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岡山県出身の詩人・永瀬清子さんの詩をRSKアナウンサー 小林章子の朗読でお届けします。どんな景色が心に浮かぶでしょう?人生のステージや生活に合わせて読むことができる永瀬さんの詩の世界。多感な時期の悩み、結婚、両親、夫や子供など家族のこと、生活の中での驚きや発見、山や川、植物や天体など自然について、世の中について、老いについて。永瀬さんの詩は、過去の自分を振り返ったり、これから行く道の道しる... more
FAQs about 永瀬清子の世界:How many episodes does 永瀬清子の世界 have?The podcast currently has 131 episodes available.
May 26, 2025#61「星と扁桃腺ーわが詩のはじめ」永瀬さんは、2歳から16歳の多感な時期を金沢で暮らしました。詩に登場する英和幼稚園は、現在の北陸学院第一幼稚園で、「日本に現存する最古の私立幼稚園として、一貫したキリスト教保育」を続けている幼稚園として知られています(北陸学院第一幼稚園ホームページより)。この詩は、その頃の思い出を書いています。80代の永瀬さんは、幼い日の忘れられない二つの出来事を「星」と「扁桃腺」に象徴して、まるで昔話をするように語り始めます。そして、当時は言えなかった思いを今になって言葉にするのです。さらにこの思いがこれからも続くことを予感させるかのように「それからいまだに続く私の道――」と締めくくっています。永瀬さんは、「幼かった時に聴いたり読んだりしたものが、いまも心の隅に新しく生きているような気がする事が多いのです。」と書いています(「幼年はすぐそばに」『月刊こどもの季節』1979年7月)。明治の終わりに「キリスト教保育」を受けることができ、気づきを与えられ、西洋への憧れを抱いたことも永瀬さんの詩を豊かに育んだのだと思います。※北陸学院第一幼稚園は、2025年度末をもって休園し、2026年度より北陸学院扇が丘幼稚園と統合します(北陸学院第一幼稚園ホームページより)。<文・白根直子>...more4minPlay
May 19, 2025#60 「自分のことばを」「自分のことば」とは、一体どのようなものでしょうか。それは、自分が心を込めて使う特別な言葉のことだと思います。普通に話したり書いたりする言葉は、誰かの言葉を借りたり、思いついたまま使うこともあります。でも「自分のことば」は、自分でじっくり考え、自分ならではの意味や気持ちを込めたものです。たとえば、詩を書くときにも、ただ他の人と同じ言葉を使うだけでは、その人が感じていることをうまく伝えられないことがあります。だからこそ、自分が本当に思っていることを、自分らしい言葉で表現することが大切です。「自分のことば」は、その人の経験や感じ方が凝縮されたものであり、その人の背景や歴史が感じられる特別なものです。さらに、言葉は受け取る人の想像力や感受性によって、もっと深い意味を持つようになります。言葉を作る人と、それを受け止める人が互いに影響し合うことで、その言葉の価値が広がり、豊かになっていくのです。このやりとりによって、言葉がより生き生きとしたものになるのではないでしょうか。<文・白根直子>...more4minPlay
May 12, 2025#59 「ほしいもの」今「ほしいもの」を尋ねられたら、皆さんは何と答えるでしょうか。ここに描かれた「私」の「ほしいもの」は、「小さな絨氈」です。それも単なる絨氈ではなく、時間が積み重ねられた愛着と記憶を宿した「古びた」絨氈です。詩を書くにも、洗濯をするにも、ミシンをかけるにも、それぞれに集中したいと願いながら、家事や家族のことに心を配り続ける「私」。一つ一つに心を込めていたいと思いつつも、マルチタスクを求められる日々。だからこそ、「小さな絨氈」を拡げてただ一つのことに集中する時間を持ちたいと切に願うのです。「小さな絨氈」とは、自分だけの時間や空間を象徴するもの。それさえも手に入れられない「私」の心の内を表しています。一方で、もしもこの「小さな絨氈」が手に入ったらどんなにいいだろうと考えることは、夢みることであり、準備することでもあります。私たちは皆、心の中に「小さな絨氈」のようなものを求めているのかもしれません。ひとつのことに没頭するための場所や時間を。現実を嘆く「私」が「小さな絨氈」を願うことは、ひとつの力になるのではないでしょうか。<文・白根直子>...more4minPlay
May 06, 2025#58 「一日、昔の風が」永瀬さんが昔の自分に語りかける詩は、読む人々の心に深く訴えかける力を持っています。この詩の中で、若い頃の「私」を「お前」と呼ぶことで、かつての自分と今の自分との間で内省するように対話をしているのが印象的です。「さびしくふるえがちな/一本の苗木」が成長して年輪を増やし、外側に堅い層を持つことで中身を守るという自然の姿に、人生の歩みを重ね合わせているのです。また、過去の自分にもう一度会いたいという思いは、年齢を重ねた人ならではのものでしょう。とりわけ、「神様が返してあげようとおっしゃっても/その青春を返して貰うまいと思っていたのだ。」からは、過去を振り返らず、ひたすら前に進む生き方を選びとった「私」の姿が浮かび上がってきます。そうした強さや覚悟のもと生きてきた「私」が、過去に置き忘れていた「お前」のことをふと思い出したのは、懸命に生きてきたからこそ、振り返る余裕が、やっと生まれてきたからなのかもしれません。<文・白根直子>...more4minPlay
April 28, 2025#57 「息子の結婚」「息子の結婚」という詩を読んでいると、永瀬さんの息子を思う母親としての姿が目に見えるようです。大切な息子が結婚をする喜びとともに、結婚そのものへの複雑な思いが浮かび上がってきているからです。天空をかけめぐることを夢見た星座の娘であった永瀬さんといえども、母となれば息子の思いを受けとめつつも、自分の元から離れていくさびしさにやるせなく割り切れない思いを抱かずにはいられないのです。永瀬さんは、結婚後に風邪で高熱を出した息子が十日ほど寝込んだ時のことを、こんなふうに書いています。その時「お母さん、お母さん」と夢中でよんだので、妻君にあとでおこられたと言った。「じゃあよかったね、マリコさんとかミチコさんとか呼ばないで」と私は言った。そしてやっぱり満足であった。(「同窓会・大工・すみれ・母親(一九七三年)」『うぐいすの招き』れんが書房新社 1983年)息子が「お母さん、お母さん」と夢中で呼んでいたことを、「やっぱり満足であった」と書かずにはいられない永瀬さん。母親ならではの思いがうかがえます。<文・白根直子>...more4minPlay
April 21, 2025#56 「短章 流れる髪」永瀬さんは、金沢の女学校卒業後、上級学校への進学をあきらめていましたが、名古屋に暮らすようになり、新設された愛知県第一高等女学校高等科英語部に入学することができました。この時、キングスレーのギリシャ神話を読んだ驚きが忘れられず、当時のことをこんなふうに回想しています。入学してからの私は一字毎に何かを空想した。springという、breezesという、その言葉とその音には、日本語では知らなかった美しさと音楽が含まれているではないか。それは日本人が決して感じなかったほどにひるがえる海や草の穂を光らすようなさわやかな何かであり、古い歌でいままで「春は来にけり」「春すぎて」などと云っていたものよりもっと透明な何かである。そのようにも思った。そして先生が教えてくれる以上にそわそわして毎日をすごしていたのであった。(「私が詩を書きはじめた頃――大正の末つかたのはなし」『私は地球』沖積舎 1983年1月)。これまで知らなかった新しい世界との出会いは、永瀬さんの心を大きく動かしました。そしてその驚きを、年を重ねてもなお持ち続けていたところに永瀬さんの詩の源があるのかもしれません。<文・白根直子>...more4minPlay
April 14, 2025#55 「朝になると」永瀬さんは、子どもたちの成長も詩に書いています。「朝になると」には、娘の通学を見守る母親の心を詩に書きました。汽車で学校に通う娘・菜穂子。「小鳥のようにみえなくなる」、「出来たての風のようにたのしげにいくだろう」などからは、娘の若さや元気のよさが感じられますし、「とおいとおい見えない空の深さが/その上に燃えているだろう」には、娘に開かれている可能性や未来がまぶしく感じられます。母親自身の少女時代を思い出し、重ね合わせていたのでしょうか。そう思うと「矢のゆくえを見守る人のように」からは、時のうつりの早さがいっそう際立ってきます。この詩は、中学1年生の教科書にも載ったことがあり、学習の課題には「情景を想像しながら、朗読しましょう」とありました。永瀬さんの詩で気に入った詩があれば、朗読することで永瀬さんの世界が、より身近になるかもしれません。<文・白根直子>...more4minPlay
April 10, 2025#53 「春になればうぐいすと同じに」「春になればうぐいすと同じに」は、永瀬さんが詩人として歩みはじめた頃を回想した詩といえるでしょう。17歳の時に『上田敏詩集』を読んで詩人を志した永瀬さん。「私は詩を書く人になりたいの/ほかには何もなりたくないわ」。この願いを抱いて70年以上歩んできた詩の道。「詩を書くのならうんと勉強しなくちゃ/感性だけに頼っていては駄目なんだ」と応援してくれたのは、京都帝国大学医学部にトップで入学した従兄でした。誰にも理解されないと思っていた願いを打ちあけることができた従兄がいて、さらに応援してくれたことは、永瀬さんにとってどれほど心強かったでしょうか。美しい時間、大切な時間は、あっという間に過ぎ去ってしまいます。かけがえのない理解者とともにあった春という季節。春になれば読み返したくなります。<文・白根直子>...more4minPlay
April 07, 2025#54 「美しい三人の姉妹」詩「美しい三人の姉妹」は、永瀬さんが岡山県の三大河川である吉井川・旭川・高梁川を三姉妹に見立てて書いた詩です。永瀬さんが愛したふるさと岡山の自然への思いが込められており、三つの川の歴史や地形などの特徴も捉えていることから岡山の魅力を伝える詩でもあります。この詩は、髙原景介さんにより混声合唱組曲となり岡山県内の様々なグループに愛唱されています。永瀬さんは、髙原さんの依頼により「1 大きな姉 吉井川」「2 足どりも軽く 旭川」「3 珠玉(たま)をいだく 高梁川」「4 清い血脈」「5 美しい三人の姉妹」と詩にはない副題をつけました。この副題からもそれぞれの川の特徴が伝わってきます。「やすまずわたしらをやしなってくれる生命の乳」である三つの川。岡山に暮らす方も、訪ねて来られる方も、三つの川に親しんでいただけるとうれしいです。<文・白根直子>...more4minPlay
March 24, 2025#52 「春の花など f 花の美しいのは」永瀬さんは、花を題材にした詩をいろいろ書いています。この詩では、なぜ花が美しいと感じるのか、どういうところに美しさを見出しているのか、その理由を書いています。少し抽象的かもしれませんが、花の美しさとは何かという本質に迫った詩です。永瀬さんは、花の美しさを言おうとしているのに、「何ものか花でないものから」と花そのものではないと言っています。ではどこかというと、「花へ浮かびあがってくるきわが美しいのだ」と、変化していくある瞬間を捉えて美しいと言っています。それは生きて命あるものならではのことであり、その変化を捉える感受性をもつことも含まれています。永瀬さんは、自分がこのことを書かなければ、消え去り忘れ去られてしまうという思いを生涯持ち続けていました。戦前に書いた「私がいなければ何もない」では、自分がこの世を去れば感じていた思いは消えてしまうことを書き、最晩年の「時間―私らは忘れやすく」という詩には、「私らは消えゆく時間を止めるためにのみ詩を書いている」とあります。「花は咲きそして散る その痛みなしには花でありえない」。この最後の一行がたまらなく魅力的です。この詩は、生きること命あるもののすばらしさを書いた詩でもあります。永瀬さんが詩を選んだのは、そこにとどまらず常に変化していく姿を書きたかったからでした。そして、永瀬さんは「痛みなしには花でありえない」と全てを受け入れ肯定しています。こうしたところに、私たちは励まされているのではないでしょうか。<文・白根直子>...more4minPlay
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