと思う。
優しい人間でなくてもいい。見栄でも体裁でもいいから、誰かに優しくすることが、自分を優しい人間にするプロセスなのかも…と感じる今日です。
TOMOKO
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あー、やっちまいました。昨夜、私の大好きな隠れ家的な店で、とんでもない人と過ごしてしまいました。神やんからサインがあったのに、スルーした私。あー、大失敗。
お店のオーナー、スタッフ、居合わせたお客さんにも申し訳ないことをした。そして誰より、とんでもない当人に、失礼なことをした。
そもそも一緒にいて、楽しいはずない、と知っていたのに。ちょっとした下心が、私にあったから。何度も誘われて、断るのが面倒だったから。私に助けを求めていたから。ま、言い訳は色々ありますが。
とにかく、ちゃんと断るべき相手でした。美味しいはずのワインにも、申し訳なかったなぁ。
終わりなき、人生の勉強です。
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