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思考のエンジン オンデマンド (ペーパーバック)
ゲストはTak.さん。
* Twitter:@takwordpiece
* Blog:Word Piece
* Amazon著者ページ
『思考のエンジン』について
著者は奥出直人さん。青土社の思想系雑誌『現代思想』の連載を書籍化したもの。
同じ著者の本に『物書きがコンピュータに出会うとき―思考のためのマシン』もあるが、こちらは入手が若干難しい。
目次は以下の通り。
* 思考の道具としてのタイプライター
* ライティング・エンジンとしてのワードプロセッサー
* エクリチュールとライティング・エンジン
* パレルゴンとエルゴン
* 論理的ディスコースのダイナミズム
* コンピュータ上のソクラテス―「ソウトライン」を使う
* 情報を俯瞰する装置―アウトライン・プロセッサーを使う
* プロセスとしてのテクスト
* 迷宮としてのデータベース
* 補遺の連鎖とハイパーテキスト―ハイパーメディア・ライブラリーとライティング
* 思考のエンジンとしてのハイパーテキスト
* マニエリスムとアカデミズム
今回は主に前半部分に関してお話いただきました。
タイプライター的思考
『思考のエンジン』にはこうあります。
タイプライター的思考とは、タイプライターをペン代わりに使う思考のことではない。タイプライターを含む一九世紀末的な効率と生産性を可能にする思考を意味している。部分をつなぎ全体を考え、資料はファイルにきちっと整理され、巨大な辞書が備えられている、そんな環境がタイプライター的思考の場所である。
つまり、物事をきわめてシステマチックに進めていくアプローチであり、それをエンハンスするのがタイプライターという機械です。もう一ヶ所引用します。
また、書くという問題を考えるとき、全体の統一性を考えながらばらばらな部分を寄せ集め、つないでいくタイプライター的思考の限界についても考えておく必要がある。人間の思考はもっと複雑なものである。
これらの記述でなんとなくタイプライター的思考の輪郭線が見えてくるでしょう。
タイプライターからの逸脱
では、タイプライター的思考ではない思考(およびそこに付随する執筆)とはどのようなものでしょうか。
以上の手書きのエクリチュールにこだわる作家の意見をまとめてみると、書くという作業を創造的な行為とみなし、分かりきった意識を前もって準備した構造に合わせて説明するのではなく、明確に意識化できていないことを書くという作業、すなわちエクリチュールによって意識化しようとしていることが分かる。さらに、一度書き上げた原稿を推敲して仕上げていく楽しみも強調している。
おおむねここが一番の力点でしょう。でもって、シェイクに象徴されるTak.さんが提示されるプロセスが強調しているのもこのような行い(あるいは営み)です。
あらかじめ構造をしっかり作りそこに向かって書いていくことは、「分かりきった」ことを扱う行為であり、「明確に意識化できていないことを書くという作業」──つまり、発見や創造とはひどく違っていて、そしておそらく楽しみも少ないのではないか。そのような疑問を『思考のエンジン』を読んでいると感じられますし、まさにその問題意識を持ってTak.さんの著作を読んでみると、「なるほど、そういうことか」と腑に落ちることが多く出てきます。
なので、Tak.さんの本を好ましいと感じる方ならば、よりディープに踏み込むために『思考のエンジン』はぜひとも読んでみたいところです。
難しい言葉
とは言え、この本は一筋縄ではいきません。すでに登場していますが、「エクリチュール」も知らないと意味が取りづらいですし、「パレルゴン」やら「ヘゲモニー」やら各種哲学者の用語がばんばん登場します。文章自体は晦渋ではないのですが、用語の感触を把握していないと、「うっ」と気後れする部分は間違いなくあります。
それを乗り越えるのが知的トレーニングである、というといかにもマッチョな発想にも思えますが、それでも自分が知らない世界から流れ込んでくる空気を一度胸いっぱい吸い込んでみるのは悪くない体験です。
それに用語がわからないからといって全体の意味が汲み取れないこともありません。ですので、そういう本だと思ってチャレンジされると良いでしょう。
思考のエンジン オンデマンド (ペーパーバック)
ゲストはTak.さん。
* Twitter:@takwordpiece
* Blog:Word Piece
* Amazon著者ページ
『思考のエンジン』について
著者は奥出直人さん。青土社の思想系雑誌『現代思想』の連載を書籍化したもの。
同じ著者の本に『物書きがコンピュータに出会うとき―思考のためのマシン』もあるが、こちらは入手が若干難しい。
目次は以下の通り。
* 思考の道具としてのタイプライター
* ライティング・エンジンとしてのワードプロセッサー
* エクリチュールとライティング・エンジン
* パレルゴンとエルゴン
* 論理的ディスコースのダイナミズム
* コンピュータ上のソクラテス―「ソウトライン」を使う
* 情報を俯瞰する装置―アウトライン・プロセッサーを使う
* プロセスとしてのテクスト
* 迷宮としてのデータベース
* 補遺の連鎖とハイパーテキスト―ハイパーメディア・ライブラリーとライティング
* 思考のエンジンとしてのハイパーテキスト
* マニエリスムとアカデミズム
今回は主に前半部分に関してお話いただきました。
タイプライター的思考
『思考のエンジン』にはこうあります。
タイプライター的思考とは、タイプライターをペン代わりに使う思考のことではない。タイプライターを含む一九世紀末的な効率と生産性を可能にする思考を意味している。部分をつなぎ全体を考え、資料はファイルにきちっと整理され、巨大な辞書が備えられている、そんな環境がタイプライター的思考の場所である。
つまり、物事をきわめてシステマチックに進めていくアプローチであり、それをエンハンスするのがタイプライターという機械です。もう一ヶ所引用します。
また、書くという問題を考えるとき、全体の統一性を考えながらばらばらな部分を寄せ集め、つないでいくタイプライター的思考の限界についても考えておく必要がある。人間の思考はもっと複雑なものである。
これらの記述でなんとなくタイプライター的思考の輪郭線が見えてくるでしょう。
タイプライターからの逸脱
では、タイプライター的思考ではない思考(およびそこに付随する執筆)とはどのようなものでしょうか。
以上の手書きのエクリチュールにこだわる作家の意見をまとめてみると、書くという作業を創造的な行為とみなし、分かりきった意識を前もって準備した構造に合わせて説明するのではなく、明確に意識化できていないことを書くという作業、すなわちエクリチュールによって意識化しようとしていることが分かる。さらに、一度書き上げた原稿を推敲して仕上げていく楽しみも強調している。
おおむねここが一番の力点でしょう。でもって、シェイクに象徴されるTak.さんが提示されるプロセスが強調しているのもこのような行い(あるいは営み)です。
あらかじめ構造をしっかり作りそこに向かって書いていくことは、「分かりきった」ことを扱う行為であり、「明確に意識化できていないことを書くという作業」──つまり、発見や創造とはひどく違っていて、そしておそらく楽しみも少ないのではないか。そのような疑問を『思考のエンジン』を読んでいると感じられますし、まさにその問題意識を持ってTak.さんの著作を読んでみると、「なるほど、そういうことか」と腑に落ちることが多く出てきます。
なので、Tak.さんの本を好ましいと感じる方ならば、よりディープに踏み込むために『思考のエンジン』はぜひとも読んでみたいところです。
難しい言葉
とは言え、この本は一筋縄ではいきません。すでに登場していますが、「エクリチュール」も知らないと意味が取りづらいですし、「パレルゴン」やら「ヘゲモニー」やら各種哲学者の用語がばんばん登場します。文章自体は晦渋ではないのですが、用語の感触を把握していないと、「うっ」と気後れする部分は間違いなくあります。
それを乗り越えるのが知的トレーニングである、というといかにもマッチョな発想にも思えますが、それでも自分が知らない世界から流れ込んでくる空気を一度胸いっぱい吸い込んでみるのは悪くない体験です。
それに用語がわからないからといって全体の意味が汲み取れないこともありません。ですので、そういう本だと思ってチャレンジされると良いでしょう。
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