意識とは何かについての仮説(あくまでもこれって私の感想ですが)について話しています。普段は原稿の音読ですが、今回は初めての、原稿無しのフリートークになりました。内容は、「意識とは、苦しみのこと」という仮説の検証を、以下のような仏教の話を交えながら進めています。
仏陀の説いた「一切皆苦」の謎。
世界には、苦しいことも、楽しいこともともにあるではないか?
→ サンスクリット語、古代パーリ語で言う「一切皆苦」の「苦」と、一般的な「苦しみ」との違い(中村元の著書より)。
仏教でいう「苦」とは、思い通りにならない状況、儘ならない世界における葛藤を表す言葉である。欲しいものが手に入らない渇望の状態ももちろん苦しいが、欲しいものが手に入ることで今度はそれが失われる不安の状態になるのも苦しみだということ。
すなわち、何かが欠けているのは不快だが、快感が失われていくことによっても不快になるということ。
仏教では、世界のあらゆる事物は変化し続けている、つまり「諸行無常」であり、いかなる事物も何らかの因果関係によって現れており単独で存在できる実体は無い、つまり「諸法無我」であるというこの世界のデフォルト設定が、「一切皆苦」の原因として説明されており、その「苦」に満ちた状態からの解放、つまり「涅槃寂静」が目指されている。
「四苦八苦」
「四苦」とは、生老病死という人間には避けようのない四つの「苦」。
「八苦」とは、四苦に加えて誰もが必ず経験する「求不得苦」「怨憎会苦」「愛別離苦」「五蘊盛苦」 という4つ苦しみが人間にはあるということ。
求不得苦(ぐふとくく):お金、地位、名誉、物など手にはらないものがある苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく):妬みや憎しみなど嫌な感情を抱く人と出会う苦しみ
愛別離苦(あいべつりく):どんなに愛するモノであっても、いつかは必ず別れなければならない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく):体や心が思うようにコントロールできない苦しみ