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雨音の中、椎名は低い声を出した。
「トゥマンの状況は。」
電話の向こう、アルミヤプラボスディアの精鋭部隊トゥマンを指揮するベネシュ隊長は、一瞬の間を置いて答えた。
「戦力の4割は削られた。」
その報告に、椎名は短い沈黙を挟み、冷ややかに呟く。
「全滅か…。特殊作戦群はまだそこまでの被害は出ていない。」
ベネシュは唇を噛みながら問いかけた。
「どうする。」
「今こそ撃鉄を起こせ。反共主義者に鉄槌を下すのだ――とプリマコフ中佐はおっしゃっている。」
仁川の言葉には感情の起伏がなく、ただ淡々と任務を遂行するかのような響きがあった。その言葉を聞いたベネシュの眉がわずかに動く。
「撤退は選択にないということか。」
「そうだ。」
「しかし、こちらもここまでの被害が出ると事情が変わってくる。本社に確認させてくれ。」
ベネシュは絞り出すように言った。その声には焦燥が滲んでいた。
「何を確認すると言うのだ。」
仁川の声が通信機越しに鋭く響く。
「我々が御社の金主だろうが。」
「そうだが…。」
「おやおや、自衛隊が怖くなったか。」
仁川の言葉には冷笑が混じっていた。その一言がベネシュの胸に刺さり、怒りが沸き上がる。
「…私を侮るな!」
電話の向こうでベネシュが声を荒げる。しかしその怒りを全く意に介さず、椎名はさらに冷徹な言葉を浴びせた。
「命が惜しいと言うなら撤退しても構わんが、そうなれば御社は会社ごと消えることになるかもな。」
その一言に、ベネシュは息を飲んだ。
仁川の脅しは、単なる言葉ではない。ベネシュはそれを理解していた。アルミヤプラボスディアの市場と利益――その全てがツヴァイスタン人民軍の手の中にある。いまここにおけるツヴァイスタン人民軍は仁川征爾少佐である。
「…分かった。」
ベネシュは短く答えた。その声には屈辱が滲んでいた。
「残る部隊をすべて動員し、特殊作戦群を可能な限り削る。」
その言葉に仁川が応じた。
「よろしい。目標はただ一つ、反共主義者に鉄槌を下すことだ。」
その言葉を聞いたベネシュは、ふと胸の奥に冷たい違和感を覚えた。
ーこいつは…狂っている。
共産主義――それは過去の理念であり、現代の戦場で語られるべきものではないはずだ。
だが、仁川はまるでそれに取り憑かれたかのように、冷静に、しかし狂気をはらんだ声で語っていた。
ベネシュは問いかけた。
「何がそこまでお前を駆り立てる。いったい何が目的だ。」
だが仁川はそれ以上の説明をすることはなく、ただ一言、冷たく言い放った。
「言っただろう。反共主義者に鉄槌を下すだけさ。」
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雨の音
ーやはり…似ている…。
記憶の奥底から浮かび上がる顔――6年前、熨子山事件の真相を追う過程で無視できなかった、あの仁川という男。その顔が重なった。
ーまさか…。
黒田は息を呑み、思わず呟くように口を開いた。
「仁川さん…?」
その声が雨の中で微かに響いた。
この黒田の声に、椎名は動きを止めた。まるでその名に反応するかのように、雨の中で僅かに顔を動かす。
ー嘘だろ…。
黒田の胸に確信が走った。その瞬間、言葉が勢いを帯びて口をつく。
「仁川さっ・・・!」
「椎名!」
鋭い声が雨音を切り裂いた。
黒田は反射的に声の方へ振り返った。
ー今の声は…?
雨の中で瓦礫を踏み越えながら立っている一人の男。その顔を見て、黒田の目が大きく見開かれた。
ー相馬…!?
その名を心の中で叫ぶ。
相馬の目には鋭い光が宿り、表情には緊張感が滲み出ている。これは黒田の知る相馬ではない。
「椎名!お前、なぜSATの格好をしている!」
相馬の問いに、椎名は答えない。雨が二人の間を叩きつける音だけが響く。
「答えろ!」
相馬の声が荒れる。椎名はただ静かに相馬の方を向いている。
相馬は咄嗟に拳銃を抜き、椎名に銃口を向けた。その手は微かに震えている。
「ヤドルチェンコの討伐なんかどうでもいい!」
相馬の声は雨音に混じりながらも力強く響く。
「お前は…すぐに本部に戻るんだ…!」
椎名は無表情のまま相馬を見つめ、静かに言葉を返す。
「本部に戻る?」
「そうだ!」
「ここがこんな状況で、おれだけおめおめと本部に戻る訳にいかんだろう。」
相馬の額には雨と汗が混じり、瞳が揺れる。
「そんなことどうでもいい!俺はお前を確保しろと言われている!」
雨が二人の間を絶え間なく打ち付ける中、相馬はさらに声を張り上げた。
「椎名、そこに跪け!」
その言葉に椎名は僅かに眉を動かし、冷笑を浮かべた。
「確保して本部に連行するか。」
「そうだ!」
椎名は短い沈黙を挟み、静かに言葉を放った。
「おやさしいことだな。」
次の瞬間、鈍い音が響いた。
相馬の身体が大きく揺れ、彼の声が喉の奥で途切れる。力なくその場に膝を突き、拳銃が手から滑り落ちた。
雨音がその場を支配する中、椎名が冷静に手元の銃を下ろす。銃口にはサイレンサーが付いており、発砲音は周囲の雨音に紛れて消えていた。
相馬は肩を押さえ、口から血を滲ませながら椎名を見上げた。
「…お前…何を…。」
椎名は無言のまま、彼を見下ろしている。その瞳には、わずかな感情すら読み取れない。
その一部始終を、瓦礫の影から黒田は息を殺して見つめていた。
ー…撃った…? 仁川が、相馬を撃ったのか…?
雨に濡れた眼鏡を指で拭いながら、黒田は震える手で瓦礫にしがみつく。サイレンサー付きの銃が雨に濡れ、冷たく光る。その光景が、黒田の脳裏に鮮明に焼き付いた。
雨音だけが響く中、椎名はその場を立ち去る素振りもなく、ただ静かに立ち尽くしていた。