メリーきどにちは
もうすぐクリスマスですね。
世間のニーズにお応えして今回はクリスマス回を配信します。
毎年クリスマスといえば、やれ今年も一人だとか、やれリア充、爆発しろだとか、
やれ、今年も藤岡藤巻さんの「〇ね、クリスマス」を聴いてやるんだとかと宣う日本人のなんと多いことか。
だが、ちょっと待ってほしい。プレイバックしてほしい。Part2してほしい。
本当にクリスマスに一人でいるのは寂しいことなのだろうか?
そもそもクリスマスに限ってなんでそんなことを考えてしまうのだろうか?
果たして本当に君の特別はクリスマスに存在しているのだろうか?
茜ヶ丘大学は言いたい、
君たちは、君たちが思い描くクリスマスという幻想に支配されているだけだ。
クリスマスは、決してアベックやパーリィピーポーの為だけに存在しているのではない。
全ての遍く人々に平等に与えられる日である。
つまりそれは、特別にするもしないもどう過ごすかも全くもって自由な日なのだ。
そこには本来、「こう過ごすのが当たり前」なんてルールは存在しない。
単独でいようが複数人でいようがどちらも等しく正解である。
間違いなんてない。
「クリスマスは忙しいから別な日をクリスマスとして、その日に何かしよう」
というのも、もちろん正解なのである。
間違いなんてない。
いま一度言う、クリスマスは、全ての遍く人々に平等に与えられる日である。
それは、いついかなる日と同様なのだ。
さぁ、皆さん
心の隙間を埋めるためにクリスマスの本来の意味を問うたり、「俺、仏教徒だし」などと負けず嫌いのように信仰の対象を宣言するのは、
もう止めにしよう。
そう、私たちは次のステージに移らなければいけない。
一部の人間が立場や境遇を利用し、精神的優位性を主張する時代は終わりにしよう。
全ての人間が平等に、其々に勝ち誇り、そして衝突もしない、そんな世界を創ろう。
自由と許容の思想にこそ理想の未来がある。
そう、
自分の特別な人と過ごしている人が最強だと思うように、
クリスマスに一人ぼっちでいる人もまた、自分は最強であると思い、主張する。
そしてお互いを認めあう。
それこそ、現代の世界に蔓延しているクリスマスの幻想を打ち砕いた、皆の為の理想の未来図なのである。
その為に、その未来を創る為にまず、この幻想を砕かなければいけない。
そうだ、
その為に我々は今回、幻想を砕くアンチテーゼを唱えなければならない、
クリスマスぼっち最強論を。
今回はそんな話です。(本当か?)
日々のモヤモヤやわだかまりのある方、
また感想や質問のおたより等は、
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Merry Christmas