こんばんは、テレポートレディオ。
今夜は、僕たちが運営する生成AI学校「セナリ学院」がプレ開校し、そこで新たに始まるプログラム 「マスターズクラス」 について紹介したいと思います。
「マスターズクラス」は、知性と創造の最前線に立つ人々を訪ね、その視点や考えを深く掘り下げていくドキュメンタリーシリーズです。師匠(マスター)と対話し、その世界観を探求することで、新しい視点を発見していくことを目的としています。ポイントは、先生は誰でもいいということ。
ニューヨークのアーティストでも、近所のおじいちゃんおばあちゃんでも、自分が「この人から学びたい!」と思う相手なら、誰でも扉を叩くことができます。
そして、記念すべき第1回目は、我らがテレポートのエンジニア 「そばっしー」 が、日本を代表するAI研究者 三宅陽一郎さん を訪ねた対談です。今回は、その内容の一部を予告編としてお届けします。三宅さんとの対話の中で浮かび上がったのは、人間は「レイヤー」の中で生きているということ。
社会的な枠組み、文化、言葉、私たちはそれらに囚われながらも、それなしでは生きていけない。
でも、AIはどうなのか?
人間が作ったルールを超えて、新たな枠組みを自ら生み出すことができるのか?この問いは、「フレーム問題」とも呼ばれます。人間はフレームの中で考え行動しますが、AIはそのフレームを超えられるのか?あるいは、実はAIに限界を課しているのは、私たち人間自身なのではないか?
例えば、「キュビズムが誕生する前の時代に、ピカソのような画家は生まれ得るのか?」
AIに写実の絵画を学習させたとして、それだけでピカソのような革命的なスタイルが生まれるのか?
こうした問いを深掘りしていきます。
また、今回は「言葉の責任」についても話しました。
ソーシャルメディアの時代、誰もが情報を発信できるようになったけれど、その言葉に責任を持てているのか?
例えば、ピカソは「キュビズムは俺の絵だ」と言い切った。
彼がそれを背負い、責任を取ったからこそ、キュビズムは歴史に残る芸術になった。
では、AIが生成した言葉やアートに、責任を持つのは誰なのか?人間の創作とAIの創作はどう違うのか?
この問題も、マスターズクラスの重要なテーマになっていきます。この「マスターズクラス」は、セナリ学院の生徒(セナリセ)が主体となって、「この人の話を聞きたい!」と扉を叩くプロジェクトです。僕たちはその扉を一緒に開ける手助けをしていきます。今回はそばっしーが三宅陽一郎さんを訪ねましたが、今後もさまざまな分野の「マスター」に会いに行く予定です。
あなたなら、どんなマスターに話を聞きたいですか?
近日、第1回目の本編をYouTubeで公開予定です。
新しい視点に出会えるマスターズクラス、ぜひ一緒に作っていきましょう!