オーディオドラマ「五の線3」

196.2 第185話【後編】


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瓦礫と煙が充満する中、相馬は身を屈めながらもてなしドームの方向に進んでいく。
鉄骨がむき出しになった構造物の隙間から、焦げた臭いと重い空気が流れ込んできた。

「…本当にここは金沢駅か?」

相馬は一人ごちるように呟いた。
滑りやすい足元に何度もつまづきながら、ようやく車両の残骸にたどり着く。彼は息を呑んだ。
車両は完全に焼け落ち、炭化した鉄の骨組みだけがかろうじて原形をとどめている。周囲には黒焦げになった肉片のようなものが散らばり、もはやそこに人がいた形跡すら分からなかった。
何者かの無事を知りたい。その一心で呼びかけをするが、答える者は誰もいない。
全員死亡。
改めて確認しなくても分かる。ここには生命の予感がまったくしない。
相馬は拳を握りしめ、顔をそらした。
その時だった。相馬は瓦礫の隙間を越えた先に、微かに動く人影を見つけた。

「…誰だ?」

雨音がその声をかき消す中、相馬は注意深く視線を凝らした。
人影は遠く、不規則に揺れるような動きを見せていた。生存者か、それとも――。
警戒心が相馬の体を緊張させた。

そのとき彼の足元に近い瓦礫の隙間で、わずかに動くものがあった。
全身に火傷を負い、皮膚がただれた一人の男。
ウ・ダバ構成員のひとりだ。
彼は虫の息の状態ながら、仲間たちが次々と倒れていくのを目撃したのだ。

ー俺だけか…。

明らかに焦点が合っていないその目は意思によってのみ機能していた。
男はかすかに動く手で拳銃を掴む。雨で滑りそうになる手を震わせながらも、相馬の背中に狙いを定めた。
相馬はその背後の危険に気づかず、視線は依然として遠くの人影に向けられていた。
ウ・ダバの男は最後の力を振り絞り、ゆっくりと引き金に指をかける。
雨音に混ざり、男の荒い呼吸が瓦礫に反響する。

銃声

男の頭部が弾け飛び、身体が力なく地面に崩れ落ちた。

「え?」

銃声と共にその場に伏せた相馬は、何が起きたのかを理解しようとした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ビルの屋上から、一部始終を見ていた卯辰一朗は、スコープ越しに相馬の姿を見つめていた。

「やれやれ…。」

卯辰は低く呟き、スコープを外した。焼け落ちた瓦礫、崩壊したドーム、倒れた無数の死体。
金沢駅の惨状は、かつてのアフガニスタンの戦場さえ思い起こさせるほどだった。

「何だってこうなっちまった…。」

卯辰の表情には苛立ちと疲労が滲んでいた。
それでも彼は再び銃を構え、状況を俯瞰した。金沢駅全体を俯瞰できるこの位置は、彼にとって目の前の惨状を冷静に観察する唯一の場でもあった。

「一郎、こちら神谷。」

卯辰の眉がわずかに動く。通信の相手が神谷であることを確認すると、彼はすぐに応答した。

「どうぞ。」
「そこから3時方向のビル屋上にいる男を排除しろ。」

その短い命令に、卯辰は視線を鋭くする。
彼の目は遠くのビルの上で微動だにせず立ち尽くす人影を捉えていた。

「了解。」

短く答えると、卯辰は体を低くし、雨に濡れた地面を滑らせるように移動した。再びライフルを構えスコープを覗き込む。
その視界には、雨に濡れながら静かに空を見上げるアサドの姿があった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ビル屋上。
アサドはその場に立ち尽くしていた。
雨が容赦なく彼の身体を濡らし、冷たい水滴が頬を伝って落ちていく。それでも、彼はただ静かに空を見上げていた。
先ほどのドローン攻撃は、間違いなく大成功だった。
機動隊車両を正確に破壊し、現場にいる敵勢力をほぼ壊滅状態に追い込んだ。
だがこの雨では、残りのドローンを飛ばすことは不可能だ。どれだけアサドのドローン運用が優れていても、この自然の力には抗えない。
彼の耳に、無線の雑音が入り始めた。そして、ヤドルチェンコの声が響く。

「ドローン班、よくやった。」

その一言が、アサドの心を強く揺さぶった。声を震わせながら、彼は応答する。

「ありがとうございます。」
「一旦待機だ。」
「…あの…」

アサドはためらいながら口を開いた。

「なんだ。」
「同志は…」

その問いに、ヤドルチェンコは一瞬の間を置いた――だが、声には迷いの色を見せることなく、淡々と言い放った。

「見事だった。」

その言葉を聞いた瞬間、アサドの胸の中で込み上げてくるものがあった。全身が熱くなり、頬を濡らすのが雨か、それとも涙かさえ分からなくなる。

ー彼らの犠牲は無駄ではなかった…私たちは…正しいことをした…

感情が溢れ出し、アサドは堪え切れず、嗚咽を漏らした。
雨の中に立ち尽くしながら、彼の肩は震え、声を上げることもなく涙を流した。

ライフル音響く

再び鋭い銃声が轟き、雨音と瓦礫の静寂を切り裂いた。
相馬は反射的に身をかがめ、瓦礫の影に隠れるように腰を落とした。耳にはまだ銃声の余韻が残り、心臓が嫌なほど早く脈打っている。

ーどこからの発砲だ? 敵か…それとも…。

視線を巡らせても、雨で視界はぼやけ、瓦礫の山が全ての方向を遮っている。先ほどまで捉えていた人影も、どこに消えたのか分からない。
相馬は無線機を掴み、すばやく公安特課本部に通信を入れた。

「こちら相馬。狙撃手がいる。動けない。」

声が震えないように努めたが、雨音に混じって伝わる自分の息遣いが異常に荒いことに気づく。

「相馬。片倉だ。狙撃手は味方だ。心配ない。」
「味方…?」
「あぁそうだ。」

だが無理はしなくて良い。今居るところからで良いから、状況を報告してくれと片倉は言った。

「機動隊車両周辺ですが、命の気配すらありません。」

無線越しに響く相馬の声が、公安特課本部に重くのしかかった。
机に肘をつき、顔を覆うようにして座る片倉。その眉間の深い皺が、彼の胸中を物語っている。
岡田は口元を覆ったまま視線を下げていた。古田と富樫。この老練な二人の警察官の死が何を意味するのか、ここにいる全員が理解していた。これまで培ってきた公安特課の基盤が、根底から揺らぎかけている。
片倉は、低く搾り出すような声で言った。

「椎名は?」

無線の向こうで相馬が口を開く。

「…確認できていません。」

椎名。
その名前が発せられるたび、本部の空気が微妙に歪む。
事ここに至って彼の生存は希望なのだろうか。それとも危険なのだろうか。
片倉の目がわずかに細くなる。
鼓門に侵入したウ・ダバの車。それを爆破させて以来、全く連絡が取れなくなった椎名。
彼はただ「巻き込まれた側」で済むのか?
以前から心の奥底でくすぶらせていた椎名に関する疑念を、片倉は反芻していた。

「椎名や。椎名が鍵や。」

その一言が、彼の胸中を垣間見せていた。

「その考えはおそらく正しい。」

片倉の言葉にかぶさるように、百目鬼理事官が本部に足を踏み入れた。その顔には疲労の影があり、報告書を片手に握りしめている。

「理事官。」

岡田が慌てて立ち上がるが、百目鬼はそれを手で制した。

「座れ。この状況で立たれても疲れるだけだ。」

百目鬼は部屋を見渡し、一言漏らした。

「惨憺たる様子だ。」

彼はそのまま報告を開始した。三好からの情報として、自衛隊が政府の決定に基づき、一個中隊の金沢駅への派遣を決定したという。

「政府がこの事態を“武力攻撃事態”と認定した。」

その言葉に、本部全体が凍り付いたように静まり返った。片倉は一瞬目を閉じ、呼吸を整えるように息を吸った。
百目鬼は続けて、特殊作戦群の被害が軽微である事を報告した。かの部隊はそのまま金沢駅に留まり、次なる敵に備えていることを説明した。

「次なる敵とは?」

片倉が百目鬼に問う。

「アルミヤプラボスディアの残存勢力だ。ベネシュの安否が確認できていない。きっと奴は生きている。」
「では自衛隊はなぜこのタイミングで追加派遣を。」
「まだ終わらんとみている。」
「何がですか。」
「ウ・ダバの更なる攻勢だ。」

百目鬼のこの発言は、警察では対処しきれない規模の敵戦力が相手になっていることを示していた。

「だが――」

百目鬼は報告を締めくくる前にわずかに間を置いた。

「事態がここまで混乱した背景には…」

彼の目が片倉と交わる。
片倉は冷静に頷きながら応じた。

「椎名だ。」

これまでも片倉は、椎名に対して慎重な姿勢を崩したことはなかった。その理由は、彼の優れた能力と異常なまでの冷静さ――それが、時に公安特課の利益ではなく、彼自身の目的に基づく行動に映る瞬間があったからだ。
百目鬼もまた同意するように小さく頷いた。
その時、不意に無線が繋がった。

「…こちら椎名。」

その声が本部内に響いた瞬間、全員が凍り付いたように動きを止めた。

「ウ・ダバ車両突入後の爆発までは計画通りでしたが、ドローンの投入は完全に想定外でした。」

冷静な報告。だが、その落ち着きは異様だった。そのため本部の人間は彼に何も声をかけることができない。

「…爆発で負傷していますが、自分は生きています。周囲は死体の山です。これから自分はヤドルチェンコの居場所を突き止め、奴に引導を下します。」

無線はここで途切れた。

「おい!椎名!…椎名!」

片倉が呼びかけるも椎名からの応答はなかった。

「…どういうことだ…。」

岡田が呟いた。

「あの爆発の中心におって生きとるやと? それだけでも不自然やぞ。」

片倉の目は鋭く細められていた。

「奴が何を隠しとるんか分からん。だが、これだけは確かや。」

百目鬼がその続きを引き取るように言う。

「椎名が全て知っている。椎名賢明の確保。これが公安特課の最優先事項とする。」

誰がどうやって椎名を確保するのだ。
金沢駅には相馬くらいしか手駒はない。百目鬼のこの言葉は現実味がなく、この場の人間に受け止められた。
公安特課に広がるのは、椎名という男がもたらす異常な空気感。
それが作り出した底知れぬ恐怖感だけだ。

「相馬だけに無線をつなげてくれ。」

片倉がこう言うと、手際よくその無線は繋げられた。

「相馬。」
「…はい、相馬。」
「いまの無線聞いたか。」
「はい。」
「椎名は生きとる。」
「はい。」
「そこにはお前さん以外、マルトクの人間は誰もおらん。」
「はい。」
「…できるか。」
「班長それは!」

岡田が片倉に異議を唱えようとしたが、それは理事官の百目鬼が手を挙げることによって制された。

「やります。」
「頼む…。」
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