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「鍋島惇。」
「まさか。なんでここであいつが出てくるんや。」
「ふっ、なんでって、しゃあねぇやろ。高校時代の同級生やからな。しかも奴さんは高校時代の戦友と来たもんや。繋がってしまったからにはどうしようもない。」
「でも、この鍋島は熨子山のヤマと関係あるんか。」
「さぁ、それは分からん。そいつはこれからの捜査次第で関係性が出てくるかもしれんし、まったく関係がないかもしれん。とにかく、一色の周辺を洗っとったらこんなもんが出てきましたってことや。」
「トシさん…あんた情報集めてくるのは良いんやけど、頭こんがらがってこんか。」
「だら、これが仕事やろいや。」
4年前、金沢市内のとある私立病院をめぐって横領事件が発生した。
経理担当の病院職員が診療報酬を水増しして国に請求し、その差額分を横領するというものだった。
この捜査にあたっていたのが古田であった。被疑者である病院職員はすぐさま逮捕されたが、その使徒がなかなか判明しなかった。当初はギャンブルですったとか、散財したとかその男は話していたが、裏が取れなかった。古田のスッポン捜査で被疑者の周辺を虱潰しにあたっても彼が散財した形跡を見つけることはできなかった。
そこで疑念を抱いたのが当時捜査二課課長として赴任してきて早々の一色だった。
現金だけが領収書もレシートも目撃者も無く跡形もなく消えている。しかもその横領金額は5億円。何回かに分けて横領されていたことはわかるが、忽然とその大金が消えていることが腑に落ちない。
ひょっとすると闇社会への資金還流ではないかと目星をつけた一色は、金沢市内で一大勢力を誇る指定暴力団、神熊会の家宅捜索を行うために裁判所へ令状を請求した。
しかしその捜索を行う直前に事件が発生した。
神熊会の構成員である男が何者かに殺害されたのだ。そしてその数時間後には先程の横領事件の舞台となった私立病院の理事長の息子が殺害された。
立て続けに発生した殺人事件。被害者に仁熊会の構成員もいる。そのため捜査二課による仁熊会への家宅捜索は中止となった。変わって捜査一課が仁熊会と私立病院の捜査にあたることとなり、二課はそれらから手を引くこととなった。
まもなくして若い男が出頭。この2つの殺人事件はどうやらこの男による犯行のようだった。
殺害の動機はむしゃくしゃしたからやったというもの。駐車場に車を止めようと思ったら、男がそこに止めるなと因縁をつけてきたので、邪魔だったからナイフでメッタ刺しにした。その後、車で逃走中にたまたま見た男がこれまたムカついたので、後をつけて人気のないところで刺殺したというものだった。
被害者に仁熊会の構成員がいることから、暴力団の抗争が何らかの形で関係していると思われたが、出頭した男はカタギだった。
とってつけたような動機と残忍な犯行。
精神鑑定が要される事案かと思われたが、犯人の自供は理路整然としており、それを裏付ける物証もあった。それに犯行現場に居合わせたという目撃者もいる。そのため裁判所は精神鑑定を要求することなく、この事件は早々に結審した。
この犯人には無期懲役の判決が下された。
スッポンの異名を持つ古田はその後も心に引っかかるものがあり、再度、その殺人事件の現場を見たという目撃者とコンタクトを取ろうと試みる。しかしその目撃者はすでにどこかへ引っ越しており、行方は分からなかった。
事件から2年経ち、古田は夜の片町で行きつけの居酒屋で一杯引っ掛けて帰宅しようとしていた。
通りをはさんだところにある高級クラブの前に一台の高級車が横付けしている。誰かを待っているようだ。運転席には男の姿が見えた。間もなくクラブからひとりの男が出てきた。運転手の男は車から降りて、店から出てきた男を車に迎え入れた。
その瞬間、古田の動きが止まった。
この運転手、2年前の殺人事件の目撃者に似ている。
運転手はサングラスをしていた。そのため顔の全貌がわからない。しかし体つきや顔の骨格が古田が記憶する目撃者の外見と似ている。
間近まで迫って、運転手の様子を探ろうとしたが、彼は熊崎を車に乗せるとその場から立ち去った。
後日、このことは捜査二課で報告された。
二年前の事件の目撃者が仁熊会の関係者だとすれば、変わり身を立てて犯人を出頭させた疑いがある。
当時捜査二課課長だった一色は再度慎重に捜査を行うよう上に働きかけた。しかしすでに裁判は終了し犯人は刑に服している。それを自らの手で掘り起こして、傷口に塩を塗り込むようなことはやめるべきだと、彼の訴えは取り上げられなかった。
「この写真はそのあとにマル暴が別件で仁熊会本部の前で撮った写真や。丸サングラス、コケた頬、少し釣り上がった口元、がっしりとしたガタイ。片町で熊崎を迎えに来た男と同一人物や。つまり2年前の殺しの目撃者に似た男。」
「確かこいつが『鍋島』って言われとるんやったな。」
「おう。年に何回か仁熊会の本部に来るが「鍋島」っちゅう名前以外、どういう素性の人間かは誰も知らんっちゅう謎の男。仁熊会の人間ですら素性を知らん人間やさかい、それ以上マル暴でも調べられんかった。」
「んで、この鍋島と2年前のコロシの目撃者の一致もできんかった。」
「ああ。ほんでこのリストや。」
そう言って古田はおもむろに一枚の紙を片倉の前に差し出した。
「当時、鍋島っちゅう姓を語る人間を片っ端から調べた。この石川県に本籍と住所を持っとる奴全部な。」
片倉はそのリストを手にとってしばらくながめた。
「トシさん…。ここには惇って奴、おらんぞ。」
「ほうや。やから、分からんかったんや。」
「と言うと?」
「つまり、鍋島はここの人間じゃない。よそ者や。」
「...まてまて、トシさん。あんたが言っとることを整理させてくれ。一色の高校の同級生に鍋島惇という男がおった。その鍋島は2年前の殺しの目撃者に似とった仁熊会に出入りする「鍋島」って言われとる男と顔が非常に似とる。同じ名字で顔が似とる。ほやけど鍋島っちゅう名字で惇っちゅう名前の人間は、ここ石川県におらん。戸籍と住民票を見る限り。それだけのことやろ。」
「ほうや。」
「あの…トシさんそれじゃあ、何にもならんよ。」
「…片倉ぁ、お前わかっとらんなぁ。」
「何が」
「わしはさっきまで北高におったんやぞ。」
「…あ。」
「あそこはしっかりしとる。当時の入学書類とかもしっかり保管してあったわ。」
「鍋島の入学書類か。」
古田は片倉の肩を小突いた。
「こいつには驚かされたわ。」
古田は当時の戸籍抄本のコピーを片倉に見せた。
「あいつ残留孤児3世や。」
「なんやって?」
「1972年の日中友好条約の締結を受けて鍋島の母親と祖父母が帰国。その後母親は日本人の男と結婚。そこで生まれたのが鍋島惇や。」
古田は話を続ける。
「どうやら鍋島は中学卒業と同時に、この石川県に来たみたいや。それまでは各地を点々としとる。それもおそらく鍋島の幼少期に両親が離婚したことが原因やろうな。あいつは母親に引き取られとる。」
「それなら、その母親と直接会って鍋島のことを聞き出せばいいがいや。」
「ほんなうまくいかん。鍋島の母親は入学時までは一緒に住んどったみたいやけど、高校の途中で中国へ戻ってしまったんや。子供を置いてな。ほやから、その後の消息は分からん。鍋島惇とその祖父母が石川県に残ったってことや。」
「そうか、それなら卒業と同時に就職っていうのも理解できるな。」
「ああ。」
「各地を点々か。おそらくいろんな酷い目に会ってきたんやろうな。」
「そうやろうな。元を正せば同じ日本国民。戦争が理由でかってに中国人扱いや。」
「こっちやったらあんまり聞かんけど、都会のほうやったら残留孤児のマフィア化なんてもんもあるそうやがいや。」
「そこや。」
「北高からこっちに来る間に、自衛隊に照会したんや。鍋島惇について。」
「おう。」
「間違いなくあいつ入隊しとる。ほやけど1年で除隊しとる。」
「なんやって…。」
「その後の消息は不明。ひょっとするとそれから流れ流れて、地下組織に潜り込んだかもしれんな。」
古田の仮定の話は続く。
「仮にそうやとしよう。話は振り出しに戻る。あの手の奴らはこっちのシノギの人間と性質が違う。」
「おう。」
「手段を選ばんことだってある。」
「ってことは。」
「病院の横領にまつわる殺人事件にあいつが関わっとっても不思議じゃあない。」
「その仮定に沿うなら、仁熊会との関わりもあっておかしくないな。」
「それと、今回の熨子山の件。俺はどうも腑に落ちんがや。」
「なにが。」
「あの一色やぞ。頭脳明晰で難解な事件をことごとく解決するあいつや。こんなに分かりやすく『私がやりました』って証拠を残して連続殺人事件を起こすなんていうのが信じられんがや。」
「確かに…。こいつが例のレイプ事件の報復やったとしても、計画的とは言えん。証拠が多すぎる。」
「そこでこう考えることはできんやろうか。」
「なんや。」
「仮に2年前のコロシの目撃者がこの鍋島やったとしよう。んでこの鍋島が一色の剣道部の同期の鍋島やったとする。」
「うん。」
「一色と鍋島は知らん中じゃない。」
「そうや。」
「一色はその気になれば鍋島と奴と関係のある仁熊会にメスを入れることができる。その力を背景に鍋島を脅した。」
「え?何?まさかトシさんは一色が鍋島に熨子山事件を依頼したってか?」
「…ほうや。」
「…一色がトシさんに言った言葉か。方法はあるって…。」
少々話が飛躍をしている。片倉はそう思ったが長年、スッポン捜査を実行し結果を出してきた古田の推理を無碍に否定することはできなかった。
今回の事件は証拠が多い。証拠から判断すれば犯人は一色だ。百歩譲っても重要参考人。とするならば推理などは必要ない。一色の手がかりを掴んで奴を確保すればよいだけ。しかし、その作業は捜査本部が現在やっている。ならば、こちらは捜査本部とは別の角度からこの事件の捜査するのもよいだろうと片倉は自分の考えを整理した。
「片倉ぁ。わしは今回の事件に北高の交友関係が密接に関わっとるニオイがするんや。」
「なんでや。」
「考えてみいや。剣道部の同期のひとりでこんだけ話が膨れる。あいつの同期は12名。そのうち最も親しかったのが鍋島、佐竹、村上、赤松。」
片倉は目の前の卒業アルバムの写を並べ直した。そして一色を中心に鍋島、佐竹、村上、赤松の4名を彼を挟むように配置した。5人の顔写真が平行に並んだ。
「わかった、トシさん。この五つの線を洗いなおしてみよう。」
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