♪最晩年のチャイコフスキーが遺した人生をかけた一大傑作
交響曲第6番ロ短調 作品74は、チャイコフスキーが作曲した6番目の番号付き交響曲にして、彼が完成させた最後の交響曲。『悲愴』(ひそう)という副題でも知られています。
チャイコフスキー最後の大作であり、その独創的な終楽章をはじめ、彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価されています。
弟のモデストはこの曲のテーマとしていくつかの証言を残していますが、チャイコフスキー自身は「人生について」としか語っていません。リムスキー=コルサコフの回想によれば、初演の際、演奏会の休憩中にチャイコフスキーに「この交響曲には何か表題があるのでしょう」と確かめると彼は「無論あります。しかし何と言ってよいか説明できかねます」と答えたといいます。
チャイコフスキー自身は世評を気にしがちなタイプでしたが、この曲については大きな自信を持っていました。完成後に出版商のユルゲンソンに送った手紙の中に「傑作を書きました。これは私の心からの真実と申しましょう。私は今までにないほどの誇りと満足とよろこびを感じています」と書いたほか、コンスタンチン大公には「私は今度の交響曲の作曲に全精神を打ち込みました」と伝えています。
また初演後は周りの人々に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えです」と語っていました。
チャイコフスキーは1891年に着想を得た変ホ長調の交響曲(自身で『人生』というタイトルをつけていた)を途中まで書いたところで、出来ばえに満足出来ず破棄し、ピアノ協奏曲第3番に改作しました(未完)。しかしこの「人生」というテーマは彼の中で引き継がれていたようで、資料によれば1893年2月17日に第3楽章から第6交響曲の作曲に着手しました。
作業は急ピッチで進められ、それから半年後の8月25日にはオーケレストレーションまで完成し、同年10月16日に作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルクで初演されました。あまりに独創的な終楽章もあってか、初演では当惑する聴衆もいたものの、この曲へのチャイコフスキーの自信が揺らぐことはありませんでした。しかし初演のわずか9日後、チャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となりました。
それから二週間後の11月18日、ペテルブルクで行われたチャイコフスキーの追悼演奏会で「悲愴」が再演された際には、聴衆は涙を流して聴き入り、演奏が終わってもしばらく立ち上がる人はいませんでした。聴衆のひとりであった作曲家スターソフは「作曲者はこの交響曲を激しく泣きながら作曲したのだろう。終楽章はことに絶望感を抱かせる。何という恐ろしい交響曲だ」と感想をしたためています。
*演奏内容と音響(アルゴリズムリバーブ)を改めた新録音です。
立体感を生むために、弦楽器に対して管楽器と打楽器のリバーブを深めにとっています。
現在、新型コロナウイルスにより世界的に大変な状況にある中、多くの人々の精神的な不安のカタルシスになればとの思いから、あえてこの曲を選びました。
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》 第1楽章 [2020][AR]
Peter Ilyich Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique"
I. Adagio - Allegro non troppo [20:14]
Tchaikovsky-Symphony-No6-1st-2020-AR.mp3
Tchaikovsky-Symphony-No6-1st-2020-AR.mp3