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岡山県出身の詩人・永瀬清子さんの詩をRSKアナウンサー 小林章子の朗読でお届けします。どんな景色が心に浮かぶでしょう?人生のステージや生活に合わせて読むことができる永瀬さんの詩の世界。多感な時期の悩み、結婚、両親、夫や子供など家族のこと、生活の中での驚きや発見、山や川、植物や天体など自然について、世の中について、老いについて。永瀬さんの詩は、過去の自分を振り返ったり、これから行く道の道しる... more
FAQs about 永瀬清子の世界:How many episodes does 永瀬清子の世界 have?The podcast currently has 131 episodes available.
December 22, 2025#91「冬が来るとは」永瀬清子は、2歳から16歳まで金沢に暮らしていました。金沢の冬の思い出が「肌ざわり」、雪景色、「子守唄」などの感覚的な断片で数珠つなぎのように語られています。そうした思い出だけでなく、「母の黒いえりまき」を取り出して身につけることで「母の思いが自分のものになった。」と実感しています。ここでは、目に見え手に取れるものとしての思い出と現実が描かれているのです。さらに、このように季節を感じることは人によって違い、その違いが人格にも表れ、「人間の柱になっている」と考えているところに注目されます。つまり、人それぞれの春夏秋冬の経験をどのように感じるかの積み重ねが、人格形成につながっていくというのです。このような視点から、人も自然の一部であるということを実感させられます。<文・白根直子>...more4minPlay
December 15, 2025#90「クリスマス」「クリスマス」は、永瀬さんが松木の家で暮らしていた頃に書いた短章です。12月になるとクリスマスのイルミネーションが輝き、きらびやかな夜景が見られるようになります。赤と緑と金色で彩られるクリスマスのディスプレイ。クリスマスソングが流れ、寒いながらも街全体が楽しげな空気になる頃です。ところが、「この田舎では何一つクリスマスらしくたのしげなものはない」と冬枯れて静かな日常の風景を描写します。そこには、「東の山の上にオリオンが、すばらしく新鮮に輝いているだけ」です。そのオリオンの輝きが永瀬さんの心を捉えました。東方の三博士が星に導かれてキリストのところへたどり着いたように。だからこそ「それがクリスマス。」と締めくくり、本当のクリスマスをオリオンの輝きに重ね合わせたのかもしれません。<文・白根直子>...more4minPlay
December 08, 2025#89「あけがたすこし癒える私」仕事をどうにかやり遂げて、疲れて泥のように眠る中で見た夢。「それはこわい夢だった」と、まるで自分の疲れや不安が作り上げたかのような夢でした。「現実の私なら絶対に云えぬこと」を言ったがために、はげしく後悔をしてしまいます。「まるで目もくらむ首との取引」、「誰にも助けて貰えないのに」など読んでいるだけでも身につまされます。ところが「私」は、こうした夢を見たことを、「夢が私をきっと治癒した」と肯定的に解釈し、その一方でまだ夢に引きずられるかのように「すこし癒やされて」いることで自分を失っているかもしれないとの疑問を持ちつつ、新しい一日を迎えようとするのです。いつも新鮮な気持ちで過ごそうとする「私」と、その背後には「こわい夢」をみるほど疲れた「私」はどちらも「私」であることを、光と影すなわち朝と夜にたとえており、「私」のすべてを肯定しているように感じられます。<文・白根直子>...more4minPlay
December 01, 2025#88「にせ物語 a 負ぶい紐」「にせ物語」は、「昔、男があった」で始まる「伊勢物語」の「こころにならい」書かれた短章です。偶然、久しぶりに再会した知人の男と昔話をして別れようとする時、「男」が負ぶい紐で「女」の背中に幼な子が落ちないように力を込めてしっかりとくくりつけるその一瞬で「女」の心をすくい取っています。「ぐうだらの彼女の夫」はそのようにしてくれたことはなく、「女」は、自分の伴侶の選び方が誤りではなかったのかと思いをいたすのです。ひょっとすると「男」は、たまたま経験があってそうしてくれたのかもしれないし、「夫」は、不器用でいつまで経っても加減がわからなかったのかもしれないのに。この時「女」が、「男」にあって「夫」に無いと思ったのは、「女」の心を考えた行動なのでしょう。「負ぶい紐」がくくりつけていたのは、「女」に対する心遣いの違いなのかもしれません。<文・白根直子>...more4minPlay
November 24, 2025#87「季節のごとく」詩「季節のごとく」は、年老いてやがてこの世を去ることを待ち望む「私」を題材にしています。年老いていくこともこの世を去ることも季節のめぐりのように当たり前と捉え、刻まれていく〈皺〉を樹木の「年輪」のように静かに受けとめていきます。「血を注ぐ」元気がまだある「私」は、そのうち疲れから額に増えていく〈皺〉を思い、自分の終わりを思うのです。〈皺〉に象徴される年齢は、さらに打ち寄せる波にも、降りつむ雪にもたとえられ、死が訪れた時には「大地そのもののやうに冷える」のです。この詩は、老いと死を終わりではなく、自然への回帰と捉えることで、読む者に静かな慰めを与えているように感じられます。<文・白根直子>...more4minPlay
November 17, 2025#86「パイプ」「パイプ」という詩は、日常の夫婦の一コマを切り取ったかのような詩です。このような困りごとは、誰しも似たような経験があるでしょう。自分でなくしておきながら、「私」をわずらわせる苛立ち。どうしてもっと気をつけないのかと思うその背後には、「パイプ」のように「私」も大切にされていない、気にされていないのではないかという気持ちも込められています。そして、この気持ちの向こうにある「貴方」と「私」の関係が見えてきます。「貴方」にとっての「パイプ」は、「ぞんざい」な扱いでなくしてしまうけれど、「なくなれば大さわぎして/一刻もそのままにはすまされない。」と、大切な筈なのに当たり前でなくてはならないものです。「私」にとっての「貴方」は、手のかかる人で大切にしてもらえないことを嘆くばかりですが、放ってもおけません。日常は、こうした出来事とその向こうにある相手への愛で成り立っていることを思わせます。この詩は、日常の小さな苛立ちの奥に潜む愛情を描き出すことで、私たちに当たり前の大切さを思い出させてくれます。<文・白根直子>...more4minPlay
November 10, 2025#85「悲しみだけは」絵描きの「彼」と「私」の若い頃から続く関係には、複雑な思いが絡み合っているようです。恋心とも想像したくなる「彼」に対する「私」の心。それを裏切るように「私」を試すような「彼」の行動。他の女性と結婚したことや植えられている花々にまで嫉妬心をかきたてられる「私」。年月を経て絵を求められると妻が病気なのにと怒り、妻が亡くなったことを天に帰る天女にたとえて報せる「彼」。一体、「私」は「彼」と、「彼」は「私」とどのような関係を望んでいたのでしょうか。いつも「彼」の一番でありたい「私」と精神的な支えであり芸術の理解者としての「私」を求めていた「彼」。つかず離れず続いてきた二人を結ぶ芸術は、男女の愛とは違う力でつなぎ止めており、もしかしたらその力は「悲しみ」なのかもしれません。<文・白根直子>...more4minPlay
November 03, 2025#84「貴方の手で」永瀬清子の詩には、自然とともにある姿を描く詩があります。この詩の「貴方」が描き出す「私」は、最後にひとつになり、「自然そのものを指す」というのですから、まるで天地創造のように大胆に感じられます。その一方で、それほどまでに大いなる存在である自然への憧れも感じられます。ここには、人間が自然の一部であることとともに、そのめぐりとともにある存在であるという永瀬清子の自然や生命についての考えが反映されているのかもしれません。<文・白根直子>...more4minPlay
October 27, 2025#83「裁判と詩」1959年1月、永瀬清子は岡山家庭裁判所の調停委員に任命されました。後年の随筆「火星人はいづこ―調停室から」(『愛と自由』第1号 1981年1月)では、双方が感情によって相手の「虚像」を作り上げる現実に驚きつつ、「自分と相手を共に生かす道」を探ることが「生き甲斐」につながると述べています。任命直後から「弱い人の女性の、味方になると云っても単にひいきをするのでなく、友として一緒に考へたい」と述べ(『黄薔薇』第37号 1959年3月)、一人ひとりに寄り添う姿勢を貫いていた永瀬清子。同時期に書かれた短章「裁判と詩」は、「裁判も詩も、刻々の時間の流れの中で、共に虚無と戦っている兄妹なのだ――。」と締めくくっています。「裁判と詩」は、ともに「虚無」や「虚像」に抗い心を取り戻す営みであり、よりよい生を求める永瀬清子の姿と重なります。<文・白根直子>...more4minPlay
October 20, 2025#82「挫折する」〈挫折〉とは、人によって違い、同じ人でも年代によって何をそう感じるかは違うでしょう。その人がその時に感じた感情であり、他者の〈挫折〉を理解できるかどうかは、その人の体験によっても変わってきます。また、「よい事づくめの人」は、本当に何ひとつつまずくことなく歩んでいるのでしょうか。そのように見えている、または見せかけているだけかもしれません。あるいはいわゆる〈挫折〉をしていないか、自らに厳しくて〈挫折〉と認めていないか、あえて語らないだけなのかもしれません。〈挫折〉とは、物事の受け止め方でもあり、時に自らの物語を形づくる手段として使われることもあり、〈挫折〉を語る強さと弱さにも思いをいたしたくなります。「人は宿命として挫折によって「人間」を獲得する」という、「人」が「人間」になる契機としての〈挫折〉。「人間の最もふかい感情」を発することのできる〈挫折〉。〈挫折〉を通してこそ、人は自己と他者の痛みにふれ、より深く「人間」として生きることを学ぶのかもしれません。<文・白根直子>...more4minPlay
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