井戸の底に沈む暗闇…それが僕だ。誰も僕を覗き込まない。見ようとしない。どれだけ深く沈んでいるか、誰も知ろうとしない。何もかもが暗いまま、光はいつも遠く、手の届かない場所にある。
井戸の底で目を閉じれば、浮かんでくるのは幼い頃の記憶だ。冬の寒い夜、僕は家の片隅で小さくなっていた。両親の怒声が家の中に響き渡り、やがて僕に向けられる拳や言葉に変わるのがわかっていた。恐怖に凍りつきながら、耐えるしかなかった。
どんなに手を伸ばしても、限界がある。痛みや憎しみが僕の中で固まり、心の底で腐り始める。それでも、どこかで一筋の光を信じていた。
ある日、井戸の底にふと誰かが覗き込む影が見えた。その人は、周りの誰とも違っていた。ぼろぼろの服を着た若い女性で、目には何かしらの痛みと優しさが混じっているように見えた。彼女もまた、どこか傷ついている人間だったのだろう。
彼女の声はかすかに震えていたが、まっすぐ僕に届いた。
僕は反射的に答えた。心の奥底で、誰かに見られることに怯えていた。それでも、彼女はしばらく僕を見つめ続けた。沈黙の中で、僕は初めて「理解される」かもしれないという奇妙な感覚に揺られた。
彼女が時々井戸のそばに現れるようになり、僕に話しかける日々が続いた。彼女は、言葉にはしないけれど、きっと僕と同じような深い傷を抱えているのだろうと感じた。彼女もまた、届かない光を求めていたのかもしれない。
ある日、彼女は僕に語り始めた。彼女の名前はユリ。子供の頃、家族からの愛情を受けられなかったこと、いじめに遭っていたこと、そしてその中でどうにか自分を保とうとしていたこと。彼女の話を聞くうちに、僕は少しずつ心が温まるのを感じた。
「私も、光を探している。でも、光って自分の中にもあるかもしれないって気づいたの。」
ユリの言葉は、僕の心の奥に小さな火花を灯した。彼女と話すことが、少しずつ僕の井戸の暗闇を薄めていくようだった。彼女の存在が、僕にとっての光になりつつあった。
それから数ヶ月が経った。ユリとの交流を通じて、僕は少しずつ自分の気持ちを表現できるようになっていった。しかし、心の底にはまだ解決されない痛みがあった。ある日、思い詰めたようにユリに告げた。
「でも、どうしても抜け出せない自分がいる。痛みを忘れられない。」
「それを認めることが大事なんだよ。痛みを抱えたままでも、光を求めていいんだ。」
彼女の言葉に背中を押され、少しずつ自分の過去に向き合おうとした。家族から受けた暴力や、学校でのいじめ――それらを思い返すことで、僕は少しずつ自分自身を取り戻していった。
ある夜、ユリがいつものように井戸のそばに来た。彼女は深い瞳で僕を見つめ、静かに言った。
その瞬間、僕は自分の心が何かを求めているのを感じた。彼女と一緒に井戸の外に出ることで、光が見えるかもしれない。そう思い、彼女に手を差し出した。
外に出ると、夜空には無数の星が輝いていた。あの光が、手の届かない場所にあることは知っている。でも、今日はその星の一つ一つが、僕に希望を与えてくれるように感じた。
ユリは指を指し、笑顔を見せた。僕も彼女の笑顔を見て、少しずつ心が温かくなっていくのを感じた。
しかし、喜びの瞬間は長くは続かなかった。ある日、ユリが突然姿を消した。彼女の家族の問題で、引っ越さなければならなくなったのだ。
孤独感が再び押し寄せてきた。心の底から、「届かない光」を求めるのはもう無理だと感じた。ユリを失ったことで、再び井戸の深い暗闇に戻ってしまったような気がした。
数日後、僕は井戸の中で思い詰めていた。そこで、彼女からもらった小さな石が目に入った。ユリはこの石を「希望の石」と呼んでいた。その瞬間、彼女の言葉が心に響いた。
その言葉を思い出し、僕は自分の過去と向き合う決意を固めた。ユリの存在がどれだけ大切だったのか、痛みを抱えながらも彼女のように生きたいと思った。
それから僕は、彼女に送る手紙を書いた。どんなに苦しくても、彼女の言葉が心の支えになったこと、そしてこれからの自分を変えていくことを伝えた。
この言葉を手放さずに、自分の中の光を信じることにした。手紙を書き終えた後、僕は彼女の思い出を胸に、井戸の外へ向かった。
月日が流れ、僕は少しずつ自分を変えていった。ユリとの出会いが、僕を支えてくれたからだ。そして、ある日、彼女が戻ってくる日を夢見ながら、自分の道を歩んでいくことを決意した。
最後の夜空の下、星が輝く中で思う。手の届かない光かもしれないけれど、僕はその光を信じ続ける。そして、もう一度、ユリに会える日が来ることを願いながら、心の中で誓うのだった。
「ここまでは出れるけど、これ以上は出ない俺さ。でも、光を求めることはやめない。」
それが僕の新しい一歩であり、届かない光を目指す旅の始まりだった。