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許せない人、許せないことがあるとき。おそらく、あなたは自分自身を許していないはずです。
感情が許さなくても「自分を許す」と、自分に言ってあげてください。
どんなにダメな自分をも、許せるようになると、他人を許せるようになりますよ。
別れが悲しければ悲しいほど、その人と共有したのは限りなく幸せな時間だったという証です。
その別れが悲しくないのなら、その人との関係は、つまらないものだったのでしょう。
今はとても悲しいけれど、同時に幸せをかみしめています。
私には、できないことが、たくさんあります。できるか、できないか知らないことも、きっとたくさんあるでしょう。
18歳~22歳の若い人々とお話をする機会があり、感じたことをお伝えします。
世代の集合意識というものがあるとしたら、彼らには「できることは、やる」「できないことは、やらない」という意識があるようなのです。
それは慢心とか、驕慢ということではなく、自分の役割や使命に集中している感じ。
できることだけを熱心にやることに決めていたら、できないことは存在しなくなるわけです。
日々、色々ありますよねぇ。思い通りにすすまないこと。不愉快なこと。心が折れそうになること。悲しいこと。出口の見えない迷いや悩み。あるある、あります。
でもね、大丈夫なんです。
世界は、これ以上ありえないくらい、完璧に整えられています。同時に世界は、混沌としたまま、フワフワと漂う儚(はかな)い夢のようなものです。その完璧さと、儚さの両面をもつのが、世界というものです。
これまでも、何とかやってきました。これからも、何とかやっていきましょう。
苦しみがあるから、楽しみを受け取ることができる。悲しみがあるから、喜びを感じることができる。
世界は、やたらと乱れ、そして完璧に整っています。
原因のはっきりしない焦りや不安。じっとしていられない感じ。とにかく落ち着かない。イライラ、ソワソワする。
この「焦燥感」という名の、いたずらっ子は、なかなか手強いのです。
何かしないとダメなんだけど、何をしたらいいのか分からない。急いでやらなきゃ!と思うんだけど、時間ばかりが過ぎていく。
あぁ!もう!
どうしよう!
あるある、ありますね。
自律神経がどうとか、ホルモンバランスがどうとか、まぁ色々とご意見はあるでしょうが…。
焦燥感の元ネタは、ずばり「疲れ」です。精神的に、肉体的に、あるいは脳的に、とにかく疲れています。
「この場をどうにかしよう」
「何とか、やり過ごそう」
「急いで通り過ぎてしまおう」
とか何とか、ごまかそうとしているとき。独特の焦りを感じるはずです。急げば急ぐほど、その焦りは拡大します。
もうね、疲れをほぐすしか、方法はないんです。今、急いだら、もっと遅くなりますから。今、ここで、ただちに急ぐことを諦めましょう。
ちゃんと疲れを、疲れとして感じてください。体が、重くなっているはずです。急がば回れ。急がば休め。
とにかく目を閉じて、横になってみてください。
禊(みそぎ)というのは、清らかな水を浴びて、罪・穢(けがれ)を洗い流すことです。
神イザナギは、亡くなった妻の神イザナミを追い求め、死者の国に生きました。女神イザナミ神は、腐敗した肉体を夫に見られたくないので、「私の姿を見ないで!」と頼みました。なのに…神イザナギは、妻の姿をコッソリ見てしまったんですね。
愛は、狂気と紙一重です。夫は、びっくりしたでしょうねぇ。妻は、怒ったでしょうねぇ。
もう、許さない!妻は夫に襲いかかります。
やっとのことで生者の国に逃げ戻った神イザナギは、死者の国の穢れを洗い流すため、清らかな川の流れに身を浸しました。
すると…神イザナギの体から剥がれ落ちた垢(あか)が、新しい神々になりました。
左目の垢は、アマテラスに。右目の垢は、ツキヨミに。鼻の垢は、スサノオに。
あらららら…。高貴な神々は、もともと目くそ鼻くそだったんですねぇ。
醜い姿を見られたくない、と切望した奥様イザナギ。その腐敗した肉体の破片を、全身に浴びた神イザナギ。
さらに、その垢から、三神、スーパースターが生まれちゃったのです。
というわけで、本日お伝えしたいのは…どんなに恥ずかしいことや、知られたくないことがあっても、大丈夫!…ということです。
罪や穢れは、清らかな水に触れたとたん、高貴なものに変わるかもしれません。お日様にあたり、樹木に触れるのも、禊(みそぎ)になります。海や川に身を浸せば、なお良し。シャワーを浴びるだけでもOKです。
友人女性(自己申告によるとトランスジェンダー・戸籍上は男性)と久しぶりに飲みまして、いわゆる「恋バナ」を聞かされました。
トランスジェンダーというのは、体の性別と心の性別が一致しない人、あるいは体の性別に違和感を抱く人のことです。
性的マイノリティ、という言葉の響きは、10年ほど前から比べると、だいぶ軽やかになったようにみえます。
が、この言葉が存在する限り、私の友人は「卑屈」にならざるをえない、というのです。
ちょっと待ってよ!と、熱くなる私…。
性的だろうが、社会的だろうが、マイノリティっていうのは「少数派」のことです。反対側に「マジョリティ(多数派)」がいるわけで。
そもそも、友人と私には、ひとつの共通点がありまして。その共通点というのは、ものすご〜く変わっていて、ものすご〜く少数派なのです。その点について、多数派の方々とは、決して理解し合えないと思います。理解し合えないままで、まったく問題ありません。
だって、私たちは、そういう風に生まれてきたのだから。それを受け入れて、このまま生きていけばよいのだから。
性的マイノリティに関していうなら、全ての人が子孫を残さなくてもいい。性的マジョリティの人だって、子孫を残さなくてもいい。どちらも全体の一部で、人類全体が存続することを願いあえばいい。
もうそのように生まれているのだから、あれこれ考えたり悩んだりするより、少しでも辛くない生き方を考えた方がいい。
少数派だからといって、罪悪感を抱くことはない。偏見という鎖に、縛られることはない。
と、熱く語る私の話はスルーして「恋バナ」が終わらない友人。あのね〜。眠くなった私は、友人を置き去りにして帰りましたとさ(笑)
気の合う人と一緒にいると幸せだから、もっと一緒にいたくなる。もっと幸せになりたくなって、もっと近づきたいと思う。もっと、もっと一緒にいたい。
この感情を野放しにすると、欲望になります。執着になります。
美味しいから 、もっと食べたい。ちょっと痩せたから、もっと痩せたい。お金を稼いで欲しいものを手に入れたから、もっと稼ぎたい。
手に入れたものは、なぜか、もっとたくさん欲しくなる。手に入れたものを、失うのが怖いから、もっともっと欲しくなる。どんどん欲望が大きくなって、幸せから遠ざかっていく。
その人なりの、その時々の、ほどほどの量、ほどほどの深さに気づかなくちゃ。
深めることも、広げることも、幸せです。もっと仲良くなることも、幸せです。けれど深めすぎたり、広げすぎたり、仲良くなりすぎると、幸せではありません。
人と人の繋がりにも、飽和点はあって、そこを超えてしまうと、もうドロドロです。
「ほどほど」って、いいですね。
今朝、私のハイヤーセルフ・神やんが見せてくれたのは、こんな情景でした。
重みや粘りを感じるほどに、真っ黒な暗闇。これ以上は黒くなれないほどの、深く果てしない闇。その暗闇の中に、小さな丸い光が、ゆっくりと動き回っている。
次第に数を増す光の玉は、それぞれが異なる色を放ちながら、回転したり、飛び跳ねたり。
パステルカラーのような、蛍光色のような、くすんだ和色(大和の伝統色)のような。光の玉は、外側に向かって、だんだん薄くなり、白っぽい光を放射する。暗闇との境目は、金色のような感じで。
その金色の先端が、触れ合ったり、重なり合ったりして、また新たな色彩を描く。
あれは…、おそらく、私たち人間の魂ですね。エネルギー体とか、オーラといっても良さそうです。
肉体という羽衣を脱いだとき、きっと私たちは、あのような姿で暮らすのでしょう。暗闇は暗闇のまま、光の玉たちと共にありました。
その暗さの中に恐怖はなく、何もかもを包み込むような、温かい感じがありました。
はぁ〜。いい夢をみました。
おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
今日も生きていますね。
眠りという、小さな死から蘇った、今日の新しい命。
好きな人と会って、好きなものを眺め、好きなものを食べたり飲んだりして、今日の誕生をお祝いしましょう。
毎日が誕生日です。
お誕生会のように、今日の幸せを味わってください。
この時間の記憶を、写真や動画を保存して見るように、何度も味わってください。
ニコニコ笑顔でいてください。
灰色の気持ちになることもあるけれど。それは自分自身によるものではなく、日本全体とか、地球全体の雲行きの影響かもしれません。自分の置かれた環境や、身辺の状況よりも、もっと大きな力によって、灰色になっていることもありますからね。
悲しいとき、辛いときほど、能天気に構えて、「ま、いいか」と、やり過ごしてしまいましょう。
今日も、お誕生日おめでとう!
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